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空中都市マチュピチュ
〜4百年間眠り続けた秘密都市の謎〜
* 空中都市はなぜ建設されたのか? *
 けわしい絶壁の山々がそびえる渓谷の頂きに、その城壁都市の遺跡はある。標高実に2千450メートル・・・。見渡す限り、灌木とつる草が生い茂り、うっそうとして、幻想的な霧が漂い、視界さえ思うようにならない。その絶壁の頂からは、眼下に、ウルバンバ川を見下ろす熱帯雨林の一大パノラマが広がり、およそ、人間など暮らすことが出来ないような環境下にマチュピチュの遺跡は存在している。
 この古代の都は、神殿や宮殿、居住区などに分かれ、周囲は城壁で固められている。総面積は5平方キロメートルほどあり、その半分を占める斜面には段々畑が広がりを見せている。山裾からはその存在すら確認することは出来ず、まさか、誰もがこのような高い場所に都市があるなどとは、想像すらしなかったことだろう。
 マチュピチュは雲の漂う絶壁の頂きにあることから空中都市の異名を取っている。まさしく、その名が示す通り、空中から見降ろさない限り、この都市の全景を仰ぎ見ることは不可能なのである。
 そして、この都市の最盛期には1万人前後の人口があったのではないかとも推測されている。
 人々は総数3千段とも言われる階段畑を耕して、じゃがいもやトウモロコシを栽培して自給自足をしていたと見られている。
 マチュピチュの存在は当時、インカ帝国を征服したスペイン人にも知られることはなく、歴史上に姿をあらわすのはそれから何百年もたってからのことである。
 ところで、この都市にはさまざまな謎がつきまとう。
切り立った絶壁に位置するマチュピチュの遺跡
 まず、どうしてこのような断崖絶壁の不毛の地に、都市を築かねばならなかったのだろうか? そして、その目的は何だったのだろうか?このことについて、これまでにいろいろな理由が考え出されて来た。
 まず、インカ帝国を征服し、略奪と破壊を繰り返してきたスペイン人から逃れて、帝国復興の夢を託した人々によって造られた秘密の都市だったという説、次に、 アマゾン川上流に住む部族の侵入を防ぐ目的でつくられた城塞都市だったという説、あるいは、特別な宗教目的で造られ、はるか以前に、見捨てられた古代の都だったという説など・・・
 文字を持たなかったこの文明については、推測する以外になく、この謎はマチュピチュにまつわる最大の謎の一つになっている。
* 400年の眠りから目覚める *
 マチュピチュには4百軒ほどの住居跡があり、そのどれもが、20トン前後の巨石で造られていた。 都市の西には立派な宮殿や神殿も造られており、神殿の祭壇には、実に百トン以上はあろう一枚ものの巨大な石が使われている。
 これら、巨石と巨石はピッタリと巧妙に組み合わされて造られており、数百年たった現在でも、カミソリの刃一枚通すことは出来ない。
マチュピチュの住居跡
 石切り場は、6百メートルも下にあるけわしい峡谷の底にあったと思われているが、鉄製の工具を知らないインカ人が、いかにして切り出し、何十トンもある巨石を、どのように山の頂きまで引っぱり上げてこられたのか、いくら頭をひねっても適当な答えすら出て来ることはない。
 古来より伝わる伝説によると、天使が手伝って、魔法を使い、巨大な石を断崖の頂きまで運んでいったというが、まさに、超自然的な力が働かねば、このような事業を成し終えることは難しいに違いない。
 こうした伝説が、謎を呼びこの遺跡にまつわる謎をさらに難解なものにしているのである。
花崗岩を組み合わされて造られた石垣。カミソリの刃一枚も入れることは出来ない。
 この秘密都市は、インカ帝国滅亡後も、人に知られることもなく、すべてに忘れられ、ひたすら眠り続けていた。それが、4百年程たった20世紀の初頭に、 アメリカの考古学者だったハイラム・ビンガムによって発見された。
