魚にも心がある?
〜水槽の向こうからあなたは魚たちにどう思われているだろう?〜
 私はときおりテレパシーという超感覚が自分に備わっていればいいのにと思う時がある。海や山に行くと、鳥や魚、昆虫、野に咲くいろいろな花々、野山の木々さえもが何かを語ってくれるだろうから。
 年老いた大木からは、5千年もの昔、まだ芽を出したばかりの大地の歴史の話が聞けるだろう。蝶々は青虫だった頃の切ない思い出を語ってくれるかもしれない。池の鯉はきっと水の中の素敵な体験を教えてくれるだろう。
* アクアリウムでの体験 *
 私は、タナゴ、ハヤ、ムギツク、アカヒレなどの川魚を水槽で飼っている。
 今日も何気なしに餌をやろうとして、水槽に近づくと魚たちが近寄ってくる。ある魚は石の陰から、また流木の下から、尾びれをちぎれんばかりに振って、上を下へ泳ぎながら水槽のガラス面に顔をくっつけるようにして猛烈に口をパクパクしながら餌をねだってくる。
「早く、ちょうだい!ちょうだい!ちょうだい!」と言う魚たちのもの言わぬ声が聞こえて来るようだ。好物の赤虫を落としてやると、魚たちは無我夢中になってそれこそわれ先にひたすら食べる。
 ある少し寒い朝、私は青いトレーナーを着て、毎朝日課になっている餌やりのために水槽に近づこうとした。「バキッ!」そのとき、向こうの水槽の中で何やら鋭い音がした。それは1匹のハヤがものすごい勢いで上のガラス蓋に激突する音であった。
 どうしたのかと思って近づくと、ハヤたちはすごい勢いで流木や石の下などに姿をくらましてしまった。どうしたのだろう。いつもはすぐに近寄ってくるはずなのに。ハヤたちはいつもと違う服装をしている私を警戒したのだろうか?
 私は実験してみることにした。奥の部屋で青いトレーナーを脱ぎ、いつもの姿で水槽に近づいたのだ。
 ハヤたちが1匹、1匹、と物陰から警戒した様子で出て来るのがわかった。私はガラス越しに彼らを観察した。
 心なしか、どの魚もおびえたような目つきに見える。ハヤたちから殺気立った緊張感さえ伝わってくる。まぶたもないまん丸い目で私を値踏みしているかのような目つきである。「いつもの人かなあ、そうなのかなあ・・・」ハヤたちのそんな声が聞こえてきそうだ。こんな感じのハヤたちを見るのは始めてだ。
 私は再度、奥の部屋で青いトレーナーに着替えると水槽に近づいた。私の姿を見たとたん、一匹のハヤが猛烈なジャンプをして上のガラス蓋に激突し、別な一匹はすごい勢いで突進し反対のガラスに激突してしまった。そして他のハヤたちもすごい勢いで水槽の反対側に姿をくらましてしまったのだ。こういうことがほんの1、2秒のうちに起きた。おそらくハヤたちはいつもと違う恰好の私を別な人間だと思って怖がったのにちがいないと思った。
 ある深夜のこと、私はコーヒーを沸かそうと台所の電気をつけたことがあった。明るくなってみると、水槽の魚たちは眠っていたようである。どの魚も白っぽくなっており、ムギツクは水草の間に逆立ちした格好で、アカヒレは水面に浮かんだまま、タナゴは流木の陰でじっと横たわっている。
「バシャッ!」しばらくして、ムギツクが飛び上がって上蓋のガラスに激突する音がした。次にタナゴが体をぶっきらぼうにくねらせるとガラス面に激突した。よくみると、魚たちは機嫌の悪そうなしぐさで苛立っている様子である。私はせっかく眠っていた彼らの機嫌をそこねてしまったのではと感じた。「う〜ん、ぼくらせっかく寝てたのに!」という彼らの気持ちがわかったような気がしたのだ。
 また、一匹の雄のタナゴが流木の間に挟まってしまうというアクシデントが起きたことがある。発見したときはすでに何時間も前からそのままの状態でいたと思われた。そっと指で離そうとしたが、ガッチリ食い込んでなかなか離れない。見ると頭に相当な傷がついている。
 私は流木ごと水槽から取り出すと、タナゴに注意して、のみで流木のふちを削った。タナゴはあえぐようにピルピルと身体を小刻みに振るわせている。
「もう少しだ。がんばるんだ!」私は心に念じながら、タナゴの身体を優しく押しつづけた。そのかいあって、タナゴは今度はようやく流木の間から離れることができた。タナゴはおでこに大きな傷をつけたまま、おびえたようにすごい勢いで水草の陰に隠れてしまった。
 それからだ。一匹の雌のタナゴが必ず傷ついたタナゴの横に寄り添っている場面を何度も目にしたのである。横になったり周囲をひらひら泳いだりして、ときどきヒレで雄の身体にやさしく触れたりしている。
 その仕種を見ていると、「もうケガ大丈夫?」と心配しているようにも思えるものであった。
 以上の体験から私は思った。彼らにも喜びや、悲しみ、怒り、いたわりや同情といった感情があるのではないかと。そして心があるとしたら、それはどういうものなのだろうかと。
