魚にも心がある?part2
 〜最新の研究が魚たちの真の姿をとらえだした!〜
 * 片時も離れずに心配そうに見守るフグ *
 最近の研究によると、魚はこれまで人間が考えていた以上に認知能力が備わっており、論理的に思考する能力さえあることが分かってきた。そのうえ、彼らには、悲しみ、怒り、同情、相手を思いやる優しさと言った複雑な感情の持ち主であることも分かってきたのである。
 タイ、パンガン島にあるチャロクルム湾で撮影された映像がそれを物語っている。そこには網に捕らわれて必死にもがいている一匹のフグが映っている。その横には、心配そうに見守るもう一匹のフグの姿も映っている。
 フグが網にかかっているのを発見した海洋保護団体のメンバーの一人が、フグを救い出そうとして海中に入って近づいていった。ガラスの破片で一本一本網を切る間にも、もう一匹のフグは片時も離れることなく、メンバーの足もとで心配そうに寄り添っている。
 ようやく網がすべて切れたとき、今まで捕らわれていたフグは勢いよく尻尾を振って沖に向かって泳ぎ出していった。
 そして心配そうに寄り添っていたフグもそのあとを追いかけていった。
 喜んで尻尾を振って遠ざかってゆく二匹のフグの後ろ姿に感動したメンバーの一人は水中で思わず手を振った。
 この奇跡のようなシーンを目にするとき、誰もが感激のあまり思わず心を打たれるにちがいない。
* 人の顔を見分けられるテッポウ魚 *
 イギリスオックスフォード大学のケイト・ニューポート博士らがテッポウ魚を使って驚くべく実験の結果を発表した。 それによれば、魚は見慣れた人間の顔と見知らぬ顔を、驚くほどの正確さで見分けることが出来るというのである。
 実験では4匹のテッポウ魚が選ばれ、水槽の上につるしたコンピューターのモニター画面に特定の人の顔を表示して、それに向けて水を噴射するように学習させた。   
お目当ての顔に命中させられれば、ご褒美にエサがもらえるというものである。
テッポウ魚
 実験では、顔の一部を隠して行なわれたり、ほかに用意した44人の顔をとっかえひっかえて、それに対比させたりして行われたということであった。覚え込ませるのに、魚によっては2〜3日でできたケースもあれば、2週間かかる場合もあったが、だいたい81%の確率で正解したという。その後、画像をカラーからモノクロにしてみると、命中率は落ちるどころか逆に86%に精度が跳ね上がったという。
 また博士によると、テッポウ魚たちは実験室に見知らぬ人がやって来るとおどおどしたような落ち着かない様子を見せ、いつも見慣れた博士が部屋に入って来ると、一斉に水槽の淵に集まり、ピンポイントで博士の目を狙って水を噴きかけて来たという。それは彼らテッポウ魚流の信頼と友情の証であったと思われる。
* 魚は論理して考える *
 カワスズメ科の一種である「ジュリドクロミス」という魚は、アフリカのタンガニーカ湖に生息し、縄張り意識のひじょうに強い魚として知られている。
 日本の大学で、この魚をつかって興味深い実験が行われたことがあった。
ジュリドクロミス
 水槽の中で一番強い個体を別水槽に移して、そこで他の個体と戦わせたのである。水槽内の魚たちはこの両者の戦いをじっと見ていた。結果は果たして、自分たちがボスだと思っていた個体が戦いに負けてしまうという結末になってしまった。その後、勝った方の個体を彼らのいる水槽に入れたところ、水槽内の魚たちは、一斉に背びれを寝かせて服従を意味する行動をとったという。
 つまり、直接争った訳けでもないのに、自分たちがボスだと崇めている魚を打ち負かした別のもう一匹には、無条件で服従の意思を示したということなのである。
 彼らは水槽の中から、二匹のジュリドクロミスが争う様子をしっかり見ており、結果から状況を瞬時に判断したことになる。要するに「新しい魚B>自分たちのボスA>自分たちC=新しい魚B>自分たちC」という力関係をすばやく認識したということであろうか。
 つまりこれは魚たちが自分たちの目で何が行われているかを確認して、その結果、自分たち自身で推測し、今後取るべく行動を結論づけたということなのである。
* 協力して狩りを行うハタとウツボ *
 ハタとウツボは小魚を捕らえて食べるフイッシュイーターとして知られ、ともに住む環境も岩礁地帯と共通点は多い。しかし両者ともに一長一短がある。ハタは視力がよく、泳ぐスピードは早いが、体が大きいので狭いところに入っていけない。一方、ウツボは細長い体形をしており、ややこしいところにも入りこめるが、視力はよくない。
 この短所をお互い補い合って、ハタとウツボは協力して狩りにあたるのである。
 ハタが寸前のところでエサとなる小魚を取り逃がしてしまったとしよう。小魚はハタが追いかけて来られない狭い岩礁の隙間に逃げ込んでしまった。
