エヴァ・ブラウン
〜ヒトラーと16年間過ごした愛人〜
* 不意に訪れた謎の客 *
 1929年10月の夕刻のこと、閉店直後のホフマン写真館に明るい色のトレンチコートを着て、つば広のフェルト帽をかぶり、おかしな口髭をはやした中年の紳士が入って来た。その紳士は部屋のかたすみの椅子に腰を降ろすなり、店の主人であるホフマン氏と小声で話をし始めた。店には女性の事務員が一人黙々と片付けものをしている。
 やがてホフマン氏が背後から声をかけた。
「ちょっといいかね。こちらは店のお得意のヴォルフさんだ」口髭をはやした紳士はフェルトの帽子に手をやると軽く挨拶した。事務員の女性も軽く会釈をする。
「ヴォルフさん。こちらはブラウン嬢です。入ったばかりですが、なんでもよく気のつく子です」

 ビールとソーセージが来てぽつぽつと会話が始まった。ブラウン嬢は目のやり場、ちょっとした仕種などから、この紳士が意外にはにかみ屋さんなのだと感じた。話は最近はやりのミュージカル映画のことだったが、やがて会話が芸術のことになると、紳士のしゃべり方に熱が入りはじめ、話題がワグナーの音楽になると、メモリが二つほど飛び上がったように急に目が輝き出し、大変な饒舌になった。
「お嬢さん、ローエングリーンの前奏曲ですが、あれはドイツ人の心境そのものと言っていいでしょうな。私はこの曲を聞くたびに魂を洗われる気がするのです。身体の神髄から勇気と感動がわき起こってくるとでも言いましょうか」紳士はそこまで一気にしゃべるとビールを少し口に含んだ。ブラウン嬢がたずねる。
「ワルキューレって確か・・・なんとかする女神じゃなかったかしら?」「ええ、そうですとも。ワルキューレは死者と勝者を選び、勇者を選び抜く女神のことです。彼らの魂を天上の城べルハラに連れてゆくのが使命なのです。そこで、えー、何ていいますか、魂に救罪の道をあたえるのです」
 先ほどから、紳士が自分の足にちらちらと視線を送っていることに気がついた彼女は、昨日、スカートの丈を短くしたことに気になり始めていた。裾でもまくれあがっておかしくなっているのかしら? 
それとも・・・しかし、そんな彼女の心境などおかまいなしのように紳士はまくしたてる。
「つまり邪悪に打ち勝つ勇気が目覚めてくるという気持ちですかな。私はワグナーの神髄を知らずして国家社会主義を語ることなどできないと思っておるのですよ」
 ほろよい気分のブラウン嬢に紳士の歯切れのよい説明がテンポよく飛び込んでくる。紳士の目にはナイーブな青年のような夢をみる情熱的な輝きがあった。もうスカートの裾のことなどどうでもよくなってきた。彼女は口髭をはやした紳士が、自分の頭の中で急速に魅力的なイメージに映りはじめていくのを感じていた。
 髭の紳士とは最近、急速に頭角をあらわしてきたナチス党の党首であり、ヴォルフという名前はじつは偽名で、本名はヒトラーだと店主のホフマン氏から聞かされたのはその直後のことである。これが17才のエバ・ブラウンとヒトラーとの最初の出会いであった。菜食主義でアルコールもタバコもたしなまないヒトラーは、この頃はまだ肉類やビールを少しは口にしたらしい。
 このとき、世界情勢はゆっくりと不穏な方向に動き始めていた。そのわずか1週間後には、アメリカのフォール街で株式市場が大暴落し、世界は大不況の波に飲み込まれてゆくのである。
 こうしてヒトラーが大舞台にのし上がってゆくための下準備が着々と出来上がっていくのだが、わずか3年後に自分が独裁者の地位に登り詰めることなど、ヒトラー本人にも知るよしはなかった。
* ヒトラーとの交際はじまる *
 こうして、ホフマン写真館でヒトラーと知り合いになったエヴァは、たまに訪れるこの髭の紳士と少しずつ親しくなっていった。
 ヒトラーはエヴァと出会う時には花束とキャンディーを忘れず、エヴァの手にキスして挨拶を忘れたことがなく、女性には非常に優しく礼儀正しい紳士であった。
 ほとんどプラトニック的なつきあいであったが、それでも二人の関係を知る人は少なく、知っている者と言えば、エヴァの姉妹と店主のホフマンぐらいであったろうか。
