マップナビ
カリブの女海賊
〜カリブ海に活躍したアンとメアリーの数奇な運命〜
* 海賊の活躍する舞台 *
 1492年、コロンブスの新航路発見からなる幾度かの探険により、カリブ海と西インド諸島はついにその全容をあらわにした。スペイン人たちは、こぞって新大陸へ殺到し始めた。その当時、メキシコにはアステカ文明、さらに南アメリカにはインカ帝国という偉大な二大文明が存在していたが、スペイン人によって、時を経ずしてまたたくまに征服されていった。この一連の事件は、コロンブスがサン・サルバドル島に上陸以来、わずか30年足らずで起きた出来事であった。
 こうして、西インド諸島から南米にいたる広大な土地が、スペイン人の手に落ちた。彼らは、征服したこれらの土地の住民インディオを片っ端から虐殺していった。殺されたインディオの数は、計量不可能とされ、当時のベネズエラ一国だけでも500万以上のインディオが虐殺されたと言われているほどだ。
 しかも、スペイン人は、征服した土地でこれらの住民を牛馬のごとくこき使った。インディオは、想像を絶する過酷な奴隷労働を強いられた。メキシコやペルーの鉱山からは、インディオの多大な犠牲のもとに大量の金銀、財宝が採掘され、スペイン本国に送られた。こうして、植民地から持たらされる莫大な富のお陰で、スペインは、空前の歴史的大繁栄を遂げることになった。
 しかし、莫大な富を独占するスペインに反感を持つイギリス、フランスは、公然と海賊、掠奪行為を奨励するようになった。彼らは、海賊たちに援助を与える代わりに掠奪品の何割かを本国に貢納させたのであった。つまり、スペインの独占に対してゲリラ戦術で対抗しようとしたのである。こうした世界情勢も手伝い、彼ら海賊の新しい活躍の舞台が整うことになる。かくして、カリブの海賊の黄金時代が幕を開けたのである。
 カリブ海は、メキシコ湾の南、大西洋に隣する広大な海域一帯を指す。その中には、キューバ本島、イスパニョーラ島、ジャマイカ島などの大きな島々の他、小さな島々が無数に含まれ、その総数は7千を越えると言われている。
 島々の中には、人目につきにくい入江や湾が複雑に入り込んでおり、海賊たちにとっては絶好の隠れ場所になる地形が豊富にあった。つまり、カリブ海は、海賊が縦横無尽に活躍出来る自然の条件を備えていたのである。
 しかも、このカリブ海は、ヨーロッパから新大陸目指してやってくる船団の航路上に位置していた。船団は金や銀と言った貴金属、エメラルド、ダイヤモンドなどの宝石、シナモンなどの香辛料を満載して行き来していた。こうした積み荷が彼ら海賊の目標であった。
 カリブ海の中央に位置するジャマイカ島は、海賊の活動の中心であり、島の首都ポート・ロイヤルは、海賊のバビロンとまで言われるほどの繁栄を見せていた。そこでは、スペイン人から分捕った財宝や品々のバザーで連日賑わいを見せるほどであった。
* 知られている海賊の風貌 *
 私たちは、海賊と言えば、義足で片目の眼帯をして、頬には刀キズがあり、腕には入れ墨が彫られ、腰にはピストルと曲がった刀がぶち込まれている荒くれ男のイメージを想像してしまうだろう。同時に、船を襲った後には、財宝や積み荷を略奪し、夜通し酒と女に溺れるドンチャン騒ぎも思い浮かべる方も多いに違いない。
 しかし、想像に反して、海賊の社会は規律が整然としていた。その厳しい規律と完璧に統率された組織は、軍隊以上とも言われるほどであった。例えば、船の上でのいざこざは、一切禁止されており、どうしても決着を着けたければ、陸に上がって決闘し決着をつける決まりになっていた。
 海賊の中でも、400隻以上の商船を拿捕し5千万ポンドに相当する財宝を奪い、海賊ナンバーワンの記録を持つロバーツ船長の場合、彼が敬虔なクリスチャンであったこともそうだが、その規律はまことに厳粛としたものがあった。
 まず、金を賭けるトランプやサイコロなどの賭博の禁止、女性や子供の捕虜には暴力は振るってはならず、敬意を払わねばならない。女性を船に連れ込むことは厳禁で、夜の八時以降になるとすべての明かりは消えたという。
 また、安息日は、海賊行為は中止で聖歌を歌うことになっていたというから驚きだ。
