エリザベート・バートリ
〜女吸血鬼エリザベート・バートリの生涯〜
* 憂鬱な毎日 *
 1560年、ハンガリーの名門とうたわれるバートリ家にかわいい女の子が生まれた。その女の子の名はエリザベートと名づけられた。
 11才になった時、エリザベートはこの時代の習わしとして、すでに決められている許婚のナダスディ家のもとに預けられることとなった。未来の姑となる人物に、家に伝わるマナーやしきたりなどいろいろな教育を受けるためである。
 相手のナダスディ家もまた古い家柄で、九百年以上続いている名誉ある軍人の名門だった。こうして1575年5月、結婚式は行われた。
 この時、エリザベートは15才になっていた。彼女はまだほんの少女ではあったが、大きな黒い瞳を持つ美しい少女に成長していた。結婚した二人はハンガリー北西部にあるチェイテという寂しい城に落ち着くことになった。緑も何もなく岩肌がむき出したままの荒涼とした殺風景な場所である。眼下にはうらぶれたような村々が一望できたが、その丘のてっぺんに城はあった。
 しかし、ここに来て1か月もせぬうちにエリザベートはたいくつし始めた。毎日面白くもない上にろくにすることもなかったのだ。夫のフェレンツと言えば、トルコとの戦争で外に出かけてばかりで家にいることなどほとんどなかった。
 姑というと、これまたうるさい人物であった。片時も彼女の側を離れることなく、一挙一動を見守り、日常の細々したことから始まって、髪型、服装から彼女の性格面に至るまで、何かにつけて小言を言わねば気の済まない面があった。今までわがまま放題に育てられてきた少女にとって、姑の存在は実にうっとうしい限りであった。
「貴族の娘は白粉などつけるものではありません」 「エリザベート、何ですか?このほつれ毛は?きちんと髪を結いなさい」 「エリザベート、袖が長過ぎますよ。透かしの袖は出してはいけません」 「エリザベート、いつものビロードの胴衣はどうしたのです?」 「エリザベート、白麻のレースはもっと張りなさい」 「エリザベート、音を立てないように食器を持ちなさい」 「座るときの仕種はそうではないでしょ?」 「エリザベート、その言葉使いは何ですか?」 「エリザベート、しゃべる時はこっちを見なさい」 「何よ。その顔? 何か不満でもあるの?」

 少しでも顔を背けたり、少しでも目に反抗の色を浮かばせようものなら、たちまち激しくたしなめられる。
 日増しに、憎しみはつのるばかりであったが、そうかと言って口答えなどすることも出来ず、喉もとでじっとかみ殺さねばならなかった。そういうわけで、エリザベートは口うるさい姑を嫌って自室にばかり閉じこもるようになった。それは同時に気の遠くなるような退屈で陰気な日々の始まりでもあった。
* 呪われた家系 *
 閉じこもった部屋の中で、毎日、彼女は女中に命じて丹念に髪を結わえさせたり、いろんな薬草をすりつぶしてわけのわからぬ緑色の汁をつくらせては体中に塗りまくったりして一日の大半を過ごすようになった。
 彼女は自分が美しいと信じ込んでいたし、また美しいと言われることを何よりも好んだ。手鏡を持って自分の顔をいろいろな角度から見つめながら、何時間も何時間も飽きる事なくそれを繰り返すのであった。
 確かに、彼女の体は驚くほど白く美しいものであったが、皮肉なことに、内部を流れる血には呪われた血統が受け継がれていた。実際それを証明するかのように、彼女の行いは時間がたつにつれて次第に常軌を逸したおぞましいものに変質していくのである。
 バートリ家には長い間の近親結婚による奇怪的とも思われる幾つかの遺伝障害があったのだ。一族の中には、癲癇や精神錯乱を起こして、狂い死にした人間も少なくなかった。エリザベートの両親は兄妹の関係にあたり、そのためか生まれた子供たちにも奇怪な遺伝障害が見受けられた。
