シンデレラの靴
〜世界に伝わる様々な伝承とその起源〜
* 心の優しい娘の話 *
 あるところに、とても美しくて心の優しい娘がいました。しかし悲しいことに、娘の母親は早くから亡くなってしまいました。父親が二度目の結婚をしましたので、娘には新しいお母さんと二人の姉ができました。ところが、やって来た新しいお母さんも二人の姉もたいへん高慢ちきで意地の悪い人たちだったのです。
 娘はたいそう美しかったので、それが気に入らないのか、姉たちはこぞってこの娘をいじめました。娘は朝から晩までこき使われ、着る物にしても継ぎはぎだらけのぼろです。夜は屋根うら部屋のわらぶとんで寝て、昼は日がな一日、かまどの側で薪を燃やしたり灰をかき出したりしていました。そのため、娘は義姉妹たちからシンデレラ(灰だらけの娘)と呼ばれて笑われていました。
 ある時、お城で舞踏会が開かれることになり、身分ある人々が招待されることになりました。二人の姉も招待され、二人とも大喜びで一日中、鏡の前に立ちっぱなしで、ウエストを細くしようとコルセット締めたり、似合いそうな服や髪形を選ぶのに夢中になっていました。心の優しいシンデレラは姉たちの身支度を手伝ってあげていました。
 しかし、姉たちが出かけてしまうと、シンデレラは急に悲しくなって来ました。シクシク泣いていると、「泣くのはおよし」と後ろで声がします。振り向くといつのまにか仙女が立っていました。
「いつもがんばり屋さんのお前にご褒美をあげるよ。お前にも舞踏会に行かせてあげよう」そういうと、仙女は大きなカボチャを持っておいでとシンデレラに言いました。

 シンデレラは言われた通り、畑に行くと一番大きなカボチャを見つけて持って来ました。仙女はカボチャの中身をくりぬくと、ポン!と杖で打ちました。すると、どうでしょう。カボチャはむくむくと膨らんで金の四輪馬車に変わってしまったのです。次に仙女は6匹のハツカネズミを杖で打ちました。ハツカネズミは、たちまち六頭の白馬に変わってしまいました。
 仙女はそれから、ネズミ捕りの罠にネズミがかかっているのを見ると、それにも杖を打ちました。ネズミは立派なひげの御者に変わりました。
 続いて、じょうろの陰にトカゲが六匹いるのを見た仙女は、それにも杖を振りました。六匹のトカゲはたちまち派手な制服を着た召使になってピタリと一列に整列しました。
 最後に仙女は、継ぎはぎだらけのシンデレラの服に杖を打ちました。みすぼらしい服は、金銀と宝石の縫い込まれたきらびやかなドレスに変わりました。靴はというとキラキラ輝く透き通った美しいガラスの靴です。
「さあ、おいき! ただし、魔法は夜の十二時までしか効かないよ。それまでには必ず帰って来るんだよ。もし一分でも過ぎたら、馬車や御者たちも美しいドレスもみんな元に戻ってしまうからね」そう仙女は注意しました。シンデレラは馬車に乗ると舞踏会へ出かけて行きました。
 さて、お城では誰も知らない立派な姫君が到着したという報せを受けて上を下への大騒ぎになりました。広間はしーんと静まり返り、踊りも音楽も止んで、誰もがこの美しい姫君に注目します。女性たちも食い入るような視線をシンデレラに送りました。その中には彼女の姉たちもいましたが、二人はそれが自分たちの妹だとは全く気づかない様子です。
 王子はシンデレラの手を取ると、うやうやしく席に案内してからダンスに誘いました。やがて王子はシンデレラに夢中になり、他の何も目に入らなくなりました。心の優しいシンデレラは、王子にもらった貴重品やオレンジ、レモンなどをみんなに配って回り、挨拶をするのを忘れません。
 でも楽しい時間はあっという間に過ぎ、シンデレラが仙女の言い付けを思い出したときには、夜の十二時まであと十五分という時間になっていました。早くしないと間に合いません!シンデレラは丁寧にお辞儀をすると、王子の手を振り切るようにして慌てて帰っていきました。やがて、二人の姉も帰ってきましたが、彼女たちはみすぼらしいボロをまとったシンデレラを尻目にして見たこともない綺麗なお姫様が現れたなどと言ってまくしたてるのでした。
