狂女王ファナ
〜嫉妬に狂い46年間幽閉されたカスティーリャ女王〜
* 太陽の沈まぬ国スペイン *
 1495年、コロンブスが新大陸を発見して3年後、このとき世界はスペインを中心に動いていた。新大陸からは香辛料や金銀をはじめ莫大な富がもたらされ、サラセン帝国の最後の拠点グラナダはついに陥落し、イベリア半島からイスラム勢力を一掃し終えたスペインは、名実ともに世界帝国への道を歩み出していた。
 だがいいことづくめだけではなく問題も噴出し始めていた。植民地は増えつづけても、スペイン人たちは目先の金銀財宝ばかりに目がくらみ、植民地経営を顧みることがなかったのである。ひたすら拡大されていく領土と刹那的で果てしのない欲望。こうした矛盾はオランダ、イギリスなどの新興国に追い上げられ、近い将来、その地位から転落する危険性をはらんでいた。
 スペイン女王イサベルにとって、国力のより一層の充実と他国の追随を許さぬ基盤づくりは一刻の猶予のならぬ問題でもあった。
* スペイン帝国の王女として *
 こうした中、スペインと神聖ローマ帝国(現在のドイツ地方)との間で政略結婚がとり行われようとしていた。当時、スペインは隣国のフランスとは敵対関係にあった。フランスの向こう側にある神聖ローマ帝国もフランスとは仲が悪かった。こういう意味で、スペインにとって神聖ローマ帝国と同盟関係になることはお互いの国益からしてふさわしいものと思われたのである。
 スペインの王室からは16歳のファナが縁談として選ばれ、相手の神聖ローマ帝国側は17歳の長男のフィリップが選ばれた。両国の思惑が一致していたために縁談は順調に進んだ。ところがあまりにも物事がとんとんと行き過ぎて、結婚の細かいスケジュールをおろそかにしたまま急展開してしまった。
 1496年の冬、スペインからファナを乗せた船団が出発した。
 当時、神聖ローマ帝国の首都はチロルのインスブルック(現在のスイス地方)にあり、大陸伝いで行けば近くなるが、まさか敵対するフランス領を横断するわけにもいかず、海路で北ヨーロッパまで行き、そこから陸路で南に下っていくコースしかなかった。そうなると総延長2千キロにも及ぶ長大な旅路になる。
 ようやく一行はフランドル(今のベルギー地方)に到着したが、このとき神聖ローマ帝国側は迎える準備がまるでできていなかった。ともかく現在と違って連絡が簡単にできる時代などではなく、それに加えてこれだけの大旅行ともなればいろいろと不備が出て来るものなのである。
 それにしても一行が港に着いたという知らせがもたらされたのが、2日以上も経ってからのことだったので、そこから慌てふためいて準備し出すという手際の悪さであった。相手の対応の悪さにさすがに一行は失望の色を隠すことが出来なかった。
 出迎えの歓迎もなく、そのまま陸路でチロルまで向かうが、まだここから800キロという道のりを走破せねばならない。折しもヨーロッパは冬本番に入りつつあった。フランドル地方の冬は陰鬱で曇った日が多い。みぞれ混じりの粉雪が舞い、北ヨーロッパ特有の殴りつけるような荒々しい北風は骨身にしみるほど寒く、気候の温暖なスペインで育ったファナにはとても辛い環境であった。
 とうとうファナは旅の疲れも相まって風邪をこじらせてしまった。息が熱く身体が熱っぽく頭も痛い。食欲もなくむかむかして気分が悪い。「もう、なんて寒さなの、故郷のスペインとは大違いだわ。ああ、とても我慢できない。この先、私はうまくやっていけるのだろうか?」気弱になったファナの口をついて出るのはため息と愚痴ばかりであった。
 しかしまもなく早馬で迎えに来たフィリップを見て、そうした鬱陶しい気持ちは一瞬で吹っ飛んでしまった。
 たちまち失望状態だったファナの表情は夢見る乙女のそれに早変わりした。始めて見るフィリップはファナが想像した以上の美男子だったからである。
 背はすらりと高く、瞳は澄んだブルーで、髪は輝くような金髪だった。当時、フィリップは美男の誉れの高い貴公子として知られていた。
フィリップ
(1478〜1506)美公と呼ばれた。
一方、フィリップの方もファナのことを一目で気に入ってしまった。
 こげ茶色の髪、小麦色の肌、エメラルドのような緑色の澄んだ瞳、こうしたファナの容貌はフィリップの目には南欧からやってきたエキゾチックな王女としてたいそう魅力的に映ったのである。
