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インディアナポリス号の悲劇
〜米海軍乗組員の体験した身の毛のよだつ恐怖〜
 生と死の境界線は、どこにあるのだろう? 運命の女神に見放され、絶望だけが支配する極限状態の心理とは、いかなるものか?  

 命の尊さを口にする時、その資格のある者、それは、過酷な運命に否応なく翻弄され、地獄のような環境を体験し、生還することの出来た人間のみに与えられるものである。偶然と幸運にだけ恵まれ、からくも生き長らえることの出来た人間の証言。まさしく、その中にこそ、求められる恐ろしい真実がある・・・

* 過酷な運命 *

 太平洋戦争も押し迫った昭和20年、7月・・・絶望的な戦局の中、密かに敵通商路破壊の任を受けてグアム沖を航行する一隻の潜水艦があった。

 その潜水艦・・・日本海軍の中でも、最新のレーダーを装備した伊58号は、艦首に6本の発射管を持ち、水上飛行機を搭載した大型潜水艦として知られていた。しかし今は、戦局の悪化にともない飛行機は取り外され、代わりに6基の人間魚雷「回天」を搭載する潜水母艦に変わり果てていた。
 この頃、ヨーロッパでは、日本が唯一頼みとするドイツは、米英ソを敵に回し、孤軍奮闘したあげく、連合軍に無条件降伏するという悲劇的な結末に終わっていた。最大の友邦国ドイツが壊滅してしまった今、残された日本は押し寄せる圧倒的な数の連合軍をただ一人で相手にせねばならなかった。

 伊58号は、雲と波以外に何も見えない大海原を、敵の姿を追い求めてひたすら進路を西にとっていた。月は次第に欠け出し、海上はまるで油を流したようにねっとりとした様子になっていた。

 やがて、はるか前方をまっすぐに向かって来る正体不明の艦影を発見した伊58号は、ただちに急速潜航した。時に午後11時8分、海上には波はなく、東の空に昇っている月の明るさは、水平線をくっきりと浮かび上がらせ、水中での攻撃を可能にしていた。
 やがて、グングン接近してくる艦影は、伊58号の2千メートル前方で大きく転舵し、その巨大な船腹を真近かに見せた。
 前方に砲塔が連なり、その後ろには相当大きな艦橋がそびえたっているシルエットは、かなりの大型艦であることを物語っていた。
 獲物が戦艦だと悟った伊58号の艦長は、はやる心を抑えながらさらに肉薄した。そして、至近距離までつめ寄ると一発必中の構えで6本の魚雷をつるべ打ちに発射した。

 グンッと鈍い衝激が艦内に伝わり、3秒間隔で次々と魚雷が撃ち出された。魚雷は白い航跡を残して扇状にひろがり水中をまっしぐらに突進していく。後は殺気立った時間だけが過ぎ去ってゆく。乗員は固唾を飲んで、潜望鏡にかじりついている艦長の方を見守っている。

 緊張した雰囲気の中で1分間が経過した。やがて、沈黙を破ってけたたましい爆発音が一つ鳴り響いた。続いてもう一発・・・。それは、伊58号の放った6本の魚雷のうちの2本が敵艦に命中した爆発音だった。艦内には魚雷命中が伝えられ、乗員は躍り上がって喜んだ。

 一時間後、戦果確認のため浮上した伊58号だったが、海上は真っ暗でおまけに波が高くかなり荒れ模様だった。果たして、撃沈したのは何だったのか、本当に戦艦だったのか、また、本当に沈んだのか、逃げたのか、一片の漂流物も発見出来ない今となっては確認のしようがなく、伊58号は要領の得ない状態で空しく帰投せねばならなかった。

* 沈没 *


 その頃、伊58号に雷撃を受けた海上では、凄惨な地獄絵図が繰り広げられていた。この悲運の主は、インディアナポリス号という米海軍の巡洋艦で、それは、太平洋戦争で沈んだ最後の大型艦と記録される運命にあった。
 この攻撃で、直径12メートル前後の大穴が2つ開けられたインディアナポリス号は、艦首部分が爆発してポッカリと跡形もなく消え去った。続いて、燃料タンクが誘爆し、隔壁や鋼鉄製のドアが木っ端みじんにふっ飛び、あらゆるものを焼き尽くしていった。艦首部分にいた三百人ほどの乗員は、直撃の爆風で何十メートルも彼方に吹き飛ばされすべて即死した。煙突はさながら噴火して怒った火山のようになり、火の粉や燃え盛る破片をバラバラと空中に噴き上げた。
 一分後には、この1万トンの巨体は二つに裂けてしまった。 
 続いて、何百トンという大量の海水がドッと流入し、インディアナポリス号は、あたかも断末魔の苦しみにのたうち回るかのように蒸気と紅蓮の炎を痛々しげに吹き上げた。
インディアナポリス、米海軍の重巡洋艦で、様々な海戦に参加して、日本の空母を撃沈するなどの大活躍をした。
 そして、不気味な鈍いきしみ音とともに海中に横倒しとなった。

