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ナスカの地上絵
〜古代の神々に呼びかけた真相の謎〜
* 大地に描かれた巨大ならくがき *
 南米ペルーのアンデス地方には、ナスカという乾燥した平原がある。その平原は長さ60キロ、幅2キロ余りの細長い土地である。この乾燥した細長いエリア内には、奇妙な図形がいたる所に描かれている。それは昆虫のようであったり、動物のようであったり、不思議な幾何学的模様であったりする。中でも最大のものは、実に横幅が250メートル以上にも及んでいるのである。
 これらの絵は、砂漠に立っていても何のことか皆目わからず、飛行機に乗ってみて始めて全体像がわかるスケールで描かれている。地上では絶対に見ることが不可能な図形を、古代のナスカ人は果たして何の目的で造ったのだろうか?
 地上絵の存在が明らかになったのは1927年だった。ペルーの測量チームが、ナスカ高原上空を飛行中、眼下の砂漠に奇妙な絵が描かれているのを発見したのである。

 その時、彼らは思わず自分たちの目を疑ったであろう。そこには見渡す限り、巨大な動物や植物を描いた絵など、またわけのわからぬ奇妙な図形で覆い尽くされていたからである。

クモ
シャチ?
宇宙飛行士のような人間
コンドル
ハチドリ
 今日までに確認されただけでも、ハチドリ、クモ、サル、キツネ、シャチ、コンドル、トカゲ、宇宙飛行士のような人間など動植物を描いた絵が約30個、1万3千本を超える滑走路のような幾何学図形や、数10キロにわたる直線が約300本以上認められている。
 そして、これらの巨大な絵や図形の大きさは全長100メートル以上にも及び、地上からでは絶対に判別出来ないものである。
 これらの地上絵は、今から1500年から3000年前に描かれたものと考えられている。
 ナスカ平原は、錆びた鉄塊のような細かい石が敷き詰められた場所の不毛地帯で、年間の雨量がわずか5ミリという、ほとんど雨が降らない超乾燥エリアなのである。
 このような気象条件が1万年以上に渡って続いてきたために、これほど長大な年月の間、地上絵が消滅もせず存続してきたと考えられている。
ナスカ高原砂漠における地上絵の様子
* ナスカの地上絵はなぜ描かれた? *
 古代のナスカ人が、どういうわけで高度300メートル以上でなければ見ることが出来ない地上絵を描いたのかはいまだ謎のままである。一説によると、天体観測の結果をしるしたものとか、豊穣を祈るシンボルであるとか、儀式などの際に、この絵の上を歩いたとする説もあるがよくわからない。 
 中には、宇宙人の落書き説、宇宙船の誘導標識説など突拍子のない説まであるが、いずれも核心的なものではない。
 さらに20世紀の終わりには、今までに発見されていた地上絵をはるかに上回る超大規模の地上絵が、NASAが打ち上げた資源探査衛星・ランドサットによって発見されている。
 ナスカ上空900キロから撮影された衛星写真には、何と全長50キロにも及び、左右対称の超巨大な矢印が写し出されていたのである。
 しかも、この矢印は正確に南の方角を指していた。
地上900キロより撮影された超巨大な地上絵とみられる矢印
 この事実をどう解釈すればいいのだろう? しかも正確な直線が50キロも続くのは、人為的に造られた以外には考えにくく、特に2本の直線が交差する矢の部分に関しては、遇然の結果ということはまずあり得ない。

 もし、古代のナスカ人の手によるものだとしたら、飛行機に乗っていても見えず、宇宙空間からしか認識出来ないような超巨大な図形を何のために作ったのだろうか?  
 さて、このような地上絵は何もナスカ高原だけに限られたことではない。リマの南のピスコ湾にある赤い絶壁には、何とも奇妙な絵が彫られている。
 この絵は、海から入っていくと、20キロほど先からわかる。絵の高さは250メートルもあり、それは、巨大な三角形か三脚の燈台のようにも見えるものである。これは、何かの標識なのだろうか?
山腹に刻まれた巨大な燈台の絵
 かくも、危険きわまりない断崖絶壁に、巨大な標識を描かねばならない理由とはいかなるものなのか? しかも、最新の道具なしでは数十年もかかるような困難な作業なのである。 このような山腹に描かれた巨大な絵は、ペルーからチリにかけて、あちこちで見られるのである。
* 恐ろしいインディアンの伝説 *
 一方、アメリカ、南カリフォルニア州の砂漠にも、同様に巨大な地上絵が残されている。それは砂漠のせりあがった台地に描かれており、縦57メートル、横53メートルというとてつもない大きな女性の姿を描いたものである。その絵はまるで、ひなたぼっこでもしているかのように、両腕を左右に広げたポーズをとっている。また、その頭部分には4つ足の動物らしきものも描かれている。
 その後、これと同じような地上絵はカリフォルニアからアリゾナにかけて、3か所発見されている。この絵も空中から見ないことにはそこに何があるのかさっぱり見当がつかないほどである。

 この巨大な絵を描いたのは、この地に住んでいたユマ・インディアンだとされているが、何のために描かれたのかはわからない。
 しかし、この部族だけに伝わる興味深い伝説が残されている。
 ある日、部族の一人の家に女の奇形児が生まれた。その娘の手足には、長い爪が生えており、歯はひじょうに鋭かった。 娘は3〜4年もたつと成人して、どんな生肉でもむさぼり食うようになった。 人々はこの娘のことをハ・アクと呼んで忌み嫌った。
 ハ・アクは、やがて人間の子供をさらって食べるようになった。人々は大変恐れてハ・アクを殺そうとしたが、ハ・アクは洞窟の中に逃げ込んでしまった。そこで人々は、策略をめぐらし、ハ・アクを洞窟から誘い出し、殺すことに成功した。
 ユマの人々はこれを喜んで、ハ・アクの像をつくって記念とした・・・。
 すると、この巨大な女性の地上絵は、ハ・アクを描いたものなのだろうか?
今のところ、この伝説と地上絵との間に、何らかの関係があるのかは不明である。しかし過去に起った現実の出来事が元になり、伝説や寓話、神話の類を形成していったということは大いに考えられることである。
 その意味において最近、世界中で発見されている未知の地上絵は、はるか古代に確実に起きた何らかの事件がベースになっていると考えることは至極当然の結果ではないだろうか?
 それらはジグソーパズルの断片かもしれないが、衝撃的で新たな事実を解きあかす印として、我々に呼びかけているようにも思えるのである。
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