「早く!誰でもいいから今すぐ司祭をここに連れてこい!」フィリップはすぐにでも結婚したい一心でこう家来に命じたほどであった。
ファナ
(1479年11月6日〜1555年4月12日)
 つまり両人ともお互いを気に入って完全にのぼせ上ってしまっていたのである。
* フィリップの浮気に苦しめられる *
 情熱的に結婚し、愛し合った二人はまもなく2男4女を設けることになった。ところがこのあたりからフリップの浮気心が目につき出した。意味もなく帰って来ない日が次第に増え出したのである。連絡もなければどこに行っているのかも見当もつかない。宮廷にはフィリップがどこそこの伯爵夫人とねんごろの仲になっているだの、女官の一人を誘惑してたいそうな贈り物をしただのという噂が耳に入って来る。
 こうしたことは真面目一途で信心深く、些細なことにも妥協の許さぬ性格だったファナにとっては我慢ならぬ事態であった。ファナは元来、知性の豊かな女性であったが、感情が高ぶって来ると自分を見失ってしまうという一面もあったのである。
 何を信じればいいのか、何を心の支えにすればいいのか、疑心暗鬼におちいったファナの心境は次第に救いのない境地に追い詰められていった。それはまさに嵐に遭遇して大海に弄ばれる小舟のようであった。そのうえ、当初の約束とは違い、予定されていたお金を出してもらえず、遠くスペインから連れて来たお供の家来たちになにがしかの手当を渡すことも出来なかった。フィリップへの愛情と激しい嫉妬の板ばさみに加えて、それに追い打ちをかけるように経済的な困窮が彼女を苦しめた。ファナは宮廷で一人泣き暮らす日々が続いた。
 こうした中、まもなくファナの奇行が目につき出した。真夜中、一人寝室でシーツの臭いを嗅いだり、フィリップが帰って来ると、泣きはらした目で恨めし気にじっと見つめたりすることが多くなったのだ。
 フィリップの方も、最初のうちは弁解や心にもない言葉に終始していたが、そういうことが度重なってくると、次第にファナに嫌気がさし、もう必要以上何も言わなくなった。
 ファナの方も自分の心の中に閉じこもって無口になってゆく。こうしてフィリップへの猜疑心はやがて人間不信の感情へと変化し、ゆっくりと彼女の精神自体を蝕んでいくのである。
* 故郷のスペインに帰る *
 ファナが嫁いでしばらくすると一族に不幸が度重なるように続いた。同じくフィリップの妹マルグレットと結婚していた兄のファンが突然死んでしまったのだ。ファンは元々肺病持ちであった。つづいてポルトガル王妃であった長女のイサベルも産後の肥立ちが悪くあえなく死んでしまい、残された王子も病死するということがたて続きに起こった。
 かくして、スペインの王位継承問題が深刻化してきた。これからも王位を途切れさせることなく、未来永劫、陽の沈まぬ国スペインを発展させてさらに盤石なものにしていって欲しい。こうしたイサベル女王の願いを受けて、ファナとフィリップの娘夫妻は急きょスペインに呼び戻されることになった。
イサベル1世
(1451〜1504)
 母イサベル女王の願いを受けてファナはすぐにでもスペインに飛んで帰りたい心境であったが、しかし夫のフィリップは乗り気ではなかった。元々フィリップは何事にも事大主義で格式ばったスペインを好きではなかったのである。結局いろいろあって気乗りのしないフィリップとともにようやくスペインへの旅路につくことになったが、ファナの胸の内はいかばかりであったのだろう。
 ファナにとっては5年ぶりになるはずのなつかしい故郷スペインであったが、しかし帰ってみるとそこでも喧騒が待ち受けていた。絶えず国のどこかで勃発するイスラム教徒による反乱を鎮圧せねばならず、ユダヤ教徒やキリスト教異端派などとも戦わねばならず、そのため戦費は増大し国庫も火の車で、騒然とした中では歓迎会も満足に用意できなかったのだ。
 心待ちにしていたはずなのに父も母も出迎えてくれない。久しぶりに帰ったファナの心の中を沈痛な思いが空しく広がってゆく。そうしたファナの心境も知らず、フィリップの無神経で容赦のない言葉がさらに彼女を傷つけた。
