迷宮とミノタウロス伝説
〜ギリシア神話に隠された真実を探る〜
* 暗闇に潜む化け物 *
 もうどのくらい歩いたことか。テーセウスはたいまつを高くかざすと揺らぐわずかな明かりだけを頼りに暗闇の中を進んでいく。右手にはしっかりと短剣が握りしめられている。
 迷宮の中はとにかく肌寒い。沈黙と闇だけが支配する死の世界だ。時おり、何かに足元を取られ転びそうになる。よく見ると、明かりに照らされて不気味に反射するそれは、おびただしい骸骨の山だった。
 あまりのおぞましい光景に悪寒と衝撃が走る。それらはアテネから連れて来られた若者たちの成れの果てだった。骨は散乱し地中に埋もれているのも多数ある。これは気味の悪い儀式が長い年月にわたって続いていることを示していた。一体彼らの身にいかなる運命がふりかかったのだろうか?
 その時、むっとする異臭が漂ってきた。
目先の暗闇の中で何かが潜んでいる気配がする。
「おい、誰かいるのか!」
 しかし返事がなく、やがて獣のような荒い息づかいとともに、何かがこっちに向って来るのが感じられた。
 目を凝らしてその正体を見極めようとする。恐怖で口の中はカラカラだ。足はガタガタ震え全身から力が抜けていく。心臓はバクバクと鳴り、口から今にも飛び出してきそうだ。汗でびっしょりになった手からは短剣がすべり落ちそうになる。急いで持ちかえようとするが体は全くいうことをきかない。突如、向こうの暗闇から恐ろしい咆哮が響き渡った。
 身の毛もよだつうなり声に、思わず身がすくんで耳を覆う。
 やがてたいまつの明かりを受けて、大きな岩の固まりのような異様なシルエットが浮かび上がった。赤く不気味に光る鋭い目、毛むくじゃらの大きな頭からは、くねった二本の角がにょっきり。口は大きく裂けて半透明の粘液がボタボタとしたたり落ちている。それは頭が牛で体が人間という世にも恐ろしい化け物だった・・・。
* 恐ろしい半獣半人の怪物 *
 ギリシア神話には有名なミノタウロスの伝説というのがある。ミノタウロスとは上半身が牛で下半身が人間という怪物である。

 その昔、クレタ島にはミノス王がいたが、彼は王位につく事が出来たお礼に、海の神ポセイドンに牡牛を捧げるという約束を果たさなかった。その仕返しとして、ポセイドンは王妃パーシパエに牡牛に恋焦がれてしまうという恐ろしい呪いをかけた。
 呪いをかけられたパーシパエは牡牛に惚れてしまう。好きで好きでたまらなくなり、牡牛と交わりたくて気も狂わんばかりになってしまった。そこで、雌牛そっくりの模型をつくり、その中に身をひそめ、ついに牡牛と交わりをもってしまったのである。
 かくして、生まれたのが人間と牛のハーフとも言える怪物ミノタウロスだった。ミノタウロスは成長するにしたがって凶暴になり手がつけられなくなっていった。
 ミノス王はこの処置に大変困って、この怪物を宮殿の真下に特別につくらせた迷宮に閉じ込めることを考えついた。
 この迷宮は真っ暗で曲がりくねっていて、よじれたような通路があったり行き止まりのや見せかけだけのもあったりで、まさに複雑怪奇な地下室の集合体とも言えるものであった。
ひとたびここに入れられたら最後、二度と再び地上には出て来ることは不可能であった。そして、この怪物の人身御供として、アテネより毎年12人の若者と処女が送られてくることになっていた。
怪物ミノタウロス
 送られてきた若者や処女たちには、真っ暗な迷宮に閉じ込められ、ミノタウロスのエサにされる残酷な運命が待ち構えていた。
 こうして何十人かのアテネの若者たちはミノタウロスの生け贄とされていったが、ミノス王の前に引き出された若者の中に、テーセウスという王子がいた。ミノス王の娘アリアドネは王子を一目見て好きになり、彼にこっそりと麻糸の玉と短剣を渡した。

