呪われた潜水艦伊33
~数字とジンクスから来る潜水艦の話~
「シャン、シャン、シャン、シャン!」鋭く水を切るスクリュー音が接近してきた。艦長をはじめ乗組員たちは、恐怖でひきつった表情で上を見上げている。赤色灯の光に反射して全員の顔が赤く染まっている。「コーン、コーン・・・」不気味なソナーの音が響いてきた。まもなく恐怖の爆雷攻撃が始まるのだ。
 ふんばって支柱を握っているのだが汗ですべる。急に船体がぐらっと揺れた。敵駆逐艦の立てる波で艦が揺れたのだ。それは敵がほぼ真上にいることを意味していた。もはや絶体絶命だ。聴音機を耳にしていた兵が叫んだ。「爆雷!」全員、その声とともに歯を食いしばって、その辺のパイプや支柱に渾身の力でしがみついた。
「ドーン!」「ドーン!」ものすごい音がして、艦が激しく上下に揺れ動いた。「メキメキ、バリバリ」どこかが破損したのか、ものが壊れるような音がした。「ドーン!」また来た。艦が大きく上に持ち上げられた。「バシッ!シュッー!」どこかの弁が吹っ飛んだのか、高圧の蒸気が噴き出して来る。赤色灯が消えて真っ暗になった。「ギィー、キィーン」不気味な金属的なきしみ音がして艦が急に傾き始めた。
 これは戦争映画などによく出てくるシーンです。水中に潜んで敵艦めがけて魚雷を発射する潜水艦は、忍者みたいでなんともカッコよさそうなイメージがあります。ところがカッコいい潜水艦のイメージとうらはらに、もし攻撃されてやられたらほとんど助からないというのも潜水艦の宿命なのです。しかも潜水艦は事故に遭えば、生存率はゼロに等しく、危険と隣り合わせの船と言ってもいいでしょう。危険なうえに、呪われたジンクスに終始つきまとわれた船に伊33という潜水艦があります。
 日本海軍ではどういうわけか「3」という数字のジンクスにこだわっていました。3がつくと不吉とされていたのです。そして、不運なこの潜水艦には「3」という数字が常につきまとったとされています。
 昭和17年9月、伊33は、トラック島の珊瑚礁で衝突して艦首を
損傷するという事故を起こしたことがありました。このときは、壊れたハッチから大量の海水が侵入し、艦は33m下の海底に横たわり、33名の犠牲者がでました。
 戦争末期の昭和19年6月、伊33は、瀬戸内海で訓練中でしたが、事故で浮上出来なくなってしまいました。あらゆる努力がなされましたが、すべては徒労に終わってしまいます。やがて艦内の空気が少なくなってきました。酸素が消費され、二酸化炭素の量が増えてくると、艦内の温度が上がって来ます。乗員の大部分は、めまいがしてひどい頭痛や吐き気に襲われはじめました。
 このとき、司令塔にいた十人は非常ハッチで脱出しました。ところが、浅いとはいえ、水深は50メートルもあります。急激に浮上すると血液が凝固するという潜水病になってしまい死の危険さえありました。仮に海面に出ることが出来たとしても、他の船に救助されねば生き残れる可能性もありません。結局、無事に海面にたどりつき、通りかかった漁船に運よく救助されたのは、わずか2名であったといいます。
 伊33は戦争中であるために、そのまま放置され、戦後8年も経ってから引き揚げられることになりました。調査によると、艦の前にある魚雷室だけは浸水していませんでした。扉をこじ開けて中に入っていくと、冷やりとした空気が漏れ出てきました。それは8年前の空気でした。艦内は真っ暗で、懐中電灯に照らすと、魚雷室のすき間に寝台があり、人が横たわっているのが見えたそうです。全員、まるで眠っているかのようです。爪ものび、髪もひげも伸び放題で、まるで生きているようでした。眠っているかのその様子に、かつての乗組員で生き残りの一人は「総員起こしだ!おい、起きるんだ。」と思わず叫ぶと、遺体のそばに近づき、その肌をたたいて涙ぐんだと言います。
 調査が始まってしばらくすると遺体の腐敗が急速に始まりました。それは今まで海水で冷やされ、酸欠状態となっていたところが、ハッチが開けられてあたたかい空気が入ったからだとされています。
 艦内には乗員の手記がいくつか残されていました。手記には、徐々に空気がなくなっていき、窒息していく恐ろしい死の間際の様子が生々しく記されていました。ある機関室の乗員は、水が少しずつ増えていき、水面が首まであがってきて、いよいよ死ぬんだなという恐怖の心境と、遺族への別れの気持ちが赤裸々に記されてあったそうです。
 船体が引き上げられたとき、かつて乗組員が父親だった遺族の娘さんは、叫ぼうにも涙がこみ上げてきて父親の名前が口に出来ず、無言で伊33の船首部分に献花を行ったとされています。
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