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ジャンヌ・ダルク
〜神の使いか、狂言者か、ジャンヌ・ダルクの生涯〜
* 天からの声 *
 フランス北東部ロレーヌ地方を流れるムーズ川のほとりにドンレミという村がある。今から約600年前の1412年1月6日、その村の裕福な百姓家で一人の女の子が生まれた。その少女は幼少時の名をジャネットといい、後に奇跡の乙女として歴史に刻まれる運命にあった。
 父親はジャック・ダルクといい、村でも指折りの名士の一人に数えられていた。母親はイザベル・ロメといい大変信仰心の厚い女性だった。ジャンヌには3人の男兄弟と一人の姉がいた。リュック・ベッソン監督の映画「ジャンヌ・ダルク」では、村がイギリス軍の奇襲に合い、ジャンヌの姉は強姦されて非業の死を遂げるストーリーとなっているが事実は不明である。それどころか、ジャンヌ以外の兄弟に関しては生年月日は愚か生い立ちも明らかでない。
 1425年のある日の夏の昼頃、家の裏にある小さな果樹園で一人まどろんでいたジャンヌは、突然、まばゆい光が自分に注がれる気配を感じた。同時に耳もとで誰かに話し掛けられるような気がした。
 あたりには人影は見えないのに、声だけが頭の中に直接響いてくるような実に奇妙な感覚なのである。声は右手にある教会の方角から響いて来るようでもあった。
 その声は穏やかな感じで自分は聖ミカエルだと名乗り次のようなメッセージを伝えるものであった。
「ジャンヌよ、これからは私の指示に従うのだ。お前は祖国を救うため神によって選ばれた。男装し武具をまとい人々を先導するのだ。そうすれば、すべての人はお前に付き従うことであろう」
現存するジャンヌ・ダルクの生家
それはジャンヌが13才の時の出来事であった。
 その後も彼女の身には、不思議な出来事が次々と起こり、その度に聖ミカエルの声を聞くことになる。
* 瓦解寸前のフランス *
 この当時、フランスはイギリスとの百年戦争に明け暮れ、瀕死の重病人のような状態であった。長い戦争のために国内の産業はすっかり疲弊し尽くし、盗賊団が、各地に出没して略奪の限りを尽くしていた。若者は兵隊に駆り出され、拒否すれば絞首刑にされてしまう。農民たちにとっては、軍隊が敵味方であろうが関係のないことだった。
 彼らは、調達と称して家財や家畜を奪い、女と見れば襲いかかるのだ。金とか宝石を隠していそうな者は、このうえない残忍な拷問にかけられた。抵抗したばっかりに、かまどに放り込まれて丸焼きにされた者もいるほどだ。人々に生きる望みなどあるはずもなく、ただ自暴自棄になって毎日を刹那的に生きるだけであった。
 こうした中、国内の諸候は、イギリスに従うものとフランスに忠誠を誓う二つに二分されていた。しかし、イギリスに従う者の数のほうが断然多かった。イギリスはフランスの西北部を中心に支配しており、ただオルレアンの町のみが大海の孤島のごとく、かろうじて持ちこたえているだけであった。しかし、それも一重二重にイギリス軍に包囲され、まさに風前の灯火の状態だったのだ。
 籠城は一年以上にも及び、オルレアンの城の糧食は今まさに底を尽こうとしていた。もし、オルレアンの城が陥落してしまえば、日和見を決め込んでいる数少ない残りの諸候もたちまちイギリス側に寝返ってしまうであろう。それと同時に、イギリス軍がロワール河を踏み越えて怒濤のように南下し、フランス全土がなだれのように瓦解してしまうことは明らかであった。
* シノン城への危険な道のり *
 天からの声に躊躇していたジャンヌだったが、ついに来るべきときが来た。声が彼女に行動をうながしたのだ。それは週に二度も三度も聴こえて来た。