 エヴァ・ブラウンがヒトラーの愛人であったことが知られたのは、戦後ひさしくなってからのことで、それまでは誰にも知られることはなかった。ヒトラーの女性関係は厚いベールで覆われており、プライベートの詳細など誰にも知ることはできなかったのである。
 宣伝大臣ゲッペルスも「総統にはプライベートの時間などない」「総統は昼夜問わず国民に身も心もささげている」と日ごろから宣言しているので、ドイツ国民もその言葉を鵜呑みにしていた。ただ、ごく身直にいた側近たちだけがこのブロンドの若い女性がヒトラーの知り合いらしいと気づいているぐらいであった。
 ヒトラー自身も「私はドイツと結婚した」などと演説の中で公言していたし、よくポスターなどで使われるヒトラーの写真は、一人崇高なムードで、遠くを見つめる類のものが多かったが、これなど実は、隣りに一緒にいたエヴァがトリミングされているものであった。
 エヴァ・ブラウンは1912年2月7日、教員である父フリッツ・ブラウンと母フランツィスカの娘としてミュンヘンに生まれた。3人姉妹の真ん中で、上には4歳年上の姉イルゼ、下には3歳年下の妹マルガレーテがいる。
 両親はバイエルン出身で、父は教員であった。エヴァの家庭は当時の平均的なドイツの家庭と比較すると、かなり裕福な身分で、広い戸建に住み、使用人を一人雇い、自家用車まで持っていたらしい。
ブラウン一家

左から姉のイルゼ、両親、妹のマルガレーテ、エヴァ。

 エヴァは16歳のとき、職業訓練校に1年間通うが、体操以外では平凡な成績であった。卒業後、診療所の事務員として数ヶ月勤務した後、ヒトラーの専属カメラマン、ハインリヒ・ホフマンのモデル兼助手として雇われる。
 将来はアメリカに渡り、ハリウッドの映画に女優として出演するのが夢であったエヴァは、ホフマン写真館に身を置くことで、映画の世界とのつながりを保っておきたかったのである。
 ヒトラーとエヴァの関係はホフマン写真事務所でこっそりと続けられた。それも会うのは昼間のわずかな時間だけ。エヴァは短い手紙を書くと、それを彼のトレンチコートにひっそりと忍ばせたりした。ヒトラーもエヴァとの関係を誰にも話さなかった。
 両親の家に住んでいたエヴァは、ときたまヒトラーから電話がかかってきたりすると、自分のベッドに行き、布団をかぶって話をした。家族に貴重な時間を邪魔されたくなかったのだ。エヴァはこうしてひたすらヒトラーを待つことで生活の大半が成り立っていたのである。
 ヒトラーにはもう一人の女性、ゲリ・ラウバルという23才の最愛の姪がいたことはよく知られている。
 ところが、1931年9月18日、ゲリはヒトラーとの口論後、ピストル自殺してしまうという事件が突如起こった。そのとき、ヒトラーは游説中でミュンヘンにはいなかった。
 その時のヒトラーの落ち込みようは大変なもので、泣きはらした真っ赤な目をして一切、食事もとらず、側近の一人は彼が後追い自殺するのではないかと恐れたほどで、目につくナイフ類はかたづけ、ヒトラーの護身用のピストルさえ隠したという。   
 ゲリの自殺の動機はわかっていないが、ヒトラーとエヴァ・ブラウンとの関係を嫉妬したのか、または私生活に、ヒトラーが口やかましく干渉し束縛したことのストレスが原因だったのではないかと思われている。この時から、ヒトラーは肉とアルコールをいっさい口にしなくなった。彼に言わせれば、肉を口にするということは、死体を食べることと同じだというのである。
 しかし、ヒトラーも長くは落ち込んではいられなかった。まもなく総選挙のための過密なスケジュールが待っているからだ。ヒトラーは飛行機を駆使して飛び回り、わずか40日の間に50の都市で演説するという超過密なスケジュールをこなさねばならなかった。
 その最中、今度はエヴァがピストル自殺未遂事件を起こした。過密な忙しさゆえに、ヒトラーが連絡をして来ないのを自分に飽きたのではないかと勘ぐったエヴァは、遺書を書いて自分の胸を撃ったのである。かなりの出血だったが、弾は急所をはずれており、エヴァはからくも一命をとりとめた。
 エヴァが自殺未遂と知らせを受けるや否や、ヒトラーはキャンペーンを中断し、花束をもってただちに彼女のいる病院を訪ねた。
