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ジル・ド・レの幼児大虐殺
〜悪魔と契約した偉大な騎士の恐怖のファンタジー〜
* 呪われた英雄の素顔 *
 最近、児童の虐待死という痛ましいニュースをよく耳にする。これは、複雑になり過ぎた現代社会のひずみによるものか、あるいは、固有のストレスの過多が原因となって起こりうる現象なのであろうか? しかし、今から、570年ほど前の中世の時代に、数百人の子供を自らの快楽と娯楽だけのために殺し続け、少年殺人史上類を見ない凶悪な殺人鬼として、歴史に名を刻んだ恐ろしい男がいた。
 その呪われた男は、ジル・ド・レ男爵と言い、またの名を青髭と呼ばれた。シャルル・ペローの珠玉の作品「青髭物語」のモデルとなった人物でもある。男爵は、ちょっと見たところでは、邪悪な性格や残忍な犯罪を犯すような人間には見えなかった。むしろ、気立ての優しい、人を誘い込む魅力的な顔だちで、堂々たる体躯の持ち主だった。頭髪は、ブロンドだったがあご髭は黒々としていた。そして、光線の加減でそれは青く輝いていたという。彼の渾名が青髭と呼ばれるのはこのためである。
 15世紀始め、英国との百年戦争と呼ばれた慢性的な危機状態にあって、ジル・ド・レ男爵は、聖女ジャ ンヌ・ダルクとともに戦い、オルレアン解放に活躍し、窮地に陥ったフランスを見事救った武将として、民衆の心に刻まれていた。その上、彼は、騎士道時代の偉大なナイトに必要とされるすべての要素を備えている男であった。
 武術に長け、情熱的で献身的、敬虔なキリスト教徒で、教養豊か、あらゆる芸術にも深く通じていた。おまけに美男子で広大な領土を持つ当時の最も富裕な人間の一人でもあったのだ。ところが、ある日突然、どうしたことか神を冒涜する残虐なサディストに成り下がったのである。
 ジャンヌ・ダルクとともにフランスを救い、多くの庶民に絶賛され慕われた英雄が、数年後に、どうしたものか、怪し気な錬金術や悪魔崇拝に凝り 、世にも恐ろしい猟奇的殺人を重ねていくことになるのである。
 人々は、彼のことを皆殺し野獣とかチフォージュの人食い鬼とか呼んで忌み嫌った。そして、歴史上、最も残酷極まりない男と呼ばれるようになっていくのである。これは、神と悪魔の両方を心の中に合わせ持った人間だけが、辿る悲しく呪われた恐怖のファンタジーである。
* ジャンヌ・ダルクとともに *
 ジル・ド・レ男爵とジャンヌ・ダルクの出合いは、シャルル王太子の居城であったシオン城で起こった。それは、1429年、2月23日の夕刻の出来事であった。
 この時、シャルル王太子は、ジャンヌが、本当に聖ミカエルの使いなのか試そうとして謁見の間に群がる数百人の騎士や貴婦人の中に紛れ込んでいた。しかし、ジャンヌは、今まで目にしたことのない光景や知らない人々の集団に合っても、少しも動じることがなく、即座に王太子を見つけることになるのである。その際、群集の中の一人だった男爵が、王太子に近づいてゆくジャンヌを凝視したところが、その視線を感じたジャンヌが、男爵を見つめ返した瞬間があった。それは、ほんの瞬き程度の短い時間であったが、男爵は、この時、彼女に激しく心を動かされたのであった。
 そして、聖女ゆえの純潔がかもし出す神々しさに心を魅了された男爵は、精神と肉体の両面でジャンヌの虜になっていくのである。そして、この時以来、男爵は、彼女の盟友として、ともにフランス解放のために戦うことになる。     
 一説によると、黒とグレーの小姓の衣装を身に付け、短剣で武装し、黒い髪を鉢型に切りそろえて男装した彼女は、男爵にとって性的な魅力を発散させる対象になり得たのだという。
 男爵には、カトリーヌという妻がいたが、その関係は冷えきったものだった。そして、その時までには、男爵の方でも自分の本性について悟っていたのであった。本来、自分が女の体に興味がなく倒錯した性の中にのみあるということを。
ジル・ド・レー男爵
(1404〜1440)
 こうして、男爵は、ジャンヌの付き人としてオルレアンの街を解放するため軍に加わった。そして、白馬にまたがったジャンヌと轡をともにし、時には彼女を補佐して各地に転戦していくのである。オルレアンは1429年、5月8日に解放されたが、それは、男爵が、ジャンヌと出会って2か月余り後の出来事である。それ以後、ますます男爵はジャンヌにとってなくてはならぬ存在となり、ついに正式にジャンヌの守護役を命じられることになる。その後、ランスでシャルル王太子の載冠式が行われた時も、男爵はその功績を認められてジャンヌとともに栄誉ある高位を授かっている。