「ジャンヌよ。ロベールという男の元に行け。何人かの騎士がお前のお供となるであろう。そしてオルレアンの囲みを解くのだ」声の言う通りに行くと、果たしてその町にはロベールという兵隊長がいた。ロベールは大変な頑固者で最初、ジャンヌに会おうともしなかった。しかしジャンヌは断られても何度も足を運んだ。そしてとうとう、彼女の熱心さがロベールの心を動かした。
「ジャンヌよ。お前の敬虔な祈りがきっと神の心に通じたのだろう。6名の家来がいるが、全員お前のお供につけよう。みんな祖国を愛する若者だ。行け!道のりは危険がいっぱいだが、お前ならきっとやれるだろう。そして陥落寸前のオルレアンの町を救出しておくれ」
 ジャンヌの純粋な心に感動したロベールは、馬と武具を与え、屈強な若者6名を従者としてつけさせたのであった。こうしてジャンヌは援軍を要請するべく、シノン城のシャルル王子のもとに行くことになる。しかし、シノン城までの道のりはかなりあり、そのうえイギリス軍に通ずるブルゴーニュ派の諸候の勢力圏内を突破せねばならなかった。見つかれば、たちどころに殺されてしまうのだ。
 苦難の旅がはじまった。一行は、夜行動して昼間は森などで休み、時には秘密のルートや運河を渡って行動した。そしてついに、11日間で実に5百キロの走破をやってのけた。危険きわまる敵陣を突破して、見事シノン城にたどりついたのであった。
* シャルル王太子との謁見 *
 この時、シノン城には26才になるシャルル王子がいたが、まことに小心者と言おうか味方の苦戦を尻目に、毎日夜通し酒宴に興じ、世捨て人のような暮らしを続けていた。そのうえ猜疑心が強い王子は、命がけでジャンヌたちがやって来たにもかかわらず、彼女が本当に神に使かわされた少女であるのか試してみたい衝動に駆られた。
 そこで、王子はいたずら心を起こして、自分の席に他の貴族を座らせ、自分は大勢の貴族の中に混じって様子を見ることにしたのである。もし本当にジャンヌが神の使いなら、本物の王子かどうかを見分けるはずだと思ったのだ。
 時は3月の夕刻頃であった。暖炉には火がたかれ、無数の蝋燭の光で大広間は赤々と照らし出されていた。外は曇り空で、時おり粉雪が窓から勢いよく舞い込んでいた。
 300人ほどの騎士は、好奇心も手伝ってこれから起る一挙一動を固唾をのんで見守っている。
シャルル7世、1403〜1461
 やがて謁見室にジャンヌが入って来た。3人の騎士がジャンヌの背後を固めるようにして続く。ざわめきとともに一斉に全員が戸口の方を見る。たちまち沈黙が支配した。
 黒っぽい胴衣に、灰色の毛織りの上衣を身に着けた少女が姿をあらわした。褐色のなめし皮のブーツの出で立ちだが、やや小柄で背丈は150センチちょっとか。肌は白く髪は濃い栗色だったが男のように短く首もとで切り揃えられている。目は大きく両目の間が幾分か開き気味であった。見ようによってはきつい表情に見えなくはない。しかしそれは緊張感から唇をきっと閉じているからそう見えたのであろう。
 数十本の蝋燭と暖炉の光で、目はキラキラと輝いていた。
 ジャンヌが現われた時から、広間は独特な雰囲気に包まれた。騎士たちはそれがまもなく神々しいものであることに気がついた。ジャンヌは王の席の方をチラッと見たが、そちらの方には行かず、なめ回すように周囲を見渡すと、無数の貴族たちの中に割って入って行った。その眼差しは澄んで遠くを見ているようにも見える。
 彼女の進む方向に人々は次々と道を開けた。やがて一人の青年の顔を認めると、ジャンヌは見据えたようにその方向に突き進んでいった。
 口が大きくかぎ鼻で切れ長の目の青年。彼こそシャルル王子その人であった。やがて王子の前にひざまずいたジャンヌは、張りのある声を上げた。