 船体が急に傾斜していったために、多くの者が絶叫をあげながら大きなしぶきをあげて海中に滑り落ちていった。9百人ほどの乗員が真っ暗な海に投げ出された。約半数は救命胴衣をつけていたが、後の半数は丸腰のままである。彼らは立ち泳ぎをしながら、何らかの浮遊物にしがみついている。全員、漏れ出た重油で真っ黒で人だか浮遊物だか区別すらつかない状態である。その間を縫うように無数の救命いかだが漂っていた。

 インディアナポリス号には、35隻の救命いかだが積まれていたが、約半数の13隻が脱出に成功することが出来た。救命いかだは、3メートルほどのバルサ材にキャンパスを張ったもので、中には水や食料、釣り道具などが常備されていた。1隻あたり25人ほどが乗ることが出来た。いかだに乗ることが出来なかった者は、縁に取り付けられているロープに手をかけて海中に漬かっているしかなかった。

 いかだ同士は、ばらばらにならないように、相互にロープで結ばれていたが、大波で翻弄され、ぶつかり合っていやな音をたてていた。ぐーっと持ち上げられたり、沈み込んだりする度に、いかだの上の者は、投げ出されたり転げ回ったりを繰り返すのである。たちまち腹の底から吐き気が込み上げて来る。多くの者は船酔いにかかり胃の中のものをすべて吐いてしまった。そんな状態を繰り返しながら彼らはゆっくりと海面を漂っていた。

 12分後、船が、重低音のきしみを響き渡らせて、海中に没し去ると、あたり一面、テニスコートの数倍ほどの広さで、泡立っているのが聞こえて来た。それは、まるでハチの大軍が襲って来る時の羽音のようだった。
 しかし、それもまもなく終わってしまうと、もう何もなかった。星も見えず風もなく、水平線すら分からない真っ暗闇の中で、大きなうねりとともに、やみくもに、上下を繰り返すだけで、たまに、大声で祈る声や時たま上がる悲鳴、海水が救命胴衣を洗う音などが空しく聞こえるだけとなった。生存者の多くは、最初の数時間で、いくつかのグループごとに分散していった。
 自分が、果たして生き残れるのか、それともこのまま死んでしまうのか、漂流者の多くは自問自答した。暗闇だけが広がる夜の海を、漂っていると、どんな沈着冷静な人間ですら、思考力をなくしてしまう。自分の名前すらほとんど思い出せなくなってしまうのである。
* 惨劇のはじまり *
 第一日目が明けた。太陽は勢いよく真上まで上がると、いきなり気温が上昇した。剥き出しになった頭部が容赦なく焼かれる。ぎらつく反射光のために、多くの者が角膜をやられた。まぶたを閉じていても、強烈な光は依然、射し込んで来る。そのために、衣類の一部を引き裂いて目隠しをせねばならなかった。
 ちょうどその頃、水面下、海の深いところで恐ろしい惨劇の始まりが準備されようとしていた。それは、負傷者や死体から漏れ出る血の臭いに誘われてやって来た。海の死神とも言うべきサメの群れは、暗い海の底から次第に海面に忍び寄っていたのである。
 群れには、様々な種類のサメがいた。アオザメ、イタチザメ、ヨシキリザメ・・・それらは、サメの中でもどう猛な人食いザメとして知られているものである。
 中には、8メートルを超す巨大な代物も含まれていた。その数は次第に増え続け、数百匹にのぼっていた。この死神たちは、最初のうち、海に沈んでいた死人の肉を食らったりしていたが、それを食い尽くすと、今度は生きている漂流者を狙いだしたのである。

 夜明け頃、最初の犠牲者が出た。救命胴衣をつけたまま、眠っていた男が、突如、グィッと海中にかき消すように姿を消してしまった。それはまるで、大物がヒットした時の、ウキか何かのようであった。その後、いくら待とうが、救命胴衣は愚か、服の切れ端すらも浮かんで来なかった。

