血塗られたロンドン塔
〜首なし王妃の亡霊や幽霊の渦巻く恐ろしい城〜
* 陰惨な歴史 *
 ロンドン塔は、1078年に征服王ウイリアムによって要塞兼宮殿として建造された、当時としてはヨーロッパ最大の城である。それ以後も、各王によって拡張工事が続けられ、その結果、18エーカーの広大な敷地には、いくつもの塔や館が建てられた。
 この900年の歴史を持つ古塔は主に王位継承争いで破れた王妃、貴族、反逆者などを閉じ込める場所として使われてきた。そして、残虐な拷問が繰り返し行われ、首を斧でたたき切るという残酷な処刑が長年続けられてきた忌わしい恐怖の場所でもあるのだ。
 今では観光名所の一つになってはいるが、深夜一人では決して近づきたくない場所だといえよう。
 ロンドン塔は数多くの塔から成り立っている。
 本丸とされる中央には、ホワイト塔と呼ばれる最も古い建物があり、その周囲をベル塔、血染めの塔、ブラック塔などと呼ばれる20ほどの塔や二つの礼拝堂、処刑場などが取り巻いている。
 そして、ここに閉じ込められ、首を切り落とされることになる人々は、「反逆者の門」と言われる地下の半円型の門をくぐって入城していったのである。
上空から見たロンドン塔、中央のホワイト塔の回りを多くの塔や礼拝堂が取り巻いている。
* 恐ろしい処刑の数々 *
 処刑の仕方には大別して斬首刑と絞首刑に分けられ、前者は剣や大斧で力まかせに首を叩き落とす方法で一瞬で終われば、苦痛を伴わないとされ、身分の高い人間にだけ許された処刑方法である。
 それに比べて身分の低い者には絞首刑の後、腹を裂かれて四つ裂きにされる処刑方法が一般的であった。
 大逆罪を犯した人間には見るも無惨な処刑方法がとられた。まず、馬に引かせたソリに乗せて街路を引きずり回し、半死半生の状態のまま絞首刑にする。
 10分後には、ロープからはずして、腹を裂き、心臓やはらわたを引きずり出し、大衆の面前で火に投じる。手足を切り刻み、頭はロンドン橋に釘で打ち込んでさらしものにするのである。そうして、バラバラにした死体は四つの市門に分散されてさらされ、神による加護を受けられぬように不浄の地に埋められた。
 こうすることで、処刑者の魂は永遠に虚空をさまようことになるのである。この処刑の宣告を受けた者はたとえ死を覚悟している者でも、動揺し取り乱したと言われている。
 拷問の仕方にしても、ロンドン塔では恐ろしい独特な手法がとられた。中でも小部屋攻めという拷問は、人間一人がやっと背を丸めて入れる大きさしかない部屋に押し込めるというものである。罪人は横になることも座ることも出来ぬ不安定な姿勢のままにされ、長時間にわたり、ものすごい苦痛を味わうのである。
 また、ロンドン塔には地下75メートルにあって全く闇だけの小部屋があり、ここに入れられると、どんな意志の強い人間でも発狂したと言われている。
 罪人は、恐ろしい闇と全く静寂だけが支配する恐怖の部屋で、苦痛と幻覚を味わった挙句に、精神が破壊されてしまうのである。この他、グツグツと煮えたぎる大鍋に突き落とされるという処刑方法もあったが、これは主に毒殺の嫌疑をかけられた罪人に対して行われたと言われる。
 両手両足を縛って、そのロープを機械で巻き上げていくという残酷極まる拷問もあった。受刑者は、ゆっくりと体の関節が外れてバラバラになっていくのである。もし幸運に死を免れたとしても、罪人は二度と歩けない体になってしまった。
* 処刑は最高の娯楽 *
 処刑は、公開されることもあり当時の一大見せ物だったという。処刑日は、よく晴れた日が選ばれ学校は休校となる。一家そろって見物に出かけるのも当たり前のことであった。
 刑場周辺には見物人目当ての屋台店がズラっと勢ぞろいし、「死刑ソーセージ」とか「絞首刑ビール」「八つ裂きワイン」などと名づけられたアルコール類、菓子類などが売られたそうである。彼らは、処刑が始まるまで、それらを飲み食いしながら待ったのである。
 観客は2、3万人も集まったというから、病人を除く町のほとんどの住民が連れ添って出かけたことになる。日頃、小さな虫にも悲鳴を上げるほどの貴婦人たちでさえ、処刑の日が来るのを首を長くして待っている始末で、いざ、その日が来ると、彼女たちは朝から粧し込んで、我れ先に馬車に乗って出かけたという。全く、人の心理とは恐ろしいものである。