 しかしもし、彼らに心というものがあり、水槽の向こうからいつも観察されているのだとしたら、なぜか怖いような奇妙な気持ちにもなったのも確かだった。
* 魚の心を学術的な面から分析する *
 今、魚の心を研究しようとする学問が注目されている。しかしその目的は、魚の心理と習性を解明することで、シマアジやクロマグロといった高級魚をもっと効率的に大量に養殖させることができれば、水産事業の利益拡大にも一役買うであろうという趣旨からなっている。
 魚には、どんな意識があるのだろうか? 脳がある以上、意識があるはずで、意識がある以上、感情もあるのだとされている。人間の場合、大脳皮質という部分が感情をつかさどる領域というから、その部分を持たない魚には感情がないとも言われる。
 では魚には感情はないのだろうか? おそらく餌にありついて腹いっぱい食べたときの満腹感や喜びはあるだろう。しかし、喜びがあるとすればその程度のものかもしれない。自分だけのテリトリー(縄張り)を持ってメスを囲うことが出来れば、オスは満足感に近い感情があり、メスは安全なすみかでタマゴを産むことができるという安心感に近い喜びが得られるだろう。
 小魚が何万匹と群れをなして泳いだりするのも、とりわけ仲間意識があるわけでもなく、愛情のようなもので結ばれて群れているのでもない。
 自分たちを捕食しようとして追いかけてくるマグロやブリなどの大きな魚から逃げるのも、死にたくないという意識があって逃げるのではなく、それはただ本能に近い衝動的な動きに他ならない。
また追いかける方の魚も目の前に餌があるから食べようとするだけで、それ以上の目的も思考も持ち合わせていないのだという。
 魚の脳では、人間のような長期の記憶は持てず、したがって学習能力もあまりない。
 ここらにおいしいプランクトンが多いとか、このへんは居心地のいい水温や環境であるとかいう程度の記憶しかない。また魚の小さな脳では、細かな感覚など処理できないので神経も粗雑で、痛みなども感じることはないらしい。口に針がかりしているのにかかわらず、釣られた魚があれほど暴れるのも痛点がないからと考えられる。
 魚は比較的、小脳(身体の運動をつかさどる領域)が発達しているため、あれほどの機敏な動きを水中でもできるらしい。イワシやサンマなどはその代表例である。
 以上の観点から考察すれば、魚には生きる目的もなければ、生きたいという気持ちもなく、寂しいという気持ちも死に対する恐れもないといえる。あるいは今、自分が生きているという感覚すらないのかもしれない。ただ目の前に餌があるから食べる。成長して適当な環境の下で卵を産むだけである。
 魚の脳やメカニズムを科学的に分析した場合、以上のようなことがいえるだろう。つまり、魚のような下等な生き物に悲しみ、喜び、怒り、と言ったデリケートな感情が備わっているとは思えない。ましてや、相手を思いやる愛情などといった高級な感情があるはずがないというのである。
 だが、そうした分析だけで、私たちは本当に魚を知り尽くしたと言えるだろうか? 私たちの知らないところに、彼らの意外な姿や本質が隠されているのを見落としてはいないだろうか?
* 魚の気持ちがわかるとき *
 あるダイバーは魚にも悲しみや思いやりの心があると思えるときがあるという。海に潜っていると、魚たちのそうしたふるまいを何度も目撃することがあるらしい。
 瀕死の状態にあるフグに仲間が心配そうにピッタリ寄り添うシーンをたまに見かけるのだというのだ。死にそうになっているフグが力なく水底に落ちてゆくのをもう1匹のフグが必死に下から押し戻そうとしていることもある。それはまさに死にゆくものへの憐れみといたわりを感じさせてくれる瞬間だという。今にも死にそうなハリセンボンと片時もそこから離れることなく、ずっと寄り添い続ける仲間を見守りつづけるうちに、フグ類特有のウルウルした目がさらにダイバーの悲しみを誘ったという。
 こうした行為をたびたび目撃するにつれ、ダイバーは魚にも人間同様に悲しみの感情や思いやりの心があると確信をもったそうだ。
 アイナメはタマゴを大切に守ることが知られている魚だ。岩陰で何日も食べずにオスとメスがひたすら面倒を見るのだそうである。つがいとなったアイナメは同じ穴に住んで子育てに専念するが、そのむつまじいしぐさは微笑ましくとても魚とは思えない。
 水槽でずっと一緒だったペアの片方を別の水槽に入れて別々にしたところ、急に体色が色落ちしてしまい、元気がなくなってしまったということもよく聞く話だ。
 ライ魚の稚魚を思う気持ちも大変激しいことはよく知られていることだ。稚魚たちが何百匹と群れて泳いでいるときも親ライ魚は決して側を離れることはない。もし人間が知らずに近づこうものなら、親ライ魚は自らの危険をかえりみずに、背びれを立てて水面下からものすごい音を響かせて威嚇するのだそうである。稚魚を命がけで守ろうとする親ライ魚の行為には涙ぐましいものがある。
