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ブーディカ
〜ローマ帝国に聖戦を挑んだ古代ケルトの女王〜
 2005年4月、イギリス、ノーフォーク州のある農場の地中から、見事な古代の首飾りが偶然発見されるというショッキングなニュースが報じられた。
 掘り出された首飾りは、金と銀で作られており、鑑定の結果、40年前に発見された首飾りの一部であることも明らかとなり話題騒然となった。
 この首飾りの持ち主こそ、今から2千年ほどの昔、ブリテン島の残忍な支配者、ローマ帝国に敢然と戦いを挑んだ古代ケルトの女王ブーディカが身に着けていたものであった。
偶然、地中から発見されたというブーディッカが身に着けていた首飾り
 日本人には、なじみがうすいが、女王ブーディカの名は、古代ケルトの誇り高い女王として、多くの人々に知られている。
 彼女は民族の尊厳をかけて強大なローマ帝国に真っ向から聖戦を挑んだのである。これは、古代ケルトの女王の美しくも悲しい物語である。
* イケニ族に降り掛かった悲劇 *
 紀元42年、ローマが共和制から帝政に代わると、ブリテンの島(イギリス本島)が、次のローマの侵略の目標とされるようになった。やがて綿密な作戦計画のもと、5万のローマ正規軍が数カ所から侵入を開始、本格的な征服が始まった。上陸したローマ軍は幾度かの戦闘の後、占領地域を次第に東に拡大していった。占領された砦や町は破壊され、ローマ風の円形闘技場や公衆浴場、巨大な神殿が建設され、ローマ人のための入植市として生まれ変わっていった。
 そこに住んでいた土着のケルト人たちは、武器や土地を取り上げられたあげく、ローマ人のための使用人として酷使される運命が待っていた。そのうえ、彼らには何かローマ人の催しがあるたびに乏しい貯えから、重税を支払わねばならない義務も負わされていた。
 最初、ローマはこれらケルト人たちを力づくで自国の支配下に置くことを避け、ブリテン島に住んでいたさまざまな部族間の対立を利用して、 現地の権威者、協力者と意を通じることで間接的に支配することに努めていた。そうすることで、ローマは占領にかかる莫大な維持費を節約しようとしていたのである。
 イングランド東部の半島、現在のロンドンの北東部の平地に住むイケニ族も、このようにしてローマ人に征服された部族の一つだった。しかしイケニ族は、ケルト人の中でも、きわめて温厚な種族でローマに友好的だったことから自治を許されていた。そのため、ローマはこの地には、装備の悪い二線級の守備隊しか置くことをしなかったのである。
 イケニ族の族長は、プラスタグスと言い、妻はブーディカと言った。彼らの間には男子はなく、二人の娘があった。二人の娘は、エスィルトとネッサンと言い、ともに15才と13才になったばかりの少女だった。その後、ローマ帝国の皇帝がクラウディウスからネロに代わった時、イケニ族に悲劇が降り掛かかった。
 夏至に近いある日のこと、ブーディカとプラスタグスは、わずかなお供を連れて、自分たちの牧場を視察中であった。その日は、朝から嵐の雲が空一面に広がっていたが、突如、凄まじい稲妻が暗雲を切り裂いたのである。けたたましい雷鳴が鳴り響き、それに驚いた馬は暴れ馬と化し暴走し始めた。馬の群れが自分の妻の方角に向かっていると知ったプラスタグスは、全力で駆け寄ると、自分の馬から飛び下り、ブーディカにおおいかぶさって、自ら暴走する馬の下敷きになったのである。全身を強く蹄に踏まれ、瀕死の重傷を負ったプラスタグスは、妻ブーディカの懸命の看病もむなしく数日後に息を引き取った。
 この事件以後、皇帝ネロは、彼らに世継ぎの男子がいないことを口実に、彼らイケニ族から土地を取り上げて、帝国の直轄地にしてしまおうと考えた。いろいろな口実を設けて、被征服民から徐々に土地を召し上げていく・・・もちろん、これが狡猾なローマ流のやり方だったのだ。
 * 満月の夜の悲劇 *
 プラスタグスが死んで1ヶ月も経った満月の夜、ローマの属州長官デキアヌス・カトウスが大勢の役人を引き連れてやってきた。2百人以上の護衛の兵隊が彼らに付き従っている。
