怨霊に取り殺される話
〜怪談「吉備津の釜」から見る恨みの構図〜
* 血も凍る恐怖とは? *
 恨みを残して死んだ人間の怨念ほど怖いものはないと度々思う。感情と言ってもいろいろあるが、怨念こそ人間の深い業に一番起因している感情ではないだろうか。恨み、怒り、嫉妬と言った感情が怨念に変化する時、人間の持つ底知れぬ恐ろしさを感じてしまう。私の最もこわいと思う怪談の一つに「吉備津の釜」(きびつのかま)という話がある。
 この怪談は、江戸時代につくられた雨月物語という説話集に収められている一つで、今から約2百40年ほど前に、上田秋成(うえだあきなり)という医者によって書かれた怪奇譚として知られている。秋成は、怪奇幻想的な情景の中に人間の深い情愛や憎しみを見事にあらわした作家だが、この作品ほど、人の怨念の恐ろしさ、とりわけ、女の執念深さをあらわした作品はない。身を尽くした末に、裏切られた女の愛情が激しい憎しみに変化する時、それがいかに凄まじいものであるかをあますところなくあらわしている作品と言えよう。
 男の側から見れば、裏切った果ての結末なのだから、自業自得なのかもしれないが、それを差し引いても、狭くて暗い部屋に閉じこもって、ひたすら怨霊の復讐から身を守らねばならないというのは想像を絶する恐怖に違いない。
 それは、嵐の夜、狭くて真っ暗な部屋で、わずかな光だけで怪談を読む心境と似ている。もし、稲光りが走って窓の外に人のシルエットでも浮かび上がろうものなら、恐怖のあまり転倒してしまうにちがいない。昔、ロンドン塔で真っ暗で狭い空間に閉じ込められるという拷問があったが、あらゆる拷問の中でも一番苦痛を伴うものであったという。そこに入れられると、どんな気丈な人間でもたちまち発狂してしまったそうである。あらゆる恐怖の中でもこうした心理的恐怖こそ、最大の恐ろしさではないかと思う。 

 「吉備津の釜」にはこういった心理的恐怖があるように思うのだ。

                  

 狭い部屋に閉じこもって護符をあちこちに張って亡霊から身を守るという話には「牡丹灯籠」という怪談がある。
 どちらも、中国の怪異説話集から端を発した作品だが、生みの母体は同じでも全く異なった趣に仕上がっている。
 牡丹灯籠では、美男の新三郎という浪人が、お露という若い娘に見初められて男の元に通って来る話だ。武家の醜い人間関係にほとほと嫌気がさした新三郎は、浪人となり長屋に住んで貧しい庶民の子供に読み書きを教えたりしていた。そんな新三郎の純粋な心にひかれたお露は女中を従えて、毎夜、新三郎のもとに通って来るようになる。夜がふけると、カランコロン、カランコロンと下駄の音を鳴り響かせて通って来るのである。お盆の灯籠流しの景観にだぶって、夢幻的なロマンを感じてしまう場面である。何とも風情あふれる夏の夜の一コマのように思えてうらやましくもなってくる。ところが、この二人はこの世の者ではなかったのである。
 静寂の中を下駄の音を響かせて次第に近づいてくる場面には、思わず鼓動が高まり心理的な恐怖を感じてしまう。
 ただし、ストーリー全体には恋愛の美しい情景が漂っており、怖いようでもあるが一種独特な哀愁を感じてしまうのは私だけではあるまい。
 結局、新三郎は金に目のくらんだ半蔵によってお札をはがされてしまい、お露にあの世に連れていかれるという悲劇的結末に終わってしまう。
 しかし、真夜中の逢引にめくるめく至上の時間を見い出し、ともに好きな相手とあの世でいつまでも幸せに暮らせたと考えるなら、幽霊に取り殺されたというよりも、むしろこの方がよかったような気がしないでもない。例え、相手がこの世の者でなくても、ここまで惚れられると男としてみれば悪い気はしないものだ。所詮、恋愛なんて主観的なものである。抱擁している相手が、不気味な骸骨であっても、当人には愛する美しい人にしか見えないのであるなら、決して不憫であるとは言い難い。

 しかし、雨月物語の「吉備津の釜」になると話は全然ちがって来る。復讐に燃えた怨霊の描写などゾッとするほど恐ろしく凄まじいばかりである。前置きはこれくらいにして話のあらすじを紹介したいと思う。それはこういう話である・・・