 江戸前のテンプラのネタになるギンポという魚も、オスはつがいとなったメスに寄り添っていつまでも一緒にいるという。もし運悪く、片方が釣られていなくなってしまったら、いつまでも巣に帰ってこない相手を待ちつづけるのであろうか。私は、釣られて連れ添う相手がいなくなった後も、一匹のギンポが幾日も巣穴の入り口で寂しそうに待ち続けているのを見たことがある。
 淡水魚の中で一番小さいとされるメダカは、オスのメスをめぐっての求愛行動はいさましいものがある。他のオスに対して、背びれを立てて、胸びれを逆立てて威嚇するのだ。「ぼくの彼女に手を出すなよ」と言っているみたいだ。そして、互いに水面下をけたたましいスピードで追い掛け合いをする様は、愉快なチキンレースを彷彿とさせてくれる。
 しかし大真面目で必死なメダカたちの行動を見ていると、彼らにも生きるための目的があるのではないかと思えてくるものだ。
 いじめは人間同様、魚の世界にもある。温和な性格といわれる種類の魚にもそれは例外なくあり、普段は群れて仲がよさそうな魚たちも、いったん水槽に入れると特定の弱い魚だけが攻撃され被害者となるケースも多い。デリケートな魚はせわしく泳ぎまくる魚と一緒だとストレスを感じて、苛立ってくるし、そのうち奥に引きこもりがちになり元気がなくなって痩せ衰えていくそうである。
 金魚を飼っている人なら誰もが気づいているはずだ。金魚は皆同じように見えてもそれぞれの性格がかなり違っているということを。ある金魚はおとなしく内気でいつも水草の陰や水槽の隅っこに隠れている。そうかと思えば、ある金魚はさかんに尻尾を振って水槽内を所せましとわがもの顔で泳ぎ回っている。
 餌とりが上手な金魚も、なかなか餌にありつけないでいる金魚もいる。また、いじめっ子もいれば、いじめられやすい子もいる。執拗ないじめは、いじめられる方にとって、大変つらく苦しい拷問だ。狭い水槽内でのいじめは、逃げることも出来ず、その苦痛は魚にとって想像を絶するもので、場合によっては死にいたる場合もある。
 そんなとき、いじめっ子から別の水槽に移してやった子はほっとしたような様子になる。まもなく、その子は餌ももりもり食べるようになり、がりがりに痩せていた体も健康的に太りだす。
 元気になって尻尾をさかんに振ってすり寄って来る様子を見ていると、「助けてくれてありがとう」と飼い主にガラス越しに感謝しているように思えてくる。
* 小さな命に宿るちっぽけな心 *
 アクアリウムをやるようになって、私は魚たちにもそれぞれふさわしい生き方があると考えるようになった。つまり、魚たちにも独自な性格があり、向き不向きの環境があるということだろうか。流れを好み、泳ぎまくるハヤにとって、大きくなってくると、水槽内は彼らにとって居心地がいいとは思えない。
 私は、もっと広くて彼らにふさわしい場所、つまりきれいな水の流れる河川敷に行き、ハヤたちを放流することにした。思えば3か月前、ほんの1センチにも満たない稚魚だった彼らとの出会いはここから始まったのだ。
「みんな元気で暮らせよ」そうつぶやきながら袋から出してやると、ハヤたちは一瞬、外の広い世界にとまどっているような様子だった。
 彼らはしばらくそこにとどまっていたが、あたかもそれは別れを惜しんでいるかのように見えた。しかしそのうち、なごり惜しそうに、一匹一匹、尻尾を振ってゆっくりと私から遠ざかっていった。
  「うわーなんてひろい!」 
       「キラキラする」
 「気持ちいい」  「お腹へった」
      「およげるおよげる」  
   「こんなに大きくなれた」
「今まで育ててくれてありがとう」  
      「ありがとう
 私はそのとき彼らの声を聞いたような気がした。あるいはそれは、ハヤたちの心を感じ取った瞬間なのかもしれなかった。
 魚たちは決して声を出したりはしない。しかし心の耳を傾けるとき、彼らの声が聞こえてくるものだ。私はきっともの言わぬ彼らの声を聞いたのだろう。
 遠ざかっていく彼らを私は見守りつづけた。そして最後の一匹が完全に水面下に姿を消してしまうまでじっとその後を追い続けた。
そしてこのとき思った。
 どんなちっぽけな小魚にも昆虫にもきっと心はあるのだということを。それは人間のようなものではないのかもしれない。しかし、ほんの小さなわずかな脳であっても彼ら独自の感情と心はやはりそこに宿っているのだと私は思う。
 私たちは生きるために他の動物を食べてきた。彼らのおかげで私たち人間はこれまで生きて来られたのだ。私たちはいつも犠牲になってくれている動物や魚たちに心から感謝しなくてはならないはずだ。この地球に一緒に生きている仲間として、私たちはこれからもずっと彼らの存在を大事にしていかねばならないと思うのだ。
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