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ソロモンの財宝
〜ソロモンの神殿と財宝の秘密〜
* ソロモンの栄華 *
 今から3千年ほど前、ソロモンの栄華とうたわれ、世界中の富を一人占めしたと思えるほどの絢爛豪華を誇り、あらゆる贅を尽くして建造された神殿があった。
 その神殿は、父ダビデ王のとてつもない莫大な財産を受け継いで、ソロモンが建造したもので、金、銀、宝石類を惜しみなく使用し、建物全体はきらめくような白大理石で出来ていた。その神殿がいかに、すごいものであったかは、旧約聖書で8ページ以上も費やして詳細に述べられていることでもわかる。
 神殿の入り口には、巨大な彫像がたたずみ、入って来る者の度胆を抜いていた。
 扉には、見事な象牙がはめ込まれており、鋳造した巨大な青銅製の柱が林立し、黄金の器や壮麗な飾り石が無数に配置されていた。
 屋根のすべては黄金の板でふかれており、そのきらめく輝きは、まばゆいばかりでとても目を細めずには見ることはできなかったという。
 神殿の内部に入ると、壁一面には目を見張るような繊細な技法で彫られた花の彫刻がなされており、これまた驚嘆を誘うものであった。全くそれらは、すべて、ため息をつきたくなるほどの豪華なもので、それらはたぶん規模、豪華さ、美しさ、どれ一つとっても世界のどんな建築物も到底及ぶことがないものであった。
神殿の内部
* 世界にとどろくソロモンの富と名声 *
 神殿内は、仕切り壁によって拝殿と本殿とに区切られており、本殿には契約の箱が安置されていた。その箱の上には、5メートル前後の2体のケルビムと呼ばれる有翼の雄牛が羽を広げていたという。

 ソロモンは、その他にも、自分のための大小幾つかの神殿を建て、7百人以上いると言われた王妃らとともに暮らしていた。妾まで合わせると実に千人以上の美女にかしづかれる毎日であった。

 その中でも、彼は、エジプトのファラオの娘が特にお気に入りで、持参金代わりにエジプトの領地であったゲゼル市を贈られたとされている。ゲゼル市は、パレスチナ最大の商業都市で、領地が増えた上にそこから持たらされる利益は莫大なものであった。

 彼は、決して満足することなく、限り無く王国の物質的な繁栄を目指し、自国の地理的な条件を利用して、周囲の国々との交易の手数料で富を増やしていった。その富は巨額なもので、エルサレムは、その都度拡張されて立派になっていった。
 ソロモンの生活にしても、実に豪奢の極地ともいうべきものであった。彼は、象牙で造られてまばゆいばかりの黄金の王座にすわり、食事ともなると、食器はすべて純金で光り輝いていたという。
 ソロモンの名声は、やがて、世界にとどろきエルサレムの繁栄は人々の噂となり隅々にまで広まっていった。
 はるばる訪れたシバの女王が、これらの神殿の壮麗さを間近かに見るにつけ、噂に聞いていたものの、実際に来てみると、それらの真実は、半分も知らされていなかったことがわかったと驚嘆したということである。
ソロモン王に相見えるシバの女王。旧約聖書にその様子が記録されている。
 一体、彼の財産はいかほどのものであったのだろうか? ソロモンが所有した黄金は、10万3千ターレント(金1ターレントは49キログラム)、銀百万7千ターレント(銀1ターレントは62キログラム)、そしてかなりの宝石類であったとされる。もっと、分かりやすく言うならば、黄金5千トン、銀6万トン、そして計り知れない宝石の山ということになる。これは途方もない財産である! あまりに現実離れした数字に、めまいを起こしてしまいそうだ。
* 契約の箱のある神聖な場所 *
 その神殿は、ただ豪華というだけでなく、ダビデ王の遺志を受け継いだソロモンが、聖地エルサレムに、かの契約の箱を安置するための大記念碑でもあった。契約の箱には、有名なモーゼの十戒を彫ったという石板が納められていた。
 十戒とは、長年、奴隷として苦しんでいたイスラエル人が、神の啓示を受けたモーゼに率いられてエジプトから逃れて来た折に、神が民衆に与えた宗教的な道義と倫理の基となるおきてを表わしたもので、それは、殺人、盗み、姦淫などの罪を禁止する歴史上で最も古い禁令というべきものであった。
再現されたソロモンの神殿
 現代の西欧文明の根底に流れる倫理観は、すべてこの十戒が起源となり、もたらされたものと言ってよい。
 また、この契約の箱が置かれている場所には、アブラハムの岩と呼ばれる大きな花崗岩があった。その岩は、神が信仰の父アブラハムの心をためそうとして、彼の一人息子をいけにえにせよと命じたことから、アブラハムが、その岩の上で自分の愛する息子イサクを泣く泣く神に捧げようとした場所で最も聖なる場所と言われるようになったものである。神殿はまさにこの聖なる場所を建設地点としていたのである。
 こうしたことから、このソロモンの神殿は神の臨在する最も神聖な場所とされ、紀元前967年に完成するや、全ユダヤ人の信仰の的となっていたのである。ところが50年ほどたってソロモンが死ぬと、王位継承を巡って王国は北と南の2つに分裂してしまった。