バーソロミュー・ロバーツ船長(1682〜1722)
 また、海賊たちの社会は、完全な共同体であり、食料にしても、船長から一介の水夫まで同じものを食べていた。彼らの食料は、長期間保存のきく肉の薫製がメインであった。掠奪した戦利品の分け方も一定の比率に基づいて公平に分けられた。だいたい、船長の場合は、水夫の6倍ほど、士官クラスで2倍ほどが相場だったらしい。
 さらに、戦闘中に不具になった場合の慰謝料のようなものさえあった。仮に、右手を無くしたとすると、600ペソ、左腕や右足になると、500ペソ、片目や指一本では、100ペソと言った具合である。さしずめ、今の傷害保険の前身のようなものになるのだろうか。
 海賊は、捕まったら死刑と決まっていた。そのため、全員のチームワークが何よりも優先されていた。一人の間抜けた行為で全員が捕まる危険性があったからである。そのために、裏切りや抜け駆け行為は厳しく処罰された。もしも、戦闘中、船を見捨てて逃亡したり、仲間内で金品の盗み横領をしようものなら、死刑にされるか孤島に置き去りにされるのである。逆に、誰か金に困っている場合には、全員で融通してあげるのが、海賊としてのマナーなのであった。
 このために、海賊船の船長になるには、人並み以上の知性と勇気を兼ね備えていないと務まらなかった。なにしろ、部下たちの運命を左右する重大な決定を下すわけで、全員の尊敬を一心に得ることが出来る人物でなければならなかったのだ。
* アンの数奇な運命 *

 今日こそ、様々な分野に女性が進出しているが、家庭に入り、慎ましやかな生涯を送る事だけが女の生き方と考えられていた昔に、信じられない生き方をした二人の女性がいた。彼女たちは、海の荒くれ男たちに比べても引けを取らぬばかりか、それ以上の活躍をしたのである。男たちが幅をきかす海賊社会の中にあって、腰に太いベルトをしてピストルをぶち込み、片手には三日月型の剣をかざし、髑髏のはためく海賊船に乗ってカリブの海を自由奔放に生きた二人の女性。それは、まさしく小説か映画の中での世界のようであった。その二人とは、女海賊として知られるアン・ボニーとメアリー・リードである。

 アンとメアリーは、ともに大変似通った人生を歩んだ。二人とも、女であるという正体を隠して海賊船に乗り組み、荒くれ男どもとともに生活したのである。しかし、どうしたことか、長い間、同じ海賊船の上で活動し、ともに何度も顔を合わせていたにもかかわらず、アンとボニーは、互いに正体を知ることはなかったのである。非肉にも、彼女たちが、お互いの正体を知リ合うのは、イギリス軍艦に拿捕され捕虜になる直前であった。
 アン・ボニーは、弁護士の私生児としてアイルランドで生まれた。
 妻が健康上の理由で田舎に帰っている間に、彼女の父と女中との間に生まれた子供だったのだ。当然、夫婦は別居となり、父親は、アンが生まれると、養子として引き取り、表向きは親戚の子だと偽って男の子の衣服を着せて世間の目を欺こうとした。
 しかし、結局、世間の噂の種となり、父親はもう、どうにでもなれとばかり、公然と女中と生活をし始めた。こんな風だったから、人気稼業だった弁護士業もうまくいくわけがなく、ついに、彼は、住み慣れた土地を捨て、新大陸(アメリカ)に渡ることを決意する。
アン・ボニー(1697〜1720)
 法律業を止めて農場主に鞍替えしたわけだが、先見性がよかったのかアンの父親は、大成功を納めることになった。しかし、何事もうまくいかないように、アンは、裕福な良家のお嬢さんになるはずだったが、どこをどう間違えたのか、成長するにつれて、手に負えないほどのおてんば娘になってしまったのである。
 アンは、女としてはいささか大柄で体つきもガッシリしていた。確かに、彼女は美しい少女には違いなかったが、性格は短気で気性の荒いところは男以上であった。一度、ささいな口論の末、家の下男をナイフで刺し殺すという事件を起こしてしまったこともあった。また、ある若者が、みだらに言い寄ったとして、彼女の怒りを買い、鞭でめった打ちにされたこともある。幸いにも、アンの父親は権力者であったので、これらの事件は噂になる前にもみ消すことが出来た。