 その頃、女王ブーディカと二人の姫は、満月の儀式のために不在であった。大広間でしばしの間、待たされたローマ人たちは、ようやく二人の姫を従えて現れた女王に、待たされた苛立たちをぶつけるようにあいさつ抜きで大声で切り出した。
「あなたの夫プラスタグスは、男子を残さずにお亡くなりになりました。ここにイケニ族の王の血は途絶えたのです。従って、これまでのあなたがたの土地は、吸収され、帝国の直轄地として統治される。これは皇帝ネロが決定されたことです。おわかりでしょうかな?」
 ブーディカはその言葉に耳を貸すことなく静かにこう切り返した。
「私は女王です。それに二人の姫がいます。イケニの血は絶えてはいません。それに、夫はイケニの遺産の半分をローマ皇帝に差し出すことを遺言したはずです」
 それはあたかも自分自身に言い聞かせるような話しっぷりだった。
 属州長官は、彼女の言葉を予期していたように、にやりと意地悪く笑った。
「ブーディカ様、我がローマ帝国は女王は認めてはおりません。認めるのは王だけなのです。あなたの夫のプラスタグスは、遺産の半分を皇帝に指名したようですが、皇帝はすべてを差し出すように命じておるのですよ。もっともそうなっても、あなたと娘たちは生活するには不自由ではないはずです。もし暮らしていけないというのであれば、帝国はいくらかの年金も出すはずです。いかがですかな」それは、有無を言わさぬ たたみかけるような口調だった。
「覚えておきましょう。私の遺産はそのほとんどが馬と牛です。それは、すべてローマ皇帝に差し出しましょう。しかし、ローマ帝国は世継ぎとして、このイケニの女王だけは認めねばならなくなるでしょう。いずれその理由がわかるはずです」ブーディカはこう冷たく言い放った。 思えば、この時、彼女は、密かに心中、ローマとの開戦を決意したのかもしれなかった 。それほどまでに彼女の声は、冷静な中にも運命的な決意を秘めているような響きを持っていたのだ。
 属州長官とブーディカとのやりとりは、恐ろしい静けさの中で淡々と続けられた。やがて、夕食時となり、このやりとりはいったん中断されることになった。夕食の用意がととのうまで、ブーディカと二人の娘たちは王の間におもむいていた。ブーデカは重そうな衣装箱に歩み寄ると、自らの手で、赤と紫の長衣を取り出して羽織った。
 彼女は女としては背が高く、しなやかで長い見事な金髪をしていた。目は透き通るように青く、それは、まるで朝の陽光に輝く湖面のようでもあった。彼女は緑色の孔雀石の粉を取り出すと、目と額、頬に美しく化粧を施していった。
 雪のように白い彼女の肌は、暗闇で妖しいまでの魅力を放っていた。あたかもそれは、限り無く芯に炎を秘めた荒々しいまでの妖美と言ってよかった。最後に、彼女は、 金と紅玉の首飾りをし、黄金の腕輪をした。それは、大事な催しや何か重大な決意を秘めた時にだけ行われる儀式なのである。
 やがて、夕食時の合図とともに、ローマの習わしに従って、彼らと食事をともにすることに同意した女王と姫たちは、ローマの役人、護衛隊長らの待つ大広間へと向かっていった。ローマと戦うことになっても、今夜だけは、何ごともなく平静に過ぎることを祈りながら・・・

 彼ら役人と席を同じくしてまもなく、料理が奴隷の手によって運ばれてきた。それらは牛肉を煮込んだシチューや大麦のパン、ぶどう酒などであったが、見事な青銅の器や銀製のつぼに入れられていた。
 護衛隊長の目が、食事中、卑し気な輝きを帯びて、彼女の長女エスィルトに注がれているのが気掛かりだったが、最初、食事は何ごともないように進んだ。やがて、姫たちが、ローマ人たちの間を首の長いぶどう酒の壷を持ち歩き、護衛隊長の杯に注いでいる最中に、ついに事件は起きた。その護衛隊長は、飢えた目でエスィルトを眺めまわすや、彼女の腕に手を伸ばし、さらには抵抗するもう片方の手もとって、膝の上に組み伏してしまったのだ。エスィルトの持っていたぶどう酒の壷は、彼女の手から落ちて粉々にわれて真紅の飛沫を床にまき散らした。
「その手をお放しなさい、隊長!」ブーディカは、立ち上がって叫んだ。
