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生まれ変わり
〜リインカーネーションの謎〜
 あなたは、生前、自分が何だったのか気になったことはないだろうか? 
 人間の体は、身体と心と霊魂に分けられるという。そうすると、死とは、身体と霊魂が分離する現象ということになるが、体は土に戻るが、霊魂は、どこにいってしまうのであろうか?  生まれ変わりは、古今東西の奇談集で数多く記録されている。それらの話は霊魂の存在を実証する上で何かのヒントにはならないだろうか?
* 話その1 *
 江戸時代につくられた奇談集「耳袋」には、死んだ娘が帰って来るという話が載せられている。昔、お茶の水に船宿を営んでいた夫婦がいた。その夫婦には、一人娘がいたが、その子は、小さい時から、文字を書くのがうまく、2、3才の時には、村で評判になるほどだった。

 ところが、疱瘡(天然痘)が大流行した年があり、不幸にもその娘も患ってしまった。夫婦の必死の介抱にもかかわらず、娘は危篤状態に陥った。やがて、死ぬ間際になって娘が言うには、「お母さん、心配しないで・・・きっとまた合えるよ」とかすかな声で微笑みながら口にするのであった。母親は、泣きながら娘の手を取り「きっとだよ」「きっとだよ」と繰り返すばかりだった。こうして、娘はわずか6才で死んでしまった。

