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バベルの塔と空中庭園
〜古代オリエント最大の都バビロンの栄華の夢〜
* 永遠の都バビロン *
 1899年の春、ドイツのある考古学者が、バグダードの南80キロにあるユーフラテス川のそばの小高い丘を発掘中、ある都市の遺跡を掘りあてた。


 発掘作業はそれから、10年間休みなく続けられたが、遺跡の全容が明らかになるにつれ、彼らは、その規模と壮麗さに驚きの色を隠すことが出来なかった。
 その遺跡こそ、その最盛期には富と権力のスケールにおいて空前の繁栄を遂げ、他のいかなる都市の追随も許さぬ永遠の都バビロンだったのである。


 この古代オリエント最大の都市は、ネブカドネザル大王の時代にその最盛期を迎えた。大王はハムラビ時代のバビロニアにさらに大改築工事を施し、広大な城壁を完成させ、市中には数々の大神殿を建て、黄金時代をもたらしたのである。紀元前6世紀の頃である。
 その当時のバビロンは、実に数百万の人口を数える世界一の巨大都市になっていた。首都を取り囲む城壁は延々65キロにも及んでいた。その巨大な城壁は高さ90メートル、厚さ24メートルもあり、250もの防御塔が一定の間隔をおいて配置されていた。この大城壁の頂きの幅は、かなり広く4頭立ての戦車が何なく通れるほどであったという。
 また、首都への入り口として、青銅づくりの巨大な門が100個もあり、その内の一つの門を通って入っていくと、道幅が24メートルはあって、ピンク色の大理石の板が敷きつめられた堂々とした広い大通りがユーフラテス川に沿って平行に通っていた。
その大通りの両側の壁は、ライオンが彫られた見事なレリーフで飾られていた。
再現されたイシュタール門
 大通りの先には、首都バビロンの表玄関を守る巨大な頑丈な門があった。
この門は女神イシュタルに捧げられたもので、その両脇にはそれぞれ一対の塔を有し、前後二段の部分から成り立つ巨大な門であった。
 その門は、釜で焼かれたレンガを接合して造られており、その表面を岩のように固い光沢レンガがおおい、色鮮やかな竜や雌牛の像がたくさん彫られていた。
この門は儀式の時に使われたと見られており、イシュタールの門と言われていた。
 この大通りからイシュタールの門に至る場所は、袋小路になっていて防御の要にもなっていた。ここで、イシュタールの門めがけて殺到する敵兵あれば、この箇所で立ち往生になり、周囲の城壁の狭間からは、矢が雨あられのごとく降りそそがれ、殲滅させる仕掛けになっていたのである。
イシュタールの門に至る大通りの再現図
* バベルの塔と空中庭園 *
 このイシュタールの門をくぐっていくと、やがて右手に城壁を兼ねた大王宮が現われて来る。これこそ伝説にうたわれ、古代世界の七不思議の一つにも数えられているバビロンの空中庭園である。

 この大庭園は、ネブカドネザル大王が王妃のためにつくったものであるとされている。

 大王は、山国で育った王妃を慰めるために、ここバビロンの中心部に巨大な緑豊かな自然庭園を造ろうと考えたのである。
 最初に、宮殿の敷地の中央部に、縦横400メートル、高さ15メートルの高さの土台を築き上げ、その上にピラミッド式に次々と土台を設けていったとされている。
 一番上の土台までは110メートルの高さになったという。次に、各層の土台に何万トンもの沃土が運び込まれ、テラスに沿って花壇がつくられ、果実のなる木や、色とりどりの樹木が植えられた。
ユーフラテス川から眺めた空中庭園
 ピラミッド型のこの巨大な庭園の頂きにはおおきな貯水槽が設けられ、パイプを通して壇から壇へと絶えず水が流れる仕組みになっており、時々、散水器で人工の雨が降らされたという。貯水槽には、ユーフラテス川から巨大なポンプを使って汲み上げられたと言われている。

 テラスの内部には、ネブカドネザル夫妻のための美しい部屋が造られていた。大王と王妃は、ここで虹のかかる豊かな緑の中で生活し、小鳥のさえずりを聞きながら日々を過ごしたのである。この大庭園は遠くから眺めると、首都バビロンの中心部に、ひときわ美しく浮かぶ庭園のように映ったはずであろう。
 さらに、その空中庭園のテラスからは、遠方に、世にいうバベルの塔も仰ぎ見ることが出来たはずだ。
 バベルの塔は巨大なジグラットであったと思われている。ジグラットとは、高い峰という意味で、人工の山を築き上げた聖塔のことで、その頂きには神を祭る神殿があった。
 ジグラットにはピラミッド型、らせん型の塔状のものがあり、現在まで、20数カ所で遺跡が発見されている。
 バベルの塔は、ハムラビ時代に造られ、数百年にわたり、何度も修復されたものに大王が大規模に手を加えて造られたとされている。それは、まこと雄大な建築物で、古代世界建築物の奇跡と呼べるほどのものであった。
空中庭園よりバベルの塔を仰ぎ見る
 基底部の幅は約100メートルほどあり、何段にもなる大ピラミッド状の塔であったとされ、地上100メートルの高さがあったという。さらに、その下の庭は6万平方メートルもあり、神官たちの立派な住居や倉庫が並んでいた。
* 定めなき無常観 *
 旧約聖書創世記のところで、バベルの塔が人間の虚栄心の縮図のごとく述べられている。それによれば、「塔を一段と高くして天と競わせよ」と大王が命じたことに、エホバの神は、神を恐れぬ挑戦的態度として腹をたて、塔を建設していた上下の石工たちの言葉に混乱を起こさせたのである。その結果、意思疎通が出来なくなった石工たちは塔建設を断念せざるを得なかったということである。
 ちなみに、バベルとは「混乱」を意味するもので、後にギリシア語ではバビロンと呼ばれるようになった。さらに、その地方一帯をバビロニアと名づけられたのがその語源とされている。
 旧約聖書には、ネブカドネザル大王に攻められ、捕囚の身となって首都バビロンに連れていかれたユダヤ人の見聞が多分に反映していると考えてよいだろう。
 紀元前586年に行われた二度目のバビロン捕囚によって、多くのユダヤ人が奴隷として連れ去られ、故国が滅亡した事実が伝説として形を変えて生き続けていると思われるのである。
 今を去ること、2600年前、この地バビロンは、オリエントのみならず世界の政治、経済、文化の中心だった。
ルネッサンス期に描かれたバベルの塔
 当時、世界のすべてはバビロンの王に平伏していた。地上のすべての民からは恐れられ、敬われる超越した存在だったのである。
  だが、現在はその栄華をうかがい知るものは何一つ残されていない。天にも届くと思われた巨塔も大空中庭園も見るかげはない。 ただ廃虚の跡ばかりが残されているのみである・・・。
 時の経過という無形でありながら無慈悲な神の前には、いかなる栄華も無力に等しいと感じる瞬間である。
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