 しかし、その後、強行にパリ解放など執拗にイギリス軍を追い詰めようと進言するジャンヌに王となったシャルルは、次第に疎ましさを感じるようになる。事実、シャルルは、王になった今、ジャンヌの存在は不要だと感じていた。ジャンヌ・ダルクは、フランスにとってみれば、聖なるマスコットであったかもしれないが、目的を達成した今となっては、彼女の存在は、フランスの不甲斐なさのあらわれでもあり、でしゃばった存在でもあったのだ。言い換えれば、彼女なくしては、フランス軍は、イギリス軍に勝つことが出来ないことを証明するようなものだった。それは、シャルル王にとっては、王の権威を傷つけ我慢ならぬことであった。
 そうした中、味方の裏切りにも等しい行為もあって、ジャンヌはついに敵の手に落ちてしまう。そして、どういうわけか、これまであれほど彼女の片腕として行動をともにしていた男爵は、彼女を見限ったように記録上から姿を消してしまうのである。

* 贅沢と饗宴の日々 *
 かくして、天使とともに生きた男爵の名誉ある半生は終わりを告げた。残りの半生は、狂気と猟奇的犯罪にのみ捧げられるのである。それは、逮捕されて処刑されるまでの約10年間延々と続けられることになる。

 ジャンヌ・ダルクが火刑に処せられて一年が経った。28才の男爵にとって、ジャンヌの死は、自らの信念に衝撃と大いなる揺らぎを与えることとなった。これまでは、ジャンヌがともに行動するというだけで、戦場での残忍さや野獣のような欲望が、栄光の祈りにも似た崇高で神聖的なものに変化することが出来たのであった。しかし、彼女がいなくなってしまった今となっては、これまで押さえていた抑制の糸が切れてしまうのも時間の問題かもしれなかった。
 その上、シャルル王は、ジャンヌの死とともに、軍を解散してしまったので、男爵には、これまでの目的をも一挙に失う結果になってしまった。たちまち、彼は、ひどい退屈とどうしようもない精神のけだるさに襲われることとなった。おまけに、彼は、途方もない金持ちであった。フランスでも最大級の財産を持ち、年収だけで250万フラン、美術品、家具、書籍類など財産目録をつくるだけでも約3ページ分必要だった。しかも、ブルターニュ地方を始め、およそ20以上の町を領有し、たくさんの城や砦を持っていたのである。
 このような巨大な富に囲まれ、無制限な自由を気ままに享受する過程で、男爵は、堕落し、本能のおもむくままに官能を満足させることだけに時間を費やすこととなる。彼は、贅沢きわまる狂宴を毎日続ける一方、湯水のごとく金をばらまき、膨大な財産を食い潰していった。
 ある時など、オルレアンで行われた劇団の上演を後援したことがあったが、その頃が彼の生涯の中で最も金のかかった時期であると言われている。140人を越える一流の役者を揃え、巨大な舞台を組み立て、オルレアンが解放される様を謳ったこの神秘劇は、数カ月間、毎日上演され、あらゆる一切の費用を彼が支払ったのである。しかも、劇中の衣装や宝石、黄金など装身具類は、本物で高価なものでなくてはならず、公演ごとに新調したというから、恐ろしく高いものについた。恐らく、この一年間だけで数百億円規模の資産が費やされたと見られている。
 確かに、男爵は、芸術や美術のこの上ない愛好者であったことは事実だが、このような芝居を後援して、莫大な金を惜し気もなくばらまいたことは、彼の凄まじいばかりの自我と虚栄心のあらわれを物語っているといっても過言ではない。
* 野獣の欲望をあらわす *
 そして、夜になれば、彼のもう一つの顔が頭をもたげるのであった。それは、残忍な少年殺しというべきもので、人間の性に悪魔が宿っているとしか形容のしようのないおぞましい行為なのであった。
 それは、ブルターニュの彼の居城であったチフォージュの城で毎晩のように繰り返されるのである。城の近くには原生林が茂り、あたりは所々に沼地が散在し不毛の荒野が広がっているだけである。荒涼として殺伐とした光景は、まさにおあつらえの舞台なのであった。
チフォージュの城の廃虚。ここで、毎夜のように子供が殺された。