 この頃から、アンは海に強く引かれるようになっていた。男の恰好をして馬に乗り浜辺まで遠乗りに出かける日々が続いた。海を眺めていると、なぜか彼女の心は癒されるのである。父親は、アンも大人になれば、少しは女性らしくなるだろうと考えて彼女のなすがままにさせておいたが、残念ながら彼女のこうした傾向は、日に日に度を増していくようであった。そして、ある日のこと、ついに海辺の居酒屋で知り合ったぐうたらな船乗りと無断で結婚してしまったのである。それを知った父親は激怒し、二人をたたき出して家から追い出してしまった。こうして、彼女は、止むなく駆け落ちすることとなり、数奇な運命への第一歩を踏み出したのであった。その頃、アンは22才であった。
* ラカムとの出会い *
 それからしばらくして、アンは運命の出会いをする。美男の海賊として誉れの高かったジョン・ラカム船長との出会いである。
 ラカムは、その時、海賊商売を止め、法を守る市民になることを約束して陸に上がっていた。それは、王の特赦によるものだった。普通、海賊が捕われの身となれば、死刑に決まっているが、ラカムの場合、これまでの海賊行為中、拿捕しても船そのものは、元の船主に返してやったり、捕虜についても手荒な扱いをしなかったなどの点で、イギリス国王の恩赦が与えられたのであろう。
 その代わり、すべての海賊たちは市民となって正業につかねばならなかった。これまで、自由奔放に生きた海賊にとっては、むしろ、この方が堪え難い苦痛なのかもしれなかったが・・・
ジョン・ラカム船長(?〜1720)伊達男として知られ、捕虜に手荒なことをしなかったため人気のある海賊である。
 一方、アンはその時、フロリダ半島の先、ニュー・プロヴィデンスで酒場を経営していた。ラカムは、そこに客としてあらわれたのだが、颯爽とした伊達男ぶりに、たちまち首ったけになってしまった。ラカムの方も、彼女を一目見るなり、夢中になってのぼせ上がってしまった。
 こうして、二人は意気投合し、アンは、かつての夫に正式に離婚を迫り、その代償としてラカムにかなりの金を払わせた。そして、後腐れなくラカムとの新しい生活を始め出したのであった。
 二人のハネムーンは海上だった。ラカムにしても、陸に上がって市民の生活を続けるにはそろそろ我慢の限界に来ていた。かつての海の生活が忘れられなかったのである。そこには、紺碧のカリブ海の自由奔放の生活があった。潮の匂い、デッキを踏む感覚、ロープの感触、どれもこれも、なつかしく思えるのである。それは、やはり船乗りの本能というべきものであろうか。その気持ちは、元海賊だった他の乗組員も同じだったと見えて、彼が呼び掛けるとたちまち集まって来た。
 彼らは、港に停泊中の一艘のスループ船(小型快速帆船)に目をつけ、真夜中に、その船を奪って逃げ出すことにした。計画は、月のない闇夜に決定された。その日に限って、雨がぱらつき霧の濃い夜だった。決行するには、おあつらえの条件である。どうやら、運命の神も、彼らに味方しているようであった。身軽なアンは、ボートで船に近付くと、音もなくよじ上っていった。そして、甲板に降りると船の当直をピストルで脅して言った。「命が惜しかったら静かにしな!」一方、下にいるラカムたちは、アンの合図である口笛が聞こえると、次々に船によじ上って来た。彼らは、無言で、もやい綱をほどくと船をゆっくりと突き放し暗い海上に乗り出していった。
 小さな帆だけで、巧みな操船技術を駆使した彼らは、次々と警備船の横をすり抜け、ついに河口にまでたどり着くことが出来た。ここまで来た以上は、もう大丈夫だと悟ったラカムは、一呼吸置くと大声でどなった。
「ようし、南南西に進路を取れ! 帆を上げろ! 取りかじ一杯!」
 船べりに立っていた仲間の海賊たちが不敵な笑い声を上げる。
 仲間たちは、潮気の含んだ空気を思いっきり胸に吸い込むと大声で笑い始めた。
 誰も彼も考えていることは同じだった。再び、海賊業に戻れたことを神に感謝していたのである。
 小雨の降り続く中、快速船は心地よい夜風を受けて滑り出していった。目指すは遥か南方、カリブ海である。
いざ、カリブ海へ!