 翌日も、姉たちが出かけていくと、シンデレラは前よりもっと着飾って出かけて行きました。王子はずっと彼女の側にいて、夢中になって愛の言葉をささやいています。王子の頭の中は何もかもが溶けて消え去ってしまったようです。シンデレラも時の経つのをすっかり忘れてしまいました。その時、夜中の十二時を告げる大時計の鐘の音が響くのが聞こえて来ました。
 さあ、大変です。シンデレラははっとして青ざめました。この鐘の音が全て鳴り終わると、魔法は消え去り、恐ろしい現実が始まるのです。シンデレラは何も言わず身をひるがえすと階段を駆け下りていきました。驚いた王子が何か言いながら後を追って来ましたが、彼女は振り返ることなく、ひたすら階段を駆け下りて行きます。最後の鐘の音が鳴り終わった時、もうどこにもシンデレラの姿はありませんでした。
 途方に暮れた王子は、門番に美しい姫君を見なかったかと尋ねましたが、門番はボロを着た田舎娘が通り過ぎていっただけですと答えるのでした。
 ところが、階段にキラキラと輝く美しいガラスの靴の片方が残されていました。
 きっと、慌てた姫君が落としていったのでしょう。王子はガラスの靴を手に取ると、階段に立ち尽して食い入るようにそれを見つめていました。
 それからほどなくすると、お城からおふれが出されました。
このガラスの靴とぴたりと合う娘を王子の妃とするという内容でした。
国中の姫君、果ては奥方までがこれに挑戦しましたが、誰もぴったりと履くことが出来ません。
 お城からやってきた使いはシンデレラの家にも来ました。二人の姉たちも挑戦しましたが、どうしても履くことが出来ません。その時、シンデレラが私にも履かせて下さいと言いました。姉たちは意地の悪そうな笑みを浮かべてプっと吹き出して言いました。「私たちが履けないのに、お前なんかに履けるはずがないわ」
 しかし役人たちは途方に暮れていたので、シンデレラにも試してみることにしました。
 するとどうでしょう! シンデレラの足にガラスの靴をあてがうと、するりと入ってしまったのです。まるですべすべに磨いたかのように、足にぴったり入ってしまったのでした。
 次の瞬間、二人の姉はもっと驚きました。シンデレラがポケットからもう片方のガラスの靴を取り出すと、それも履いてみせたからです。
 その時、仙女があらわれました。そして仙女はシンデレラの服を杖で打ちました。みすぼらしい服はたちまち金色に輝くまばゆいばかりのドレスに変わりました。魔法は永久になり、解けることはなくなりました。もう誰も夜な夜な舞踏会に現れた美しい姫君が、このシンデレラではないなどと疑う者は一人もいません。二人の姉はシンデレラの前に身を投げ出すと、今までひどい仕打ちをしたことをひたすら謝りました。シンデレラは、無言でにっこり微笑むと二人の顔にキスをして優しく抱きしめるのでした。まもなくシンデレラは、王子の妃となり、美しいお城に住んでいつまでも幸せに暮らしたということです。

* ガラスの靴はペローの勘違いから生まれた? *
 シンデレラの話は、フランスのシャルル・ペローやドイツのグリム兄弟の童話としてよく知られている。しかし世界的に有名にしたのは、何と言ってもシャルル・ペローで、彼は元々、ヨーロッパに広く伝わる民話などからヒントを得て独自なおとぎ話をつくり出したと言われている。その際、彼の生きた時代、ルイ14世時代の華やかな宮廷文化の特徴が物語の中に色濃く加味されたのであった。例えば、カボチャやハツカネズミが豪奢な金色をした四輪馬車や美しい白馬になり、きらめくドレスに身を包み、たくさんの従者を引き連れて、豪華な舞踏会に行くというストーリーや、華やかな宮廷内の様子などがそれだ。
 ところで、この物語に出て来るシンデレラの履くガラスの靴の起源をめぐって長らく議論が交わされていた。ガラスの靴は本当は間違いで毛皮製の靴だったというのである。この手の話に出て来る靴は、ほとんどが金や銀を刺繍したもの、あるいは毛皮製の靴となっているからだ。実際、ぺローの話にしかガラスの靴は出て来ないのである。