 娘が、息を引き取ると、夫婦の嘆き悲しみぶりは、はかり知れないものがあった。夫婦は、落胆して泣き暮らす毎日だった。知人がかわるがわるお見舞いに来てくれるようになったが、その中に、死んだ娘と同じ年頃の女の子を持つ夫婦が来た。夫婦は、娘がどうしても、こちらに来たいというので連れて来たということだった。
 娘は連れてこられるなり、私はこの家の娘ですと言い張り、どうしてもここに置いてくれと言い始めた。
 連れて来た娘の夫婦は、驚いて連れて帰ろうとしたが、娘はがんとして承知しない。
 そのうち、かたわらにあった紙に大変上手な字を書き出したが、それは、まさしく死んだ娘の筆跡に間違いなかった。結局、実の両親は、我が子を説得することを諦めてその家に残したまま帰るしかなかった。
 世の中には実に不思議なことがあると評判になり、きっと死んだ娘の魂が他の娘に乗り移ったに違いないと人々の間で、もっぱら噂になったということである。
* 話その2 *
 次に紹介するのは、オム・セティと呼ばれた女性の話である。彼女は、生前、自分は古代エジプト人だと主張して評判になった。恐らく、20世紀で最も特異な人物であったと思われている。その人柄は、芸術家風であったが、明るく快活、開放的なもので、彼女と合った人々は、ほとんどが皆その人柄に魅了されたほどであった。
 彼女、ドロシー・イーディは、3才の時、階段から転げ落ち頭を強く打って意識を失ったことがあった。医者が駆けつけた時は、彼女は間違いなく死亡状態と思われた。そこで、死亡診断書を書こうとして、医者が再び遺体の安置されている部屋に戻ったところが、死んだと思われたドロシーは、息を吹き返し何事もなかったように無邪気ではしゃいでいたのである。
 これをきっかけに、ドロシーは、毎晩同じ夢を見るようになった。その夢の中には、果実のなった樹木がたくさんある庭と石の柱がたくさんある建物が頻繁にあらわれた。彼女は、ここが私の生まれた所だと信じ込むようになった。両親がイギリスのここがお前のうちだと何度言っても否定した。時には、最後に泣き出すこともしばしばだった。
 7才になった時、雑誌に掲載された古代エジプトの写真にセティ1世の神殿を見つけたドロシーは、毎晩、自分の見る夢に出てくる建物はこの神殿に間違いないと言い張った。
 そして、樹木の一杯ある庭はどこで、どうして、みな壊れてしまっているのかと親に質問を繰り返す始末だった。
 成長するにつれて、ドロシーは、自分が生前古代エジプト人だったという確信に取り憑かれるようになった。そして、転生に関心を持つグループに加わるようにもなった。
 27才になった時、彼女は若いエジプト人の教員と出会い結婚した。そして、ついに荷物をまとめてエジプトに移り住んでしまった。
 エジプトに住んでからも、近代的なカイロに住みたいという夫の希望に対して、彼女はピラミッドの見える場所に住居を構えたいと主張した。まもなく、夫妻には子供が生まれたが、彼女は夫の意志に逆らって自分の息子にセティと名づけてしまった。セティという名は紀元前1300年頃の第19王朝のファラオ、セティ1世にあやかったものであった。
 結婚後、夫は、真夜中に起き上がるドロシーにしばしば眠りを中断させられた。彼女は、トランス状態になって、月明かりの中でひたすら紙面に何かを書きなぐるのである。彼女の書いたものはヒエログリフという古代エジプト文字で、彼女の生前における自分の体験を著わしているというのである。ドロシーの奇怪な行動はその後、一年あまりも続き、書き著した内容も、紙面にして70ページにも及んだ。
 彼女が後に語ったことには、前世では、自分は14才のベントレシュトという女神官だった。
 彼女は、ふとしたことからセティ1世と恋に落ちた。やがて、彼女は妊娠したが、それは純潔を守るはずの神官にとって、掟を破る重罪に相当するものであった。
 もし、自分が妊娠したことが発覚し審問にかけられれば、愛人であるセティ1世の立場を追い詰めることになると考えた彼女は、彼の名誉を守るために自害したというのである。
 死んで変わり果てた彼女を目の当たりにしたセティ1世は、決して忘れはしないと涙ぐみながら誓ったらしい。
 彼女の話は、こうした過去のいきさつだけに留まらず、ドロシーが14才の頃になると、実際、セティ1世が毎夜、自分の枕元に訪れたと言い放った。
 逢瀬は何度も繰り返され、夫を持つ身になってもそれは続いたと言う。彼女が言うには、やがては、神殿のあったアビュドスの地に戻って、今度こそ神官として義務を全うすれば、自分が死んだ時、すべての罪は忘れられて今度こそセティ1世と永遠に結ばれるというのであった。
 結婚から3年後、夫と別居状態になったドロシーは、幼い息子を連れてギザの大ピラミッドの近くに移り住み、そこで、考古関係の助手をすることになった。それから20年も発掘と記録の作業に明け暮れたのである。そして、長い年月の後、とうとう念願のアビュドスの地に落ち着いた彼女は、セティ1世の神殿の遺跡に向かうと、香を焚き一晩中過ごす有り様であった。彼女が20年間もアビュドスの地に来なかったのは、何かが自分を妨げていたからだと述べている。
 アビュドスで神殿の壁面のレリーフを記録する仕事に就いた彼女は、まもなく神殿の庭の位置を言い当てることになった。
 発掘してみると、切り株が多数見つかった。それは、かつて、ここに庭があったことを物語るものであった。その庭は、まさしく彼女が幼少の時から夢に出て来た庭だったのである。
 その後も、彼女は神殿の北側で地中に走るトンネルも発見した。それは、あたかも、神殿とその周辺の地理について非常に熟知しているとしか思えぬものだった。
 彼女は、また神殿の地下には秘密の文書庫があり、ここにはいろいろな文書がたくさん詰まっていると言った。もし、これが発見されたら、ツタンカーメンの発見以上の価値があるだろうと述べている。しかし、残念なことに、巨大な神殿の地下に眠る秘密の文書庫の発見に乗り出す者はまだ現れないでいる。
 彼女はその後、1981年に77才で亡くなるまでアビュドスの地に25年間留まった。周囲の人々は彼女のことを敬愛の意味を込めてオム・セティと呼んだ。エジプト人の血が半分入った息子セティの母という意味である。

 しかし、彼女の死とともに、多くの謎は解決されぬまま残されることになった。果たして、彼女の超自然的な直感力はどこから来たのか、また、アビュドスのことをかつてそこに住んでいた人間のように熟知していたのはなぜだったのか、そして、これは本当に転生によるものなのか、あるいは、彼女がただそう思い込んでいた夢に過ぎなかったのだろうか?