 しかし、酔った護衛隊長は、放そうとはしなかった。それどころか、彼は笑い出し、ますますエスィルトを自分の方へ引き寄せようとする。その瞬間、彼女の目配せのもと、控えていたイケニの戦士の1人が、隠し持っていた短剣を取り出すや、その護衛隊長に飛びかかっていったのである。隊長は、目にも止まらぬ早業で、喉を切り裂かれて倒れ伏した。凄まじい断末魔の声とともに血しぶきが、周り中の人間に降り注いだ。ただならぬ気配に、外にいたローマ兵の一団が短剣を振りかざして大広間に殺到してくるのもほぼ同時だった。大広間にいた十数名のイケニの男たちは、たちまちローマ兵たちになぎ倒されていった。ついに、恐れていたことが起きてしまったのだ。
 その後に起きた出来事は、ローマ人の野蛮さを語るに十分だった。彼らは女王の砦をあますところなく略奪し、殺された護衛隊長の復讐として何十人ものイケニの男たちを虐殺したのである。砦で飼われていたほんの小さな子犬までもが槍で突き殺され、死者の顔は重い楯の縁でことごとく醜くつぶされた。生きている者は、首に縄をかけられて奴隷として連れ去られ、牧場の牛は一頭残らず持ち去られたのだ。ブーディカは捕らえられ、木に縛り付けられた上に上半身裸にされた。そして、肉が裂けて血がにじみ出るまで鞭で打たれ続けた。それは、あたかも盗みを犯した奴隷女に罰を与えるかのようであった。彼女の二人のいたいげな姫は、ローマ兵によって手荒く陵辱されたのであった。
* ローマへの復讐の誓い *
 この満月の夜に起きた暴虐行為は、もともと根強くあった反ローマの感情を、一気に噴出することとなった。そして、この時以来、ブーディカは、闇に生きる復讐の女神と化したのである。一族の者の多くは、ただちに昨夜のローマ人の暴虐行為に復讐しろと叫び騒ぎ立てていた。
 ブーディカはこの時、すでにローマとの開戦に踏み切った場合の、様々な可能性を1人静かに考えていた。相手は数百年間、無敗を誇る強大なローマ帝国なのである。一筋縄でいかぬ強敵であることは誰もが知っていた。折しもその時、ローマのブリテン総督は、ローマに唯一敵対しているモナ島のオルドウィケース族制圧のために出征中であった。彼らがモナ島を征服して、その主力を当方に向けてくるまでの期間はどれほどのものか? そして、イケニの男たちが武装を完了する時間はどれほどのものなのか? ローマ正規軍と戦うためにどれほどの部族の力が結集出来るのか? また戦いに必要な食料をどのように調達、確保すればよいのか? このようなことを、彼女は喧騒の中で目まぐるしく考えていた。
 しばらくして、彼女が剣をかざし、女王らしく威厳を持った眼で人々を見回すと、ざわめきは嘘のように静まり、たちまち恐ろしいほどの静けさだけが 張り詰めていった。彼女はイケニの戦士たちの顔をしばし見つめた後、沈黙を破って口を開いた。
「自由を愛する私の愛しき戦士たち! 我らの敵、ローマのブリテン総督は、はるか西方にある」
その声はささやくようでもあり、歌うようにも響いてきた。
「彼らが、モナの砦を落とし、我らに矛先が向けられる時は月が二度か三度満ち欠けするまでであろう」
「我らは、しばし、戦に必要な準備をせねばならない。・・・私は今宵、ローマ人たちに苦しめられてきたすべての馬の民に使いを出そう」
「今こそ、我らは、力を合わせ、長い暗闇から覚める時。 ローマ人が、我らから奪い取ったあらゆるものすべてを勝ち取り、より大きな復讐を果たさんがために!」
ローマへの復讐を誓うイケニ族の女王ブーディカ
 ブーディカの言葉も終わらぬうちに、イケニの戦士たちから、様々などよめきが起こり、ローマへの復讐の雄叫びと女王への賛美する声がいつまでも沸き起こり続けていた。
 こうして、イケニ族のローマへの反旗がひるがえったのである。紀元61年の夏のある夜の出来事であった。
 その夜、ブーディカの密命を受けた使者たちは、厳重なローマ人の監視の目を盗んで、疾風のごとく闇にまぎれ様々な地域に散っていった。そうして、彼らは秘密の道、埋もれた獣道、古い水路などを通って、 女王からの大切な伝言書を 各部族長に次々と持たらしていった。
 やがて、ブーディカの呼び掛けに呼応して、ローマに恨みを持つさまざまな部族のリーダーたちが、沼地の中央にある秘密の場所に集まり始めた。その中には、お互いに敵対する部族も混じっていたが、 女王ブーディカの非凡とも言える統率力が彼らの心を一つにまとめあげていった。各部族間の根底に横たわるいろいろな忌わしい記憶や憎悪でさえも、彼女には、戦うための力に変えていけるのであった。