 エリザベートの兄だったイシュトヴァンは狂人で、時おり訳の分からぬことを言って召使いを困惑させた。
 例えば、真夏のある日に、そりで雪山を下ると言い出したこともあった。彼の命令を実行するために、召使いたちは汗だくだくになって雪の代わりに白い砂をまき、鹿革を張ったそりを準備しなければならなかった。しかも色情狂だった兄は召使いの娘から老婆までその毒牙にかけた。
 彼女の妹クララも、倒錯した性欲の持ち主で何人もの娘をベッドに誘い込み、またその何人かは首を絞めて窒息死させられた。
 叔父のガボールは自分の身体に悪魔が取り憑いていると信じ込んでいる異常者で、深夜、不気味なうなり声を上げては手当たり次第、そこら中のものに噛み付いたりした。いとこのジギスムントは、奇怪な行動が目につく変人で誰もがあきれ返るような奇行をくり返した。
 このように、彼女の家系には恐ろしい呪われた血が流れていたのである。異常性欲、倒錯した性、常軌を逸した言動、癲癇や発作などが一族の者によく目についたが、なによりも狂気や残忍さがこの家系に見られる大きな特徴であった。
 やがて口うるさい姑が亡くなると、続くように夫も死んでしまった。
 エリザベートは44才になっていたが、この頃から女中たちにひどい虐待を加える行ないが目立ち始めた。精神的に満たされないためなのか、いつも虫の居所が悪くイライラしているのである。ほんの些細なことでもすぐ激高し暴力を振るうことが多かった。そのため女中たちは彼女を恐れ、必要な時以外は決して近づくことをしなくなった。

* 永遠の若さを夢見て *
 ある夜のこと、エリザベートは髪を解かせようと女中を呼び出した時のことだった。薄暗い暗闇の中、恐れと緊張感からか、女中は手をすべらせ薬草の入った小瓶を落として割ってしまったのである。それにカッとなったエリザベートは、発作的に振り向きざま持っていたヘアピンで女中の顔を刺した。
 それは一瞬の出来事だった。「ギャー!」女中は悲鳴を上げて顔を被ってのけぞった。あたりに鮮血が飛び散り、それは彼女の手にもふりかかった。
 エリザベートは女中の血のついた自分の手を拭おうとして何気なく見つめたが、この時自分の手が若い頃のように、美しさと張りを取り戻しているように見えた。その部分だけは蝋燭の光で白く半透明に輝いているのである。
 エリザベートは、しばし見とれていたが、やがて表情がみるみるゆるんで来るのを抑えようがなかった。
 彼女は生き血の中にこそ永遠の若さの秘密が秘められていると悟ったのである。
 かくして、中年になっておのれの美貌が衰えていくことにがまんのならなかった彼女は、この瞬間ゾッとするような若返りの美容方法を考えついたのであった。それは生き血による恐怖のエステというものであった。
 まもなく、彼女は処女を惨殺してその生き血を飲んだり、全身に浴びるという悪魔の行為に没頭し始めることになるのだ。
 エリザベートにとって、自分の体が美しく保たれるためには、何ものを犠牲にしても構わないという究極の自己中心的な考えの持ち主だったのである。
* 血も凍るエステの時間のはじまり *
 やがて、醜い小人の下男が付近の村々に行っては、若い処女たちを駆り集めて来るようになった。貧乏な百姓たちはわずかな金でも喜んで娘を城中に奉公に出したがった。
 一方、娘たちにしても、野良仕事や家畜の世話などよりも貴族に仕える方を好んだ。何も知らない彼女らは、足も軽やかに浮かれ気分で出かけて来た。しかし、いったん城門をくぐったら最後、生きて出ることの出来た者は一人もいなかった。娘たちには身の毛のよだつ残酷な運命が待ち構えていた。
 まもなく体中から生き血を搾り取られるだけ採られると、庭の片隅の穴に、それこそボロ屑でも捨てられるように投げ込まれて埋められていくのである。そして乱暴に土がかけられた後は、それを隠すために赤いバラが植えられた。こうして数週間もせぬうちに、赤いバラ園はみるみる広がって行った。
