マップナビ
謎のシュメール文明
〜神々からの贈り物か?その起源と繁栄の謎〜
* 文明の一大ブレーク *
 紀元前5千年頃、後にメソポタミアと呼ばれるユーフラテス河の沿岸地帯に、ある農耕民族が住み着いた。彼らの住み着いた土地は、耕作や放牧に適しており、近くの湿地帯では、魚と鳥が常に豊富に得られるという生活するには理想的な環境だった。
 その農耕民族は、ウバイド人と呼ばれ、その後、千年以上もそこに住み着き、泥でレンガをつくって街や神殿をつくり、その後のメソポタミア文明の基礎をつくることになった民族である。彼らの有能で進取性に富んだ気性は、まもなく、この地を中近東で最も繁栄した地帯に押し上げていった。ただ、彼らは、文字を持たなかったので、詳しい記録を残すことはなかった。
 ところが、紀元前3800年頃、どこからかシュメール人と呼ばれる民族がやって来ると、信じられない大変化が起こった。文明の一大ブレークとも言うべき現象が起きたのである。メソポタミアの地は、わずかの間に、前例のない大繁栄を記録した。そして、空前とも言える政治権力が打ち立てられたのである。それは、美術、建築、宗教は言うに及ばず、社会機構、日常の細かな慣習から楔形文字の発明に至るまで、それらは、すべて、彼らシュメール人の成せる画期的偉業であった。世界最初と言われる船や車輪つき戦車なども、この頃、シュメール人によってつくられたのである。
 この後も、彼らは、エリドゥ、ウル、ウルク、ラガシュと言った高度な都市国家を次々とつくり上げていった。
 それらは、都市としては世界最古のもので、今日、我々は、この文明をメソポタミア文明と呼んでいる。
ウルの都市予想図、中央にジッグラドが見える。
* 突然あらわれた不可解な文明 *
 これまで、シュメール人に関することがらは、全くと言っていいほど何も知られていなかった。しかし、20世紀になって、次々とシュメール人の都市国家が発掘されるにつれて、次第に彼らの社会や風習が明らかにされていった。それにつれて、シュメール人の謎は一段と高まった。
 イギリスの考古学者レオナード・ウーリーは、当時、彼らの首都であったウルを発掘したが、大量の金銀、おびただしい宝石類、恐ろしく精巧な装身具が次々と出土し話題となっている。
 またそれと同時に、あらゆる分野におけるシュメール人の優れた業績が明るみにされていったがそれらは驚くべき内容だった。
 それによると、彼らは紀元前3800年前後に、優れた文化を携えて突然と登場したことがわかった。
レオナード・ウーリー
1880〜1960
 高度な医学、法体系、慣習などがあり、彼らは、スズと銅を微妙な配分比率で混ぜ合わせて青銅をつくるという合金技術すらも知っていた。医学では白内障での水晶体の混濁部分を除去すれば直るということやその手術方法も知っていた。また、彼らの法体系は画期的なもので、労働者、失業者を保護する法律などがあり、裁判ではすでに陪審員制度がとられていたのだ。議会の二院制もしかり。これらは、現代の法体系に生かされていることは周知の事実である。 
 シュメール人の都市は、神聖国家と言うべき社会だった。その中心には、ジッグラトと呼ばれる巨大な建造物が建てられていたことが知られている。
 ジッグラトというのは、階段式ピラミッドとも呼ばれ、その規模は、奥行き60メートル、幅45メートルほどの基底部を3層に構築した巨大な聖塔のことである。その地上20メートルの頂上には祀殿が建てられていた。
ウルのジグラッド、発見当初(上)再原図(下)
 祀殿には、それぞれの都市の主神が祭られていた。エリドゥでは、エンキ(地の神)、ウルクではアヌ(神々の父)とイナンナ(豊穰の女神)の2神、ウルの場合は、ナンナ(月の神)という具合にである。