 今後、いつか、彼女の言ったようにセティ神殿の地下のどこからか、秘密の文書庫が発見される日が来れば、この問題に一つの解答を与えることになるのは確かだろう。
* 話その3 *
 次に述べる話は、インドのある町で起きた不思議な出来事である。このインドという国には生まれ変わりの話がやたらに多い。中には、短期間に3度も生まれ変わり、前世の話をして有名になったという少女さえいるのだ。そういう意味では、この話もそうした数多くあるうちの一つに過ぎない。
 ブータン地方のビサウリという町に住むプラモド・シャーマは、3才になった頃から、突然と奇妙なことを口にし出した。つまり、自分の本当の名前はパーマナンドだと言い、まだ見たことも行ったこともない町のことを話し始めたのである。両親は大変驚いてしまい、最初、息子が気が触れたのではないかと当惑してしまった。そのうち、プラモドは、父親にぜひ自分の前の家に連れて行って欲しいと哀願するようになった。そうすれば、これまで自分が言ったことは、すべて真実であることを証明してみせるとさえ言うのであった。
 3才の息子の説明によると、その町はモラダバッドという町で、自分はそこで店を持っていたというのである。そこには、今でも4人の息子と太って大柄な妻が住んでいると言うことであった。また、近所には、いつも買いつけているパン屋があって、そこで買うパンは、ここにあるパン屋とは比較にならないほど品質の高いパンだということであった。
 息子が6才になった頃、両親は、とうとう息子の願いに根負けしてしまい、汽車でモラダバッドの町に出かけることにした。それは、1949年の8月15日のことであった。プラモド少年は、生まれて以来、始めてよその土地に旅立ったのである。
 しかし、モラダビッドの町に着いてみると、少年は、あたかもずっと以前よりここに住んでいたかのように懐かしそうに振る舞った。
 案内もないのに、かつての自分の家や生前、経営していたという会社に両親を引き連れて行ったのである。しかも、その会社の中にある機械の動かし方まで詳細に説明した。
 とても、6才の子供の口調とは思えぬものであった。
 その後、少年はかつての家に行って、自分の妻と4人の息子の名前を言って、一人一人を識別した。その上、家族同士でなければわからないような込み入った事情にも精通していたのである。その後、わかったことは、パーマナンドは、39才の時、原因不明の病気で病死したということだったが、10か月目になって、ビサウリのシャーマ家に生まれ変わったということであった。
 いよいよ、ビサウリに帰る頃になって、少年は、パーマナンド家の人々にしがみつき、離れようとしなかったので、両親が引き離して泣き叫ぶ少年を再びビサウリの町に連れ戻すには大変難儀なことであった。この出来事以来、パーマナンド家の人々は、死んだ父親の魂が子供に乗り移って帰って来たのだと信じるようになったという。
* 話その4 *
 次のケースなどは、人間の死後も、霊魂が不滅であることを証明する有力な事実と言ってもいいのかもしれない。この出来事は、超心理学の研究家に徹底的に調べあげられ、立証されたほどであった。
 あるホテル経営をしていた男が急死してしまったことから、この事件は始まる。後に残された若い未亡人は、4才になる息子とともに途方に暮れてしまった。当座の運転資金のことも気掛かりだったが、夫が入っていたと思われる生命保険のことや保管されている債券の類などがどこにあるのか未亡人には、さっぱり知らされていなかったのである。
 まもなく、ホテルは経済的な問題から倒産の危機に直面してしまった。
 行き詰まった未亡人は、ホテルの閉鎖を考えるようになった。その時、従業員の一人が、子供の書いたいたずら書きを見つけ、注意を促そうと未亡人の元に持って来た。
 話によると、ロビーで遊んでいた息子が何やら滅茶苦茶ないたずら書きをした挙句に、その紙を郵便受けの中に入れたということだった。
 確かに、それは一目見たところ、子供の無茶書きに見えた。しかし、何か意味ありげにも見えたので、たまたま宿泊している速記記者の客に見せることにした。記者は、一目見るなり、これは古いタイプの速記文字だと言って少しずつ翻訳を始めた。未亡人は、かたわらで、それを書き留めて行った。
 やがて、全文が訳された時、それは驚くべき内容だと判明した。それは、急死した夫の妻に宛てた遺言状だったのだ。その中には、彼が入っていた保険の証書や債券類の保管先の銀行名まで書かれていたのである。それらが、すべて紛れもない事実であることは、まもなく明白となった。その結果、経営難に陥っていたホテルも多額な保険金によって立ち直ることが出来たのであった。
* あの世は存在する? *
 これらの話は、人間の死後もその意識が存続しつづけるという霊魂不滅の明白な証拠になり得ないだろうか?

