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海底に眠る巨大遺跡
〜沖縄の海に記された神々の爪痕〜
* 海底で発見された謎の巨大遺跡 *
 与那国島(よなくにじま)は、沖縄本島から隔たること500キロ、南西諸島の最先端に位置し、日本で最も西に位置する島である。この島は、東西10キロ、南北4キロの紡錘型をした小さな島で、台湾までは約110キロほどしか離れていない。人口は1800人ほどで、周囲に波風をさえぎるものは何もなく、冬には、強い北風と荒い波が島にもろに打ちつけ、生物には過酷な環境である。
 ところが1986年、この島の南側にある新川鼻(あらかわばな)岬の沖合い100メートルほどの海底で、明らかに人為的に造られたと見られるテラスや階段、排水溝らしきものが数多くが発見されたのである。その後、これらは発見した地元のダイバーによって遺跡ポイントと名付けられたが、それ以来、大きな反響を呼び起こすこととなった。そして、この海底遺跡を巡って様々な説が唱えられるようになったのである。
 グスクと呼ばれる城塞だという説、神殿、水中の墓、石切り場だったという説から、沖縄は、かつて地上にあった超古代文明の名残りだったという説まで、また与那国島の海底遺跡こそムー大陸の一部だったという説など、さまざまな熱き論争を巻き起こす火種となったのである。

 与那国島の海底遺跡は、水深25メートル前後の比較的浅いところにある。この辺は、殺伐とした地上の環境とはうらはらに、目を見張るほど美しい世界が無限に広がっているダイビングの好ポイントでもある。

 まず、海中に入ってみて驚くことは、南国特有の透き通ったマリンブルーの美しさだ。

 ぐんぐん潜っていくと夢幻的とも思えるコバルトブルーの世界が果てしなく広がってくる。水温は28度Cくらいか、透明度は高い。
 あたりには数種類の小魚が泳いでいるのが見える。しかし、潮の流れはかなり強く、油断すると沖に流されてしまうので、注意が必要である。
 やがて、眼下にうっすらと青黒い巨大なシルエットが迫ってくるのである。近づくにつれて、それは、幾何学的な直線で構成された巨大な石の階段状の壁や石畳のような形をとってくる。
 まるで、ピラミッドの上半分をカットしたような形にも見えないでもない。
幾何学的な階段状の石段が広がる。それは、まるで海中の巨大なアクロポリスのようにも見える。
 間近かに見たそれは、まるで、巨大な神殿の一部か、巨石によるモニュメントを彷佛とさせる代物である。シルエットの端は、青黒い海中に溶け込んでいて、全体を想像することは不可能に近い。まさに、海底に横たわる不思議な巨石のオブジェ・・・実に、神秘的で、少し不気味、あまりの荘厳なイメージに全身がふるえ出す瞬間でもある。
 この、海底の巨大なオブジェは、東西約250m、南北150mにもわたる巨大な長方形をしており、高さは約25mほどもある。この規模は、実に、古代エジプトのスフィンクス石像をしのぐスケールなのである。また、これらの遺跡の頂上にあたる1メートルほどは、常に海上に突き出ている。そのため船が座礁する危険性があったために、地元の人も近づかず、これまで、遺跡が公にされることはなかったのである。
* 遺跡はかつて聖域だった? *
 その後の調査の結果、 この構造物には、城門、城壁、ループ状の道路、階段、排水溝とおぼしきものが次々と確認された。この水域は、海流が非常に強く、そのため、サンゴや海藻などが付着することがなかったので、遺跡の全体像がはっきりとわかるのである。
 遺跡の南西の角には、いわゆる、アーチ門と呼ばれる入り口らしき場所がある。
 これは、背丈の倍以上の巨石が門柱のように置かれ、その間に3個の巨石がはめ込まれて天井を構成している。
 このアーチ門は、人ひとりしか通れぬ狭き門だ。その門をくぐり抜けると、二枚岩と呼ばれる不思議な形をした岩にお目にかかる。
 高さ7メートル、幅1メートルほどの長方形をした巨石が二枚、岸壁に立て掛けられているのだが、何か鋭利なもので真っ二つに断ち割ったようにも見える。それは、海中で見る人々の心に神秘的な畏怖の念を感じさせる形をしているようだ。
人ひとりが、かろうじて通れるアーチ門
 また、水深10メートルほどの遺跡の上層部にあたる所には、両側に平らなスペースが削り出されている奇妙な場所がある。
 恐らく、何かの儀式の場ではなかったかと思われているものである。
 こうした聖域では、巨大な亀を思わせるレリーフが刻まれているのも発見されている。これは、頭を出した亀と手足を引っ込めた甲羅を型どったもので、一辺が15メートルもある巨大なものであった。
 これらは、信仰の対象物だったのだろうか?
一枚の巨石を真っ二つに割ったような二枚岩
 さらに、水深25メートルの海底には、六角形をした巨石が平らな台座にポツンと置かれているのが発見された。
 この巨石は太陽の方角を示す役割をしたらしい。
 つまり、日の出の位置変化から、季節を知るための天文観測を行った場所だと考えられているのだ。実際、それを裏付けるように、台座には目盛りらしき線が数本刻まれている。
台座にポツンと置かれた太陽石、この巨岩はワンボックスカーほどの大きさがある。
 さらに、人の手が加えられた痕跡として、立神岩の海底からは、クサビを使用して、石材を剥ぎ取るためのクサビ穴も発見されているのだ。
 それは、古代人が巨石からブロック状に岩を切り取ろうとしたが、何らかの理由で未完のままに放置されたと思われるものであった。
 その他、牛をモチーフにしたレリーフや、絵文字と思われる彫り込みなども発見されているのである。
 このように、海底遺跡からは、人為的に手が加えられた痕跡が、至る所で発見されているが、まだまだ、秘密を秘めた洞くつや未発見のトンネルなどもきっと存在しているのに違いない。
岩を剥ぎ取る目的で開けられたクサビ穴。数は70個にも及ぶ。一万年前のある日、工事は、そのまま中断された?
* 海底から続々と発見される謎の遺跡群 *
 海底遺跡は、与那国島の海底だけで発見されているのではない。最近、沖縄周辺の海底では、遺跡らしきものが次々と発見されている。