* 姿を消した契約の箱 *
 それからしばらくして、北の王国は残忍で知られるアッシリア人によって滅ぼされてしまった。このアッシリア人はすぐれた鉄製の武器、強い弓を持ち、略奪遠征をくりかえすバイキングのような民族として知られている。

 唯一残った南の王国も、新バビロニア王国のネブカドネザル大王によって滅ぼされてしまい、80万と言われる住民のほとんどは、奴隷として連れ去られてしまった。こうして、はるばる、エジプトの地から、モーゼに率いられて逃れて来て、一時は世界にその名をとどろかしたイスラエル人も、これ以後、苦難の時代を余儀なくされるのである。

 その際、ソロモンの神殿も破壊されて略奪にあったということだが、神聖な場所に安置されていた契約の箱は、彼らの手に渡ることはなかった。それはソロモンの巨額の財宝とともにいち早くどこかに姿を消してしまったのである。

 伝説では、箱を守るケルビムが持ち去ったというが、事実は、神殿に仕える祭司たちが、こうなることを見越して、あらかじめ用意した秘密の場所に隠したのではないかと考えられている。
 そしてその秘密の場所とは、あのアブラハムの岩の下ではないかと考えられるようになった。この岩の下はがらん洞になっていて、たたくと底の方から鈍い反響音がするということである。
 もしそうだとすれば、2千5百年もの間、モーゼの十戒を刻んだ石板と、それを入れた契約の箱がソロモンのとてつもない財宝とともに眠り続けていることになるのだ。