 毎夜毎夜、チェイテ城の暗い地下室で、ありとあらゆる悪徳行為が行われた。それはまさしく想像を絶した悪魔でしかなし得ないおぞましい蛮行の数々であった。
 大きな鉄製のカゴの中に裸の娘を閉じ込めて、高く吊り上げるということも行われた。カゴには鋭い針が無数についており、少しでも動けばその針が体に突き刺さるという仕掛けになっていた。
 この状態で召し使いが下から焼けた火鉢棒でつつくのである。「ぎゃー!」「助けて!」娘は狂乱状態となり、絶叫をあげてカゴの中でのたうち回る。カゴはガチャガチャと音を立てて激しく揺れる。そして、そのたびに体中に針が突き刺さって血がほとばしるのである。
 下にはエリザベートがいて、両手を広げて狂気の笑いを浮かべながら雨のように滴り落ちて来る血を受け止めるのである。
 彼女はまるでシャワーでも浴びるかのように、目を閉じて気持ちよさそうに血まみれになった手で体中をくまなくさすり続けるのである。確かにそれは生き血のシャワーというべきものであった。
 彼女はまた、鉄の処女という残忍な刑具もつくらせて城の地下室に安置した。機械仕掛けで動くこの恐ろしい鉄製の人形に抱きかかえられたら最後、もう絶対に助かるすべはない。
 人形の胸が観音開きのように開いて、内部の空洞に抱き込まれると、自動的に鋭い刃のついた扉が閉まる仕掛けになっているのだ。
「ギャー!」扉が閉じられるやいなや、この世のものとは思えない恐ろしい断末魔の金切り声があたり一面に響きわたる。しかし、それも数秒間のできごとである。
鉄の処女、恐ろしい処刑装置で、犠牲者は、内側の鋭利な刃物でメッタ刺しにされるのである。
 後は何事もなかったかのように再び不気味な静けさだけが支配する。恐らく、鋭利な刃物が、娘の体を貫き、めった刺しにしてしまったのであろう。
 それは、あたかもレモン絞り機で汁を搾り取るようであった。やがて、犠牲者の血で内部が満ち溢れてくると、穿たれた穴から溝をつたって大量の鮮血が浴槽の中に注ぎ込まれるようになっていた。
 もちろん浴槽の中には、全裸になったエリザベートが横たわっており、ちょっと前まで生きていた娘の生暖かい血で自らの体の隅々を気持ちよさそうにさすったり、両手ですくって口に含んで飲んだりするのである。
 召使いが娘の死体の上に乗っかり、体重をかけて両手で力いっぱい押さえつけて、最後の血の一滴まで絞り出そうとするが、娘ひとりから搾り取られる血液はせいぜい5リットルほどにしかならず、それではエリザベートが身を浸せるほどにはならない。そこで、数人の娘が次々と鉄の処女に放り込まれて生き血を搾り取られたこともある。
 穴だらけとなり身体中の血を搾り取られてスカスカになった娘の遺体は、古いシーツに包んで城外のバラの庭に埋められたが、それらは深夜、召使いの手によって行われた。
 そして言うまでもないことだが、血の入浴が行われるたびに、バラ園は一段と急速に大きく広がっていくのだ。
絞り取った血で入浴するエリザベート・バートリ。
(想像図)
* 戦慄すべき殺害現場 *
 しかし1610年12月、彼女の狂気を超越したおぞましい蛮行にもついに終止符が打たれる時がきた。彼女が百姓娘に飽き足らず、貴族の娘まで手にかけたのが原因で捜査の手が入ったのである。
 役人が松明をかざして、薄暗い城の地下室に降りていくと、あたりは胸のむかつくような腐敗臭が満ちていた。そして、そこには目を疑うような惨劇の跡が展開されていた。
 錆び付いた鉄の処女が半分開いたままの状態で放置されており、血のりがべったりこびり付いた城壁には、錆ついた手かせが無数にぶら下がっていた。
 城壁のところどころには、犠牲者のものと思われる血まみれの手形の跡や引っ掻いた跡が生々しく残されていた。
