予知
 ある初夏のことだ。私は妹と二人で奥多摩にある鍾乳洞に行ったことがあった。この鍾乳洞は奥がかなり巨大でドームのような空間が何か所もある大規模な鍾乳洞だ。ところどころに何万年もかかって出来たというつらら状の石がぶら下がっており、タケノコやガマガエルを彷彿とさせる岩がせり出している。案内板が随所に立てられ、電球が方々につけられているので迷うことはないが、階段を上に行ったり下に行ったりしているちに、いつのまにか方向感覚がなくなってくる不思議な空間だ。夏とはいえ内部に入るとかなり寒い。
 説明によると、この鍾乳洞は江戸時代でも多くの人がお参りしたということである。きっと電気もない時代、ところどころに蝋燭の火がともされ、人々は張られた綱など手さぐりにして見物したにちがいない。ある場所に来たとき、観音のような形をした岩が目に留まった。江戸時代の人々はこういう場所で懐からお金を出して投げ銭をしたんだろうなあと思った。
 私は「こんなところに江戸時代のお金が落ちていたりしてね」とかつぶやきながら足元から一枚の古銭をひょいと拾い上げた。それは古びた一枚の寛永通宝であった。「えー!何でわかったん?」妹がすっとんきょうな声をあげた。どうしてなのか自分でも理由は分からない。しかしそこにあることは分かっていた。拾った時も別段びっくりもしなかった。不思議でも偶然でもなく、そこにあって当然という意識しかなかったのだ。私にはそれはずっと前からそこに転がっていたのが分かっていたとしか言いようがなかった。
おかしな気分だったがひょっとしてこれが予知能力とかいう端くれなのかなと思った。
 これと似たような体験がもう一つあった。私が中学生のときのクラス替えだ。自分がどのクラスになっているのかは、新学期の初日、学校に行って掲示板に張られた紙を見ないと分からない。ところが私は家を出た時から分かっていた。その当時は1学年11クラスもあった時代である。確率は1/11なのに、私は1組になっていると確信していた。私は躊躇なく1組の名簿を見た。自分の名前がそこに書かれている。思った通りだった。不思議なはずなのに何も感じなかった。
そして二年生になった時も、家を出て学校に向かうとき、私は自分が4組になっていると確信していた。そして結果はその通りであった。3年生になったときもそうだ。学校に歩きながら私は10組になっていると信じて疑わなかった。そして掲示板に着くなり、迷わず10組の名簿だけ見た。果たして自分の名前がそこに書きつらねられていた。3年間すべて予想は命中したのだった。
 これが予知能力というものなのかどうかは分からない。言えることは、こうしたことは、物事の優先順位に関係なく、ときたま場当たり的気まぐれ的に起こるということだけだ。偶然と片付けるにしてはあまりにも不思議な現象だと思うしかない。これがシンクロニシティというやつなのかと思ったりしたものだ。
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