* 恐ろしい前兆 *
 播磨の国(兵庫県の南部地方)に井沢正太郎という道楽息子がいた。家は裕福な百姓家だったが、正太郎は百姓仕事をせず、酒ばかり飲んで女遊びが絶えず、わがまま放題に暮らしていた。そんな息子を見かねてか、両親は気だての良い嫁をもらえば、こうした放蕩癖も直るものに違いないと考えていた。すると、ちょうどタイミングのいいことに、年頃で気だての良い娘さんがいるので、仲人をしてあげようと言ってくれた人があらわれた。
 相手の娘は磯良(いそら)と言い、代々、吉備津神社の神主を生業とする家の娘であった。生まれつき美しく、文芸にも秀でており、村でも一番の孝行娘だという評判であった。井沢家では、この話にたいそう喜んで飛びついてきた。恐らく、両親も息子の正太郎も身を固めれば、自然と男としての自覚が芽生えて、素行も改まるに違いないと信じ込んでいた。
 こうして、話はトントン拍子に進んで結納も交わし婚礼の儀式となった。婚礼の儀式は、代々伝わる湯立てという儀式を行うのが常であった。湯立てとは、大釜に湯を煮立てて、その湯を笹の葉に浸して、その湯を身に振りかけて前途を祝う儀式である。その際、大釜が沸騰してガタガタと鳴り響くが、その音がうるさければ、うるさいほどめでたいものだとされていた。
 ところが、正太郎と磯良の縁組みの際には、どうしたことか、大釜はワンワン沸騰しているはずなのに、うんともすんとも鳴り響かず沈黙を守ったままなのであった。
 神主だった磯良の父親は不安に感じたが、むしろ原因は、自分たちの日頃の行いのせいにあるのだろうと考えて、これを不吉なしるしとは考えなかった。
 しかし、この時考えれば、大釜はこれから起こる恐ろしい未来を正確に占っていたのである。そうとは知らない両家の親戚たちは、ただただ、末長い幸せを祝って二人を送り出したのであった。
* 純真な心が裏切られたとき *
 磯良が井沢家に嫁入りしてからは、正太郎も見違えるように仕事に精を出し、磯良は、両親によく仕え、仲のいい夫婦として暮らした。しかし、その幸せも長くは続かなかった。正太郎の本来持っていた悪い性癖が頭をもたげて来たからである。色町に通い始めた正太郎は、女遊びを始めて、まもなく袖(そで)という遊女にうつつを抜かし出したのであった。
 しかし、磯良は正太郎の不義理を口に出すということをせず、踏まれても蹴られても懸命に堪えて正太郎に仕える毎日であった。そんな磯良を正太郎の父はいじらしく思い、自分の息子をいさめたり家に軟禁したりするのであったが効き目はなかった。しかし、そのうち、正太郎の方も心を動かされたのか、こんな自分にここまで真心をつくしてくれて涙が出るほど嬉しい。今は大変後悔している。あの袖という女を故郷に送り返して、すっかり縁を切ろうと思う。ただあの女は気の毒な生い立ちで身寄りもいないので、旅費と当面の生活費を出してあげようと思うのだと言って、磯良に金を工面して欲しいと泣きついて来たのであった。
 磯良は正太郎が心を入れかえてくれたのかと思って、ひたすらその言葉を信じて大事な服や持ち物をすべて売り、実家にまで嘘をついて多額な金をこしらえ、それを正太郎に手渡したのであった。ところが、正太郎は心など入れかえてはおらず、その金を手にすると、袖と一緒に都に逃げてしまったのであった。ここに至り、押さえに押さえていた磯良の純真な心は、凄まじいまでの復讐心に変わっていった。今までじっと耐え忍んで来た真心が、これ以上ないほどのやり方で残酷に裏切られたのである。磯良は正太郎を憎みつづけ、そのうち、これが原因で重い病となり正太郎を心から呪って死んでしまったのである。
 しかし、袖と駆け落ちした正太郎の方も幸せは長くは続かなかった。まもなく、袖が何かに取り憑かれたように重い病になって死んでしまったのである。袖が死んで意気消沈した正太郎は放心状態となり、ある日、林の中をあてどもなく歩いているうちに、導かれるようにある古ぼけたかやぶきの家にたどり着いた。
 戸が少し開け放たれていたが、奥の間に女の着物の端がちらりと見えた。その様子から奥ゆかしい女がここに住んでいると考えた正太郎は、急に元気になり、いつもの悪い本性が頭をもたげて来るのであった。
 果たして、戸を開けて奥に入っていくと、御簾越しに女がこちらに顔を向けたので、声を掛けようとして思わず息を飲んだ。
 その顔は、病み衰え蒼白になってはいたが、まぎれもない磯良の顔であった。磯良は骸骨のように痩せ細った手をゆっくり正太郎の方へかざすと、何事か呪いの言葉を吐き出した。恐ろしいほどに落ち窪んだ眼、憎悪に充ち充ちたゾッとする視線、髪を振り乱した凄まじい形相・・・この世のものとは思えぬ恐怖に正太郎は気を失った。
 しばらくして意識が戻ってみると、自分は荒れ果てた墓地の真ん中に横たわっていたのであった。
 どこを見回して見ても、かやぶきの家などどこにもなかった。
 果たして、自分は悪い夢でもみたのだろうか? 
 ほうほうの体で家にたどりついた正太郎は、どうしたものか迷ったあげく、陰陽師のもとに行ってこの奇怪な出来事を相談することにした。
 すると、陰陽師の言うには、恐ろしい怨霊があなたの命を奪おうとしている。袖という連れの女もこの怨霊に取り殺されたのだ。あなたの命運は今日明日にも迫っている。恐らく、並み大抵のことでは助かるとは思えないが、あと42日の間、ひたすら私の定めた通りに物忌みすれば助かる見込みのないこともない。怨霊がこの世を去ったのは7日前なので、あと42日間はこの世をさまようが、それが過ぎれば死霊はあの世に旅立ってしまうであろう。だが、少しでも手抜かりがあれば、たちどころに取り殺されてしまうだろうということであった。
