古代の宇宙観
〜古代人の捕らえた森羅万象とは?〜
* 古代人の考えた世界観 *
 今日、太陽が地球の回りを回っていると信じている人は、恐らくいないであろう。しかし、最近まで長きにわたって、世界中の人々は地球こそが宇宙の中心であり、太陽や月、星々の方が、地球の周りを回っているのだと固く信じていたのである。
 世界の各地で、高度な古代文明を造り上げた人々も、自分たちの住む都市、住みついた大地や渓谷などちっぽけな取るに足らない地表部分が、この世の中心だと考えていた。
 その地球という表現にしても、それぞれの人々が住む限られた自然環境をさしているだけに他ならず、きわめて狭い範囲に限られていた。そうして、それぞれの独自な唯我独尊的な宇宙観を造りあげていった。
 そして、その宇宙観を意味づけするかのように、死後の世界観が出来上がり、独自な宗教が造られ、文明へ発展していった。

 これら古代の人々の宇宙観はすべて天動説に基づいており、それを基本に独自な世界が展開されていたと言えよう。
 古代バビロン人は、大地は、周囲を大洋に囲まれていて、その大洋もまた高い絶壁で囲まれており、その上を紡錘型の天井がアーチ状にかかっていると考えていた。          
 天井の内部は真っ暗でちりだけの夜の世界であり、天井の東と西には、それぞれ穴が開かれており、太陽や月はここを出入りすることで、昼と夜が繰り返されるものと考えていた。
 古代エジプト人は、地球は植物でおおわれて横たわる女神ゲブの姿であると考えていた。
 そして、天の神ヌトは、体を折り曲げて大気の神に持ち上げられているものと考えられていた。
 太陽の神ラーと月の神は、それぞれ二つの舟に乗って、毎日、天のナイル川を横切って死の闇に消えていくものと考えていた。
 古代のインド人は、世界は巨大な3頭の象に持ち上げられているものと考えていた。
 3頭の巨象は神ビシュヌの化身である巨大な亀の甲羅の上に乗っており、象が動いた時に地震が起るものと考えられていた。
 その大亀は水の化身でもあるコブラの上に座っており、コブラは長い尻尾の先をくわえて天を想像すると思われていた。
 古代ギリシア人は、この世のすべての物質は火、気、水、地、の4元素から成り立っていると信じられており、天体はガラスのような透明な物質で出来た56個の天球(惑星)にくっついて回天していると考えていた。
 その中心に地球という天球があり、宇宙をつかさどる神々はアテネから240キロ離れたオリンポス山に住んでいると考えていた。
 マヤ・アステカ人は、この世は、水に囲まれた円盤状の固まりと見なしていた。その円盤状の固まりを取り囲む水は、天と一体になっており、4ヶ所で神々の差し上げた腕で支えられていた。天状界は、十三界から成り立っており、そこには惑星・星・夜・暗黒を象徴するドラゴンが住んでいた。
 また、地下界は9界から成り立っていた。死者は生前の行いに応じて9つのいずれかに行き、9番目の界に行くと無となり消滅した。生けにえや戦争で死ねば、天国に行くことが出来ることになっていた。
 中国にも,もちろん古代の宇宙観があったらしいが,はっきりと伝承されたものがない。しかし、漢民族は、長い歴史の中で、何度も遊牧民族に国土を蹂躙されながらも、自分たちは世界の中心であるという誇りを持ち続けていた。
 中世ヨーロッパでは、この世界は円盤状であり、アジア、ヨーロッパ、アフリカのみが存在していると考えられていた。
 それら、三つを分けるものは、ドン川、紅海、地中海であり、円盤の中心にエルサレムがあって、アフリカのどこかにエデンの園があると信じられていた。
 この宇宙観は、絶対の真理であると信じられ、キリスト教の世界観というべきものであった。
* 宗教の世界観が科学の進歩を遅らせた? *
 大航海時代に入ると、船の航路を知る必要上、天体学が急速に進歩して、古代・中世の天動説に対して異を唱える学者が出始めた。しかし、依然、太陽が中心でその回りを地球が動いているという考えはタブー視されていた。
 地動説を主張することは、すなわちキリスト教の教義にはむかうことと見なされていたのである。
中世の宇宙観を表わした絵
 この考え方に真っ向から批判したジョルダーノ・ブルーノは、宗教裁判の結果、異端のらく印を押され、1600年に火あぶりの刑に処せられてしまったほどである。
 16世紀になると、コペルニクスは、その星々の複雑な動きを研究してに疑問を持ち、公然と地動説を唱えたが激しく教会側に弾圧されている。   
 17世紀に入ると、イタリアのガリレオ・ガリレイは、望遠鏡を発明し、木星を観測した結果、木星の周囲には、4つの衛星が存在している事実を発見し、コペルニクスの考えを裏づけた。
望遠鏡で木星を観測するガリレイ
 17世紀の中頃に、ニュートンが、引力の法則を発表するにおよんで、天動説と地動説の綱引きは、ようやく地動説に軍配が上がることになった。

 しかし、今日ある世界の宗教の世界観はすべて、天動説に基づく旧態依然の考え方であるといってよいだろう。
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