 ある日、ひどく深酒して、聖歌隊の一人の少年を捕まえた男爵は、その少年をなだめすかして愛撫し優しく抱擁を繰り返した。やがて静かな愛撫が突如として、乱暴で凶暴なものに変わった。彼は、発作的に子供の首を絞めて、短剣を引っこ抜くと、首を少しずつ切り出したのである。生温かな血がドクドク流れ出て、瀕死状態になった子供の朦朧となった眼や手足がヒクヒク痙攣するのを見つめた彼は、自らの肉体の隅々に至るまで、ゾクゾクとする生命の躍動感を味わったのである。それはまさしく、今まで感じたことのない強烈なエクスタシーと呼べるものであった。我を忘れた男爵は、わけのわからぬことを喚き散らしながら、死んだばかりの温かい子供の死体をこねくり回し、最後に汚れた方法で、無邪気でいたいけな腹に2度、3度と射精を繰り返したのである。
 こうして、呪われた殺人と凌辱との間に沸き起こる欲望についに目覚めた男爵は、それから取り憑かれたように夜がくると少年を殺していくのである。とりわけ彼は、聖歌隊の子供たちの歌う清らかな声に興奮した。礼拝堂にあって、白い衣を着て、香を嗅ぎ、天に向って合掌し、見上げる彼らの澄んで無邪気な顔を見るだけでも欲情は激しく高鳴るのである。
 哀れな犠牲者は、貧しい親たちから買い取られたり、もらわれたりすることが多かった。何も知らない子供たちは、ほんのしばらくの間、幸運をつかんだと信じてはしゃいだものだった。なにしろ、大資産家で荘園の領主から眼を掛けられたのである。彼らは、お付きの人の言葉によると、男爵様の小姓として教育されるはずであった。それは、他の不潔でみじめな子供たちからすれば、羨望に値する運命と言ってよかったのである。
 実際、中世では、貧乏人の子供が、貧しさから抜け出すためには、器量のよさゆえに領主に眼を掛けられて小姓になるか、教会に入るしか道がなかったのである。子供たちは、期待し、つかの間の夢を抱いていた。もうすぐ、男爵様の美しいお城に連れていかれる。そこには暖かい部屋と肉のスープが用意されている。やがては立派な服を身にまとい、子馬を乗りこなす甘い日々が来るということを・・・
 しかし、子供たちに待っていたものは身の毛のよだつ恐ろしい運命だった。子供が城に到着すると、暖かく迎えられた。まず風呂に入れられ、体を洗い浄められるのである。その後、美しい服を着せられ、整髪されたりして、子供は見違えるほど美しくなる。それは、同時に、子供の心理に安心から自信へ、さらには子供特有の無邪気ながらも尊大ぶった心理状態へと変化する一瞬でもあった。
 やがて夜になると、子供は男爵の寝室に連れていかれるのである。菓子を手にした子供は、嬉しそうにあどけない表情で彼を見上げている。暖炉の光を受けてキラキラ光る瞳は、純真そのものである。最初、ちょっとしたおしゃべりが交わされる。
「ほら、向こうを向いてごらん。そう・・・そうだ。君はかわいいよ。もっと近づいて、私に顔を見せておくれ」
 そうして、彼は子供の体を優しく愛撫する。しかしそのうち、次第に興奮してきた彼は、情欲の高まりとともに、荒々しくつねったり、叩いたりするのだ。
「ご、ご主人様、な、何なさるんですか? 痛いです」恐怖に怯えた子供が、わけもわからずに泣き出そうとする。
「怖かったかい?ごめんね。ちょっとふざけてみただけさ。どうだい。もう大丈夫だろう?」彼は優しく笑ってみせて、もう決して乱暴なことはしないよなどと言って子供を安心させるのである。
 子供は、驚き、恐怖、不信へと心を目まぐるしく変化させるも、再び、彼の言葉にだまされ、信頼し安堵の表情を取り戻していく。しかし男爵にとってみれば、その時の子供の無邪気さがたまらないのである。彼にとっては、こうして子供をゆっくりと死の淵に沈めていく瞬間こそが、何よりの性的興奮なのであった。まもなく、安心しきった子供の後ろから、よく切れる短剣で首筋をやにわに切っていくのだ。「ひゃぁー!」かん高い叫び声がして動脈を切られた子供の首筋から鮮血が勢いよくほと走る。「うおぉー!」暖炉の光に反射して、ドクドクと溢れ出した血を見た男爵は、狂ったように我を忘れ、獣のような雄叫びを上げながら、あらゆる悪徳行為にふけるのである。そして、まもなく死に至る子供の腹で射精をするのである。
