ヘンゼルとグレーテル
〜大人たちに無惨に捨てられた幼児の怨霊〜
* 仲のいい兄妹の話 *
 あるところに、貧しい木こりの夫婦のもとにヘンゼルとグレーテルという仲のいい兄妹がいました。ある日のこと、二人は、意地の悪い継母が自分たちを森に捨てようと話しているのを聞いてしまいます。
「お前さん。もう食べるものがないよ。あの子たちを森の中に捨てに行っとくれよ」
「だけど・・・かわいそうだよ」
「わたしたちが飢え死にしちまってもいいのかい。お前さんの子じゃないか?」
「お前がそういうのなら、じゃあ、そうしよう・・・」
 気の弱い父親がしぶしぶ返事するのが聞こえました。よく朝、両親はまき拾いに行こうと言って子供たちを森に連れ出し、そのまま二人を森に置き去りにしてしまいました。ところが、頭のいいヘンゼルは拾った白い小石を落として道しるべとして帰って来ました。
 しばらくすると、両親はふたたび子供たちにまき拾いに行こうと言って森に連れ出し、また置き去りにしてしまいました。ヘンゼルは今度は石ではなくパンくずを途中で落としたのですが、小鳥に全部食べられてしまったので、帰り道が分からなくなってしまいました。
 迷子になったヘンゼルとグレーテルは、途方に暮れてしまいました。そのうち、あたりは暗くなり、お腹も減ってきます。グレーテルはもう泣き出しそうです。歩いているうちに、おいしそうな匂いがただよってきました。
「お兄ちゃん! あんなところにおうちがあるわ」泣き虫のグレーテルが嬉しそうな声をあげました。見ると、家はおいしそうなお菓子で出来ています。屋根はチョコレート、かべはクッキー、窓はキャンディーです。井戸のつるべはパンにシロップがかかっています。二人は夢中になってお菓子の家を食べ始めます。「バリバリ・・・メリメリ・・・」すると気のよさそうなおばあさんが出てきました。
「誰だい?私の家をガリガリかじっているのは?」
「あ!おばあさん、ごめんなさい。ぼくたちお腹がペコペコだったんです」ヘンゼルが言いました。
「いいのよ。中に入ってもっとたくさん召し上がれ」親切なおばあさんはこう言って微笑むと、二人を中に入れてごちそうを食べさせてくれました。ところが、このおばあさんは悪い魔法使いだったのです。
 ヘンゼルとグレーテルはこの悪い魔法使いに捕まり、兄のヘンゼルはおりに閉じ込められ、ごちそうとして太らされることになってしまいました。
「食べごろだね。火を強めるんだよ。何してんだい。早くしないと陽が暮れちまうよ!」魔法使いがどなります。 
「火のかげんがわからないの」グレーテルが困ったように言います。
「火かき棒でやるんだよ。どきな!」魔法使いがイライラしてグレーテルを押しのけて身を乗り出しました。そのときです。頭のいいグレーテルは、魔法使いを逆にカマドに突き落としてしまいました。
「ぎゃー!」魔法使いは燃えさかる炎の中で焼き死んでしまいました。
 こうして、悪い魔法使いを退治した二人は、部屋にあったたくさんの宝物を持って家に帰って来ることができました。悪い継母は、もう死んでしまっていたのでヘンゼルとグレーテルは父とともに幸せに暮らしたということです。
* 陰湿で怖い中世の森 *
 この物語は、グリム童話の中でも傑作中の傑作だが、まことしやかに健気な兄妹愛を描いている作品とも言えよう。森の中に置きざりにされても、決してあきらめることなく、恐ろしい魔女に捕まっても、その知恵と勇気によって、最後には逆に魔女をやっつけてしまうのである。仲がよく頭のいい兄妹たちにとって、こうした試練は、むしろ輝ける未来にもなりうるという教訓なのであろうか?
 いや、現実はそうではなかったはずだ。 森の奥深くで迷った仲の良い兄妹が、偶然、素敵なお菓子の家に巡り会うという幻想を描いたこの童話は、ヨーロッパ中世の飢饉の年に、数限りない、それこそ信じられないほどの数の子供が、口減らしのために森の奥深くに打ち捨てられた悲惨な事実を示しているのに他ならない。
 当時、中世ヨーロッパは、海岸部を除いて、鬱蒼とした深い森にどこまでも覆われていた。夜になると、一切合切が闇に覆われ、真っ暗闇の世界となる。都市は人殺しやかっぱらいが横行し、森の中では、血に飢えた狼の群れが徘徊して、行き倒れになった人間や餓死した死体を見つけては食い散らかしているという恐ろしい世界だった。
 中世ヨーロッパでは、飢饉が来ると、口減らしのために、まっ先に幼い子供が森に打ち捨てられたのである。恐らく、森の奥深くには、道に迷って野垂れ死にするか、狼に食い殺されるかして死んだ子供の白骨が、そこら中に散乱していたことだろう。では、ヘンゼルとグレーテルの真の姿はどうであったろうか?