 そういうとき、ハタはウツボが住んでいる穴倉まで行き、協力を依頼するのである。ハタがウツボに協力を求めるときの仕草は、ピクピクと痙攣するような独特の動きをする。
協力して狩りを行おうと相談するウツボとハタ。
 ハタの誘いに気づいたウツボが穴からのそのそ出て来ると、両者の協力が成立し狩りが開始される。まず、ハタは逃げ込んだ問題の場所にウツボを誘導する。すると、ウツボはクネクネと身をくねらせて指示された狭い岩の隙間にはいってゆくのである。
 逃げ込んだ小魚はウツボが入ってきたものだから、パニック状態になって飛び出して来る。そこをハタがバクッと一飲みにしてしまうのである。それは電光石火のごとく目にも止まらぬ早業である。もし逃げるのが遅れると、逆にウツボに食べられてしまう。この場合、ハタが食べようが、ウツボが食べようが、両者の合意はついているらしくお互いに不満はないらしい。こうした、協力して狩りをした場合の確率は100%に近い成功率だという。
 このハタとウツボの協力行為は、学習によって得られたというよりも、長い年月の間に本能の一部として、記憶の中に刻まれていったと思われる。
 つまり魚たちは、ジュリドクロミスの実験でもわかったように、体験して自ら自身で考え、それが生きるすべとなって身についてゆくが、長い年月の間にそうして得られた教訓が本能にも刻まれていくということなのであろうか。恐らく、前述のテッポウ魚の実験を延々と積み重ねていけば、何百世代目かのテッポウ魚たちは、生まれた直後から、誰に教えられることもなく特定の写真が示されれば、それ目がけて一斉に水を噴きかけるにちがいない。
* 魚は痛みを感じるだろうか? * 
 魚は痛点というものがなく痛みを感じないという考え方がある。釣りをしていて、口に針がかりしていても、あれだけ強い引きをする。釣られて甲板に引き上げられても、バタバタと暴れるだけで、何の声も出さないし、まばたきもしない。苦痛の表情もない。魚は本能に基づいて行動しているに過ぎないのだなどと。
 しかし、最近の研究によって、魚たちは傷つけば苦痛にもだえ苦しみもするし、ストレスを与えるとヒステリックにもなり、怒りや腹立たしさと言った感情もあらわにすることが分かってきた。前述のフグの話のように、相手を思いやる優しさ、愛情、同情と言った感情も示すのである。
 飼い主の顔を水槽の中から見た途端に、尻尾を振り振り、喜びの表情をしめしてくる金魚。主人に身体をなぜてくれとせがんだり、甘えてくる魚もいる。水の中と外の世界の違いはあれ、愛情の表現に違いなどあろうはずもないということだろう。
 あるアクアリストは、8年間もカクレクマノミのペアを飼い続けていた。
 ところがある日、ペアのオスの方が死んでしまった。
 そのとき、水槽の中央で死んで動かなくなってしまったオスにメスはいつまでも離れようとはしなかった。
カクレクマノミ
 何度もオスの身体を口で持ち上げたり、立たせようと懸命になっているのである。メスの健気な努力を目の当たりにしたアクアリストの目から、幾筋もの涙が頬をつたっていった。

 またこういう話もある。そのアクアリストは水槽で二匹の金魚を飼っていた。片方の金魚は生まれつき障害をもっているのかうまく泳げない。それでもその金魚は、何事もなかったかのように元気で生きていた。
 ある日、こっそりビデオで撮影してみたところ、そこには驚くべき光景が映っていた。もう一匹の金魚が、障害をもっている金魚の体を押し上げたり、体の向きを変えさえたりして、水面の食べ物をうまく取れるように補助していたのである。アクアリストは金魚の健気な心にすっかり感動してしまったということだ。 
 こうした魚たちの相手を思う気持ちには格別のものがある。トロール船に自分の配偶者を捕まえられたメカジキは、何日もそのトロール船を追いかけ、いよいよ助けられないとわかると、浜辺に突進して乗り上げて自ら死を選ぶのだという。
 ケンブリッジ大学のドナルド・ブルーム博士は言う。ほとんどの人は、魚を観賞用か、あるいは食べ物としか考えていない。しかし、魚は他の動物と同等の感情と知性を持っており、解剖学的に見ても、魚のメカニズは鳥や哺乳類と何ら変わるところがないのである。
 生物学者のジョナサン・バルカムも語っている。
最新の研究でわかったことは、我々は海洋動物をあまりにもこれまで長年にわたり過小評価してきたということだ。
 オクスフォード大学ベーカー博士は、甲殻類の感覚器官は高度に発達しており、とりわけ神経系は複雑であると結論づけた。新鮮さを保つために生きたまま市場に出され互いに積み重ねられて売られるエビやカニは、間際まで生かされておき、食べる直前に熱湯で茹でられる。その方が新鮮度を保つのに最適だからだ。しかし、実際はロブスターは茹でられて絶命するまでの2分間、想像を絶する痛みを感じながら死に至るのである。