 子供が死にかける時が、彼にとって最大の喜びであった。そして、土色の顔をした子供の最後の息を吸い込むことを最も好んだ。時には、首と胴体を切断し生温かい臓物を取り出して、その臭いを嗅ぐこともした。そうかと思えば、子供ののど笛をかき切ったり、首を折ることもあった。彼は、切り取った子供の首を集めて凝視することが大好きで、従者の者にどれが一番美しいかなどと質問したりした。そして、最も気に入った子供の生首を何日も側に置いて、接吻を繰り返して悦に入っていたのである。
 彼は、自分の情欲を満たすための残酷な道具類を数多く揃えていた。短剣にもいろいろあり、腹を裂くのに適した剣や首を切り取るのに恰好な形をした剣もあった。その他、子供を吊るすための鈎やロープ、滑車類が所狭しと並んでいた。恐ろしい殺人が終わり、ジルが疲れ果ててしまうと、もはや子供の姿を留めていないバラバラになった肉片を大量の薪とともに火をつけて燃やし灰にするのであったが、そういった後片付けは、従者の仕事だった。
 彼は、こうして自らの呪われた情欲を満たしたが、その満足感も瞬間的なものでしかなく、一瞬が過ぎれば、すぐに新たな欲望が疼き出すのであった。彼は、こうして、体中の血が騒ぎ立てると、矢も楯もたまらなくなって次の獲物を求めてあらゆる村々に足を運ばねばならなかった。
 貧乏人の子供が、次々に姿を消すという恐怖の現象がゆっくりと広がっていった。失踪事件は、ある日突然、とんでもない所で起きた。今日はこの村で起きたと思うと次は別の村で起きた。一度に4人もいなくなってしまうことも珍しくなかった。そして、一度、いなくなった子供は、二度と帰ってくることはなかった。まるで、神隠しにでもあったように大地に吸い込まれてしまうのである。人々の間で、恐怖の噂が、持ち切りとなり地方全体にも広がっていった。
* 悪魔崇拝と錬金術に没頭する *
 昼間は、多くの従者を引き連れて、誰が見ても非の打ちどころがない騎士であった。しかし、夜になると彼は一変した。爆発的な性的興奮の中、本能のおもむくままに、猟奇的殺人を重ねる毎日であったのだ。
 そのうち、男爵の湯水のごとく黄金をばらまくという浪費癖は、ついに金銭的な欠乏を生み出す結果となった。彼の放蕩を支えるには、大金が必要であった。しかし、こうなっても彼は、浪費を止めようとはせず、借金、質入れを繰り返していた。これは、言い換えれば、破滅の序曲であった。彼は金を貸してくれさえすれば、誰彼の見境なく借りるようになった。そのうち、ほんのわずかな額を借りるためにも、高価な品物を担保にしなければならなくなった。
 担保にするものがなくなると、今度は、不動産の売却へと進んだ。町や村、荘園や屋敷を片っ端から売り払っていった。しかも、とんでもない底値で・・・。こうした金銭的な欠乏は、やがて男爵を錬金術と悪魔崇拝に駆り立てる原因となるのである。
 もともと、彼は、錬金術にたいそう興味を持つ人間であった。城の一室には、錬金術の工房がつくられていたほどだった。
 工房内は、蒸留するための器具類、複雑に渦を巻いたガラス管、怪し気な恰好をした器の類が所狭しと置かれていた。
 最初、知的な好奇心から没頭していたものの、洪水のように金を使っていったがために、自分の財産が次第に先細りしてくると、彼は、この錬金術によって黄金をつくり出すことに躍起になり始めた。
 こうした打算的な欲望は、本来の錬金術の精神から言えば、邪道であったかもしれないが、窮地に立った男爵は、ますます、その行為に没頭しのめり込んでいくのである。
この世は、7つの元素によって成り立つものと考えられていた。従って、組み合わせにより、どんな物質でもつくることが出来ると思われていた。
 彼は、この部屋に、一人で朝から晩まで籠り、アラビアの文献を読みふけり、ひたすら実験をくりかえすのであった。彼のつくり出そうとしていたものは「賢者の石」と呼ばれるもので、これは、屑鉄などの卑金属を光輝く黄金に変える力を持つ物質と言われるものであった。材料となるものは、硫黄や水銀で、これらを燃焼、昇華、融合と化学変化を起こさせていくうちに、やがては、まばゆいばかりの黄金に変化していくのである。賢者の石は、その過程で、どうしても必要な物質とされていた。
 男爵は、賢者の石をつくり出すために、悪魔を呼び出して、その力を借りることで賢者の石の精製方法を聞き出し、莫大な財宝をつくり出すことを考えた。そのために、降魔術から占星術、呪術までまさにありとあらゆる神秘学の実験を繰り返したが、悪魔は出現せず、実験は次々と失敗して、後には疲労と挫折感だけが残された。
