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シバの女王
〜伝説化されたシバ王国の謎〜
* 砂漠の彼方から来た女王 *
 旧約聖書、「列王記上」の章には、シバの女王が世界の王ソロモンを訪ねて来るくだりがある。シバの女王は、おびただしい宝物を携えて、アラビアの大砂漠を越えて3か月以上もかかって、ここイスラエルにはるばるやって来る話である。

 シバの女王は、絶大な権力を世界の隅々にまでとどろかせ、すぐれた賢者の名声を欲しいままにしていたソロモン王が、果たして真実なのかどうか、それを確かめるためにはるばる旅して来たのだった。
 女王のキャラバンが携えた宝物の内訳は、約2トンにおよぶ黄金と瑪瑙(めのう)、エメラルド、ガーネット、琥珀などの宝石の山、そして、今までにイスラエルに一度に入って来た量としては、最大の香辛料の山だった。
 香辛料の中には、途方もなく高価な乳香(にゅうこう)と呼ばれる類い稀な香料も含まれていた。乳香とは、切り込みによって樹木からにじみ出てきた樹液が結晶化したもので、美しい銀色をしている。炊くと大変魅惑的な香りがする最高級の香料で、金にも劣らぬ値打ちがあったらしい。ローマ時代は、神々の食物と呼ばれ、ひじょうに珍重されて神殿内で炊かれることが多かったという。
 こうした、数々の宝石と最高級の乳香を手土産にして、シバの女王がはるばる旅して来たのも、絶大な権力者で偉大な賢者でもあったソロモン王の知恵に授かりたいからであった。

 死と渇きの砂漠をいくつも越えて、女王の一行はエルサレムに到着しようとしていた。大きな砂丘の向こうには、エルサレムの見事な城壁と無数の楼閣のシルエットが朧げながら連なっているのが見えた。苦難に満ちた長旅は、今ようやく終わろうとしていた。やがて巨大な城門をくぐった一行は、とうとうエルサレムに到着したのだった。
* ソロモン王との謁見 *
 通された宮殿で一日を過ごした女王一行は、宮殿の輝くばかりの豪華さにひたすら息を飲み、その壮麗さに圧倒されっぱなしだった。
 そして、いよいよソロモン王に謁見が許される時が来た。きらめく水晶でつくられた張(とばり)を抜けると、そこは見渡すばかりの広大な謁見室になっていた。シバの女王は、そこで、ついに世界のソロモン王に相見えることになったのである。
 初めて見る王の瞳は黒く、睫は長く、精悍なあご髭は威厳に満ちており、口元には謎めいた微笑みが浮かんでいた。
  そして、王は、七つの段の最上に置かれた王座に座っているのだった。その王座は、すべて、象牙と黄金で出来ており、各所には大きな真珠や宝石が散りばめられていた。
 王座に静かに座る王の姿は、まことに世界の王にふさわしく堂々として自信と威厳に満ち溢れているように思えた。
 格段の両脇には、精悍なワシやライオン、サイなどの鳥や獣を形取った像が配されていた。そして、最上段には、まばゆいばかりの羽を広げた黄金の孔雀の像が置かれていた。
きらめく黄金の王座には、威厳に満ちたソロモン王が、座っているのが見えた・・・
 広大な謁見室には、王にお使えする取り巻きの側近たちを始め、ありとあらゆる大臣、王妃や側室にいたるまで左右に分かれて勢ぞろいしていた。
 王妃、側室だけでも何百人というものすごい数である。
 やがて、女王が姿をあらわすと、恐ろしいまでの静けさが場内を支配した。 
 彼らは、これから起こるであろう女王と王の謎かけを、一時も見逃すまいと固唾を飲んで待ち構えているのである。
ソロモン王にまみえるシバの女王の息詰まる瞬間
* 息づまる謎かけ *
 ソロモンの御前に出た女王は、深々と会釈をすると、あいさつの言葉を述べてこう言った。シーンと張り詰めた静寂の中に女王の張りのある美しい声が響き渡った。
「偉大なる王よ、私は、陛下のすばらしき知力を耳にして、そのお知恵に授かりたく、はるばる砂漠を越えて旅して来たのです」
 すると、ソロモンは言った。低いがよく通る響きのある声だった。
「遠路はるばる長旅、大儀であった。さあ、何なりと謎を出すがよい」
 女王は、大きく深呼吸をすると、ここぞとばかり、あらかじめ考えておいた難問を王に浴びせた。彼女はまず、第一番目の謎をソロモンにかけたのである。
「地から湧くのでも天から降るのでもない水は何でしょう?」
 ソロモンは、落ち着き払って答えた。
「それは馬の汗であろう。今一度、尋ねるがよい」