 惨殺された娘の遺体が何体か転がっていた。血のほとんど抜き取られた遺体はどれもこれもカサカサで鉛色をしていた。
 彼女たちの髪の毛は根こそぎ抜け、内臓はえぐられものすごい形相で息絶えていた。
 遺体の中には口を耳まで裂かれてカスタネットのような形状になっているのもあった。
チェイテ城跡(ハンガリー)打ち捨てられたような廃城は、現在、ほとんど原形を留めていない。夜になると、不気味な静寂があたりを包み、誰も近づくことはない。
 エリザベートの狂気が発作的に常識では考えられない力を爆発させた結果なのであろうか。どの遺体の指先も血だらけになっており、すべての爪は抜け落ちていた。
 恐らく死を逃れたいために、そこら中のものを手当たりしだいに引っ掻いたためであろうと思われた。それはまさに死の瞬間まで、苦痛にのたうち回った苦悶の跡を如実に物語るものであった。
 1611年1月、裁判は行われた。彼女の蛮行を手伝った召し使いたちには、恐ろしい刑罰が言い渡された。生きたまま手足の指を引っこ抜かれるのである。すさまじい絶叫が何度も刑場に響きわたった。その後、悶絶した召使いたちはそのまま燃えさかる炎の中に投げ込まれた。
 しかしエリザベートだけは法廷に一度も出席すらしなかったにもかかわらず、死刑をまぬがれることが出来たのであった。
塔の内部の壁面には、殺された百姓娘たちの引っ掻いた跡が今も生々しく残っている・・・
* 恐ろしい最期 *
 このような重罪にもかかわらず、彼女に死罪が適用されなかったのは、彼女が高貴ある名門の生まれであり、また親族の嘆願書によるものであった。
 しかし彼女は自ら選んだ恐ろしい罪の代償として、光のない闇の世界に終身閉じ込められることになってしまった。
 城の窓という窓は石や漆喰で頑丈に密閉され、彼女は真っ暗な自分の城にただひとり取り残されるのである。それは、いかなる光も永久に外部から入らぬ闇の世界だった。最後に、食物と水を差し入れるための小さな穴だけが分厚い壁にうがたれることになった。
 こうして闇の中での恐ろしい生活が始まった。もはや昼夜の区別もなく、何も見えない暗黒の空間に身を置く以上、おのが欲望を充たすための虚栄心すら必要なかった。語らう相手すらなく、差し込まれたわずかな水と食料だけで、その日その日を生き延びるのだ。光のない闇と沈黙だけに支配された時間、それがどのくらい続くのか、いつ終わるのか、本人にもわかるはずもなかったであろう。
 しかし3年後の夏にエリザベートは死んだ。彼女の遺体は鑑定のために陽の光のもとにさらされた。ボロ布にくるまった遺体は片手でも持ち上げられるほど軽く、どこもかしこも縮こまりカサカサにひからびて見るも恐ろしいほどの無惨な姿に変わり果てていたという。
 永遠の若さと美貌を夢見て、数え切れないほどの人命を奪い取ったあげくの恐ろしくも悲しいなれの果てであった。
 エリザベートが死んで400年が経った。惨劇の舞台となったチェイテ城は、現在打ち捨てられたような状態になっており、ほとんど原形を留めていない。夜な夜な亡霊が出るという噂に誰も寄り付く者さえいないという。時おり吹きすさぶ風の音に混じって、犠牲者のあげる恐ろしい断末魔の悲鳴が聞こえて来るようだ。
 廃城となった塔の内部の壁面には、今も殺された百姓娘たちの引っ掻いた跡が生々しく残っているということである。
彼女は600人以上の処女を惨殺し、その生き血をすすったと言われている・・・
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参考文献
「世界悪女物語」澁澤龍彦 河出書房新社
「血の伯爵夫人」桐生操 新書館
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