 この頃のヒトラーは過密な游説のスケジュールと女性問題に気が狂いそうであった。しかし、国民はこのことをまったく知らず、ヒトラーは信じられないほどタフガイで超人的存在であり、女性問題などに振り回される俗人には到底みえなかったらしい。
 だが、事実はまったく違っていた。エヴァの自殺未遂はそれから3年後にも起きている。彼女は睡眠薬を飲み、昏睡状態でいるところを訪ねてきた姉イルゼによって発見されたのだ。
 こうしたエヴァの自殺未遂事件に振り回されながらも、ヒトラーは着実に権力の座にのぼりつめていった。
 最初12議席しか持たなかったナチス党は1932年に行われた選挙では、実に230議席を獲得。ナチス党は議会第一党になった。しかし一方、共産党も勢力を伸ばし、やがてナチス党が衰えの兆しをみせはじめたとき、国会議事堂放火事件が起きた。犯人が共産党員であることがわかると、ヒトラーは「共産主義者が国家を乗っ取ろうと計画している」として逮捕を命じた。
 こうして邪魔者を排除したナチス党は、一党独裁体制をゆるぎないものにしていき、翌年には、ヒトラーは総統という絶対的な地位についてゆくのである。
 やがて、ヒトラーはベルヒテスガーデンの山荘で政務を行うことが多くなっていった。エヴァも大部分の時間をここで過ごすことになる。
 この頃になると、エヴァはヒトラーの側近たちに正式に紹介されるが、依然、ここを訪れる著名な外国の要人に会うことは許されなかったという。
*山荘での生活*
 エヴァがヒトラーと親しくなり、山荘で過ごすようになってからも、彼女の夢は変わらなかった。それどころか、ドイツがこの戦いで勝利したあかつきには、ハリウッドの映画に女優として主演したいと考えていたようだ。
 ヒトラーと過ごした自分の生涯が甘いラブストーリーに脚色され、全世界で上映される日が来るのを密かに夢みていたのであろうか。
 ただ彼女は政治的なことにはほとんど興味を示すことはなく、党の主要人物が来ても会釈する程度であった。
 ヒトラーのしゃべる内容にもとんと興味も示さなくなっていた。国家社会主義だのユダヤ問題だのゲルマン気質だのといった話題にはまったく関心はなく、化粧品や流行ファッションや映画のことだけが彼女にとって唯一興味あることなのであった。ただ世界を動かすほどの権力者であるヒトラーといつも心で結ばれているという現実だけが彼女にとって一番重要なのである。
 愛煙家だったエヴァはヒトラーの前でタバコこそやらなかったが、食後の団らん中、流行歌だった「煙が目にしみる」を平然と歌い、テラスに出ては、ヒトラーの帽子をよくからかったものだ。
「あなた、何それ? まるで郵便配達のおじさんかピエロのようじゃない。それにネクタイも全然、合っていないし。もう少しなんとかならないの?」来客たちが「わが総統閣下」とか「総統さま」と恐れ多い口調で呼んでいたのと比較するとえらい違いだ。
 また、彼女は8ミリカメラが趣味で、彼女の部屋には最新の機種がずらりとそろっていた。彼女自身も映像の中でよく登場しているが、民族衣装など来てポーズを取るところはさすがにモデルらしいが、まったくヒトラーの愛人という感じはしない。
民族衣装をつけたエヴァ
テラスでのお茶のひととき
左)8ミリカメラを回すエヴァ。上)ベルクホーフでの客人と側近たち。
 山荘での一日のはじまりは遅かった。ヒトラーの起床が遅いからだ。午前中は山荘のテラスに出て日光浴するのが習わしであったが、それはあたかもリゾートホテルで日光浴をしているようなゴージャスな光景であった。
 この山荘から見える景色は絶景で、霧に包まれたバイエルンの山々まで見渡すことが出来るのだ。ここでは客人、側近も思い思いのまま椅子にすわったり、寄り集まったりして景色をながめたりおしゃべりに夢中になることが多かった。そうした光景をカメラで撮るのが彼女の趣味なのである。そのうち、ポマードできっちり七三に分けた品の良さそうな給仕があらわれて声をかけてくる。
「みなさま、お飲物をお持ちいたしました。さあて・・・お嬢さまは何になさいますか? ソーダ割りなどいかがでしょうか? やはりいつものレモネードにいたしますか?」給仕の物腰は大変優雅で洗練されている。しかし身なりは給仕でも、彼らは親衛隊から特に選ばれたれっきとした兵士なのである。