 次に、女王はこう謎をかけた。二番目のそれは、抽象的な詩のような内容だった。
「その頭を嵐が駆け抜け、それは、身も世もなく泣きわめく。自由な者はそれを褒め、貧しき者はそれを恥じ、死せる者はそれを尊ぶ。鳥は喜び、魚は嘆く・・・」

 ソロモンは、その問いにも難なく答えた。「それは亜麻だ」

 女王は最後の謎として、もう一度挑むことにした。

「女が息子にこう言います。お前の父は、私の父、お前の祖父は私の父です。お前は私の息子で、私はお前の姉です・・・」

「それは、ロトと二人の娘だ」
 最後の質問など、ソロモンは彼女がまだ言い終えるか終えないうちに淀みなく答えてしまったのであった。

 こうして、すべての質問にことごとく、淀みなく答えたソロモンは何事もなかったように微笑みながら王座を下りて来ると、女王のもとに近づき、彼女の手を取って宮殿で厚いもてなしを受けるようにと、ねぎらいの言葉をかけたのであった。
 その瞬間、ドッと安堵のようなざわめきが起こり、あれほど張り詰めていた静けさはたちまち馴染みのある雰囲気に一変してしまった。
 そうして、女王が、差し出されたソロモンの手を取って心なしか頬を赤らめると、何百人もの王妃や側室たちからクスクス押し殺したような含み笑いが漏れたのであった。
ソロモンとシバの女王
 かくして、シバの女王は、あらためてソロモンの持つ知恵の偉大な力に圧倒され、その名声がただの噂でなく真実であったことを思い知ったのであった。同時に、変に張り詰めていた気負いも無くなった女王は、ただただ、畏敬の念にかられて、ソロモン王のすぐれた知力と聡明さを賛辞して、イスラエル王国を祝福する言葉を贈ったあげく、持参して来た山のような財宝を献上したのである。

 一方、ソロモンの方もシバの女王に、豊かな王としてのふさわしい贈り物をし、女王の願い事のすべてを叶えてやった。こうして、数週間の滞在の後、女王とその一行は、再び、祖国に向って長い帰路に着いたのであった。

 これは紀元前1千年ほど前、つまり今から3千年ほど前の話だとされている。そして、この話は、旧約聖書の「列王記上」の第10章に紹介されている出来事なのである。 

 今から3千年も前に、世界の偉大な王ソロモンと砂漠から来た魅惑的な女王が相見え、行き詰まる雰囲気の中で、神秘に満ちた謎かけが行われたのである。確かにそれは、数分程度の短いやり取りであったかもしれないが、長い歴史の中でも、永遠に色あせることのない、きらめく一瞬の出来事であった。

* シバ王国の謎 *
 だが、おかしなことに、古代世界のどの書物にもこの出来事を裏づける証拠が記されてはいない。そればかりか、何百とあるオリエントのどの碑文にも、シバの女王に言及している記録は何一つないのである。つまり、ソロモン王とシバの女王が対面したと言う話は、聖書以外には決して出ては来ないのである。これは、一体どういうことなのだろうか?

 果たして、旧約聖書に書かれていた、ソロモン王と対面したシバの女王は本当に実在した人物だったのだろうか? そして、実在したのだとしたら、彼女の祖国、シバの国はどこにあったのだろう?