 わけのわからない実験を繰り返し、破局の恐怖に焦っていた男爵の前に、ある日、魅力的で端正な青年が現れた。男爵は、彼にたちまち魅了されてしまい、腑抜けになるほどのぼせ上がってしまった。フランソワ・プレラーティと呼ばれた美貌の若者は、彼自身によれば、過去に何度も悪魔を呼び出したことがあり、降魔術と錬金術を完全に修得した天才だということであった。男爵は、この男と一緒なら実験は成功するような気がした。
 二人は、ただちに実験にかかったが、プレラーティが言うには、悪魔を呼び出す際の触媒として、血が必要であるということであった。

 それも、死んだ者の血では役に立たない。生き血が必要というのである。
 生き血は、若い女のものでよかったが、子供の血であればなおさらベターということであった。悪魔は子供の生き血を好んでいたというのである。
悪魔を呼び出す時に使われる魔法円
その他、護符のメダルや指輪、死体の脂でつくったローソク、羊皮紙、ハシバミの小枝などのアイテム類と、少年の体の一部も必要ということであった。
 このような材料は、日頃、少年を殺し続けている男爵にとってみればお手のものだった。
 かくして、この後、自らの情欲のためだけに犯行を重ねていた殺人に、悪魔を呼び出すためという大義名分も加わることとなった。
汚辱のキスと呼ばれた悪魔礼拝をあらわした木版画
 それから、まもなくして、男爵は、少年の切断された手首と両目、取り出されたばかりの心臓、生き血を携えて彼の部屋にやって来た。プレラーティは、この供え物の出処には興味を示すことなく、降魔術を始めたが、悪魔は出現しなかった。プレラーティに言わせると、男爵は、地獄の住民たちに嫌われているということであった。自分一人の時なら、たちどころに悪魔は現れるはずだとも答えた。プレラ−ティは、美貌で魅力的で勤勉な男だったが、このように抜け目のないいかさま師でもあったのである。

 男爵とプレラーティの降魔術の実験は、その後も続けられ、その都度、切り刻まれた少年の体の一部や生き血が捧げられ、悪魔が出ないとわかると、意味なく地中に埋められることが何回と繰り返された。
* 神の裁きのもとに *
 しかし、何事にも終わりは来るものである。邪悪非道の限りをつくした彼にも、逮捕の手が及ぼうとしていた。こうした何年にもわたる殺人、血の儀式、悪魔崇拝が、誰の耳にも入らず、男爵の居城から漏れないはずはなかった。人々の噂は、口から口へと伝わって行き、やがてローマ教会にも知られることになったのだ。
 ローマ教会は軍隊を送り、1440年9月15日の朝、ナント司教の名のもとに男爵は逮捕されてしまった。そして、彼は降魔術、殺人、性犯罪などの三つの罪で宗教裁判を受けるはめになったのである。
 法廷は、何度となく開かれ、かのプレラーティも証人として連れて来られて訊問を受けた。プレラーティが、男爵との犯罪との関わりを否定して、自己保全に夢中になっている時ですら、男爵は、この美貌の青年にうつつを抜かし見とれている様子で、彼が立ち去る寸前になっても、プレラーティを抱きしめてその別れを涙ながらに惜しむ有り様であった。
 やがて、判決を言い渡す日が訪れた。まず、裁判が厳正であることを主張する前文が読まれた後、ナント司教が厳かに立ち上がって判決文を読み上げた。

 子供たちの殺戮、死体の凌辱と解剖、悪魔との交信、背教行為などの罪状が淡々と朗読された。そして、その結果として男爵には破門の宣告が下され、異端者に対する罰則、つまり絞首刑の上、火刑に処せられることが決定したのであった。

 一瞬、法廷は沈黙した。男爵は、この時最後の願いを申し出た。それは、牢獄から絞首台までの距離をせめて威厳に満ちた行列に仕立てて欲しいという要求であった。死に際しての彼の最後の虚栄心とでも言うのだろうか。しかし、この願いは叶えられた。
 1440年10月26日の水曜日の朝、その日は雲一つなく見事な秋晴れだった。群集の待ち受けている処刑場に、男爵はすがすがしい表情で向かって行った。ジャンヌ・ダルクが火刑に処せられて9年と半年後のことであった。
彼は、その呪われた36年の生涯で、少なくとも1千人以上の子供を殺し、その遺体を凌辱したと言われている・・・
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