 こうして、陰陽師は正太郎の体中に呪文を書き、戸口や玄関、その他、部屋に入れそうなすき間に張り付けるようにと護符をたくさん与えたのであった。正太郎は言われたように護符を家のいたるところに張り付け、陰陽師の言葉を信じて忌み籠ることを決意した。これから一歩も外に出ることも出来ず、狭い小屋に閉じこもって、42日間、怨霊との死を賭けた恐怖の根比べが開始されるのである。
* 迫り来る怨霊の恐怖 *
 その夜は夜半から嵐になり、ものすごい風がヒューヒューという気味の悪いうなり声を立てていた。やがて、牛三つ時(午前2時頃)、屋根の上の方で何かがいるのか、ミシミシときしむ音がする。次に、裏口の障子がガタガタと揺れた。正太郎は、恐怖で卒倒しそうになるのを堪えながら、懸命に手を合わせて、ただただ呪文のようにお経を唱えた。やがて風の音に混じって、今時分、人などいるはずのない場所からゾッとする女の声が響いて来た。
「ええい、憎らしいことよ、こんなところに札が貼られている!」
 その瞬間、ピシッと稲妻が走り、ガガーンと凄まじい雷が鳴り響いて障子に髪を振り乱した女のシルエットを浮かび上がらせた。正太郎はあまりの恐ろしさに気が動転してしまった。
「おのれ、ここにも札がある。恨めしや!」
今度は、別の窓から女の声が響き渡った。
 死霊は、家の周囲をぐるぐると飛び回っているようである。外はものすごい風で、ガタガタと戸が鳴り時おりザッザッーと激しい雨が戸を打ち付けて来る。
 時おり雷鳴が凄まじい響きを上げる。その度に身のすくむ思いをしながらも、正太郎は目を閉じて恐ろしさを追い払おうとただただ純真無我の境地となって呪文を唱えることのみに集中した。
 そのうち、いつの間にか嵐は過ぎ去り、東の空に明るさが広がってきた。こうして、第一日目は何とか切り抜けることが出来たのであった。しかし、この恐怖があと41日間も繰り返されるのだ。これからが正念場なのであった。その前に精神が狂ってしまわないだろうか?
 かくして恐怖の夜は、毎夜毎夜繰り返されるのであった。死霊は日が暮れると、この世のものとは思えぬ気味の悪い声を張り上げて、家の周囲をぐるぐると舞い、いたる所から呪詛の言葉を投げかけ続けた。
 急に耳もとにゾッとする声がするので、思わず振り向けば、窓の障子にくっきりと女のシルエットが浮かび上がっていることもあった。
 屋根の上でなにか重いものをズルズルと引きずるような音がする。そうかと思えば床の下からもガリガリ引っかくような音がする。おそらく怨霊と化した女がそこら中をはいまわって入り込む場所を探しているのであろう。
 破れた障子の向こうから憎悪に燃えた女の目が睨んでいる。戸口のほんのわずかな隙間から、青白い手がにゅーと差し出されたりもした。いたるところがガタガタと音を立て、怨霊がいつ押し入って来るかもしれぬ恐怖に正太郎は気も狂わんばかりであった。
 そうして、ついに49日目の夜になった。正太郎の目は落ち窪み、無精髭は伸び放題で、怨霊との恐ろしい根比べに精魂も尽き果てようとしていた。
 しかし、今夜を乗り切れば怨霊の呪いから解放されるのだ。何としてでもがんばらねばならない。
 正太郎は目を閉じて、ひたすら神仏を祈る言葉を念じ続けた。外では風の音とともに、世にも恐ろしい怨霊の声が、ありったけの声で呪いの言葉を吐きながら小屋の周囲を舞っているのが感じられた。
「おのれ、おのれー!この恨み晴さずにおくものか!」
その怒れる声は凄まじいばかりである。
 どれくらい時間が経ったことだろう。気がついてみると、あれほどの風もおさまり、あたりには静けさが支配していた。窓の方を見やると、何と障子を通して東の空が白み始めているではないか! 49日目の朝が明けたのである。ついに悪夢は終わったのだ。まもなく陽が昇るであろう。自分は、とうとう、怨霊の恐ろしい復讐から身を守り通したのである。
「ああ、俺はついに助かったのか!」正太郎は目を開けると思わず心の中でそうつぶやいた。安堵のため息とともに背筋を伸ばすと急に開放感がみなぎってきた。早くさわやかな朝の空気を胸一杯に呼吸して朝日を拝みたいものだ! 何しろ、この42日もの間、外も見ることなくひたすら薄暗い小屋の中に籠り続けて来たのである。そう思うと、はやる気持ちを押さえることなどできるものではなかった。正太郎は、立ち上がると新鮮な空気を吸いたい一心から矢もたてもたまらず表戸を開け放った。
 ところが、どうしたことか、そこにあらわれたのは、陽光の輝く朝の澄み切った景観などではなかった。外はまだ真っ暗で、不気味で灰色の月が宙空に浮かんでいるだけなのである。ひんやりとした夜の冷気が入り込んで来た。これは一体全体どうしたことか? まさか、怨霊にたぶらかされたのではないのか? 正太郎の背筋から気味の悪い汗がじっとりと流れ出した。
 戸口の庇から、ひとつかみの黒いものが垂れ下がっていた。
 よく見ると、それは、逆さまになって垂れている女の長い髪であった。正太郎は、全身総毛立って腰が抜け、その場にへたり込んでしまった。
 もはや、後ずさりすることも出来ずに見上げたその先には、さらに心臓が凍り付く恐怖があった。
「イッヒッヒッヒッヒッ・・・」 ゾッとする声があたりに響いた。暗闇に逆さまの恰好で四つばいになり、正太郎の方をニタニタと気味の悪い笑みを浮かべて凝視している真っ青な顔があった。それこそ他ならぬ怨霊と化した磯良の姿なのであった・・・
* 呪いの執念の恐ろしさ *