「せっかく帰って来てやったのに歓迎会はあれだけかい? 接待の女たちがたったのあれっぽっち、なんだいこれは?」などとぶつぶつと不満をもらす。そしてカトリック特有の儀式がとり行われるたびに露骨に嫌そうな顔をしてつぶやくのだ。「ええ、またかい? どうして、俺たちが出ないとダメなんだよ? なんか言えば、儀式、儀式って、まったく退屈で面白くもない。だから嫌なんだよ、スペインってのは!」
 万事がこういう調子であったので、ファナの方ももう何も言おうともせずに押し黙って自己の内面に閉じこもるようになった。そんなフィリップの態度にスペイン人たちも好意を持つはずもなく逆に反感を持つ人間の方が多かった。
* 少しずつ狂い出したファナ *
 誰にも気づかれずに、彼女の心の中で何かが少しずつ狂い始めていった。何をするにしても動作はとりとめもなく、なにか目的があって行動しているふうには見えない。あるとき、ファナはかわいい小鳥が来て自分の肩にとまってさえずっているなどと言って侍女を呼び出したことがあった。しかし侍女が何度見ても彼女の肩には何もなかった。また、分けの分からないひとり言をつぶやくことが多くなった。「ええ、それはね。私はね、始めから分かっていたことよ」などと誰に向けられることなく意味不明な言葉をよく口走るようになったのだ。
 そんなときのファナの視線は遠くに向けられることが多く、歌うような口調になる。しかし穏やかに話していると思えば、急に一転して、泣き叫んで聞くに堪えない呪詛の言葉を吐き散らす。そんなファナの仕草や物言いに、周囲の者は彼女の心の中に常軌を逸したものを感じ始めていた。
 異常な振る舞いはさらに多くなり、誰の目にもそれは歴然となった。深夜、四つ這いになってナイフを振りかざして寝室のベッドに何度も突き刺したり、奇声をあげてカーテンを力まかせに切り裂いたりもした。
 狂気がとりつき始めたと考える者もいた。
というのも彼女の祖母だったイサベルは精神錯乱者で、晩年は幻覚と妄想をともなう錯乱状態に陥り、城の中で廃人となって一生を終えたことが知られていたのである。ファナにもこうした血が流れていたということだろうか。
 おそらくファナの心の中では愛情と嫉妬がめまぐるしくせめぎ合い、徐々に狂気へと駆り立てていったのであろう。それは蝋燭の芯が燃え尽きるように、彼女の精神もまた燃え尽きようとしていたのかもしれなかった。
 こうしたファナの苦しみも知らず、今日もまたフィリップは行先も告げずにどこかに出かけてゆく。尾行につけた侍女からは、フィリップ様がどこそこの修道院に忍んで行きましたとか、いつもの女官の元に行きましたとかの報告がもたらされる。ファナにはとうてい耐えられない内容である。しかしこれほどひどい裏切り行為にもかかわらず彼女は心の底で夫フィリップをひたすら愛しつづけた。
* 再びフランドルに帰る *
 王位継承権が議会で承認されると、フィリップはスペインの乾燥した気候が身体に合わないなどと言って、予定を切り上げてこの年、フランドル地方に帰国してしまった。
 ファナはこのとき身ごもっていたために一緒に帰ることなくスペインに残ることになった。まもなくファナは無事に王子を出産するが、イサベルは帰国を許可しようともせず、やがてマドリード北部にあるモニタ城に身柄を移してしまった。これは母イサベルが母子の健康を考えてのことだった。浮気心の多いフィリップと距離を置き、精神を病んでいる娘ファナを少しでも落ち着いた環境の中に置けば、そのうち病気も回復するだろうと考えていたのである。
 ところがファナからしてみれば、自分とフィリップの仲を引き裂こうとしている。だから城に閉じこめたのに違いないと思い込み、母のイサベルまで恨むことになった。自分が監禁されたと思い込んだファナは、狂乱してわめき散らし、ドアに何度も体当たりし、そこら中の物を投げ散らかすようになった。ここに至り、母イサベルは彼女を説得することをあきらめ、フランドルへの帰国をしぶしぶ認めることにした。
 こうして、フランドルに帰って来たファナだったが、やはり事態は同じでしばらくすると、フィリップの昼夜を分かたぬ浮気に心身ともに衰弱していくのである。        
