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グレート・ジンバブエ
 〜アフリカ南西部の謎に満ちた巨大石造遺跡〜
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* アフリカの謎の巨石遺跡 *
 アフリカ最大の湖ビクトリア湖から南へ2000キロほど下った丘陵地帯に石でつくられた謎めいた遺跡群が点在している。この遺跡群は200ほどもあるが、最大規模のものはグレート・ジンバブエと呼ばれ、かつてアフリカ南部で栄えた偉大な文明の名残なのである。
 広大なアフリカ大陸にはこれまでいろいろな文明が存在したことが判明している。
西アフリカには8世紀初頭に、セネガル川流域にガーナ王国やマリ王国といった偉大な国家が繁栄したことが知られている。アフリカ中西部でも15世紀ごろベニン王国という強力な国家がナイジェリア一帯を支配していた。しかしアフリカ南東部、ローデシア地方に点在するこのグレート・ジンバブエの遺跡こそ古代アフリカ遺跡の中でも最も壮大でかつ華麗な文明といっていいだろう。
 グレート・ジンバブエの遺跡群の中でもきわめつけは、240メートルの花崗岩の壁で周囲を取り巻かれている楕円形をした大王宮跡だ。花崗岩による壁はモルタルで接合されているわけでもなく精巧に積み重ねられてつくられている。その壁の中には、神秘的な円錐型の石塔や穀物倉庫、神殿や住居などがあり、祭殿につづく秘密の通路などもあった。しかし現在は、壁の中は灌木や高い木々が生い茂り、当時の姿をしのぶことはできない。
石壁のなかにある紡錘型の塔。
 王宮跡に今なおそびえる9メートルを越す塔が何の目的でつくられたのかは謎のままである。宝物を保管していたとか、儀式のためのものだったとか言われるが推測の域を出ないのだ。
 この遺跡を最初に発見したのはドイツ人の地質学者カール・マウフであった。
* 欲に目のくらんだ19世紀のずさんな調査 *
 1860年、ドイツ人の宣教師であったメレンスキーは、広大な大地に点在する遺跡を発見し、旧約聖書に出て来るシバ王国の首都ではないかと考えた。そして、それを同じくドイツの地質学者カール・マウフにそのことを伝えたのである。
 10年後、マウフはこの地に訪れたが、一目見て、彼も旧約聖書に出て来たシバの女王の王国の首都に間違いないと考えた。その根拠としてソロモンの神殿とよく似た力強い石造りであること、遺跡から採集された木材がレバノン杉の匂いがするなどということであったらしいが、信憑性もなにもない直感だけの調査であった。
 それよりまもなくこの地域はイギリスの支配するところとなる。政治家であり第一級の帝国主義者だったセシルローズは遺跡の形がフェニキア人の貨幣とよく似ていることから、これはフェニキア人がつくった黄金の鉱山の一つかもしれないと考えた。
 彼はこのような優れた文明がアフリカの黒人によってつくられたはずがなく、海の彼方からやってきた創造性豊かな民族によってつくられたのだと考えていた。
 当時19世紀は帝国植民地時代であり、ヨーロッパ人が最上段に立つ民族であると考えられている時代であった。
 その下に黄色人種が位置し、最下層に黒人が位置すると考えられていたのである。
大王宮跡を遠くから見た光景。
 自分の富を増やすことしか念頭のなかったセシルローズは、考古学を名目に多くの人をやとって遺跡をただひたすら掘りまくって黄金を探させた。
 これは考古学とはほど遠いもので、土砂に混じっていた土器類などには目もくれず、その多くは捨てられてしまったというからひどいものであった。
 結局、黄金など何一つ出て来るはずもなく、彼の無秩序で乱暴な行為は何層にも点在していた多くの貴重な遺跡を無惨にも破壊しただけであった
* 黒人のつくった最大級の巨石文明 *
 20世紀になってようやくまともな発掘調査は開始されたが、多くの学者の調査によって遺跡の詳細が少しずつ明らかにされつつある。
 まず、遺跡は大きく「アクロポリス」「谷の遺跡」「大囲壁」の3つに分けることができる。アクロポリスは小高い花崗岩の丘の上にある遺跡で、ここでは政治や儀式をつかさどった場であると想像されている。
「谷の遺跡」は、アクロポリスから500メートルほど下がった平地にある。直径10メートルほどの円形の壁で囲まれていた住居跡とみられ、ここに王の妻子たちがすんでいたのではないかと思われている。
 この場所からは中国製の陶磁器、ビーズ、斧、スプーンなどの生活用品が出土している。ワニを刻んだ石柱(石柱は家の入り口に立てかけられていたらしい)なども出土しているが、これなど現在のジンバブエ共和国の国旗のデザインに採用されたことでよく知られているものだ。
「大囲壁」はグレートエンクロージヤー、楕円神殿とも呼ばれ、この遺跡群の中核をなすものだ。
 長径89メートルの巨大な楕円形の外壁からできていて、その内側には神殿跡や例の神秘的な円錐塔などがある。
 用いられている石材は花崗岩だが、ブロック状に整えられ、モルタルもなしに巧みに組み合わされて積み上げられている。
石壁は10メートル前後もあり、近くに行けばその巨大さがわかるだろう。
 おそらくこれらの神殿をつくるために少なく見積もっても1万5千トン以上の花崗岩が使用されたと見られている。
 ここは神聖な儀式をつかさどられた王国の中心部ではなかったろうか?
 この文明はわかっているだけでも、紀元8世紀ごろ誕生し18世紀の中ごろまで存続したことが判明している。
 つまりこの文明は、石壁や塔、神殿などの拡張、建造などを繰り返しながら一千年の長きにわたって続いていたことになるのだ。
花崗岩をモルタルなしで組み合わせて造り上げられた秘密の通路。
 かつて歴代の王は各部族がもたらす宝石、黄金、象牙などの貢納品で富を築き、このような大宮殿を建てて自らの権力をいかんなく誇示していた。最盛期にはこの大宮殿の中で王と多くの妻たち、大臣、召使いなどが住んで華麗な日々を送っていたに違いない。
 この偉大な文明をつくったのは一体何者だったのかというテーマは、発見された土器類が現在のショナ族が使用しているものと似ていることから、ショナ族であると言う説もあるが、白人が至上主義の風潮がある中で反対者も多く、アパルトヘイト(人種差別の根底をなす隔離を意味する)的な考え方に左右され決着がつきにくい状態であった
 しかし遺跡を2000年以上もさかのぼり、民族学的に分析した結果、ショナ族やロズウィ族などがこの遺跡の建設者であることが判明したようである。またポルトガル人の残した記録からも、この国は中国、ヨーロッパなどと頻繁に貿易をしていたようで非常に栄えていたことがわかった。
 現在、グレート・ジンバブエは1986年に世界遺産に登録され今に至っている。
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