人間不信
 長い人生にはいろいろなゴタゴタはつきものだ。さまざまな詐欺、隣人とのトラブル、不慮の事故、難病の恐怖までいろいろな落とし穴が待ちかまえている。当然、避けて通れるならそれに越したことはない。とりわけ八方美人で論争さえ好まぬ私は、その傾向が強い人間であった。私には不愉快な出来事にあいたくないという刹那的な気持ちと、不正を絶対に許さないという強すぎる正義感があった。こうした私自身に内包する相矛盾する要素は、自分のスタンスをどこに置けばよいか常に迷う要因ともなっていた。
 誰もが順風満帆な人生を送れることを望んでいる。ややこしいもめ事は御免被りたいと考えている。ましてや時間とお金のかかる面倒な裁判など誰もが経験したくないと思っているはずだ。しかし不幸にも私は裁判を経験することになった。それも最悪の裁判である。相手は訴訟に手慣れた大手の証券会社だったからである。かくして私は数年越しの訴訟に巻き込まれた。法律も何も知らないど素人の私が、大手の証券会社を相手に訴訟を起こすことになるとはさすがに自分でも想像さえしなかった。
 訴訟は数年間かかった。相手の弁護士が書いた文面が送られて来るたびに、私は気がおかしくなるのではないかと思えるほどの不愉快さを味わった。そこには理不尽な屁理屈と私への中傷が書きつらねられていたからだ。「原告は相当強欲な人間で危険なことをするのが大好きであった」など私の人格さえ否定するような文面に私は憎悪と怒りの感情を通り越して目の前が真っ赤になった。相手弁護士への殺意さえ覚えるほどだった。まったくストレスでどうにかなってしまいそうであった。毎日の生活は乱れ、心は荒廃し、過度の不眠にも悩まされた。刹那的に毎日を生きるだけであった。
 問題を起こした女子社員は、私の高校の後輩にあたる人間であったが、わざとしたわけでもなく、自分がよかれと思ってしたことが事実とは違ってしまったので、彼女自身も悩んでいるだろうと私は同情していた。そして、最後の最後までその女子社員はそういう心情でいるものだと私は考えていた。いや、信じていたかったと言えばよかっただろうか。
 ところがそうではなかった。目の前の証人席に座った女子社員は、私の目を見ようともせずべらべらとよどみなくしゃべり始めた。「○○さんは十分にご承知でした。私は十分説明しましたし、何の責任もありません」彼女の言葉は自己保身の言葉の連続だった。同窓生として近づいて来た女性社員は底抜けに明るい声で「安全、安定、安心」というセールストークをくりかえして私を勧誘した。私は彼女の言葉を信じ心を許すことになった。そして大変な額の投資に家族中の財産を誘い込んだのであった。ところがそれは、後の調査によって安全などとはほど遠いとんでもない危険な商品であることが判明した。
 私はこの結果、精神に異常をきたすほどのショックを受け、うつ病寸前にまで追い込まれた。家族中の大切な財産があたかも大根おろしで擦られるように乱暴にすり下ろされていくのである。常に自殺と隣り合わせの時間がつづいた。これがいかに精神的に惨い拷問なのかは経験をした者でなければ分からない。悩んだあげく、私は裁判という苦渋に満ちた選択を選んだのであった。しかし今、証人席での彼女の言葉を聞きながら、私は不思議に怒りという感情はわき上がって来なかった。人間がこういう場合どういう反応を示すのか、頭の片隅で冷え切った好奇心がもたげていたと言えばいいのだろうか。
 女性社員の発言が終わると、裁判官からその女性に質問があった。その質問は彼女の言った陳述の矛盾をとがめるような内容であった。その瞬間、彼女はハッと口を半開きにして宙をにらんでひきつったような表情に変わった。そのとき見せた彼女の表情を私は永久に忘れはしないだろう。なぜならそれは、人間が嘘をついたり、悪いことをして、ばれたときに見せる表情にちがいなかったからだ。

 彼女は尋問が終わると、一度も振り返ることもなくそのまま法廷を後にしていった。おそらく、彼女の頭の中には申し訳なかったという気持ちなどみじんもなく、あったとすれば、こういう場所に自分を引っ張り出した私への反感と敵意に満ちた感情以外の何物でもなかったに違いない。自分の軽率な発言でどれほど私が精神的に追い詰められることになったかなど自分とはまったく関係がないと思い込んでいたのであろうか。
 私はただ空しかった。というより、人が信じられなくなった自分の心が悲しかった。そして社会の何かが狂っていると思った。具体的にどうすればいいのか分からなかったが、正直者が馬鹿を見る世の中をなんとかしないといけないと思った。企業とは合法的な犯罪組織なのだという言葉だけが頭の中で響いていた。
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