 そこには、処刑される者に対する哀れみなど微塵もなかった。「おーい、ロープが見えねえだろ! 邪魔だ。どけ!」などと群集の軽薄な罵声を聞く時は、世界中のどんな野蛮な国にも見られないほどの狂態ぶりであったと作家のディケンズは嘆いている。
* 常闇にさまよう怨霊 *
 公式でない処刑場では、トマス・モア卿、ローリー卿、エセックス伯、ヘンリー8世の二人の王妃、などの多くの有名貴族、王妃が剣や大斧によって首を切られて処刑されている。中でも、ロッチフォード侯爵夫人は70才の高齢だったというから時代の非情さを知るのに十分な出来事だといえよう。
 これらの人たちの無念の怨念は今もいたるところに取り憑いているという。ハンプトン・コート宮殿の回廊にはヘンリー8世の5人目の王妃だったキャサリン・ハワードの亡霊が出没すると言われている。
 19才の若い王妃だったキャサリンは不貞の嫌疑をかけられて斬首刑に処せられることになったが、処刑の際、恐ろしいほどの馬鹿力で処刑人たちの手を振りほどき、目隠しをはずすと、髪を振り乱し金切り声をはり上げて処刑場の中を逃げ回ったのである。
ヘンリー8世
 処刑人は大斧を振りかざして王妃の後をどこまでも追いかけ回し、3度大斧を振り下ろすも失敗に終わり、ようやく4度目にして王妃の首をたたき切ったと言われている。
 こうした斬首される瞬間まで、生に執着したキャサリンの怨念は、数百年たった今も地縛霊としてハンプトン・コート宮殿に取り憑き、命日ともなると当時のままの姿で出現するというのだ。
 今までに、何人もの人間が、血走った目で髪を振り乱し、金切り声を張り上げて、部屋から部屋へ逃げまわる若い王妃の亡霊を目撃しているという。
ヘンリー8世の5番目の王妃キャサリン・ハワード
 また血染めの塔と呼ばれる塔の廊下には、幼くして殺されたエドワード5世とその弟ヨーク大公の幽霊が出ると言われている。
 当時12才だったエドワード5世は10才の弟ヨーク大公とともにロンドン塔に幽閉され、すさまじい権力欲の持ち主でびっこでせむしの叔父リチャード3世によって殺されてしまったのである。  
 この忌わしい事件以来、この塔は血染めの塔と呼ばれるようになった。
リチャード3世
 権力争いの犠牲になった幼い兄弟の遺体は、それから200年も経った1674年に、偶然、ホワイト塔の南側の石段の下から発見された。
 それ以後、真夜中になると、この塔の廊下を、仲良く手をつないで散歩する幼い子供の亡霊が何度か目撃されるようになったというのだ。
 20世紀になっても、ロンドン塔の警備兵が幾度か王妃と思われる亡霊を目撃している。その亡霊はチューダー王朝時代の古風な衣装をまとい、霧の濃い明け方にあらわれては、石段をゆっくり上っていくというものである。
 不審に思った警備兵が、近づいて見透かしたところ、白くて細い手が見えた。しかし、肩から上は、霧に溶け込んで見えなかった。

 誰何しようと警備兵がさらに近づいたが、その時になって、始めて首がないのだとわかった。警備兵は恐怖のあまり意識を失ったという。

 目撃した警備兵の中には、ショックで高熱を出して死んだり、恐怖のために気がふれてしまった者もいたということだ。
 この首のない王妃の幽霊は、ヘンリー8世の2番目の王妃アン・ボレインではないかと言われている。
 アン・ボレインは、エリザベス1世を生んだが、王子を望んでいた王にはそれは不満だった。やがて心移りした王は、彼女に不倫の濡れぎぬを着せ、ロンドン塔に送ったのである。彼女は反逆罪の汚名を着せられたうえベル塔の地下室で首を斬られて殺された。
 この世に恨みを残したアン・ボレインの魂が、亡霊となって今なお、霧深いロンドン塔にさまようのも当然であろう。
 ロンドン塔は、浅ましい人間どうしの権力争いの象徴であり、忌わしい英国チューダー王朝時代の歴史を煎じつめた存在と言えるだろう。
 ロンドン塔の暗闇は、そのまま人間の持つ心の闇に通じているのかもしれない。
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