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謎のオルメカ文明
〜奇怪な巨石像と文明の起源にまつわる謎〜
* 奇妙な人頭像の遺跡 *
 アメリカ中部ユカタン半島とメキシコ半島に挟まれたベラクルス州からタバスコ州にかけての低湿地帯には、熱帯雨林のジャングルがうっそうと茂り、およそ人間の住める環境ではない緑の地獄が果てしなく広がっている。
 ここでは年間雨量が3000ミリにも達し、一年中、高温高湿であらゆるものはすぐに腐敗し、淀んだ川やジャングル内の沼沢地には、ものすごい数の蚊が飛び回り、いたるところにヒル、アブ、ムカデなどの危険な毒虫が多数生息している恐ろしい世界である。現在でも人間を寄せつけない人跡未踏の地であると聞く。
 ところが意外なことに、この地域こそアメリカ大陸最古の文明発祥の地であることが近年の調査でわかってきたのである。19世紀の中頃から、これらの沿岸地域に巨大な人頭の石像が多数見られるという報告がなされていた。その報告にもとづいて、今から70年ほど前にアメリカの国立博物館のスターリング博士はこの地を探険したが、ほどなく過去の報告通りに巨大な石頭像があるのを発見した。
 発見された巨石人頭像は、高さが2メートル弱、重さ10トンほどあり、巨大な人間の頭部の彫像と言った代物で固い玄武岩を彫ってつくられたものであった。それはまさしくジャングルの真っただ中に、ゴロンと無雑作な状態で置かれていたのである。
 これをきっかけに、次々と似たような巨石人頭像が密林内で発見されていった。

 これまでに、発見された巨石人頭像は全部で16体。大きいものは、重さ40トンを優に越えるものもある。
 奇妙なことには、これらの巨石人頭像はどれもこれも皆似たような表情しているのである。何かを見つめているような表情、分厚い唇、へん平な鼻、何となくユーモラスな目つき、それらは、黒人の特徴をそなえているように思われた。
 頭には、髪飾りのような装飾品や帽子のようなものを被っており、当時の王か神官ではないかとも思われるものであった。
巨石人頭像の表情。当時の神官に似せてつくられたのであろうか?
 とりわけ最大の発見は、タバスコ州の沿岸のラ・ベンダという島での大量の遺跡であった。その中には4体の巨石人頭像を始め、高さ31メートルにおよぶ粘土のピラミッド、奇妙なレリーフで飾られた祭壇などがあった。地中からは、数々の彫刻品や緑の石盤を敷き詰められた床が3つ発見された。それらはジャガーの顔を図案化したような形で並べられていた。
 この奇怪な文明は、これ以後、オルメカ文明と呼ばれるようになった。オルメカとは、「ゴムの地の人」と言う意味があるらしい。これまでは、マヤ文明が、最も古い文明だと思われていたが、放射性炭素による年代測定で、これらは紀元前1千年ほど前の遺跡であることがわかった。こうして、ユカタン半島で繁栄を誇ったマヤ文明に先立つこと、実に1千5百年も前に独自な文明が中南米に存在していたことがわかったのである。

* ジャガーと人間の融合 *
 しかし、不思議なことに、ラ・ベンダの島は面積が5平方キロのごく小さな島で、ここには砂と粘土ばかりしか存在しない。巨大な人頭像の材料になる巨石は産出しないのである。しかも太古より、人が住んでいたという形跡もない。もっとも住もうとしても、焼き畑耕作による限りでは、ほんの数家族程度しか養える広さしかないのである。こうした事実から、この島は宗教的儀式だけに使われた祭祀センターであったと考えられている。
 巨大な彫像の材料となる玄武岩は、130キロも離れたツストラ山から切り出され、近くの川まで引きずっていった後、筏に乗せられて、延々と運ばれて来たと思われている。恐らく、石器と人力しかないこの時代で、重さ50トンはあろう硬質の玄武岩の巨石を切り出して、ラ・ベンダの島まで運んで来るということは、相当難儀な大事業であったことだろう。