 シバの国が、どこにあったのかはこれまでに様々な説が考え出されてきた。シバの国は、南サウジアラビアのイエメン地方にあったとするもの、北アフリカのエチオピア地方にあったと主張するもの、または、中東のペルシア地方だとするもの、中には、シバの国はコモロ諸島(マダガスカル島の西に位置する)にあったとする突拍子もない説まである。もともと、シバの女王など実在せず、聖書の中の架空の人物で、多神教の女神の化身だという説まであるのだから、どこまでを信用してよい話なのか途方に暮れてしまうのである。

 シバの女王が大量に持ってきたという瑪瑙(めのう)、エメラルド、琥珀などの宝石類は、主にアフリカ東部のエチオピアで採れ、南アラビアでは産出しないものである。しかし、乳香を産する高品質の乳香樹は、砂漠を隔てた東の国オマーンの山脈に自生するのである。こういった事実が、かつてシバの国がどこにあったのか推測するのを曖昧にしてしまうのであろうか。

 アラビアの北西部には、ミディアンと呼ばれる地方があり、古代のオアシス都市が無数に点在している場所である。   
 クライヤ、タイマ、アル・ウラーと言った遺跡からは、美しい陶器を始め、いろいろなものが出土しているのである。これらの都市は、かつて砂漠のキャラバンの交易拠点として繁栄を欲しいままにしていた時期があった。
 陶器の様式は、古いもので、紀元前17世紀頃までさかのぼるのである。・・・とすると、シバの女王とはこのメディアン地方全体を掌握していた女王ということにはならないだろうか?
シバの女王をあらわしたと思える石像
* 驚くべきイエメンの遺跡群 *
 一方、南アラビアのイエメン地方には、砂漠に埋もれた遺跡が多数眠っている、それらは、かつて、高度な文明を持っていた古代都市であった。そこには、シャブワ、ティムナ、マアリブ、シルワと言った古代の遺跡が連なっている。これらは、香料ロードと呼ばれる香辛料などの贅沢品を運ぶキャラバンルートでつながっていた。
 当時、キャラバンがそれらの都市を通るには通行税を払わねばならなかったが、それを惜しんで他のルートを取ったりすると、違反者は王によって死罪にされたと言われている。

 中でも、マアリブの遺跡には、驚くべき遺跡が無数に眠っており、アラビアでも最大級の遺跡の一つとされているほどだ。とりわけ注目されているのは、巨大なダムの跡と月の神殿と呼ばれている遺跡だ。
 ダムは完成したのが紀元前6百年ほどで、幅が680メートルもある巨大なものであった。この古代のダムは、荒れ狂う大量の水の流れをそらして、南北の運河に送り込み、網目状になって耕作地に水を分配する仕組みであったと思われている。つまりマアリブには、当時、世界でも屈指の高度な技術を持った灌漑システムがすでに存在していたのである。
 月の神殿と呼ばれるものは、囲い地だけでも、95メートルもあり、囲っていた壁の高さは16メートル以上ある大規模なものである。
 総面積は、約5千平方メートルほどある。これは、パルテノン神殿の2.5倍にあたるのである。
 現在、その神殿の入り口の柱廊があった場所には、8本の四角い石柱が砂の中から突き出ている。
 壁に、囲まれた広大な部分は、未だ発掘されておらず、何が埋まっているのか見当もつかず、ただただ、推測するしかない。
月の神殿(上) 砂から突き出た石柱(下)
 香料ロードの最終拠点とも言えるシルワは、マアリブに優るとも劣らぬほど、魅力的な遺跡が多数存在している。そびえ立つ城壁に、巨大な神殿跡も発見されているのである。もしかすると、シルワこそがシバの女王の祖国の首都ではなかったかという声は、今もひじょうに多いのは確かだ。それとも、マアリブとシルワ、この二都を首都としてシバ王国は栄えたのだろうか? ただ残念なことには、現在、この地方は政情が安定しておらず、発掘、調査が思いのままにならないのが悔やまれる。
 シバの女王は、ソロモンの智者としての力量を計るために難問を用意して、旅をして来たのだとされている。しかし、わざわざ、謎かけをすることだけが目的で、はるばる砂漠を越えて旅して来たとは思えない。旧約聖書では、その辺は、あっさりと片づけられてしまっているが、実は女王たち一行の目的はイスラエルとの交易にあったと見る方が現実的なのではないかと思われている。
 それがために、乳香を含む大量の香料と黄金を主要交易品目として掲げ、商品の見本として携えていたということであろうか。
 また、ソロモン王が女王の願いを全て叶えてやったということは、商取り引きに関するあらゆる許可を認めたということなのかもしれない。
 そう考えると、香料ロードをさらに拡大してエルサレムにまで拡大しようとした実業家としてのシバの女王の意外な側面も想像出来なくはない。
ソロモンとシバの女王の出会いをあらわしたレリーフ
* アフリカのシバ王国伝説 *
 また、紅海を隔てたアフリカ西岸の山間部に位置する聖都アクスムでは、今でも、エチオピア人の多くは、この町こそシバの女王が君臨したところだと堅く信じている。そして、この都市には、古来より、ある伝説が根強く伝わっているのである。