「王子様。私は神の御意志のままに参りました。オルレアンの囲みを解き、神のしるしをお見せいたします。私に軍勢をお与え下さい。私は王子様をランスの大聖堂にお連れするように命じられたのです」女にしては低いが透き通るようなよく響く声だった。
 その間、貴族たちはどうしてジャンヌが会った事もない王子がわかったのか驚いてささやき合っていた。シャルル王子は最初、困惑した表情だったが、ジャンヌの純粋な信仰心に心を動かされたのか、ジャンヌを試そうとした事を詫びた。
「余が王太子のシャルルだ。すまなかった。そなたが真の神の使いなのか試してみたのだ。許してくれ」シャルルはこう言うと、ジャンヌに軍勢をつけることを約束し、ジャンヌのために用意させておいた白馬を送ったという。
 確かに会ったこともない王子をジャンヌが見つけだしたとすれば、奇跡以外の何ものでもないかもしれない。事実がどうであったのか今となってはわかるはずもないが、しかし、お供の騎士の中にシャルル王子の容貌や性格を塾知していたジャン・コレという者がいて、ジャンヌにあらかじめ教えておいたということも考えられる。またジャンヌ自身も、王子の性分上、自分が試されることになるぐらいは予想して、王子の身体的特徴を彼から根掘り葉掘り聞いておくぐらいのことはしたと考えるのは自然ではなかろうか。
 とにもかくにも、王子から援軍を与えられたジャンヌは、オルレアン目指して進むことになる。その頃には、フランスの兵たちはジャンヌが神に使わされた使者であると信じて疑わなくなっていた。
 この時、17才であったジャンヌは、銀色の兜をかぶり、銀色のよろいを身につけ、白馬にうちまたがって、フランス軍の先頭に立っていた。天使の描かれた白い旗を穂先きにつけた槍をかざすジャンヌは、りりしさに加え神々しさにも満ち溢れていた。先頭には聖職者を集め、聖歌を歌わせながら行軍したというから、まこと神の軍隊にふさわしいものであった。こういう状態だったので、フランス兵の士気が、否が応にも奮い立ち、戦う前からイギリス軍を圧倒していたのも当然であったろう。
* オルレアンの囲みを解く *
 長い行軍の後、ジャンヌの率いる軍隊はイギリス軍に包囲されているオルレアンの町に近づいていた。だがオルレアンの周囲にはイギリス軍ががんばっており、とても近づけそうもなかった。これでは筏で川を渡るしか方法がない。しかし風下の位置とあってはそれもままならぬ状態であった。
 これはどうしたものかと兵士たちが不安を抱き始めた頃、不思議なことに急に風向きが変わった。おかげで、ジャンヌたちは筏に分乗してロワ−ル川を渡り、何らイギリス軍の妨害を受けることもなくオルレアンの町に入城することが出来たのであった。
 この時、市民の熱狂ぶりはすさまじいもので、ジャンヌの泊まっている館に多くの市民がひっきりなしに押し寄せて面会を求めたらしい。市民としては自分たちの希望の星で、神の使いでもあるという噂のジャンヌを一目見たくてウズウズしていたのである。
 しかも、この地方には昔から祖国が危機に陥った折、ロレーヌのほとりから出た一人の聖女によって救われるという言い伝えがあった。人々はその伝説の聖女こそジャンヌだとして疑う者は誰一人としていなかったのである。
 まさに民衆にとって、ジャンヌはカリスマ的アイドルのような存在であった。しかし、そのことでジャンヌがストレスを感じ、苛立っていたのも事実であった。お陰で彼女は不眠にも悩まされることになった。
オルレアンの街に入城を果たしたジャンヌ・ダルク
 ロワール川には橋がかかっていたが、イギリス軍に押さえられており、そのためにオルレアンの町は南との補給を分断されていた。戦いはこの橋を守るイギリス軍の砦を落とすことから始まった。
 この時、史実によるとジャンヌは矢を受けて負傷した。この知らせを聞くと「なんだ、神の使いでも負傷するのか!」と言ってフランス兵たちはたちまち意気消沈してしまった。