 この結果、イケニ族の反乱に南部のトリノバンテ−ス族を始めとして、さまざまな種族が加わることとなった。ある部族は、戦車と歩兵を、ある部族は騎兵を、ある部族は投石機と弓を、と言うようにそれぞれが、集められる兵力を申告しあった。武器も持たない町の人間は、誤った情報を流すことで敵に撹乱することを約束した。森の奥の秘密の場所では、職人は密かに槍や弓、剣、戦車といった武器類を修理し、それらは隠し場所に随時貯えられていった。 衆議は何度も行われ、そこでは、戦術と決行日の詳細な打ち合わせが執拗にくり返し議論された。
* ローマ帝国に戦いを挑む *
 やがて時は来た。その夜、ブーディカは生けにえの黒羊を殺し、その血で自らの額、頬、唇にその血をこすりつけ戦いの化粧を施した。イケニの男たちを始め、あらゆる部族の 戦士たちの顔にも闘いの化粧が施されていた。女性と成人式にだいぶ間のある少年たちでさえも父親の槍や剣を持ち出して男たちの列に加わった。
 それから、連日にわたって集結が続いた。女王ブーディカのイケニ族を中心に様々な部族が加わった反乱軍は、 たちまちその規模数万の大軍に膨れ上がっていった。夕闇が迫る頃には、数百のかまどから煙りが上がり、戦士たちはそれぞれが持つ武器を、燃え盛る炎にかかげて、さらに鋭く磨きあげていった。周囲には何千という数えきれない軍馬が草をはんで待機している。 イケニの砦は、あたかもケルト人の巨大な軍事基地のような様相を呈し始めていた。
 三日目の明け方、角笛の合図とともに、ついに集結を終えた大軍団は、隊列を整えると、ローマに略奪されたこれまでの領土を奪い返すべく行動を開始した。
 ついに復讐の時は来たのだ。大軍勢は一群の戦車の集団に導かれて出発した。そして、先頭を行くひと際目立つ赤と黒のなめし皮におおわれた戦車上にブーディカの姿はあった。
 彼女は、炎のごとく燃えさかる戦士のマントを身に着け、金色の髪は、朝日の陽光を受けて光り輝き 戦車の巻き起こす風になびいていた。その光景は、女王蜂に従う怒れる蜂の大群のようにも見えた。
戦車上のブーディカ
 反乱軍は、東部イングランドから出ると、南東へと進路を向けた。最初の目標は、南のコルチェスターだった。この町を落とし、南のロンディニウムに向かう。これが、ブーディカの考えだった。ロンディニウムは、ローマ軍の一大補給基地となっていた。ここを陥落さえすれば、膨大な武器と食料が手に入るのである。
 その街道には、ローマの守備隊が待ち構えていたが、もともと装備も悪く老兵の多いローマの守備隊は、反乱軍の進撃を食い止めることは出来ず木っ端微塵に粉砕されていった。コルチェスタ−の街には、ローマの騎兵隊と守備隊で武装されていたが、ブリタニア人の決死的な突撃の前に突破され、すべてが略奪と破壊にさらされた。市街は至る所で放火され、街角には敵味方とも分からぬ焼け焦げた死体が折り重なっていった。
 夕刻までに、ほとんどの市民は殺され、生き残った者は、街の中央にある大神殿に逃げ込んだ。神殿は2日間持ちこたえることは出来たものの、ついに突破され、乱入してきたブリテン人たちに蹂躙された。ローマへの憎悪と復讐から怒り狂った彼らは、立て籠っていたローマ兵士を1人残らず皆殺しにしていった。神殿の奥には、女や子どもの群れが1ケ所に固まっていたが、ほとんどの者が、突入と同時にわが子を殺し、その後、自殺していった。死にきれずにいた子どもらは、ブリテンの戦士にとどめを刺された。
 自ら死ぬ勇気を持たなかった女たちも大勢いたが、彼女らは、すべて女王のもとに連れていかれた。泣き叫んで必死に命乞いをする者もあったが、彼女らはその夜、全員、郊外の森の奥に連れていかれ、木々に吊るされたのである。 遺体は、原形をとどめず朽ち果てるまで放置された。しばらくして、ローマの第9軍団の2千の兵力が救援に駆けつけたが、ブリテン人の巧妙な待ち伏せにあってひとり残らず全滅し、軍団旗は、奪われ踏みにじられてしまった。
