巨石にまつわる謎
〜巨石に秘められた古代の不可思議な謎〜
* 謎だらけのジグソーパズル *
 巨石遺跡の中で、どうしても理解に苦しむような遺跡が発見されることがある。いくら頭をひねってそれらしい理由をこじつけようとするのだが、答えにはならず、ますます終わりのない謎解きの底なし沼にのめり込んでいくような気分にされてしまうのである。
 ペルーインカ帝国の都クスコの北東に、サクサイワマンの城壁がある。その城壁のすぐ近くの山腹の火口に1個の巨石が横たわっている。
 それは2万トンは優に越すと思われるほどの巨大なブロック状の形をした岩石である。しかし、それが、ただの岩石ではない証拠に、その巨大な岩石の周囲にはらせん状の不思議な模様や無数の穴が彫られているのである。それらは明らかに人間の手によって加工されたものと考えられている。そして、最もきわめつけの謎は、この巨大な岩石がさかさまの状態で置かれているということなのだ。
 すなわち、階段が天井から下へと続いている。決して上ることの出来ぬさかさまになった階段だ。さかさまに置かれているのはいかなる理由によるものか不明である。あるいは、とてつもない巨大なエネルギ−でひっくり返された結果なのだろうか?
 この巨大な岩石は人間の手によって、別な場所で加工され、この山の山腹まで運ばれたと想像されていが、そうすると、いかなる技術によってこの巨大な岩石を動かしたのであろうか?  この巨大な岩石を目の前にする時、これまでの通常の概念や常識といった存在が根底からくつがえされ、どんな空想力でさえ無力だと感じてしまわざるを得ない。  
 この疑問もさることながら、この巨石のすぐ脇には超高温によって岩が溶けたような跡がある。この巨大なブロック状の岩石となんらかの関係があるのだろうか? まさしく、謎だらけで、途方に暮れてしまう瞬間である。
* 現代に匹敵する驚異の加工術 *
 同じく、ペルーのチチカカ湖の東岸にはティアワナコという古代都市の遺跡がある。チチカカ湖は標高4000メートルに位置する、世界でももっとも高い湖である。その大きさはだいたい四国に相当する。
 これほどの高度になると、気圧は地上の半分くらいしかなく、大気中の酸素含有量もそれに応じて少なくなる。ここでは一般人にとっては労働することはおろか、体を動かすだけでも苦痛な環境なのである。
 ティアワナコの遺跡は、このような世界のはずれと言っていい場所に存在している。この古代都市はインカ帝国以前に建設されたもので、紀元1000年にはすでに放棄され廃虚と化していた。
 ティアワナコの遺跡には重さ100トンはあろう巨石が数多く使われ、石と石の接合部は信じられないほどピッタリと接合されている。
 まさに寸分の狂いもなく、カミソリの刃一枚差し込むことも出来ないのだ。その技術力には、驚嘆するばかりである。
 廃虚の中央にある広場のそばには、太陽の門と呼ばれている建造物がある。高さ3メートル、幅4メートルほどのこの門は、驚くべきことに、ただ一枚の安山岩のブロックを切り出して、ここまで成形されている。
 安山岩は花崗岩とならんで最も硬く、加工の難しい岩石である。表面は見事なほどきれいに研摩されており、神と思しきレリーフの周囲には、48個の意味不明の絵文字のような記号が描かれているのである。
ティアワナコの太陽の門
 また、すぐ近くにある遺跡には、1メートルほどの石板に正確に幅6ミリの溝が彫られているのもある。しかも溝の内部には等間隔で穴がうがたれているのである。太陽の門の彫刻といい、この不思議な溝といい、簡単な石のハンマーと銅の道具しかなかった当時に、ここまで加工するのは不可能だとしか思えない。
 伝説によると、ティアワナコの古代都市は、名も知れぬ巨人族が一夜のうちに建設したということになっている。しかし、神の予言を軽んじたために神の怒りに触れて滅ぼされてしまったのだそうだ。すると、これらの記号はこうした伝説を伝えているのであろうか?
 このティアワナコの遺跡を取り巻く、最大の謎はその周囲には、材料になる岩石の石切り場所がどこにも見当たらない点であることだ。
 後の調査によって、それらの岩石は200〜300キロ離れた所から運ばれたらしいことが判明したが、いかなる方法で100トンはあろう巨大な岩石を運搬出来たのであろうか?
 恐らく、このような不毛な場所にまで運ぶには、無数の山や深い谷をいくつも越えねばならなかったはずだ。相当な重労働までして、巨大な岩石をわざわざ酸素の少ない海抜4000メートルのへき地に運ばねばならない理由は何だったのだろうか?
 スイスの文筆家デニケンは、はるか昔に異星人がここチチカカ湖に飛来してきた証拠だと主張してはばからない。現在までティアワナコの遺跡は、いろいろな角度から学術調査が行われてはいるが、真相は依然、謎のままである。
* 誰が何の目的で? *
 中米のコスタリカでは、不思議な花崗岩を削ったと思われる石球が無数に発見されている。
1930年初頭、アメリカの企業がバナナ農園を作ろうと熱帯雨林の密林開墾時に偶然発見されたものである。以来、今日まで、大小200個以上の石球が発見されている。それらは直径2センチから2.5メートルに至るまで大小さまざまあり、最大のものは重さ25トンを超えているのである。
 この石球が、何の目的で誰の手によってつくられたのかは謎のままである。恐らくは4世紀前後につくられたのではないかと推測されている。
 問題なのは、この石球がただの球体をしているというだけではなく真球と呼ばれる完全な球形をしているということである。
 すべての石球の直径及び円周は、最大誤差0.2%以内に収まっているのだ。これは、現代の常識をくつがえす驚異的とも思われる事実なのである。
 真球を作ることは、高度な幾何学的知識と高度な成形技術が必要とされ、現代の技術を持ってしても難しいとされているのだ。
 さらに、数十キロ四方には花崗岩がとれる場所は存在しないという事実も謎をさらに不可解なものとしている。
 発見された当初、これらの石球はジャングルの泥の中に埋まった状態で、何らかの幾何学的な形状で配置されていた。
その加工方法、その起源、目的などわからないことだらけのコスタリカの石球
 つまり三個から四十五個の石球がグループをなして、直線や三角形状に配列されていたのである。それらの配列が何を意味しているのかは、今もって謎のままである。
 このような信じ難い加工技術を古代の人々が持っていた事実を、どう解釈してよいものだろうか?
 岩石の中でも、もっとも硬く加工の難しい花崗岩を真球と呼べるほどまでに加工しなければならなかった理由はいかなるものか? そして20トン以上もある巨大な石球をどこからどのように運んで来たのであろうか?
 これらの謎めいた巨石の遺跡群を目前にする時、あまりの現実ばなれした事実に、我々の想像力は追いつく事はおろか、いとも簡単に崩されてしまう他ないのである。
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