 しかしジャンヌの傷は軽傷だったと見え、すぐに戦線に復帰して再び兵士たちに士気を鼓舞し始めた。おかげで、神の使いはやはり本物だったという評価が一段と高まることにもなった。
 ジャンヌはいつも先頭で兵隊の士気を鼓舞したのは、紛れもない事実のようだが、戦闘そのものには一度も参加していないと思われる。負傷した傷も流れ矢によるもので、それもかすり傷程度のものであったのではないかと考えるのが妥当であろう。
 しかし、ジャンヌを神の使いと信じているフランス兵の勢いは、ますます盛んになり猛然と城壁に突撃していった。オルレアンの城の鐘という鐘は打ち鳴らされ、すべての城門からは援軍が放たれた。不意を突かれたイギリス軍は挟み撃ちに合い、たちまち崩壊していった。敗走したイギリス軍が残こしていったものは、おびただしい死体だけであった。
 こうして、瓦解寸前だったオルレアンの町は、ジャンヌが来て以来わずか10日足らずで解放されたのであった。しかし喜びに浸るにはまだ早かった。次はランスまで行って、シャルル王子に載冠させねばならなかったのだ。そうすることにより、フランス全土の諸候は結束し、逆にイギリスの勢力はますます弱まっていくことになるであろう。ジャンヌの本当の仕事はこれからであった。
 だが、フランス軍の士気は高く、戦いは連戦連勝を重ねた。なにしろ、こちらには神が味方しているのだと思い込んでいる兵ばかりなので負けるはずはない。それほど、神がかり的なジャンヌの存在は特別なものがあった。そうして、一年余りの歳月の後には、ランス入城を果たしたのであった。ここに至り、王子をシャルル7世として王位に即かせるというかねてからの念願をもついに達成することが出来たのである。
* シャルル7世の裏切り *
 今や、最後の総仕上げが残されるだけとなった。パリを奪回してイギリス軍を海の彼方に追い払うことである。
 しかし、この場に及んで、肝心のシャルル7世は気乗りのせぬ態度を取り始めた。彼としては、ジャンヌがすでに疎ましい存在に映り始めていたのである。
 この神の使命を受けたとかいう百姓娘がいない限り、フランス軍は腑抜け同然であり、敵に勝つことも出来ないのである。幸運のマスコットとは言え、すでに王となった彼には、ジャンヌはでしゃばった存在でありしゃくに触る人物以外の何者でもなかったのである。
ついにランス入城を果たしたジャンヌ・ダルク
 そのうえ以後の交渉は、武力ではなく金だけで片がつくと考えている面倒くさがり屋の王には、彼女はすでに用済みの存在でもあった。そのためシャルル7世は最も必要とした戦闘でジャンヌに援軍を送ることをしなかった。その結果、ジャンヌはパリを目前にしながら後一歩というところで、ついに敗戦の憂き目を味わうことになる。しかも味方の裏切りという非情なおまけつきであった。
 城へ退却して来るジャンヌを待とうともせず、濠にかかった吊り上げ橋を容赦なく上げてしまったのである。こうして、目の前で退路を断たれたジャンヌは敵に囲まれて捕われの身となる運命にあった。それは1430年5月23日の夕刻の出来事であった。
* 魔女の汚名を着せられて *
 捕らえられたジャンヌは、いろいろな城に引き回され幽閉を繰り返す身となった。そして、その年の12月にはフランス北部のルーアンに送られた。ジャンヌを捕らえたブルゴーニュ派のフィリップが、彼女に恨みを持つイギリス軍に金貨2万で売り飛ばしたのである。シャルル7世はジャンヌに大恩があるはずなのに、命を救うための身の代金さえ出そうともせずに彼女の運命にはまったく無関心であった。教会は教会でジャンヌに異端者の烙印を押して魔女扱いにするあり様であった。