 その他、多くの科学者達もさまざまな実験を通じて、魚は肉体的にも心理的にも、哺乳類と同じように痛みを感じ、複雑な感情すら持っているとの結論に至っているという。
 こう考えれば、私たちが魚などは下等な生き物で感情もなければ痛みも感じない。本能だけで生きているだけだなどと決めつけ、自分たちに都合のいい解釈を行い、魚や甲殻類は人間の食材のために存在しているかのように思い込む。そしてまた、そう信じ込むことによって、あえて自分たちの行っている残酷な行為を別なものにすり替えようとしているだけに過ぎないとは言えないだろうか。
 本当は、魚類であれ、甲殻類であれ、殺されるまでの苦痛に満ちた時間は、ほ乳類と同等に想像を絶する苦痛に満ちたものなのだ。
* 万物の霊長であるということ *
 今昔物語にある「亀の恩返し」という話は人間という生き物をうまくいいあらわしている。それは次のようなストーリーだ。
 ある男が亀を釣った釣り人から亀を買い取った。男は近くの川に来ると、「もう決して釣られてはいけないよ」と言って亀を放してやった。亀は喜んで水中に姿を消した。それから何年か後、男がうとうとしていると、枕元に大きな亀がいる。男は驚いてしまった。
「私はあのとき、あなた様に買い取られて川に放していただいた亀でございます。あのときの御恩は決して忘れてはおりません。実はまもなく、川が氾濫を起こし、大洪水となり、すべてが水底に沈んでしまいます。どうか、すぐに船をおつくりになってくださいませ」というのである。
 まもなく、亀の言うように本当に川が氾濫して大洪水となった。しかし、男は大きな船をつくったので大丈夫であった。洪水で何匹かの生き物、蛇やキツネが流されて来た。男はそれらを助けてやった。最後に溺れている一人の男がいたのでそれも助けることにした。
 洪水がおさまると、助けた生き物たちが次々と礼にやってきた。蛇があらわれて、案内された洞穴に行くと、そこには金銀の財宝がたくさんあった。こうして男は大金持ちになった。しかし最後にあらわれた人間は、男に金銀の財宝がいっぱいあると知ると、分けてくれと言い、もらった量が少ないと不満をもらし、ねたんだ挙句に、男の財宝は盗んだものだなどと役人に言いふらしたのである。男は盗みの容疑をかけられて牢屋に放り込まれてしまった。
 男が縄でぐるぐると縛られ、苦痛に泣き叫んでいると、再び亀があらわれた。亀は蛇やキツネなど多くの生き物たちと力を合わせて男を助け出してくれた。おかげで、男は死罪になるところをからくも助けられたということである。
 つまり、これは人間は欲深く、受けた恩もすぐに忘れ、逆に恩を仇で返すという教訓なのであろうか。
*
 この地球上では、私たち人間は食物連鎖の頂点に立つ存在として、万物の霊長などと言って最高の尊い存在であると位置づけてきた。しかし思考して、複雑な感情を有するのは人間しかいないというのは、人間の思い上がり以外の何物でもない。
 これまで私たちは、魚などは本能だけで生きている。何も考えていない。複雑な感情など持ち合わせていないと勝手に決めつけて来た。しかしこれらの実験や出来事から、どんな小さな小魚にも彼らなりの価値観があり、感情も持ち合わせており、それに基づいて健気に行動しているということが判明してきた。 
 私たちは万物の霊長などと奢る気持ちを戒め、いつも犠牲になってくれている彼らに感謝と尊敬の念をいだきつつ、謙虚な気持ちで毎日を生きていかねばならないと思う。そして、地球という一つの運命共同体の仲間として、彼らの存在をいつも大切にしていかねばならないと思うのだ。
片時も離れずに心配そうに見守るフグの動画
https://www.youtube.com/watch?v=JtgEtUIu4Q0

オックスフォード大学でのテッポウ魚の実験動画
https://www.youtube.com/watch?v=TtqWW8YoWvY

飼い主に身体をなぜてくれと甘えてくる魚の動画
https://www.youtube.com/watch?v=I0INzbh587o&t=17s
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<参考にさせていただいたサイト>
Talko  http://talko-media.jp/5036
カラパイア http://karapaia.com/archives/52214511.html
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