ラカムの帆船は、大海原に乗り出していった。
* メアリーとの出会い *
 その後、アンはラカムにとって必要不可欠な存在となった。アンは、星の高度から測量儀を使って、船の位置を正確に割り出すことが出来た。また、身のこなしでは他の仲間を寄せつけなかった。すばやく高いマストによじ上っては、水平線の彼方に目を凝らすのである。獲物発見の第一報は、いつも決まって、彼女の青い瞳によって持たらされた。彼女のビロードのような手はタールで汚れこわばってはいたが、アンは決して弱音を吐かなかった。それどころか、男たちと一緒になって重い碇を上げさえもした。
 まもなくして、アンは、もう一人の女海賊メアリー・リードと劇的な出会いをすることになる。その日、オランダの帆船を見事、拿捕した中にメアリーはいたのである。最も、メアリーの方は男の服装をして船員に成り済ましていたから、誰も彼女を女だとは思わなかったらしい。ラカムは、捕らえた船員の中に、流暢な英語をしゃべる粋のいいメアリーを気にいり海賊の仲間に加えたのである。こうして、ラカムは本人も気付かぬところであったが、勇敢で優秀な二人の女海賊に恵まれることになった。しかし、アンとメアリーがお互いの正体に気付くのはそれから、数カ月も経ってからであった。
 アンは、次第にこの一風変わった新入りの若者に興味を持ち始めた。今までの仲間の海賊とはどこか違うのである。
 確かに魅力的な顔だちだし身のこなしもスムースで何事にも卒がない。しかし、それだけではない。この若い水夫は、自分に持ち合わせていない何かを持っているのである。
 それは、思慮深さと情熱を足して二で割ったような魅力に思えた。やがて、アンの好奇心は熱を帯び始め、しばらくして熱烈な恋に変化し始めた。
 一度、火がついた恋は、もう止める事は出来ない。アンは自分の気持ちを相手に伝えようとした。そして、ある日の夜、デッキの下にある船の備品が格納されている薄暗い部屋に彼を呼び出したのである。
メアリー・リード
(1690〜1721)
 しかし、そこで待っていた出来事は、アンにとって衝撃的で落胆させることになる事実であった。なぜならば、彼とは、メアリーであり、すなわち、男装していた女性だったからに他ならない。メアリーはこの時30才になったばかりだった。
 一方、メアリーの方も、うすうすは勘づいていたと見えて、部屋に入るなり、自分が女であるということ、そして、とても望みをかなえてあげることなど出来ないことを打ち明けたのだった。それを知ったアンは、何とも形容のしようのない表情となった。最初、声にならない驚きの色を目に浮かべたが、まもなく、みるみるうちに落胆の色に変化していった。
 確かに、アンは、この時ひどく落胆した。しかし、時間が経つにつれて、それは固い女の友情に発展していくことになる。一方、ラカムの方は、メアリーの正体を知らないので、次第に、自分の女房であるアンが若い水夫と仲良くなっていく様子に、嫉妬で怒り狂わんばかりになった。ある日、とうとう、ラカムは、若い水夫を呼び出してわめいた。「これ以上、俺の女房に手を出すと、お前を海の中にたたき込んでサメにくれてやるぞ!」そこで、始めて、メアリーはラカムにも自分の正体をばらしたのであった。結局、メアリーが女であるということを知っているのは、船の中ではアンとラカムの二人だけであったが・・・。
 彼女たちは、ともにゆったりとした男の上衣とズボンを着ていたので、胸のふくらみや女性特有の体のラインを隠す事が出来たようだ。それに、アンもメアリーも比較的大柄だったし、頭を半分ネッカチーフで被い、腰に幅広のベルトをつけて短剣をぶち込むと、もう、どう見ても一端の若い海賊にしか見えなかった。
* メアリーの生い立ち *
