首なしニワトリの話
 〜奇跡のトリか神のなせる業か〜
 1945年9月10日の夕刻、アメリカコロラド州フルイタという町のある農家で一羽のニワトリが首を切り落とされた。

 ところがこのニワトリは首を切り落とされても、何事もなかったようにエサ置き場の方向に歩いていった。そしてもう頭もクチバシもないというのに餌をついばむようなしぐさをし始めたのである。ニワトリはその後、首のないままふらふらと歩き回り、うずくまって羽づくろいを始めた。農夫はこれを見てびっくりしてしまった。

 翌日になってもこの鶏はまだ生きていた。家族はその生命力の強さにただただ驚くばかりであった。切断した首の断面からは食道やら気道の穴が見えていた。もう首もなくエサや水もとれないので、農夫はスポイトで食道の管の中に水と栄養剤を流し込み、このニワトリを生かそうと考えた。
 一週間後、農夫はユタ大学の研究所にニワトリを持っていき調べてもらうことにした。科学者たちはこの首のないニワトリを見て驚嘆し不思議がった。なぜ首がないのに生きていられるんだ?
 なぜなんだ? なぜ?・・・
 科学者たちはただ首をひねるばかりである。
 常識では、首を切られた生物は生きていけないとされている。ミミズのような下等な生物は体を真っ二つに切られてもしばらくは生きている。両生類やタコのような軟体動物は足を食いちぎられても蘇生してくることが知られている。しかしそれでも首となると死んでしまうのだ。高等生物でこのような現象が起こるとはまず考えられないことだ。ではなぜこのニワトリにかぎってこのようなことが起こりえたのだろう。
 そして科学者たちはある結論に達した。それはまず頚動脈がすばやく凝固したために、大量の失血がおさえられ死なずにすんだということ。もうひとつは、脳幹と片方の耳の大半が胴体部分に残っていたので、ニワトリは首を失っても平衡感覚がそこなわれずに歩いたりいろいろな動作をすることができたのではないかと思われたことだ。
 しかし脳の一部が残っていたぐらいで、こうして生き続けられるものだろうか?もう視力も嗅覚もなく音だけかすかに聞こえる状態で暗闇の中をさまようのである。
 そして誰とはなくこの奇跡のニワトリのことをマイクと呼ぶようになった。
スポイトで水やエサなどを与える。
 その後、首なしニワトリ、マイクは「タイム」「ライフ」などの大手のメディアにも取り上げられ大々的に紹介された。そして、ニューヨークを皮切りに全米の主要都市を巡業することになる。見世物小屋に出されたマイクは人々の喝采を浴び、当時の価格で実に10万ドル以上の興行費を稼ぎ出したのであった。(今の価値で1億円以上に相当する)まさにマイクは金のたまごを産むニワトリになったのであった。
 その間、マイクの体重は、当初1キロだったものが体重4キロにまでなり、4倍近くまで増加した。首がないという点をのぞけばよく太って健康的で申し分のないニワトリであった。
 しかしマイクの最期の時は突然訪れた。3月のある日、巡業中アリゾナの安モーテルの一室で、マイクは持ち主の不注意からか食道をつまらせてしまったのである。持ち主は食道を掃除するためにスポイトをさがすが、あいにくどこにもない。そうこうするうちにマイクは何度か苦しげにブルッと羽をばたつかせたりしたが、やがて静かに息を引き取った。
 こうして、マイクは今度こそ本当に死の世界に旅立っていったのであった。結局マイクの生存期間は首をなくしてから18ヶ月間ということになる。これはギネスブックとして今後も破られそうもないと思われた。
 マイクは奇跡のニワトリと呼ばれ、今でもコロラド州フルイタの町では毎年5月の第三週のウイークエンドを「首なしニワトリの日」と決め祝うことにしているそうだ。
 この町では現在も首なしニワトリマイクをプリントしたTシャツ、さまざまな記念品などを販売して地元の町おこしに一役かっているようである。
マイクとオーナーのロイド氏。彼は首なしマイクのおかげで一躍有名になった。
 ところでマイクが人気を博していた頃、第二のマイクをつくって一儲けしようという人間が続出したために、数えきれないニワトリが首を切られたそうである。しかし首を切られたニワトリはすべてすぐに死んでしまったということであった。
 首なしニワトリと言えば気味が悪いというイメージがあるが、本当に気味の悪い存在は欲に目のくらんだ人間の心であろう。
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参照元 サイト X51.ORG  http://x51.org/x/03/10/2502.php
http://www.miketheheadlesschicken.org/
公式サイト
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