 すさまじい正太郎の絶叫が響きわたった。その後、村人が見たものは、壁に残された生々しい大量の血痕と軒の端に引っ掛かっている男のまげの部分だけであった。恐らく、怨霊が一瞬にして正太郎を打ち殺し、遺体をも跡形もなく粉々にしてしまったのではないかと思われた。磯良の怨霊は、最後の最後まで正太郎の命をつけ狙い、49日目にしてついにその目的を達成したのであった。
 まったく憎しみに燃えた執念ほど恐ろしいものはない。ここに、恨みが積もり積もってついに鬼になってしまったという話が宇治拾遺物語にある。その人間は、恨み故にそのかたきを殺し、それにも満足せずにその子孫を次々と殺し尽くし、ついにかたきを根絶やしにしてしまうのである。しかし、そこまでしても、憎悪の炎は消えるどころか、怨念となってますます激しく燃え盛る一方で、ついには恐ろしい鬼の姿に成り果ててしまうのである。鬼になった彼は、自らの呪われた運命をしきりに泣いて悔いるが、いつまでも消えることがない怨念ゆえに、永久に生き続けていかねばならないのである。死ねば生まれ変わることも出来るが、それすらも出来ないのだ。

 人の憎しみほど怖いものはない。愛と憎しみは表裏一体と言われる。いちずな愛ほど、裏切られた時の憎しみは凄まじいものがあるものだ。この意味で人の恨みなど絶対に買わないようにしなければいけないと思う。しかし、最も怖いのはその憎しみが怨念と化して、いつまでも消えないことにあるのかもしれない・・・

 

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