 こうして、自分の秘密を明かすことになったメアリーであったが、彼女もまた数奇な運命を送った女性であった。メアリーはロンドン生まれ。母親一人の手で育てられた私生児であった。彼女には、上に兄が一人いたが急死してしまう。そこで、母親は、どういうつもりか、メアリーに男の子の服を着せて男児のように育てたのである。恐らく、男の子でいる以上、週1クランの手当てが祖母から出されたという理由によるものであろう。そうした環境が影響したのか、物心が着き始めた頃には、メアリーは、大胆不敵な性格になり、おまけに放浪癖まで備わるようになっていた。
 やがて、13才になった時、メアリーは、軍隊に入隊して見習い水夫として軍艦に乗り込んだ。しかし、彼女はこの仕事にすぐ飽きてしまい、今度は陸軍の歩兵隊に入った。
 メアリーは、まだ少女だというのに数多くの戦闘に参加し、すぐれた勇気ある行動を示した。他の士官も、メアリーが女であるとは知らずに、その非凡な勇気を絶賛したほどである。
 しかし、彼女はやはり女であった。一人の青年士官に恋をしてしまったのである。
 彼女の頭の中で、歯車が少しづつ食い違い始めた。あれほど、熱心だった武器の手入れはお座なりとなり、日々の点呼にも遅刻するようになった。
 用もないのに、その士官が任務で出かける時は一緒になってついてゆく始末で、もう、その頃には、彼女のそうした行為が他の人々の目には異常なものと映り始めていた。
当時の歩兵の姿、マスケット銃を抱えている。
 メアリー自信も次第に耐えられなくなり、ついにその男に自分の正体を打ち明けたのである。
 彼女の正体を知った青年士官は、びっくり仰天してしまった。相棒だと思って、いつも寝食をともにしていた仲間が女だったのである。
 まもなくして、二人は結婚することとなったが、このニュースは連隊内でも持ち切りで、アッと言わせるほど衝撃的なものだった。こうして、二人は、軍隊をやめると食堂経営に乗り出すのであるが、元の連隊仲間が客として来てくれるので大繁盛だった。しかし、不運にも、夫が急死してしまい、メアリーは店を閉めざるを得なくなってしまった。
 再び、生活苦に見舞われ出したメアリーは、また、男装して男の中に紛れ込もうと決意する。しかし、今度は、軍隊ではなく船員としてである。彼女は、心機一転して、カリブ海行きのオランダ船の水夫として乗り込んだのであった。そして、最初の航海でラカム船長の海賊船に拿捕されたというわけである。こうして、実に数奇な運命を経て、二人の男装した女性は、同じ船に乗り合わせ、女海賊として衝撃的な出会いを遂げることになる。全く、人生、何事も先は読めないものである。
* 二人の女海賊の存在 *
 長い海賊の歴史の中で、女海賊という希少な存在があらわれるだけでも異常であるというのに、こうした二人の女性が男装して、しかも同じ船に乗り合わせるという確率・・・それは、実に小説顔負けのストーリーと言う他ない。まさに現実は小説よりも遥かに奇を行くというべきなのであろうか。しかし、皮肉なことに、二人の女海賊が互いの正体を知って、まもなくこのストーリーは幕を閉じることになる。その出来事は1720年、11月の気持ちのいい秋空のもとに急に始まった。
 その日、ジャマイカ島、西岸にあるネグリル湾内に、ラカムの船は碇を降ろしていた。ラカムたちは、ラム酒でご機嫌だった。
 悦に入るにはそれだけの理由があった。先月の収穫は、かなりの量に上っていたからだ。
 しかし、その日に限り、彼にしては少し油断し過ぎていた。水平線から忍び寄って来る一隻の武装船に気付くのが遅すぎたのである。
 その船は、イギリス国王の命のもと、ラカムの海賊船に数週間前から目をつけていた。それに、ラカムには、高額な懸賞金が掛けられていたのである。
ネグリル湾(ジャマイカ)、半月形の湾で、今も白砂の浜辺は美しい限りだ。