 ジッグラドがエジプトのピラミッドと根本的に異なる点は、ピラミッドが王墓だったのに対してジッグラドは主神をまつるためのものであった。
 さらに、ウルの王墓を発掘してみると、殉葬が行われていたことが判明した。その様子は、実に衝撃的な光景であった。王の墓では、武装した兵士や家臣団が、隊列を組み戦車を従えたままの格好で、きちんと並んで死んでいたのである。一方、王妃の墓では、多くの侍女が正装して、楽器を持った楽士たちとともに何の取り乱したふうもなく横たわっていた。あたかも、彼らは隊列を組み、儀式用の衣装をまとい、頭飾りや見事な金銀の装身具をつけて、今まさにパレードでもするかのような華やかさで、そのまま土中に埋もれていたのである。そこには、苦しんだり死を恐れた様子は微塵も見られない。
 古代中国の殷(いん)王朝でも、殉葬が行われていたことが知られているが、それはゾッとするほど残酷な儀式だった。数百人の奴隷が無惨にも首を斬り落とされて一か所に投げ込まれていたのである。恐らく、数珠つなぎにされ、逃げることも出来ずに引き立てられ、有無を言わさず斬首されたとしか思えぬものであった。しかし、ウルの王墓では、自ら進んで毒杯をあおって死んだとしか思えないのである。恐らく、数百人のお供、侍女、家臣団、多くの兵士が、きちんと列を成して一斉に毒をあおったに違いない。まさに戦慄すべき死の儀式を想像してしまう。来世の信仰がないと言われるメソポタミアで、なぜこのような形の殉葬が行われたのかは今もって謎である。
 さらに、ウーリーは、かつて、この遺跡で大洪水が起こったと思われる痕跡も発見した。それは、厚さ3メートルにもおよぶ粘度の層で、広範囲に広がっているものであった。年代は、紀元前3500年頃と推定され、これによって、ユーフラテス河一帯で大洪水が起き、周辺の都市が水没してしまい、水位が長期間引かなかった事実が明らかとなったのである。
 この頃、つくられたギルガメッシュの叙事詩でも、大洪水の話が登場するが、これらの話が、作り話ではなく、実際に起きた過去の事実に基づくものであったことが証明されたのである。恐らく、そのストーリーが脚色され、3千年後の旧約聖書に影響を与え、ノアの箱舟伝説となっていったのであろう。この大洪水跡の発見は、ウーリー自身、かなりショッキングな発見だと見えて、興奮状態でロンドンに緊急電報を打っているほどだ。
* 現代文明はシュメール文明で成り立っている? *
 シュメール人とはいかなる民族なのか、それも謎に包まれている。シュメール人が、どういう民族で、どういう言葉をしゃべり、どこから来たのか? 一切わからないのである。
 シュメール語にしても、周辺民族のそれと何ら類似性が見られないのである。掘り出されたシュメール人を描いたと思われる像は、どれも目が異様に大きくあご髭をはやしているのが印象的だ。
 もう一つ、彼らの出所を複雑怪奇にする理由は、シュメール文明の基になる文明の痕跡が見当たらないことである。
 つまり、いくら発掘を重ねても、それ以前の遺跡が見つからないことである。どういう文明にも、その発端となる文明は存在するものである。それがシュメール文明に関してはそれが見当たらないのである。
シュメール人の特徴をあらわしている像
 何よりも不可解なのは、シュメール人が、使っていた暦だ。それは、月の満ち欠けで、年月をはかる太陰暦と呼べるもので、世界最古の暦(こよみ)と言えるものだった。彼らの用いた暦は、驚異的とも言える恐ろしく正確な暦で、日食、月食のタイミングを始め、様々な惑星の事細かな動きまで詳細に予想出来たのである。さらに、信じられないことには、2万5920年かかって地球の地軸が円を描くという歳差運動(さいさうんどう)の周期すら知っていた! メソポタミアの地に登場して、たかだか2千年ほどで、どうして、そのようなデータがわかったのだろうか? 