 ドロシー・イーディの場合は、転生という現象に一つの暗示を与えている。それは、子供は2才から4才ぐらいの頃に、生前に生きた過去の記憶を思い出す可能性があるということである。つまり、自我の形成されないこの時期こそが、転生しやすい状態であるということが言えるだろう。事実、転生という現象が現れるのは、幼少時のこの頃が最も多いのも確かなのである。そうすれば、彼女が3才の時に頭を強く打って臨死状態になったことが、この転生の引き金になったということもあり得るのである。

 インドのプラモド少年の場合も、3才の頃、この現象が起きたと思われる。しかも、ドロシーのケースと違って、生まれ変わった時間上のずれもわずかだったことから、実際に現地に行っていろいろな記憶を披露して多くの人々を驚かせた事実がある。つまり、少年の記憶が実に鮮明に残されており、多くの生き証人を得ることにつながったのである。これなど、反論の余地など全くないほどで、霊魂は不滅だと言い切ってもいいのかもしれないが、謎は少しも解明されてはいない。

 4才の子供が死者からのメッセージを書き残した事実は何と説明すればいいのだろうか? この奇怪なケースの場合は、急死した男が、かつて速記記者であり自分の息子の体を使って自らの意志を伝えたとしか思えぬものであった。しかも、一般に使われていない古い速記文字を使ってである。 この場合、子供が4才児であったということが、転生を可能にしたと思われるのである。

 こうした事実は、もはや霊界という存在があり、現世と何らかの形でつながっているとしか思えないように感じる。 つまり、生と死は神秘的なつながりがあり、霊魂は不滅であるという事実である。そこには、ほとんど時間的なずれは問題ではなく、空間の概念すら超越した異次元のような世界にも思える。
* 霊界に旅立つ時の感覚とは? *
 よく人が死ぬと 7x7=49日目に行われる仏教の儀式があるが、その風習は日本独自のものではない。起源は、古代チベットの死者の書にあるという。それは、古代に優秀な霊能力者によって開発された一種の教典とも言えるもので、その知識が今なお現代にも伝わっているということであろうか。
 この教典によると、人が死ねば、肉体は滅びても、49日の間は意識は生と死の中間をさまようとされている。そして、その時の意識は、生前よりも9倍も感覚が冴え渡っており、空間的な障害などなく、いつでもどこにでも自由に飛んでいくことが出来るのである。
 よく虫の知らせと言って、遠くはなれた場所にいる肉親や恋人の死が直感的にわかるときがあるが、それは当人の魂が時空を越えて生前に世話になった人々の元に飛んでいって、自分の気持ちを伝えようとしたためではないかと考えられる。
 ところで、死者の意識は、この期間内で実に不思議な体験をするそうである。あらゆる色彩、音、光、幻覚が洪水のごとく怒濤のように襲いかかってくるのである。
 しかし、死者の魂は、この超感覚の嵐に闘い続けねばならない。そうした時、7日ごとに繰り返して聞かせられる死者への言葉は、励みにもなり、より高次の輪廻をするために必要なのである。
 49日目に、意識は再び現世に送り返され、新しく生まれ変わるとされている。しかし、転生させられても、前世の意識はきわめて弱められている。
 そして、時間とともに前世の記憶は忘れ去られていき、大人になると、もう思い出すこともなくなってしまうということだ。
 したがって、自我の未形成でもある幼児期こそが、前世の記憶を思い出すことが多いのもそのためだろうと思われる。あるいは、そのときこそが、全く別の人格が乗り移ることが可能なトランス状態の時期であるとも言える。

 しかし既存の価値観から抑圧された文明社会では、幼児期に前世の記憶が取り戻されるという現象は極めて少ないように思われる。とりわけ、日本のように都会的な刺激が多い環境であればなおさらである。しかし、本人が知りえない記憶でも深層心理は覚えている。
 超心理学(パラサイコロジー)という分野では、逆行催眠により、深層心理に訴えかけることによって、生前の記憶さえも蘇らせることが可能だという。それは大人になっても可能らしく、ある実験によれば、生前のその人の出生地、職業、生い立ち、死因などが分かったということである。

とすれば、あなたの生前は何だったのだろう?
人間以外の生き物だったのだろうか?
人間であれば、男性だったのか、それとも女性だったのだろうか?
どういう所で、どんな仕事に携わっていたのだろうか?
どういう一生を終えたのだろうか?

自分の魂の生い立ちを知りたい方は、一度お試しになられてはいかがだろう?
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