 迷宮に閉じこめられたテーセウスは入り口に麻糸の端をひっかけておいて、糸玉をほどきながら迷宮の奥に進んでいった。やがてミノタウロスと出会った王子は、隠し持っていた短剣で見事この怪物の首を切り落とすことが出来たのである。
 最後に糸をたぐって無事に迷宮からの脱出した王子は、アリアドネ姫と伴に島を逃れ、アテネに戻ったとされている。
 以上が有名なミノタウロスの伝説とされるギリシア神話の一説である。
クノッソス宮殿の復元予想図
* 発掘された巨大な地下迷宮 *
 人々はこの話を、約2000年以上にわたってギリシア神話の世界だけのことであり、荒唐無稽な作り話と決めつけていた。しかし、この伝説がただの神話でなかったということが、20世紀初めの発掘で明らかになった。発掘したのはアーサー・エバンズという裕福な英国人であった。
 彼は、この地方に出土する神秘的な彫刻が施された印章石に魅せられた一人だった。
 印章石とは、2、3センチほどの大変小さなもので、それぞれには船やイルカ、狩り場の場面などの精巧な彫刻が刻まれていた。それはたいそう美しいものであった。
 エバンズは、クレタ島のここクノッソスの地に、たまたま印章石を掘りに来たところが、終わってみると何と巨大な宮殿発掘という値千金とも言える大金星を手中にしたのである。
アーサー・C・エバンズ
1851〜1941
 発掘は約35年の歳月に渡って続けられ、最初、小人数で始まった発掘はエスカレートの一途をたどり、投入された資金も当時としては巨額なものとなっていった。
 発掘されてわかったことは、宮殿の壮麗な規模もさることながら、その恐ろしい限りの複雑な構造にあった。

 クノッソスの宮殿は複雑な構成の3〜4階建てで、中庭を囲むたくさんの部屋や秘密の廊下や真っ暗な回廊、いろいろな形をした小部屋、またそれをとりまく曲がりくねった通廊、階段、円柱などがごちゃごちゃに構成されていて、一人で通り抜けられれば奇跡と思われるほどであった。

た。

 しかも、この宮殿の地下室となると、まさに迷宮としかいいようがないほどの複雑な様相を呈していた。それらの複雑で入り組んだ地下室からは、2.5メートルほどの大きな陶製の油つぼが200以上も発見されている。
 また宮殿のいたる所には牛や牛の角、闘牛、と牡牛に関係する壁画が描かれていた。これは、牡牛を権力や豊饒の象徴にみなしている信仰のあったことを物語っている。
* 実在したミノス文明 *
 エバンズはこれをギリシア神話のミノス王にちなんでミノア文明と名づけた。
 それは、紀元前1700年ほど前のことであり、ギリシア神話に出てくるミノス王はやはり実在したのである。
 後の調査によると、文明の絶頂期だった頃に、地震と思われる天変地異が起き、一瞬にして宮殿が破壊されたことが判明した。
複雑で入り組んだ迷宮の構造
 しかし、気を取り直した人々はその後も宮殿を復旧してさらに豪華で大規模にしていったようだ。
 しかし、300年後に再び壊滅的な大破壊が襲い、それっきり宮殿は見捨てられてしまったのである。
 遺跡には業火によって焼き尽くされた生々しい痕跡が多数残されていたが、それが天変地異によるものか侵略によるものかは定かではない。
クノッソス宮殿内部の再現図
 その後、海を渡って南下しクレタ島に上陸してきたギリシア人は、廃虚と化したクノッソスの宮殿と複雑怪奇に入り組んだ地下の迷宮を発見することになるが、彼らは、果たして、それらの遺跡を目の当たりにしてどう思ったことだろうか?
 かつてミノス王が地中海世界を支配下に置いていた頃、アテネを初めとするギリシア諸都市に対して、重税を課し貢ぎ物とともに毎年決まった数の処女や若者を献上させていたことは十分想像出来ることだ。
青の貴婦人の名で知られる3人のミノアの少女を描いた宮殿の内部の壁画の一部
 差し出された処女や若者の運命がその後、奴隷とされたのか、生け贄にされたのかは知る由もないが、こうした事実の理由づけとして、ミノタウロス伝説はつくられていったのかもしれないのである。
 こうしてミノタウロスという想像上の怪物がギリシア神話に取り込まれて、語り継がれるようになったとも考えられるのだ。
 もしそうだとすれば、半獣半人の怪物ミノタウロスは、当時の古代ギリシアを支配した暴君ミノス王への恐れがデフォルメされてつくられた産物であるとも言える。
 それにしても、当時のミノア人はどうしてこのような複雑怪奇な宮殿をつくったのだろうか? わずか1、2メートル平方足らずの、それも人一人入れないような小礼拝室が入り組むように無数につくられているのも奇妙である。それは何か宗教的な意味合いがあるのだろうか? それも、今となっては推測する以外にない。 
 また、この宮殿の奥にある特別な礼拝室には、生け贄を殺すための両刃の斧が祭られていたそうである。この斧はラブリスと呼ばれ、優美なシンボル的存在であり黄金製であったと伝えられている。
 このため、地下迷宮は、後世の人々からラビリントスも言われるようになったのである。英語の迷路「ラビリンス」の語源は、ここから来ているということだ。
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