アレクサンドリアの大灯台
〜古代の地中海を照らし出した大灯台〜
* ヘレニズム文化の中心 *
 アレクサンドリアは、かのアレクサンダー大王がペルシアを征服した後、エジプトのナイル川の三角州の西側に建設したのがその起原とされている。

 この古代都市は、アレクサンダーの名前を取ってアレクサンドリアと命名された。アレクサンドリアと名づけられた都市は少なくとも18存在していたようだが、今日では、エジプトのアレクサンドリアが唯一現存している。
 このアレクサンドリアという都市は、多分にギリシア風の特色を取り入れており、オリエント文化と西洋文明をミックスしたような都市で、大王は将来、この都市を世界の一大中心地にしようと考えていたらしい。しかし大王自身は、それからまもなくしてマラリアのため、32才の若さで急逝してしまうが、彼の志は受け継がれ、その後、古代地中海を代表する文化の一大発信地となっていくのである。
 やがて、プトレマイオス王朝の首都となったアレクサンドリアは、古代世界最大の貿易都市に発展し、アレクサンドリアにないものは雪だけと言われるほど、いろいろな物が集まる場所となった。最盛期には、実に100万以上もの人口があったと言われている。

 このアレクサンドリアに、今を去ること2200年前、巨大な灯台が存在し、古代の地中海をあまねく照らし、ヘレニズム文化の中心としてのシンボル的存在として見られていた。
* 古代世界の七不思議として *
 大灯台は、古代アレクサンドリアの前面にあったファロス島に、紀元前280年頃に建設されたらしい。灯台は大理石で造られており、今日で言う摩天楼のような恰好をしていた。 この大灯台は、古代の技術の粋が結集して造られたもので、高さ180メートルもあり、300以上の部屋を有し、大軍団も収容出来る大城塞でもあったようだ。
 頂上には、火を灯す巨大な丸いドームがあった。そして、ランプの後ろには巨大な反射鏡が取り付けられていた。この巨大な反射鏡からは強力な光が放たれ、言い伝えによれば、数十キロ離れた舟さえ焼くことが出来たそうである。
 頂上の展望台からは、数十キロ離れた島々や本土を見渡すことが出来、よく晴れた日にはコンスタンチノープルの町並みまでが眺めることが出来たそうである。それはさぞかし、地中海の壮大なパノラマであったことだろう。
アレクサンドリアの大灯台(再原図)
 恐らく、クレオパトラとアント二ウスのナイル川でのつかの間の船遊びの時も・・・その後、ローマ軍を相手に大艦隊が出陣していった折も、その航路を照らすべく役割を果たしたにちがいない。
 その後、7世紀になってサラセン帝国が、エジプトを征服したが、イスラム教徒の手に移ってもアレクサンドリアの大灯台は、大事に保管され地中海交通の要となっていた。
 やがて、東ローマ帝国との間に利害をめぐる対立が続いた時、この灯台はイスラム教徒にとっては重要な軍事施設として大変役立ったが、ローマ軍にとっては、はなはだ邪魔な存在でしかなかった。
 そこで、ローマ側は灯台の下に莫大な財宝が隠されているというデマを流したのである。イスラム側のカリフは、まんまと罠にかかり、部下に命じて灯台を取り壊してしまったのであった。灯台は下部を残して、大部分が壊されてしまった。
 その後、灯台の下部の部分は長らく残されていたが、14世紀にこの地帯を襲った大地震のために、それも粉々に倒壊してしまった。倒壊した残骸は数百年たつうちに、跡形もなくなってしまい伝説だけが生き残った。
中世に描かれたアレクサンドリアの大灯台
 かつて、大灯台の立っていた場所の「ファロス」は、灯台を意味するようになったとされている。
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