* 恐ろしい真相 *
 気がつくと、両親の姿はなく、いくら呼んでも返事がない。自分たちが森の中に見捨てられたとは知らないヘンゼルとグレーテルは、手をつないで、両親の名前を呼びながら、森の中をやみくもに歩き出すしかなかった。
 痩せこけて垢だらけで破れたズボンをはいた兄のヘンゼルは、幼い妹グレーテルの小さな手を握って無気味で陰気な森の中をさまよい歩き続けた。グレーテルは、虱だらけの金髪をかきあげ、それでも、ボロボロの小さなカゴを持って、無言で引きずられるように兄のヘンゼルの後をついてゆく。時たま、何かにつまずいて倒れるが、その度に、小さな白い手足は傷だらけとなり、ほうぼうに出血しているのが痛ましい。
 グレーテルのそばかすだらけの顔が涙でクシャクシャになり始めた。
「お兄ちゃん、お腹すいた・・・えんえん」 「もう少しの辛抱だよ。ほら、あそこまで行けば、森を抜けられるからね」泣きたいのを必死にこらえて兄のヘンゼルは、泣きじゃくる幼い妹を懸命に励ましては、餓えと疲労に倒れそうになりながらも、不気味で霧のかかった森の中を歩き続けた。
 しかし、歩けども歩けども森はますます深くなるばかり。そのうち、周囲がうす暗くなって来る。気温も急激に下がって来た。「ホウホウ・・・」やがていたるところで、フクロウが鳴き出した。遠くで恐ろしい狼の遠ぼえが聞こえ始めた。まもなく、夜行性の肉食獣たちが獲物を求めて活動し出す恐ろしい夜が来るのだ。
 もう、ほとんど真っ暗となり、喉も渇きお腹もペコペコになった子供たちにとって、もう体力も限界に来ていた。彼らは、大きな木の株の横に倒れ込むと、寄り添うようにしゃがみこんだ。「ほら、もっと近づいて。こうすれば暖かくなるから」 「うん、お兄ちゃん、ありがとう」寒さでふるえながらも、二人は子供らしく励ましあった。
 いつしかグレーテルは、疲れ果ててヘンゼルの肩に寄り添うように寝入ってしまった。ヘンゼルもそのうち、まどろんで来る。時々、グレーテルの口から「おとうちゃん・・・」と大好きだった父親の名を呼ぶ声がかすかに発せられた。その大好きな父親に捨てられたとも知らずに。
 時おり、小さな指を唇にくわえてしゃぶる素振りを見せるのは、きっと夢の中で大好物のケーキをほおばっているからなのであろう。「ふふ・・・甘いケーキ、チョコも・・・」グレーテルの寝顔にかすかに満足げな微笑が漂う。彼女は今、お菓子で出来た家の中にいるのだ。月明かりで見るその表情はいじらしくあどけない。
 しかし、グレーテルの甘いお菓子の夢は長くは続かなかった。

 子供たちを遠方から見つめるランランと輝く赤い目の連中が、まもなく彼らの身の上に恐ろしい出来事を持たらすからだ。
 肉食獣特有のその不気味な眼は、次第に数を増し彼らを取り巻くように近寄って来た。
 やがて、不気味なうなり声とともに、茂みの中から姿を見せたそれは、大人の倍ほどもあるどう猛な狼だった。
 狼たちは、こうして捨てられた子供たちがこの場所に迷い込んで来る事を熟知していたのだ。よく見ると、月明かりのもと、草むらのあちこちに子供のものと思われる白骨が散らばっているのが垣間見ることが出来た。彼らは舌なめずりしながら、今まさに襲いかかろうと身構えたが、疲れ果ててぐっすり寝入っている兄妹は気がつくこともなかった。
* 永遠に浮かばれることのない幼児の魂 *
 事実は悲しくて残酷である。悲惨な過去の上に童話が成り立っているのだとしたら、メルヘンの世界とは、大人たち自身によって歪曲された弁解、ごまかしの内容でしかない。
 この幼い兄妹のように、大人たちの都合で捨てられ、その結果、あてどもなく歩き続け、腹ぺこで疲れ果てて野垂れ死にするか、無惨にも狼に食い殺されて朽ち果てていった子供たちは、それこそ何百万といたことであろう。
 怨霊となった子供たちの魂は、今も霧のはりつめた乳白色の異空間を永遠にさまよっているに違いない。
トップページへ
アクセスカウンター

inserted by FC2 system