 記録によれば、シュメール人は、当時、すでに何百もの天文用語を使っていたことも判明している。彼らがどのようにして、そのような高度な天文学を持つに至ったのかはわからない。彼らは、世界最古とも言える60進法を基本とする数学を確立し、それに基づいて高度な暦をつくり上げたのである。
 かくのごとく高度な天文知識に加えて、恐ろしく高度な彼らシュメール人の文明が、何を手本にし、また何に影響を受けたのかは不明である。ただ言えることは、シュメール文明は、紀元前3800千年ほど前に、奇跡と思える暦、高度な数学、複雑な社会機構や合金技術を持った状態でいきなり歴史に登場して来たということだ。これは何を意味するのだろうか? シュメール文明が、古代史最大の謎と言われている所以がここにあるのだ。
 ウルは、その後、紀元前2000年頃、セム族(現代のアラブ人の直系にあたる)のアムル人に征服され、以後、メソポタミア文明は、彼らアムル人によって受け継がれることになる。このように、シュメール人の首都ウルは、先史時代の5千年前に農耕民族が住み着いて以来、様々な民族の変遷を経て、5千年もの間、脈々と都市として生き続けた歴史をもっている。こうした例はメソポタミアでも類い稀な存在だ。
 シュメールの偉大な文化を引き継いだアムル人は、まもなく、バビロン第一王朝をつくる。
 そして、「目には目を、歯には歯を」で有名なハムラビ法典をつくり出したが、その基になったのは、シュメール人の法体系なのであった。つまり、ハムラビ法典は、世界最古ではなく二番煎じなのである。
 旧約聖書に出て来る「バベルの塔」も、その実体は高さ100メートルはあろう巨大なジッグラドだと言われている。つまり、これもシュメール人の文化を受け継いだ代物なのである。「ノアの箱舟」の話にしても、シュメールの神話「ギルガメッシュ」からの引用に他ならない。
ハムラビ法典、紀元前18世紀頃。大陽王に法典を授かるハムラビ大王(右)
 このように、シュメール文明は、その後の世界文明のあり方に大きな影響をおよぼすことになった。今日、我々が何気なく使っている1日が24時間で1時間が60分、1分が60秒という法則も、60進法を基本となすシュメールの高度な数学にあやかっているのである。1ダースが12個や1フィートが12インチと言った単位もそうだし、星座占いに出て来る黄道12宮も、ギリシア神話に登場する12柱の神々の話も、そのルーツを探るとすべてシュメール文明に行き着くのである。つまり、現代の生活は、メイド・イン・シュメールで成り立っていると言っても過言ではない。
* シュメール人は異星人? *
 シュメールの古文書には、これらの驚異的な天文学の知識、高度な医学、合金技術を「神々からの贈り物」という不思議な表現で記されている。これは、どういう意味だろうか? つまり、彼ら自身がつくり出したものでなくて、神々から与えられた既成の知識だということなのであろうか?
 実際、彼らが登場してから衰退し、歴史上から姿を消す2千年ほどの間、テクノロジーがそれ以上発展することもなかったのも事実である。
 これは、自分たちが独力で生み出した知識ではなく、何者かに与えられたからなのだろうか?
世界最古の文字、楔形文字
 また、「混ぜ合わされた物」という表現で人間をあらわす言葉が出て来るが、異星人と原始人のような土着の生き物との間で遺伝子操作が行われたような記述にも思える。
 そうすると、人間とは、異星人と未開人との間で人工授精を行ってつくり出された混血種ということになる。
シュメールの神々をあらわした粘土板、儀式の様子が描かれている。
 こうした事実から、シュメール文明は、実は、異星人が持たらした文明で、人間自身も、異星人の遺伝子操作によってつくられた存在ではないかという想像性に富んだ仮説が考え出されることになったのである。

 しかし、これらの仮説がただの想像力による作り話だと断定することは出来ない。世界中に、大洪水の伝説が残っているのはどういうことだろうか? また、シュメールの神話のみならず、エジプト、インド、チベット、エスキモーなどの神話の中に、揃いも揃って、火を吐く船の話や空を飛ぶ神々の話、すべてのものを焼き尽くすという凄まじい戦争の描写が出てくるのは全くの偶然なのだろうか? 神話の中には、事実に基づく鍵が隠されている場合がある。つまり、それらは、古代に地球的規模で起きた一つの事実の証ではないかとも思われて来るのである。

シュメール文明が果たして、神々からの贈り物なのか? 
失われたモザイクに決定的な証拠とも言える断片が見つかった時、この複雑難解なジグソーパズルは完成する。       
トップページへ
参考文献

「神々の遺伝子」上下 アラン・F・アルフォード著 仁熊裕子 訳  講談社α文庫
アクセスカウンター

inserted by FC2 system