 この聖なる場所には限られた神官だけが住んでいた。ラ・ベンダの神官は、ここに住居を構え敬われて生活していたと思われている。広大な地域の住民によって持たらされる食料や数々の奉納品を貢がれた彼らは、美衣飽食の限りを尽くし、贅沢三昧の生活をしていたのである。オルメカ人はそういった暮らしを反乱もなく、実に何百年も気が遠くなるまで続けていたのである。
 ところで、この文明の特徴はジャガー崇拝にあると思われている。
 土中から発掘された数々の彫刻類には、ジャガーを写実的に表わしたものもあれば、一部の特徴を強調しただけのもの、さらには、人間とジャガーの特徴をミックスしたような像など、ジャガーのテーマが随所に色濃く反映されているのである。
 ぞくぞくと、発見される土偶や石像の表情、とりわけ目や口元にジャガーの特徴が見られ、オルメカ彫刻の独自性を物語っている。巨石人頭像に見られる独特な顔つきも、ジャガーと人間の融合を意味するものだと考える説もあるくらいである。
ジャガーを表わした彫刻類。写実的なものからイメージ的なものまである。
 ジャガーは、中南米では、最大最強のネコ科の猛獣である。恐らく、ジャングルの暗闇で、目をランランと輝かせて無気味なうなり声をあげる夜行性のこの猛獣にオルメカ人は、恐怖と畏怖の念からか密林の主としてのイメージを見たのかもしれない。
 確かにジャングルの中で暮らしていた彼らにとってみれば、力強さ、躍動感、ネコ科特有の敏捷性を兼ね備えたジャガーは、神秘的な雰囲気を漂わせた超自然的な存在と考えられたのであろう。
 彼らは、密林の猛獣ジャガーを守護神として崇拝した。そしてやがては、ジャガー崇拝はトーテミズムと言われる中南米最初の原始宗教にまで成長し、美術や工芸に影響を与え、オルメカ独自の文明の根底をなしていったものと思われている。
ジャガーの美しい斑点は、密林に溶け込み超自然的な存在となる。
 この中南米最古の文明は、各地に強い影響を与えていった。ラ・ベンダより南西に320キロ離れたモンテ・アルバンの遺跡には、やはりジャガー崇拝が根強く見られるものであった。
 ここでは、紀元前5百年前に神殿がつくられたが、その地下にはオルメカ様式の石板が多数発見されている。
 さらに、西に5百キロ行ったメキシコ盆地にも、オルメカ文明の影響が見られ、少なくとも、紀元前5百年前には、オルメカ様式のピラミッドが築かれ、やがて、古代アメリカ最大の文明の一つテオティワカン文明を生み出す原動力となったのである。
半人半ジャガーの彫像
* マヤ、アステカ文明の母体に *
 この文明は、太陽のピラミッドや月のピラミッド、ケツァルコアトルの神殿をつくり、実に1千年以上の長きに渡って強勢を誇ったが、紀元7世紀に、どう猛なチチメカ族の波状攻撃の前についに滅ぼされてしまう。その後、幾多の変遷を経て、テオティワカン文明は、蛮族の血を引き継ぐアステカ族に受け継がれて行くのである。

 また、オルメカ文明は、東のユカタン半島に誕生したマヤ文明にも強い影響を与えたことがわかっている。マヤ文明は、オルメカ族が考えだした祭祀センターを中心とした社会を極限にまで発展させたのである。また、複雑なマヤの絵文字は、オルメカの文字がベースになっているとも言われる。
 このように、オルメカ文明は、テオティワカンやマヤ文明、さらにはその後の、アステカ文明に至るまで、中南米に栄えた数々の文明の母体になったと考えられているのだ。

 しかしオルメカ文明は、その真相も明らかにされぬまま、謎に包まれて歴史の表舞台から姿を消すことになる。オルメカ人とはいかなる民族だったのかは未だによくわかっていないのである。

 その後、巨石人頭像は、密林に取り残されたまま、実に3千年という気の狂いそうになる時間を、ひたすら眠り続けることになる。きっとその眼には様々な種族による文明の興亡が映っていたにちがいない。    

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