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ストーン・ヘンジの謎
〜5000年前の古代のコンピューターを探る〜
* 平原に置かれた謎の巨石の群れ *
 イギリス南部のソールズベリーという雑草がまばらに生えただけの荒涼たる大平原には、ストーン・ヘンジと呼ばれる巨石遺跡がある。それは一つが約4トンはあろう巨大な石柱が、それこそ子供が積み木遊びをした後のように、無邪気に意味もなく馬蹄型に並べられているものである。
 また、フランス北部のブルターニュ地方にはカルナックの巨石群と呼ばれる不思議な遺跡がある。上空からながめると何千はあろうと思われる石が十数列に整列して直線上に並び、えんえん3キロにわたり、大西洋の波うちぎわまで続いているのがわかるはずだ。その眺めは「石の並木道」と呼ばれるが、何とも壮大で複雑怪奇というより他ない。
カルナックの巨石遺跡
 地上に降り立って、近くで見ると小さく見えた石柱は、それぞれがとてつもなく巨大なものであることがわかるはずである。中には6メートル350トンを越す巨石すらあるのだ。
 これらの巨石モニュメントは、今から5000年ほど前につくられた巨石遺跡であることがわかってきたが、このカルナックの巨石群にしろ、ソールズベリー平原のストーン・ヘンジにしろ、一体、誰が何の目的でこのような途方もない大事業を成し遂げたのであろうか?
 11世紀にイングランドを征服してやってきたノルマン人は、ストーン・ヘンジをブリテン島の不思議の一つと考えていた。その後、一人の想像力のたくましい僧正がもっともらしく一つの仮説を打ち出した。つまり、ストーン・ヘンジは、戦って死んだブリトン戦士の記念碑として魔法使いがアイルランドから魔法を使って運んで来てつくったというものである。

 またカルナックの巨石群は魔法によって、石に変えられたローマ兵士の群れであると思われていたのである。 
 そして、この馬鹿げた見解はそれから500年もの間、何の疑問も持たれずに信じられていた。そうして、長い年月にわたり、人々はソールズベリー平原の巨石群のそばを通り過ぎるとき、いつしかこの巨石遺跡のことをストーン・ヘンジと呼ぶようになった。ストーン・ヘンジとは「つり下げられた石」という意味で、大きな立石の上に横になって載っかっている巨大な長方形の石があたかも、空中にぶら下がっているように見えることから呼ばれるようになったものである。 
* 古代人の精巧なコンピューターだった! *
 19世紀になると、科学的な理由に重点がおかれるようになった。21世紀となった現在では、さらにコンピューターを使って、さまざまな角度から分析され、突っ込んだ研究がされるようになった。その結果、判明した内容は実に驚くべきものだった。つまり、ストーン・ヘンジは、はるか古代に、緻密に計算され建造された天文台であるというのである。しかも、それはただの天文台ではなく、未来の天体の運行、気象現象をも予想出来る古代のコンピューターであり、宗教的にも儀式の一大中心をなす存在だったと考えられているのだ。

 高さ4メートルを越す巨大な石柱は、一見無造作に立てられているように見えるが、調査の結果、これらの石柱の群れは恐るべき緻密な計算の上に配列されていることが判明した。
 馬蹄型に配列された中央部の10個の石柱は約7メートル前後あり、二つづつ対になり頭には横石が載せられている。その周囲をやや小さめではあるが、4メートル前後の石柱が環状に取り巻いている。その直径は114メートルあり、その外側を三つの環状に取り巻く輪があり、それぞれに59個の穴が開けられている。この穴は2か月間の月の運行の変化を示すものとされている。
 また馬蹄型に開いた方向には二つの石柱がまるでゲートのように立てられており、そこから少し離れてかかと石と呼ばれる巨石が置かれている。かかと石は標石だとされている。日の出がこのかかと石を照らす瞬間があるとすれば、その日こそ夏至(昼が最も長い日)の日なのである。
 さらにこの標石の他にも四つの基準石が、外側に配置されており、これらを直線で結ぶと正確な長方形になるが、この長方形の長い辺はそのまま夏至に一番近い満月の夜の月の出の方向と一致するのである。つまり、太陽の動きと月の動きが長い年月をかけて観測された結果、それぞれの観測線が直角に交わるということが判明したのである。北半球上で、このような条件を満たす位置は一か所しか見当たらない。
ストーン・へンジを図解したもの
周囲の4つの基準石を結ぶと正確な長方形となる。
馬蹄型から垂直に伸びるのが夏至の方向で、正確に垂直に交わる。
 ストーン・ヘンジの位置は、この意味で正確に計算されたポイントにつくられたということが言えるのである。古代の人々が何百キロも離れた場所から荒涼たるソールズベリー平原に、巨石を引きずって来た理由がここにあると思われている。
* 膨大なデータをもとに建設された巨石遺跡 *
 恐らく、このような正確な位置を割り出すまでには、何百年という間、月と太陽、惑星などの天体の運行の徹夜による観測が何日も何日も飽きることなく続けられたことであろう。周期的にくりかえされる干ばつや飢饉、害虫の異常発生、疫病の流行、嵐や竜巻きなどの天変地異などに苦しんだ古代の人々は、これらの森羅万象の出来事は、月や太陽の変化によってもたらされる現象だと考えていたのである。 そして、毎年くりかえされるそれぞれの動きのデータを逐一収集した結果、相互の関係をさぐっていったものと思われている。

 こうして、得られた知識は人々が無事に生きていくための重要なデータになった。つまり、作物の種をまくタイミング、収穫する時期、台風や嵐、潮の変わり目などが事前に予想することが出来るようになり、船で恐ろしい海に乗り出していく際の時期をも予想出来たことであろう。
 それどころか、驚くべきことに、この古代のコンピューターは何百年先の日食、月食が起る日を正確に示すことが出来るほど精巧なものであった。
 ストーン・サークルは今から5000年ほど前から、少なく見積もっても、1200年、40世代もかかって完成したものとみられている。材料となる巨石は200キロも彼方にある山のブルー・ストーンという砂岩が使われ、途方もない努力が払われて、ここソールズベリーの平原まで運ばれて来たと思われている。恐らくは、特に選ばれた屈強な男たちが数百人必要であり、一時も休むことなく、このことだけに1000年間以上続けられたと見られている。
 一方、カルナックの巨石群は、天体の運行を記録した古代の巨大な方眼紙であると思われている。巨石と巨石との間は一定の物差で計られており、古代の天体観測者がこのように、月の出の位置を記録した結果だというのである。これによって、彼らは月の周期、月食の周期などを予言したと言われている。
 これらの巨石遺跡は現代の技術をも凌駕する驚くべき古代のコンピューターであると言えるだろう。 古代人が、月と太陽と遠く離れた天体との動きを観測し続けた結果、これらの偉大なモニュメントは長い年月をかけて形づくられたのである。
 巨石遺跡を思い浮かべる時、巨石に込められた古代人のあくなき知恵と限りない情熱とロマンが時空を越えて伝わって来るようである。
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