* アブラハムの岩の秘密 *
 この後、幾多の変遷を経て、この岩のあるエルサレムの地は、紀元7世紀にはイスラム教徒の領有となった。
 その時、むき出しになっていた花崗岩を保護するためにイスラム教徒がドームを造ったのである。
岩のドーム
 これは後に岩のドームと呼ばれるようになった。アブラハムの岩はユダヤ教徒、そこから派生したキリスト教のみならずイスラム教徒にとっても、聖なる場所だったからである。
 その後、この岩は、三大宗教にとって聖なる場所として、ますます重大な意味を持ってゆく。中世に始まった十字軍遠征から今日の中東戦争まで、キリスト教徒とイスラム教徒の対立すべては、この岩が原因となっているのである。
 一方、アブラハムの岩の下には、空洞があり、ソロモンの巨額の財宝がモーゼの十戒を刻んだ石板、契約の箱とともに隠されているという話は、いつしか噂となり冒険家たちや一獲千金を夢見る者たちの心をくすぐり始めていた。しかし三大宗教の最も神聖な場所とされる岩のドームに押し入り、こともあろうにアブラハムの岩の下を掘ることなど到底許されることではなく、もし見つかって捕まろうものなら八つ裂きにでもされかねない危険な行為であった。
* 挑戦した冒険家たち *
 しかし、今世紀になって野心と好奇心に満ちた幾人かの冒険家が、何度となくそのとてつもない目的に挑戦した。
 あるイギリスの冒険家は、袖の下を使って番人を買収することに成功した。彼らは、夜中になると、こっそりと岩のドームの中に入れてもらった。シャベル、つるはし、かごなどを持ち込んだ彼らは、アブラハムの岩の横にある敷石をはがすと、夜通し穴堀り作業をした。そして、夜が明ける寸前になると、穴を敷石で隠して元通りにしておいた。その時、掘り起こして出た土砂は、かごの中に入れて外に持ち去った。
 この手順をくりかえし、何日か掘り進んでいくうち、もう少しで目的が達成出来るのではないかと思えてきた。しかし8日目になって、とうとう早起きしてきた一人の僧侶に現場を見つけられてしまった。僧侶は賊が侵入したと大声でとわめきちらし、その声を聞き伝えて、他の大勢の僧侶たちが、血走った表情で手に手にこん棒や短剣などの武器を持って駆けつけて来るのが見えた。
 殺気立ち暴徒と化したこれらの連中に捕まったら最後、その場で八つ裂きにされることは明らかだった。イギリス人たちは、つるはしもシャベルも放ったままで、息も絶え絶えになるまでひたすら突っ走り、命からがら逃げおおせたということであった。
 これ以後、岩のドームの監視はかなり厳しいものとなった。もはやまともなことでは近づくことも出来なくなってしまった。
 それから、何年かたって今度はアメリカの冒険家が、この難題に挑戦した。彼らは、史実を注意深く調べ、その結果エルサレムの町の外側にある谷の洞くつが、3千年もの昔、坑道になっていたのを突き止めた。そしてそれは、岩のドームの真下までつながっているのではないかと推測したのである。
 坑道内には泉があり、古代のイスラエルの士官がよくそれを利用したという記録も残っていた。そこで、彼らは、シャベル、つるはし、ロープなど携えて、懐中電灯の明かりだけを頼りに、真っ暗で無気味な坑道内を注意深く進んだ。
 何十メートルか進むと坑道は、幾分上向きになった。さらに百メートルほど進むと坑道は、ついに行き止まりになってしまった。その代わりに、そこには階段があり、上に続いているのが見えた。だが、残念なことに階段は、数段先から上は土砂で完全に埋まっていた。

 彼らはついに自分たちは、岩のドームの真下に来たのではないかと考えた。そうすると、この階段の先は、アブラハムの岩の下にある秘密の空洞に向っていることになる。その空洞には、モーゼの十戒を刻んだ石板とそれを入れた契約の箱、そして、想像を絶するようなソロモンの財宝がともに眠っていることになるのだ。
 そう考えた彼らは、はやる心を押さえながら、ひたすら土砂をどける作業に専念した。しかし、連日その作業を必死に繰り返しても、後から後から大量の土砂が崩れ落ちてくるだけでどうにもならなかった。おまけに、地下水まで噴き出して来て、足下は、どろどろになり、動くことは愚か退路を絶たれる危険性まで出て来た。結局、彼らは、涙を飲んで断念せざるを得なかった。
 それ以降も、いろんな冒険家が奇策を練っては挑戦しているようだが、現在のところ、成功したという話は聞かない。
 万が一、このソロモンの秘宝とモーゼの十戒を収めた契約の箱が発見されることになれば、ツタンカーメンの墓以来のとてつもない世紀の大発見となるにちがいない。
岩のドームの内部、下にアブラハムの岩が見える。
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