 ブーディカは、ローマ人を捕虜にすることはしなかった。降伏は一切受け入れられなかった。軍門に下ったローマ人はすべて処刑されたのである。その方法も、磔にしたり、木々の間に吊るしたり、生きながら焼き殺したり、酸鼻きわまるまるものであった。 それはあたかもローマ人の手によって、今後自分たちに降り掛かるであろう恐ろしい運命を予想していて、その前に出来る限り、復讐しておこうというようにも受け取れるものであった。
 反乱軍の手に落ちたコルチェスタ−の街は、今や黒く大きな瓦礫の 焼け焦げただけの大地に変わり果て、無惨に広がっているばかりで、もはや原形をとどめるものは何一つなかった。目につくものはと言えば、焼けただれた材木から立ち上る煙りと、死肉に群がる何千というカラスの大群だけだった。胸のむかつく死臭の漂う中で、カラスは磔にされた数えきれない死体の腹を裂いて、そのはらわたを引きずり出しているという恐ろしい光景がそこら中、展開されていた。
 反乱軍は、コルチェスタ−を落とすと、休む間もなくその矛先をロンディニウムに向けた。この頃、ローマ軍の主力は、ようやくモナ島を征服して急行しつつあった。
 しかしロンディニウムは、城壁のない街だったので、守りきれないと見たローマ軍は、あえてこの地で闘うことを避け放棄してしまった。大勢のローマの商人や市民がいたが、彼らの涙ながらの哀訴も聞き入れられなかった。
ブーディカに率いられた反乱軍は、ロンディニウムに進撃する。
 財産を捨てるに忍びず居残った人々は、結局、陥落した直後に、ブリテン人によってすべて虐殺される運命にあった。こうしてロンディニウムもまた、途方もなく巨大な死の荒野と化していったのである。
 約7万人のローマ人が、ブーディカの率いる反乱軍によって虐殺されていった。復讐の女神と化したケルトの女王は、これまで無敵を誇っていたローマの軍隊に最大の敗北と侮辱をあたえたのである。
 ブーディカの反乱にローマ人たちは、恐れおののき、ケルト人に捕らえられたら最後、身の毛もよだつ方法で惨殺されるといううわさは、彼らを恐怖のどん底にたたき込んだ。実際、彼女は、女や子どもにも情け容赦しなかった。反乱軍の手に落ちた者は、すべて殺されていったのである。彼女の青い眼には、もはや復讐の炎しか燃えていないように思われた。この反乱の根本原因をつくった属州長官デキアヌス・カトウスなどは、恐怖に駆られて、真っ先に船に飛び乗ってガリア(フランス北部)にいち早くとん走してしまった。
 廃虚と化したロンディニウムを隔てて両軍は、にらみ合うこととなった。反乱軍はテームズ河を渡って北部近郊にある森の中に陣を張っていた。一方、ローマ軍は南に数キロ下った平野に野営し、本土からの援軍を待っていた。両軍の間はほんの十数キロという距離だった。

 両軍は互いに動かず、約2ヶ月間膠着状態が続いたが、本土からの援軍も期待出来ず、兵糧も底をついてきたローマ軍は、やむなくかねてから決戦場と考えていた場所に行動を開始した。
 その場所とは、南西に150キロほど行ったところに広がる丘陵地帯で、左右を恐ろしく深い森で囲まれたひじょうに幅の狭い峡谷である。ローマ軍の総指揮にあたっていたのはスエトニウス・パウリヌスという将軍で、これまでの敗北の原因をブリテン人との圧倒的な比我の差にあると考えていた。このときローマ軍は、近隣の同盟軍をあわせても1万人に満たぬ兵力であった。

 しかしこの場所なら、背後と側面からの攻撃を心配する必要はなかった。劣勢なローマ軍でも本来の力を発揮できるはずだ。ケルト人どもをこの峡谷の奥深くに引きよせ、ローマお得意の白兵戦に持ち込み、一気に粉砕してしまえばよいのだ。パウリヌスはこう考えていた。ブーディカはこの事実を知らなかった。パウリヌスこそ洞察力に優れ、ローマでも指折りの名将の1人であったという事実を。

 いやそれとは逆に、ブーディカは勝利をほぼ手中にしたと考えていた。今や、彼女の軍勢はローマ軍の10倍以上の大軍に膨れ上がっていたのである。
「我らが敵、ローマは自ら袋のネズミとなった。奴らは自分から罠に入り込んだ!今こそ恨みをはらす時が来た!」
この時、ブーディカは笑って叫んだという。
 しかし、本当に運命の神は、反乱軍に味方するのであろうか?