 ガラスの靴のガラスは、フランス語ではベールと発音され、 verre(ガラス)と綴る。これと同じ発音でwaireという単語もあり、こちらの方は毛皮を意味する。もっと詳しく言うと、銀リスなどの小動物の毛皮を意味するのである。中世の時代では、銀リスの毛皮の靴は、高貴な身分の人間にだけ許されたぜいたくな履き物であった。そういうことから、物語の原型になった民話にしても、その中で登場する靴はvaireでなければならなかったと考える方が自然というものだ。恐らくぺローがこの伝承を聞いた時に、同じ発音であったことから、間違ってverre(ガラス)の靴と思い込んでしまった可能性はある。それともそれも承知で、ぺローが故意にガラスの靴と創作したのかもしれない。彼としてみれば、ガラスで出来た靴ほど仙女からの贈り物にふさわしい靴もないと考えたのであろう。でも実際のところ、本当はどうだったのか今となってはわからない。
 ただし、ぺローが考えたガラスの靴は、ヒールなどないスリッパ状の履き物であった。それが今日では、ガラスの靴と言えば、誰もが思い浮かべるハイヒールのような形になってしまった。これに関しては、ウォルト・ディズニーのアニメの影響が大きいと言わねばならない。いずれにせよ、ガラスの靴は今日では世界的に有名になってしまい、シンデレラと言えば、ガラスの靴になってしまったのである。
 ドイツのグリム童話にも「灰かぶり姫」というシンデレラの話がある。恐らく、百年ほど前のぺローの話を元につくられたと思うのだが、その中で登場する靴は、ガラスの靴ではなく金の靴になっている。それにグリム童話では、ぺローの話のようにハッピーエンドではなくいささか残酷な筋書きとなる。

 シンデレラをいじめた異母姉たちは、王妃になりたいがために、痛みをこらえて悪戦苦闘し小さな靴を履こうとする。その苦労たるや惨たんたるもので、どうせ王妃になれば歩く必要もないのだからと言って、姉はナイフでつま先を切って、妹はカカトの一部を切り落としてしまった。そのため、どうにかこうにか履くことは出来たが、足が血まみれで、痛くて歩くことなど出来やしない。事の始終を見ていたハトはこのことを王子に告げる。その上、姉たちは婚礼に随行する途中で、ハトに目をえぐられて失明してしまうのである。シンデレラはと言うと、当然の報いだとばかり微笑むだけである。これは善良でない人間には、神様は罰を下すのだという教訓らしいが、いささか残酷過ぎる気合いがある。

* シンデレラの靴のルーツを探る *
 主人公は心が優しく美しい少女で、継母や義姉にいじめられる。また妃選びでは、本人以外の誰一人その靴を履くことは出来ないというこのストーリーは、世界各地にも残っている。
 実は中国でもこうした話があるのだ。これは言わば、中国のシンデレラ版とも呼べるもので、ペローやグリムの時代よりも9百年も古い。すると、こちらの方がルーツになるのであろうか。それはこういう話だ。唐の時代、ベトナムに近い中国南部の村に葉限という美しい少女がいた。葉限は気だてがよく、意地の悪い継母にいじめられてばかりいた。ある日、葉限は大切な靴を履いてお祭りにいくが、靴の片方を落としてしまった。その片方の靴を偶然見た王は、その靴のあまりの可憐さに恋してしまった。
 その靴は金や銀で細かな刺繍がされてあり、髪の毛のように軽いものだった。王はこの持ち主をどうしても捜して来いと部下に命令する。こうして、靴が縁となり葉限は王と結婚するのである。実はこの頃のベトナムや南中国の女性は、自分の履く靴を自分の足にぴったり合わせて他人には履けないほど丁寧に手作りする習慣があったという。しかも、個性的に刺繍までして非常に大切にしていたのである。確かに、こんなオーダーメイドみたいなチャイナシューズなら、なかなか他人の足には合わないのかもしれない。
 では、唐時代の中国の話が伝承されて、ヨーロッパの民間伝承に受け継がれ、現代のシンデレラの話になっていったのだろうか?