 ラカムの方も、一隻の武装船が自分たちに向かって来ると知ると、碇をあげ、猛スピードで逃げ切ろうとした。しかし、その武装船はこれまで追跡して来た船とはひと味もふた味も違っていた。それもそのはず、操船するのは、当代随一とうたわれた経験豊富な張り切り男、バーネット船長だったのだ。武装船は、ラカムの船に追い付くと、鉄製の鈎で横付けし、短剣やピストルで武装した水兵がラカムの船になだれ込んで来た。
 ラム酒でフラフラになっていたラカムと仲間どもは、ほとんど戦いもせずデッキの下に逃げ込んでしまった。
 しかし、彼らのうち二人の海賊だけは例外であった。この二人の海賊は、互いに背中をくっつけ合ったまま、両手に短銃と剣を振りかざして勇敢に戦ったのだ。そして、押し寄せる20名以上のバーネットの部下と互角に渡り合ったのである。
 しかし、所詮、彼我の差があり過ぎた。勇敢な二人の孤軍奮闘も報われずに、まもなく全員が捕虜となってしまう運命にあった。
 こうして、ラカムが捕まった戦闘は、みじめであっけないもので終わってしまった。カリブ海を荒し回った神出鬼没の海賊、ラカムが逮捕されたというニュースに、ジャマイカ中の住民は驚き話題騒然となった。
孤軍奮闘する二人の女海賊アンとメアリー
 しかし、まもなくして、もっと衝撃的な事実が明るみに出ることを彼らは知らなかった。最後まで、唯一勇敢に戦い続けた二人の海賊は、なんと女性だったのである。
* アンとメアリーの運命 *
 その後、捕まったラカム一味は、法の手で裁かれることになった。判事は、当然のことのように、彼らに死刑判決を言い渡した。 ラカムは岬近くで絞首刑にされ、その後、遺体は、ポート・ロワイヤル郊外の砂浜でさらしものにされた。それは、海賊にあこがれる若者への見せしめにするためだった。
 処刑当日の朝、アンはラカムと最後の面会をした。ネグリル岬沖でのラカムの失態にまだ腹を立てていたアンは、これが夫との最後になるというのに、一言の慰めの言葉もかけなかった。そして、別れ際につぶやいた言葉がこうだった。「 あの時、あんたが、男らしく戦ってれば、こんなところで不様に犬みたいに吊るし首にはならなかったんだよ。・・・ったく、みっともないってばありゃしないよ !」
 一方、アンとメアリーは、女性であるという理由で男たちとは別々の裁判が行われることになった。そして、彼女たちの裁判は、ラカムとその部下全員が処刑されて10日ほど経ってから行われた。結局、彼女らも有罪となり、絞首刑になるかと思われたが、二人は妊娠の身であることから、刑の執行を延期して欲しいと願い出た。この頃の法律では、妊娠中の女性は刑の延期が認められていたのである。
 運よく、刑の延期を許された二人は、その後どうなったのであろうか?
 アンは、父親がキャロライナの権力者だったことから、延期中に密かに有力者とコネをつけ、刑を逃れて父親の元に帰ったという説があるが、真相はわからない。事実は、歴史の闇に埋没してしまい、彼女の消息はそこで立ち消えになってしまっているからだ。
 メアリーの方は、それから半年後に、お産の床で熱病にかかり獄中で死んだと記録されている。
セント・キャサリンの古い教区内にメアリーの墓が残されている。
 この時、法廷でのメアリーに対する訊問の記録が残されている。それによると、喧騒が絶えない海の上で、しかも、捕まれば吊るし首と決まっている海賊業のどこがいいのか?という判事の問いだったが、果たして、メアリーの答えた言葉は次のような内容だった。
「 吊るし首なんて、別にこわくも何ともないさ。だって、それぐらいでなきゃ、そのへんの弱虫どもが、みんな海賊になっちまうじゃないか。海賊業ってのはね。勇気のある者にしか許されていないんだよ。自由もなくみじめに生きて一体何が面白いんだい 」
 確かに、カリブの女海賊らしい威勢のいいセリフである。それと、多分に現代に生きる我々への痛烈な皮肉も込められているように思えてならないが・・・
トップページへ
アクセスカウンター
inserted by FC2 system