 1990年には、北谷(ちゃたん)町砂辺ビーチの沖合い150メートルの海底では、巨大な城壁らしきものが発見されている。この城壁に続く石床には、丸い穴が開いており、それは、柱を建てた跡だと考えられているのだ。柱穴の直径から推測すると、とてつもなく巨大な神殿だったと考えられている。

 慶良間(けらま)の海底からは、巨石を等間隔で丸く並べられたストーンサークルらしきものや階段式ピラミッド状に削られた石組や石柱が発見されている。
 粟国島(あぐにじま)の海底からは、岩礁に開けられた7つの穴が発見されている。穴は、4メートル前後で真円の形をしており、深さ3メートルほどである。穴の壁面は、滑らかに削られ、人工的に穿たれたらしい。粟国島では、湧き水が出ないことから、これらの穴は、1万年前の地上にあった頃の貯水層だったかもしれないと考えられているのだ。

 これらの、海底遺跡は、そのほとんどが、水深25メートルから40メートルの海底で発見されている。

 また、これらの海域の周辺では、海底鍾乳洞が、多数発見されている。陸上にしかできない鍾乳洞がこれらの遺跡の近くにあることは、かつてこの海域が、陸上にあった証拠だと考えられることである。事実、1978年に行われた潜水艇「しんかい2000」による地質調査では、7百メートルもの海底でかつて、そこが海岸だった痕跡を発見しているのである。

* 一万年以上も前に高度な巨石文明が存在していた? *
 今から2百万年前には、この地域、琉球列島は、大陸と陸続きであったことが最近の調査で分かってきた。かつて、現在の九州から中国大陸にかけて弧状の大陸が存在したと考えられているのだ。
 この弓形の大陸は、「琉球古陸」と呼ばれており、氷河期を迎えるたびに、隆起と水没を繰り返していた。
 それは、数十万年のサイクルでゆるやかに行われたと想像されている。
 しかし、今から1万3千年以上も前の氷河期の終わり頃、温暖化が進んだ結果、海面は、一気に100メートルほど上昇することになった。
氷河期の頃の2万年前に存在した琉球古陸
 当時、陸上にあったこれらの遺跡も一万年前後に、次々と水没して、やがて、完全に海上から姿を消してしまったのである。
 つまり、これら、水没してしまった地域は、1万年以上前には地上にあったことになり、その当時、すでに高度な石造技術を持つ世界最古の巨石文明が存在していたことになるのだ。

 最近、2002年、インドのカンベイ湾の海底で9500年前の古代都市の遺跡が発見されたという衝撃的ニュースが走ったのは記憶に新しい。
 この遺跡は、海面下40メートルの海底で、当時の川跡に沿って、延々9キロにもわたり古代の市街地が続いていたのである。
 この他にも、この手の発見は、最近、跡を絶たない。フロリダ半島沖のビミニ諸島の海底には、ビミニ・ロードと呼ばれる巨石を敷き詰めた海底道路が発見されているし、アメリカの近海の海底では、十数メートルの塔のような構造物が確認されているのである。
インダス文明よりもさらに7千年も古い超古代の文明がすでにインドにあった?!
 これらの事実は、何を意味しているのであろうか? 
 現在、文明発祥の地と呼ばれている四大文明をさらに、さかのぼること5千年以上も前に、これらと同等の高度な文明がすでに、地球上に存在していた事実を物語っているのだ。
 これらの四大文明以前に栄えた古い文明は、今から、一万年前後に起こった急激な世界的規模の海面上昇により水没していったと考えられている。
右)1968年、バハマ諸島ビミニ島沖で発見された海底道路
 当時、陸地だったという証拠は、海底遺跡ばかりではない。富山湾の海面下40メートルには、一万年前の大原生林の名残りが発見され、魚津埋没林として知られていることでもわかる。その時、瀬戸内海などは、巨大な盆地で、氷河期の終わり頃には、巨大な原始林が連なっていたのである。そこには、ナウマン象、シカ、熊、狼など様々な動物が生活する広大な大自然が存在していた。一方、フロリダ沖は、当時、見渡す限りの大草原地帯だったのである。
この時、すでに、人類も、高度な巨石文明を造り上げていたと思われるのである。
  四大文明以前に栄えた古い文明、いわゆる、超古代文明と名づけられたこれらの巨石文明が、今後、さらに明らかにされていけば、日本史のみならず、人類文明史を根本から塗り替えてゆくことになるのは、もはや間違いないだろう。

  与那国島の海底遺跡は、失われたリンクの一部分に過ぎないのである。
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 「与那国島海底遺跡 潜水調査記録」木村政昭著より 
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