 しかし驚いてはいけない。それよりもさらに古く、紀元前2200年頃の古代エジプトにもこの手の話があるのだ。こちらは中国の話よりもさらに古く3千年もさかのぼる。そうなると、これこそが本当のルーツとなるのだろうか。ともかく、この話も興味深いものだ。その昔、ロードピスという若い娘がいた。ある日、ロードピスがナイル川で水遊びをしていたところ、一羽のワシが舞い下りて来て、砂の上に置かれてあったサンダルの一方をくわえて飛び去ってしまった。ワシは上空に舞い上がると、どんどんナイル川を下っていき、800キロも離れた都メンフィスの上空まで飛び続け、そのサンダルを落としたのであった。その時、都では重要な事を決めるまつり事が行われていた。その最中に上空からサンダルが落ちて来たのだからたまらない。神官たちはワッと驚いて空を見上げたが、ワシの姿はすでになくいずこかに飛び去っていた。ただファラオだけは、そのサンダルを見て非常に心を揺り動かされた。
 それは小さなサンダルで若い女性用のものであった。精巧に編まれた刺繍が施されており、ところどころに細かな金のモザイクや宝石がちりばめられている。
 それは一目見ても、高貴な女性のサンダルだとわかった。ファラオはその美しいサンダルに非常な興味を示し、神官たちにその持ち主を探し出すように命令を出した。この頃、古代エジプト人は日常蘆で編まれたサンダルを履いていた。特に高貴な女性になると、蘆で編むだけでなく、丹誠込めて職人に個性的なサンダルをつくらせるのが常であったのである。
 国中にサンダルを片方なくした女性は名乗りを上げるようにというおふれが回った。当然、それにはファラオから特別の褒美を取らせるというコメントも付け加えられた。最初は、取りつく島もないという感じだったが、やがてロードピスという娘が名乗りを上げた。ロードピスは持っていたもう一つのサンダルをファラオに見せたので、ファラオもこれに納得した。そして、あらためてロードピスの美しさに魅了されてしまった。つまり、ロードピスはファラオに二度見初められたのであった。一度目は美しいサンダルに。二度目は美しい彼女自身に。
 しかしはかないことに、王妃になった途端、ロードピスは病気になってしまい死んでしまった。ロードピスの早過ぎる死を嘆き悲しんだファラオは、彼女のために壮麗なピラミッドを建てたということである。
* ガラスの靴は潜在意識のメタモルフォーゼ? *
 こうしてみると、この手の話は時代ごとに形を変えて、少しづつストーリーは異なるが、世界中に伝わっているようである。端的に言えば、靴フェチ王子の話は世界中にあるということなのであろうか。靴に性愛を感じる男性心理は、世界共通なのかもしれない。元来、フェチシズムは特に男性固有の心理に根ざすものであるという。とりわけ、ナイーブで育ちの良い男性にこの傾向は強いらしい。そうすれば、王子や王にこの傾向が強いのもうなづけるというものである。
 逆に、女性は自分が大衆の前で美しくありたい、注目されたいという願望が隠されているようだ。だが実際の人生は味気なく、アッと思うような素晴らしい、胸のときめくような出来事に出合うことなどまずあり得ない。それだからこそ、水際だった方法で、一躍注目されたいと願うのもこれまたごく自然の心理かもしれない。
 ぺローはシンデレラの最後に教訓を書いている。女性にとって美しさは宝もの。その中でも「ガラスの靴」はもっと貴重なもの。王妃になれたのもこのためだと。
 これはガラスの靴にこそ、美を越えたもっと大切なものがあるという教訓に思える。恐らく、内面からにじみ出る美しさこそ最も価値があるのだという意味であろう。見かけだけ綺麗で、体裁だけ整えていても、それは偽わりの姿であり、内面からほとばしる美しさには到底かなわない。仙女がガラスの靴に置き換えて、みすぼらしい彼女に与えたもの。それは幸福で幸せな運命だった。
 この話の筋書きは、偽わりと欺まんに満ちた時代に生きねばならなかった庶民の心に宿る願望とも言えるかもしれない。それとも、善良な人間にはこうなって欲しいという庶民のはかない望みだったのだろうか。

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