 そのうちお昼時になる。「みなさま、昼食の用意が出来てございます」給仕の声がすると、真っ先にぶらっと立ち上がるのがヒトラーであった。彼は帽子に手をやるとうつむきかげんにゆっくり食堂の方へ歩いてゆく。すると来客たちも雑談を交わしながらその後を追ってゆくのだ。
 昼食が終わると、ヒトラーは散歩に出る。冬であれば暖炉を囲んで雑談がはじまる。夕食の後は、映画をよく観るのがならわしであった。
 ここでは国内で禁止されていたアメリカ映画がよく上演されたという。それはエヴァの好みでもあったのだが、彼女の一番好きな作品は「風と共に去りぬ」であった。それからワグナーの音楽をバックにクッキーをつまみながらたあいもない会話が夜遅くまで続くのだ。
 エヴァはこうしたとき、いつも洗練された身だしなみで、そのセンスの良さは客人から注目の的であった。彼女の衣装はベルリンの一流デザイナーの手によるもので、ドレスや毛皮類はパリからとりよせたものであった。
 高価な宝石類を身につけ、一日に七回も衣装を着替えて、髪も完璧にセットされていたらしい。
 このように、エヴァの毎日は金魚鉢の金魚のように、閉鎖された空間で退屈なくりかえしであったようだが、本人からすればさほど不満のない毎日であったようだ。
 一方、ヒトラーはと言えば、朝起きると、右手の筋力トレーニングをすることから一日がはじまったという。よく軍隊のパレードを謁見する際、右手を掲げたヒトラーの映像を目にするが、平然そうに見えても実は大変な重労働であった。
 軍隊の行進中、立ったまま右手をずっと50度の角度をつけて掲げていなければならず、この姿勢は長時間つづけると身体にかなりの負担を強いられた。
 まさか、行進中に疲れたと言って手を降ろすことも出来ず、苦痛の表情も出せない。こうした行為は総統としての威厳にかかわってくる。
 そのため、ヒトラーが朝起きてまず最初にするべきことは、エキスパンダーで上腕筋を鍛え、右手で5キロほどのダンベルを一定時間、水平に持つという筋力トレーニングであった。
 1939年、第二次大戦がはじまり、やがて泥沼化して、ドイツの各都市が爆撃を受けて、次第に絶望的な内容に変質していったときでも、エヴァは自分の趣味の世界に没頭していた。それは現実逃避の甘い幻想であったかもしれないが、その頃から、彼女は次第にヒトラーと心と心で結ばれるようになっていったようだ。
 1944年、7月、ヒトラー暗殺事件が未遂に終わるというニュースを聞いたとき、エヴァは驚愕しヒトラーに電話し手紙にも書いた。
「わたしはすっかり気が動転しています。もう心配で心配で胸が張り裂けそうよ。もし、あなたの身の上に何かがあったらわたしは生きてはいけません。あなたとなら、たとえ、そこが死の世界であってもどこへでもついていきます。わたしはあなたの愛のためだけで生きています。それはご存知よね。あなたのエヴァ」
* 死を覚悟してヒトラーのもとに *
 1945年2月下旬、32回目の誕生日を祝ったエヴァは首相官邸の地下壕にいるヒトラーに会いにいくため、ミュンヘンの自宅から自らクルマを走らせてベルリンまでやってきた。
 エヴァが見たベルリンは見渡す限りの廃墟に変わり果てていた。まともな形で残っている建物など何一つない。エヴァは助かろうという気であれば、いつでもそうできたであろう。ヒトラーもエヴァには危険な区域への出入りを戒めていた。しかし彼女の決心は揺るぎないものがあった。エヴァはヒトラーと命をともにしようとしていたのである。
 ヒトラーはエヴァが危険を犯して自らの意志で駆けつけて来きてくれたことに率直に心から感謝した。
 一方、エヴァは自分の愛人がしばらく会わないうちに恐ろしくやつれ、見るかげもない姿になっていることにショックを受け悲しんだ。こうして、これから1ヶ月間、最後の日までヒトラーと地下壕での暮らしが始まるのだ。
 総統地下防空壕は、厚さ11メートルもあるベトン(コンクリート)製で、地上には1メートル足らずの出入り口の台盤が突出しているだけであった。