 こうして、敵味方双方から毛嫌いされ、裏切られた哀れなジャンヌはイギリス軍の手によって宗教裁判にかけられることになった。その結果、ジャンヌには魔女の汚名が帰せられ火刑に処せられることになった。つまり生きながら火あぶりに処せられるのである。
 その日、1431年5月30日、広場の中央でうずたかく積み上げられた薪に、火がつけられんとする瞬間にも、ジャンヌは今にも奇跡が起き自分は救い出されると信じて疑わなかった。
 しかし、あれほど何度も頭の中に響き彼女自身を導いて来た聖ミカエルの声も聞こえないばかりか、何の奇跡すら起きなかった。
 やがて火がつけられると火炎がジャンヌの足下をものすごい勢いで包んでいった。
 ものすごい炎と熱風が髪の毛をチリチリと焦がし始める。やがてメラメラと燃え盛る火炎が彼女の足下を包み始めた。焼け串で突き刺されるような強烈な痛みが襲って来る。
火刑に処せられるジャンヌ・ダルク
「イエス様、イエス様!」ジャンヌは苦痛に顔をゆがめながら絶叫した。たちまち火は服に燃え移り全身が火だるまとなってゆく。身悶えしながらジャンヌはさらに歯を食いしばって叫ぶ。「イエス様!イエスさまー!」
 彼女は叫び続けた。業火は恐ろしい勢いでジャンヌの体を包み込んでいく。痛ましい叫び声は、もはや体が見えず煙りと猛火だけになっても響いて来た。
 最初、ののしりの罵声を上げていた群集は、死の淵から精一杯叫び続けるジャンヌの敬虔な態度に感動し、最後には全員が膝をついて声をたてて泣いた。声は天に昇っていくかのように業火にかき消されるまで続いた。後はただ、何もかもなめ尽くす勢いでゴウゴウと炎が燃え盛っているだけである。
 その瞬間だった。何かが火炎の中から天高く飛び立っていった。群衆の中の一人は、それは一羽の白いハトに見えたという。すると、その白いハトはジャンヌの霊の化身であったのだろうか?
 こうしてジャンヌの19年という短い生涯は終わった。故郷を出てからたった2年後のことである。その後、燃え尽き灰となったジャンヌは非情にもセーヌ川に投げ込まれた。彼女に大恩のあるはずのシャルル7世は「小娘一人の命で済めば安いものだ」と吐き捨てるように言ったという。
* 永遠の神の使いとして *
 ジャンヌ・ダルクが本当に神のお告げを聞いたというのは真実だったのだろうか?
 過ぎる信仰心による夢か、もしくは思い込みか幻聴ではなかったろうか? 600年たった今となっては真実は永遠に謎であろう。
 史実は多くを語らない。しかし、彼女は伝説の人物などではなく明らかに実在した。しかも崩壊寸前の瀬戸際に立ったフランスが、名もなき一介の少女の活躍で壊滅から奇跡的に救われたのはまぎれもない事実なのである。祖国を救おうと決意した少女の健気な活躍が、絶望の淵に沈んでいたフランス人の心の中に生きる勇気を芽生えさせたのである。
 だが皮肉なことに、彼女自身は悲劇的な死からはついに救われることはなかった。敬虔なジャンヌは聖ミカエルの言葉に従い、それを心から信じて行動したはずだった。そして最後の最後まで神の救いを信じていたのに、それが報われなかったのだ。あまりに理不尽で非情過ぎる運命である。
 魔女として処刑されたジャンヌだったが、しかしその後、幾度かの裁判のやり直しを経て、1920年には聖女として聖者の一人に加えられることになった。それは彼女の死から5百年も経ってからのことである。
 現在、彼女の生まれ故郷であるドンレミの村には、聖ジャンヌ・ダルクという名の教会が建てられているという。
 国を愛する心、勇気と情熱が炎となって燃え続ける限り、オルレアンの少女ジャンヌ・ダルクは、神の使いとして人々の心の中で永遠に生き続けていくことであろう。
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