決戦を前に、戦士たちを叱咤するブーディカ
* 嵐の終焉 *
 夏の暑い太陽のぎらつく中、今、まさに決戦の幕は切って落とされようとしていた。角笛が鳴り響き、ブーディカの剣が降りおろされると、何百というケルトの戦車隊が、 地鳴りのような音をたてて、突撃を開始した。もうもうと砂塵が舞い、大地が揺れ、あたりは、真っ昼間だというのに霞みがかかり薄暗くなった。この時、すでに戦車隊の先頭は、ローマ軍の前線に到達しようとしていた。数秒後には、戦車隊は敵の防御線を突破して、コマ切れにし、敵陣は、総崩れになるはずだった。これまで、戦ったいくさのように・・・
 しかし、何かが違っていた。戦車の群れが、ローマ軍の前線を蹴散らそうとするまさに、その時、トランペットの音が鳴り響くや、巨大な楯が出現したのだ。それは、ローマお得意の密集隊形というもので、3段構えの強靱な楯の列というものであった。同時に、巨大な楯の後方から、数えきれない槍が、蚊のようなうなり声を上げて、ケルト人の操作する戦車に襲いかかったのである。戦車隊の先頭は、恐ろしい音をたてて崩壊した。それは、人と馬が大地にぶつかり、潰れる時のいやな衝撃音だった。
彼らは、ケルトの戦車隊を出来る限り 引きつけ、正確に猛烈な槍の雨を降らせたのであった。この攻撃で大きな被害を受けた戦車の群れは、立ち往生した。中には、恐怖のために、狂った目をして逆走してくる馬もあった。それらは、後続の戦車の群れとぶつかったりして大混乱を引き起こした。それらは、すべてが十数秒の間で起こった。
 ローマ軍は、この機を逃がさず、剣をかざし、白兵戦に移った。すべてが、 完全な秩序のもとで、急速に行われた。同時に両翼の騎兵と歩兵が槍ぶすまとなって突撃に移った。それは、あたかも、ローマ軍全体がくさび型になってケルト人の大集団に巨大な穴を開けたような格好となった。巨大なくさびは、それ自体が、生き物のようになって、そのまま、ブリテン軍の中心部目指して猛烈な突撃を続けた。
 戦いが始まって、あっという間に戦況は一変してしまった。十万の大兵力だったブリテン軍は、総崩れになり、ぼろ布のようにズタズタに寸断されてしまった。すべてが、悪夢のように進行した。ブリテン人たちは、圧倒的な勝ち戦を見物させるつもりで、女子供を乗せた巨大な幌馬車を多数、軍団の最後尾につけていたが、そのことが、自らの退路を断つ結果となってしまった。引き連れてきた馬車の群れが、皮肉にも、自分たちの首を絞めることになってしまったのである。まるで、狭い峡谷にふたでもしたかのように、敗走するブリテン人たちは、ここで塞き止められ、身動きが取れずに次々と斬り殺されていった。どこを見ても、ものすごい死体の山だった。予想とは逆に、罠にはまり、袋のネズミになったのは、ケルト人たちの方であった。記録では、何と、8万人以上のケルト人が死んだことになっている。
 ブーディカの二人の娘、エスィルトとネッサンもこの時死んだ。エスィルトは、健気にも、死者から奪った剣で、戦っていたが、ローマ兵に胸を一突きにされ、小さなボロ布のようになり、むなしく崩れ落ちていった。13才になったばかりの妹のネッサンは、 横転したほろ馬車の下敷きになって息絶えた。その死は、目を見開いたまま、一言も発することなく、最後まであどけない表情を残したままであった。
 ブーディカは、負傷したものの、わずかのお供に連れられて、からくも、戦場を離脱した。その後、戦いに敗れ、自分の大切な二人の娘も死んだと聞かされた彼女は、故郷に戻ることを決めた。何日もかかって、故郷のイケニの砦に到着した時、そこには、年老いた彼女の乳母が、暖かい火を焚いて待っていてくれた。ブーディカを赤ん坊の頃からよく知っているなつかしく優しい乳母だった。