 当時、彼はインカの黄金伝説を求めて、険しいウルバンバ渓谷のインカの遺跡を探検していた。
 その伝説によると、インカの人々がスペインの支配から逃れるために秘密都市をアマゾンの奥地に建設したのだという。その都市はビルカバンバと呼ばれ、そこには、帝国再建のための莫大な財宝が隠されているというものである。
 この黄金郷の噂は伝説となり、19世紀後半にはその発見に挑戦する人たちが次から次へと現れたのであるが、35才の考古学者ハイラム・ビンガムもその一人だったのである。
 彼は、偶然知り合った10才の少年を案内役につけていた。その少年は、峰の上に古い遺跡があるのを知っているというのである。
ハイラム・ビンガム博士
 一行は、ものすごいむし暑さの中、息も絶え絶えになりながらも、かろうじて断崖の頂きをきわめることが出来た。そして、そこで、草に埋もれた古代都市の廃墟を発見したのである。 時に、1911年7月24日のことであった。
* 太陽の処女の伝説 *
 ビンガムは、その後の調査で建築物に使われた巨石を丹念に調べた結果、その一つ一つが10トンから15トン以上もあることに気づき、自分は夢を見ているのではないかと疑ったという。そして、このような事実を、誰が本気で聞いてくれるのであろうかとも述べている。
 彼はこの古代の都市をマチュピチュ(老いた峰)と名づけ、インカの財宝が眠るという黄金郷ビルカバンバだと確信したようだが、期待に反して、遺跡からは黄金らしき財宝はついに発見されることはなかった。
神殿の跡らしき石造りの建造物
 しかし財宝の代わりに、中央神殿の神聖な場所から、173人分の遺骨が発見された。
 そのほとんどが女性のものであったことから、太陽の神に仕えていた聖なる処女たちではなかろうかと考えられ、忘れられていた一つの伝説が浮上するきっかけとなったのである。
 その伝説によると、かつて、200人足らずのスペイン人が、インカ帝国を征服した際、彼らは、インカの莫大な黄金製の装飾品をすべて溶かして金の延べ板に変えてしまったが、彼らの欲望はそれだけでは足らなかった。
市の中央にある大塔と呼ばれる建物。下に太陽の神殿と思われる跡が残されている。
 彼らは、インカの都クスコに侵入しても、略奪に次ぐ略奪をくりかえしたあげく、太陽の神殿に仕える聖なる処女たちをも、虜にして凌辱しようとしたのである。
 クスコには、上流家庭から選ばれた美しい清純なる処女からなる尼僧院があった。
 ピサロ率いるスペイン人が、そこに到達した時には、彼女らの姿はすでになく、人っ子一人いなかったのである。
 恐らく、身の危険を感じた彼女らは、道案内のもと、神殿の抜け道をたどって脱出したのにまちがいない。
フランシスコ・ピサロ
 そうして、ウルバンバ峡谷にまで逃れて、誰一人知る者のないマチュピチュの遺跡にたどりついたのではないかということである。

 その頃には、この古代都市は、とうに廃墟になり果てており、インカ人でもその存在を知る者はほとんどいなかったのである。
 そうして、他の世界との交わりを一切絶った太陽の処女たちは、この廃墟で神に仕えて、生涯を終えたというのである。
 伝説によれば、聖処女たちは、年月とともに、美しさも衰え、一人また一人と死んでいった。
 生き残った者は死んだ者を墓に葬り、その後も、時間は容赦なく過ぎ去り、最後の一人となってしまったかつての聖処女の生き残りは、誰にも看取られずに孤独で寂しく、むなしい最後を迎えたというのである。
 この伝説が、果たして真実なのかどうかはわからない。

 霧の漂うマチュピチュにまつわるこれらの謎と伝説は、永遠に神秘のベールに包まれたままなのであろうか。
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