 それによると、昔、アクスムの町全体を、恐怖のどん底に落とし込んでいた一匹の巨大な大蛇がいたという。人々は、毎日、数えきれないほどの家畜を生け贄に捧げていた。そんな時、マケダという一人の美しく勇敢な娘が、あらわれ、平然と大蛇に近づくと、たちまちその首を切り落としてしまったということだ。住民は、熱狂して彼女を自分たちの王に戴いた。   
 ここに至り、マケダはシバの女王となったのである。女王はまもなく、エルサレムに旅をした。そして当時、世界にその名を轟かせていたソロモンと知力において、互角に渡り合った。やがて女王とソロモンとの間には男の子が生まれた。

 男の子は成人するとメネリクと名乗り、再びエルサレムに行き、父でもあったソロモンと対面したのであるが、その時、メネリクは神と共謀して、契約の箱を盗み出してしまったのである。ソロモンは、大変、悲嘆に暮れて後を追ったが、盗み出したのが自分の息子でもあったので、泣く泣くエルサレムに引き返さざるを得なかった。
 一方、契約の箱を持ち帰ったメネリクは、シバの女王と住民すべてに祝福されたのだった。この日を堺にして、神はエルサレムを見捨てエチオピアに移っていった。こういうわけで、アクスムは聖都と呼ばれるようになったというのである。その後、現在までもこの町では11月下旬になると、この日を祝う行事が行われているということだ。
 この伝説が、全く根拠のないものか、事実に基づいているものかは、わからないが、アクスムの遺跡には、シバの女王の神殿とも思える100室以上を有する巨大な宮殿跡や崩れ落ちた石柱が多数、点在しているのも事実なのである。古代のアラビア語とも言える文字が刻まれた石版なども発見されており、アラビアとエチオピアのつながりを示す証拠も多数発見されている。
 すると、アラビアより紅海を渡って来たシバの人々が、アフリカの西岸エチオピアを制服して、植民地とし、石造りの神殿を造ったと言う仮説も成り立つのではあるまいか?
 そうなれば、シバの国はアフリカに存在したことになり、女王はエチオピアに君臨したアラビア人だったという可能性も成り立つのである。
紅海に面したシバの国を描いた絵画
 いずれにしても、わからないことだらけで、アクスムの遺跡の発掘はまだ3パーセントにも満たない状態なのである。シバの国の調査は、まだ最近、始まったばかりで明らかになるのは今後の発掘の結果を待つしかないと言えよう。
* 謎のベールに包まれたシバ王国 *
 このように、シバの女王のイメージの裏には、様々な伝説、言い伝え、謎めいた遺跡が数多く錯綜し、難解なジグソーパズルを形成しているように思えてならない。
 神秘的のベールに包まれたシバの女王は、これまでにも様々なオペラで歌われ、いろんな時代の絵画にもしるされてきた。
 現代では、ハリウッドの超大作にも何度もなっているほどである。
 シバの女王のかもし出すイメージは、見る人の心を揺さぶり、魂を魅了する何かがあるようだ。
中世に描かれたソロモン王とシバの女王の出会いの絵
 それは、伝説に彩られ、謎めいてエキゾチックな魅力そのものへの情熱を感じるためなのであろうか? シバの女王は、あたかも日本で論議されて止まない伝説の国、邪馬台国の神秘の女王、卑弥呼のイメージとだぶってくるようである。
 シバの国が果たしてどこにあったのか?・・・そういった空想に想いを馳せる時、3千年の時間を越えて、シバの女王が微笑を浮かべながら、我々に謎をかけてくる瞬間でもある。
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画像資料参照 
マアリブの遺跡、月の神殿・・・「シバの女王」ニコラス・クラップ 紀伊国屋書店       
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