 やがて彼女はどのような場であっても人目をはばからず激高するようになった。それは女性特有のヒステリーというよりも、もっとなにか精神的な疾患が原因で起こる制御不能の発作のようにも見えた。ある時など、大理石の置台にある花瓶をやにわに持ち上げると、金切り声をあげて力いっぱいたたきつけて粉々にしたこともあった。侍女たちはどうしていいか分からずうろたえるばかりで、ファナ自身もその場にうずくまって狂ったように泣き崩れていた。
 また、フィリップが熱をあげているという女官を呼び出しては、理不尽な命令を与えたあげく、衣装箱に閉じこめたり、その場で丸坊主にしてしまうということもあった。そういうときのファナは何をどう言っても無駄で、たがのはずれた嫉妬心はさながら狂気のようにも見えた。侍女たちはひたすらナイフなどの凶器類を彼女の目につかないところに隠したりするのが関の山であった。
 こうしたファナの精神錯乱による異常な振る舞いはスペインの宮廷にももたらされ、娘の不憫さに深く心を痛めた母イサベルは心労が重なってついに病死してしまうことになった。
* 発狂したファナ *
 母イサベルの急死によって、女王の位についたファナは、1506年春、再びフィリップとともにスペインの地に戻って来ることになった。しかしその2か月後、フィリップは旅先のブルゴスで突然の死に見舞われる。フィリップはこのとき28歳であったが、一説には彼に反感を持つスペイン貴族に毒殺されたのだとも言われるが真相はよくわかっていない。フィリップの死を知ったフアナの悲しみぶりは異常とも思えるもので、激しく泣き叫んでいつまでも遺体から離れようとはしなかった。
 どうしてもフィリップの死を認めたくないファナは、必ず生き返るからとか言ってフィリップの遺体を埋葬することを許さなかった。それどころか遺体を納めた棺を自分の馬車に乗せていずこかに運び出そうとした。話によれば、柩を馬車に積み込み、数年間もスペイン中をさまよったらしい。なんでも、こうすることで夫が再び生き返るという祈祷師の言葉を信じたからだという説もある。
 この間、ファナは毎日、棺を開けてはフィリップの遺体を目の当たりにしてはぶつぶつと独り言をつぶやくのが日課になった。
 遺体はやがて黒ずみ、干からびてミイラ化していったが、もはや現実なのか夢なのか、その境界線さえも認識できなくなったファナの目には、もはや狂った思い込み以外何も映らなかったのであろうか。
フィリップの棺とともに国内をさすらい続けるファナ。(19世紀に描かれた絵画)
 従者たちはどういう心境でファナにつき従ったのであろう。
 しかしこうしたファナの奇行にも終止符が打たれる時が来た。父のフェルナンド王がファナを古い修道院に幽閉してしまったのである。この修道院は周囲を厚い壁に取り巻かれ、中央の高い塔だけが外から見えるだけの頑丈で閑散とした修道院であった。
 これ以降、この高い塔の中がファナの住まいとなるのである。
 そうして75歳でこの世を去るまで、毎日毎日、塔の中から外を眺めるだけの暮らしが延々46年間も続けられたのである。女王でありながら一切実務につくこともなく、その最期は誰にも知られることのない孤独な最期であったという。
* ファナの生きた時代 *
 それはスペインの最も華やかな時代であった。大航海時代の幕開けとも言われるこの時代に、各国に先駆けて新大陸に乗り出したスペインは、新大陸の膨大な領土と金銀を手に入れ、名実ともにヨーロッパを代表とする大帝国にまで成長してゆく。マゼランが世界一周という金字塔を打ち立てたのもこのときだ。
 しかし、スペインが絶頂期を迎えるころ、すでに斜陽の兆候が帝国内の随所にあらわれていた。塔に幽閉されたファナはやがて75年の生涯を終える。それは同時に、スペインの栄光の幕切れをも意味していた。ファナの生きた輝かしい日々はスペインの栄光の歴史でもあったのである。
 いつしか人々の心の中から忘れ去られ、ファナが塔の中で一生を終えたとき、陽の沈まぬ国と言われたスペインもまた転がるように落日の道を歩み出すからである。ファナの一生はまさにスペインの命運そのものであったと言えるだろう。

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参考文献
「世界史の中の女性たち」三浦一郎 
「教養人の世界史」中  社会思想社
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