 ぱっと見ただけでは、この下に巨大な地下防空壕があるのを想像すら出来ないにちがいない。防空壕は地下5階まであり、それぞれが空調で完備されており、食堂、会議室、風呂場、食料の貯蔵室などがあり、部屋数も多く、豪華な要塞とでもいった表現がぴったりの建物であった。
 エヴァが来てからも、事態は予断を許さず、刻一刻、危険な状態になりつつあった。
 戦線はじりじりと押し寄せて来て、ソ連軍の大軍に四方を包囲されるまでとなった。脱出の可能性すらなくなり、破滅は秒読みの段階になった。もうソ連軍の兵士の姿がいつあらわれてもおかしくない事態となった。しかしこの時、死が一歩一歩、確実に近づいて来ているにもかかわらず、エヴァはとても幸せだと自分の姉妹に手紙で漏らしている。
「・・・私たち、最後までここで戦うわ。でも最後のときがもうまじかに迫って来ているみたい。どうしてこうなったのかわからないけど、もう私は神様なんて信じない。もっと詳しく話したいけど、時間もなくそれも出来ません。ただ私は今まさにこの瞬間、彼のそばにいることでとても幸せです。エヴァ」
 彼女はまた、自分の財産や持ち物の処分の仕方などをこと細かく指示している。例えば、高価な宝石類や家具類は姉のイルゼや母親に、父親には愛車のメルセデス・カブリオレを、毛皮のコートは秘書のユングに、妹のマルガレータには手紙、日記などの処分を依頼している。その際、ヒトラーに書いた手紙は処分しないでねなどと指示が細かい。
* 死の直前の結婚式 *
 いよいよ死の直前、ボルマンとゲッベルス立会いのもと、ヒトラーとエヴァ・ブラウンの結婚式が行われた。
 その夜、ヒトラーは彼の秘書、トラウドル・ユンゲに口述筆記させた。その中で、ヒトラーはエヴァ・ブラウンとの結婚にも触れているが、その際、エヴァが書面にサインをする際、エヴァ・ブラウンと書いてしまい、慌ててブラウンの文字を二本の斜線で消して、エヴァ・ヒトラーと書き直している。
 そして秘書たちに、「もうブラウン嬢じゃなくて、ヒトラー夫人と呼んでかまわないわよ」などと言ったらしい。しかし、地上ではソ連軍の先鋒が直前にまで接近してきていた。エヴァが生きて、ヒトラー夫人と呼ばれる時間もまもなく終わるのだ。
 翌日の4月30日午後3時30分、ヒトラーと妻となったエヴァは自殺した。エヴァのハリウッドの映画に主演するという夢はついにかなうことはなかった。
 3日後、ヒトラーとエヴァの遺体はソ連軍によって発見された。遺体は毛布につつまれ黒焦げの状態であったが、ソ連軍によって持ち去られ、検死解剖など行われたというが詳細は謎に包まれている。
 戦後、エヴァ・ブラウンの日記と称するものがいくつかあらわれて、そのたびに世間を騒がせたが、そのどれもが真っ赤な偽物であった。本物はエヴァが死ぬ前に妹のグレーテルに手渡して処分して欲しいと頼んだらしい。
 しかし妹は彼女の望み通り処分することをせず、終戦直後、自分の夫であったフェーゲラインの母親に手渡した。母親はエヴァの日記をフィッシュホルン城の公園のかたすみに隠したのだが、その秘密をかぎつけたアメリカの情報機関によって回収され、現在はワシントンにある国公立文書館に保管されているということである。
 ヒトラーの愛人、エヴァ・ブラウンは「20世紀最悪の独裁者の妾」という意味で多くの歴史家から好奇の目で見られがちだが、とりたててネタにすべく派手さがないために、失望以外の何者でもないと言った歴史家さえいる。
 しかし、エヴァ・ブラウンは一人の女性として見た場合、見せかけだけの恩義ではなく、真の愛だけを求め、自らの命を燃焼させた純粋な心を持った女性であった。
 もし、その愛人が歴史的にいかなる評価を与えられても、彼女の愛は永久に変わることはなかったにちがいない。
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参考文献
「ナチスの女たち〜秘められた愛〜」アンナ・マリア・ジークムント著 
平島直一郎・西上潔訳 東洋書林
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