「姫さま、お帰りになられるのはわかっていましたよ 」その声は、すべてを知りつくしていることを物語っていた。 なつかしいその声を聞いた途端、彼女は、胸の中に熱いものが次から次へと込み上げて来るのを止めようがなかった。彼女の青い目から、いく筋もの涙が頬をつたっていった。今や、見慣れたはずのイケニの砦が、どこもかしこも、なつかしく麗しいものに感じられるのであった。かつてここでローマに復讐を誓い、戦士たちとともに、勝利への雄叫びを上げたのだ。思えば3ヶ月前、すべてはここから始まったのである。
 やがて、乳母が眠りの水に満たされた見事な杯を持ってきた。その美しい彫刻が施された杯は、かつてプラスタグスが、結婚式でブーディカに永遠の愛を誓って贈られたものだった。彼女は、杯の中の白く濁った液体に目を落とした。これを飲み干せば永遠に苦痛から解放され、愛する娘たちのもとに行けるのだ。死んで行った多くのケルトの勇者たちのもとへ行けるのだ。

 砦の片隅に咲く名もない一輪の花を彼女はじっと見つめた。そして、真っ赤な夕日が荒野に沈もうとする時、ブーディカは、静かに杯を上げて最後のひとしずくまで一気に飲み干した。そして数カ月前、自分の身代わりとなって死んでいったプラスタグスの後を追った。

* 陽はふたたび昇る *
・・・こうして、ブーディカのローマへの挑戦は終わった。それは、夏の日に起きた嵐にも似ていた。しかし、その嵐は民族の尊厳のためにというには、あまりにも、はかなく短か過ぎるものであった。もしも歴史に if が許されるなら、この時、彼女がよく訓練されたローマ正規軍と真っ向から戦うことを避け、持久戦に持ち込み、ゲリラ戦術に徹していたらどうなっていただろう? 恐らく、 名将パウリヌスを持ってしても、物資の欠乏していたローマ軍は、ブリテン軍の攻撃の前にひとたまりもなく全滅していたにちがいない。そうなれば、イギリスの歴史は現代とはずいぶんと違っていたものになっていたはずだ。
 ブーディカの生きたノーフォークの地には、2千年経っても、なお当時を忍ばせる風土が残されている。女王ブーディカとは、古代ケルト語で「勝利」(ビクトリィ−)を意味するものだと言われている。この古代ケルトの偉大な女王の血は、この地に住む人々に受け継がれ、彼女は人々の心の中で今も永遠に息づいているのである。
 現在、ロンドンの大時計台の見下ろすテームズ河畔には、彼女の彫像が立てられている。その姿は、エスィルト、ネッサンの二人の愛しき姫を従え、宿敵ローマを蹴散らさんと、戦車にうちまたがり、味方のケルト戦士を叱咤激励しているかのようでもある。
 そこには、時の権力に敢然と立ち向かった健気な英雄のイメージをかい間見るようである。
 やがて、17世紀になって、彼女の子孫たちは大英帝国の黄金時代を現出し、彼女と同じく勝利を意味するビクトリア女王のもとに、世界の海を制覇したが、それはまさしく女王ブーディカの不撓不屈の魂が時を越えて乗り移ったものにちがいなかった。
テームズ河畔にたたずむブーディカの像
 古代ケルトの女王、ブーディカの心は今も生き続けている・・・・
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参考文献 「闇の女王にささげる歌」ローズマリー・サトクリフ 乾侑美子訳 評論社

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