虹の橋
〜ペットロス症候群のための不思議な世界〜
* 死んだペットたちの集う楽園 *
 この話はどこから伝わった話なのかわからない。北方の神話からだとか、インディアンの伝説だとか言われるがいづれも定かではない。何でも人は死ぬと虹の橋を渡って天国にいくのだそうだ。虹の橋の少し手前には緑の草原が広がっているらしい。そこは生前飼っていたペットたちが一緒に集まって楽しく暮らしている世界なのだそうだ。
 病気や事故で苦しんで、あるいは老いて死んだペットたちもここでは、みんな元気で、不自由だったからだも元にもどっている。そして食べ物も水もあってあたたかく、とても楽しそうに走り回っているらしい。
 人が虹の橋を渡って天国に行こうとする時、この場所で主人よりも先に亡くなった犬やネコ、鳥、魚、昆虫などのあらゆるペットが待ち続けているそうである。彼らは虹の橋をわたることなく、来る日も来る日も、主人が来るのをずっと待ち続けている。

 そして、ついにある日、草原の向こうにかつての自分を育ててくれた主人の姿を発見するのだ。そのペットは、今まで一緒だった仲間の群れから離れると、緑の草原の彼方に一目散に向かってゆく。やがて、近づくにつれて、主人の顔をみとめた彼らは、目が輝き、体はこきざみに振るえ、興奮して喜びにうちふるえる。
 生前、彼らの飼い主だった主人と会えた喜びようは例えようもない。鳥はさえずりながら飛んで来て肩や手にとまってピイピイとはしゃぎまくる。魚たちは、まるで水の中を泳ぐように楽し気に主人の回りをぐるぐると回る。ネコは走って来て喉を鳴らしながら胸に飛び込んで来る。犬はちぎれんばかりに尻尾をふって駈け寄って来て飛びついて顔中にキスの雨を振らせる。亀やトカゲ、モルモット、ウサギ、ありとあらゆるペットたちが喜びの表情を浮かべて主人の回りにまとわりつくのだ。そして再会を果たしたペットと主人は連れ添って虹の橋をわたって天国に向かうのである。
 しかしここには不幸にして、愛情を知ることなく死んでいった動物たちもいる。彼らはやはり愛されずに死んだ人間のもとに近づいてゆく。そのとき奇跡は起こる。今までのつらい気持ちと苦痛は消え去り、一つの魂となって虹の橋をのぼってゆくのだ。もう二度と離れることもなく・・・
* 虹の橋は観念的なもの? *
 虹の橋は英語による散文詩で、最初アメリカで流布していたが、インターネットを通じて世界中に広まったという、いわば詠み人知らずの作品だ。この世を越えた世界に魂をみちびくという起源はどこからもたらされたものなのだろうか? 
 人間本来の慈悲と優しさがつくり出したたんに架空の世界なのだろうか?
 よく人が死ねば、四十九日の間は生と死の中間をさまようとされている。死者の意識は、生前よりも9倍も感覚が冴え渡っており、空間的な障害などなく、どこにでも自由に飛んでいくことが出来るそうである。しかしこの間、死者の魂は、襲ってくる超感覚の嵐に闘い続けねばならない。その修練はより高次の輪廻をするために必要なのである。そうした時、7日ごとに繰り返して聞かせられる死者への言葉は、励みにもなり、魂を正しい方向に導く一筋の光明となるのだ。ようやく49日目になって、意識は再び現世に送り返される。そして、新しい命となってふたたび生まれ変わるのである。
 この四十九日の儀式は、日本独自のものではない。古代に優秀なチベットの霊能力者によって開発された一種の教典なのである。その知識が信じられ、今なお現代にも伝わっているということであろうか。
 これと同じように、虹の橋の存在もただたんに飼い主の悲しみだけを和らげようとして作り出された架空のものとは思いたくはない。誰にも、生前、愛情をもって一緒に過ごした大切なペットがいるものだ。彼らは虹の橋のふもとであなたに再び会える日をずっと待ち続けている。
 病気や怪我で苦しみ、手当のかいなくむなしく死んでいったペットたち。そのつらい別れさえ忘れさせてしまえるような感激的な出会いが必ずあると信じたい。彼らの魂はきっとあなたに生前、自分を大切にしてくれた感謝の気持ちを伝えたい一心で虹の橋で待っているはずだから。私たちが虹の橋の存在を心から願うとき、それは架空のものではなくなるはずだ。  
* 古いアルバムを見て *
 もう二十年以上も前のこと、拾った小さな子猫がいた。一緒に暮らしたのはわずか二年たらずだった。そいつは好奇心の旺盛なネコで、子猫のときの鳴く声から「ミーオ」という名前にした。
 私が外出先から帰って来るとミーオはどこからか返事をする。声の方を見上げると、いつもの本棚の上から私を見下ろしている。外にいても姿を見つけて私が口笛を吹くと、いつもすぐにすっとんで帰ってきた。
 しかしミーオはある日、私の部屋に帰って来なかった。ずっと待ち続けるうちに、時間はめくるめく速度であっという間に過ぎていった。
 今でもはっきり覚えている。柔らかな感触、特徴のある声。なにより心がわかった。そしてこの私も長年住み慣れたアパートを引っ越しする時が来た。整理しながら思い出に浸ることがある。子猫のときミーオが引っ掻いたふすまの傷を見つけた。あのとき発作的に頭をぶったけど、まだ子猫だったのにかわいそうなことをしたな。
 私を見上げて寝そべっているミーオが写っている写真があった。
私は写真に写っているカーペットの同じ場所で撫でるふりをする。そこは何もない空間だけど、まぎれもなくこの場所に二十数年前にミーオがいたからだ。
 時たま思うことがある。もし私が死んでかすかな光の中を歩いている時、小さな草原に出くわすだろうかと。そのとき、ミーオは私を見つけてくれるだろうかと。
 きっとどこからかなつかしい鳴き声がして私はハッとするだろう。私がその声の方を振り向くと、遠くから一匹の子猫が駆け寄って来る姿が目にうつる。
 私は思わずしゃがんで両手を差し出す。すると、ミーオは喉を鳴らしながら、毬のように勢いよく私の胸の中に飛び込んで来るような気がするのだ。ずっと心に描いていたなつかしい感触。何十年たっても全然変わらない姿で・・・
「やっと会えたね。ミーオ、長いこと待たせてごめんね。さあ、一緒に行こうな」
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画像参照元サイト  http://www.acreswaycats.com/rainbowbridge.htm
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