 ある男が、寝ぼけまなこで、隣にいた友人をつついたことがある。しかし反応がなく、その友人は深く寝入っているようであった。もう一度、押してみると、その友人の体はおもちゃのようにもんどり打ってひっくり返った。彼は感触があまりに軽いのに驚いた。ひっくり返った友人の体は、救命胴衣から下は何もなかったのである。
 よく見ると、友人の腰から下は、サメによって食いちぎられた肉片の一部が、真っ白くふやけて帯状になって、海中でゆらゆらと漂っているだけであった。
 裸や下着だけの人間が、最も襲われる危険性が高かった。サメは、海中の青白い胴体と青い海のつくり出すコントラストを目安に動いていたからである。
 したがって、サメの気を引くことのないようにじっとしていることが一番肝心な事だったが、隣にいる仲間の一人が、突如、サメの巨大な大口に食わえ込まれ、暗い海中に引きずり込まれるのを目の当たりにすると、どんな決意もふっ飛んでしまった。   
 サメに食わえ込まれた哀れな犠牲者は、絶叫しながら、白波を立てて流されていき、すぐに、跡形もなく海中に没してしまう。ほとんどの場合はそのままだが、時たま、ズタズタに引き裂かれて血まみれの救命胴衣が「ポン!」と勢いよく海面上に飛び出してくることもあった。
 初めのうち、サメは、主に集団から離れている漂流者を狙っていた。しかし、彼らは徐々に、集団や救命いかだにも公然と攻撃するようになってきた。サメの興奮が高まるにつれて、それは凄惨なものになっていった。
 いったん、サメが血に飢えて狂乱状態になってしまうと、もう手がつけられなくなる。もし、仲間のうちの一匹が傷ついて血を流そうものなら、今度は、その仲間に攻撃の矛先を向けて襲いかかるのである。そして、残忍にその肉を引きちぎり、むさぼり食ってしまうのだ。
 19世紀に起きたスペインを襲った巨大地震では、大津波によって、何万人とも知れぬ人間が、根こそぎ大西洋上に流されたと言われている。それ以来、この付近で捕らえられたサメの腹からは、大量の人間のばらばらになった手足や胴体の一部、さらには、漂流物などが発見されることがあった。恐らく、漂流中の人間や物などを飲み込んだものと思われるが、これらの事実から、サメがきわめてどん欲で、何でもかんでも食べてしまい、また胃袋に入った物は、長時間消化されずに残っていることを物語っている。
 およそ25匹ほどのサメが、いかだの回りを回っていた。それらは、体長が3メートル半ほどのサメの群れだったが、やがて海中からも、「ドシン!ドシン!」と猛烈なサメの頭突きが繰り返されるようになった。
 その度に、いかだに乗っていた人間はぴょんぴょんと右に左にポップコーンのように飛び上がった。
 いかだの壊れて開いた穴から、突如、サメの尖った鼻づらが、にゅーと突き出してくることもあった。真近で見るサメの目は、瞳も何もなく、まん丸で真っ黒でそれはまるで人形の目のようだった。
 破れた穴から突き出された巨大な鼻づらは、60センチほどもあり、雪のように白いノコギリのような歯は、ガチガチと気味の悪い音を鳴らしている。
 やがて、その巨大な鼻づらが海中に没すると、数秒も経たないうちに、今度は別口の大きな鼻づらがにゅーと突き出して来るのである。
 多くの者は、恐怖のあまり金縛りにあったように、目を見開いて、その悪夢のような光景を見入っていた。
 中には、呆然自失に陥り、やみくもにわけのわからぬ声を張り上げて手足を振り回す者もいた。たまりかねた者が、サメの鼻づらに強烈なパンチをお見舞いしたこともあった。しかし、何をしてもムダであった。
 全員が、死にものぐるいになって、海面をたたこうが、こん棒で殴りつけて追い払おうが、その時限りで、30分も経つとサメは再びやって来るのである。

 サメが襲うのは、日暮時か夜明け頃が多かった。日中は、海面に無気味なヒレを立てて、死にかけている者や負傷者の間を泳ぎ回っていることが多かった。それはまるで、日没とともに襲って食い殺す相手を定めているようでもあった。

 サメのザラザラした背びれはまるで鉄のヤスリのようで、少しこすっただけでも、たちまち皮膚が切れて血が出た。
 傷跡がわずかでもできると小魚が無数に集まって来て傷口をついばんだ。死神はサメだけではなかったのである。まるで、周囲にいるすべての生き物が彼らの死を待ち望んでいるようであった。
 こうして絶望の中、精神錯乱に陥って堪えきれなくなった者の多くは、生きるということ自体を放棄してしまった。自ら溺死の道を選ぶ者もいたし、サメに食われようとグループから離れていったりして自殺に着手した者もいる。
*生と死の間で*

 漂流も三日目になると、あたり周辺は、浮かぶ死体置き場のような景観を呈して来た。引きちぎられた腕や足、食われかけた胴体、人体のどこかの一部分、血まみれの衣服の切れ端、ズタズタに裂けた救命胴衣など・・・それらが、生きている人間とごっちゃになってプカプカ漂っていた。全く、それは身の毛もよだつ恐ろしい光景だった。

 サメの絶え間ざる襲撃に加えて、のどの乾き、飢え、睡眠不足からくる精神錯乱などの堪え難い環境から神経に異常をきたす者も増え始めた。

 海水に長時間浸かっていると、様々な症状が体中にあらわれる。まず、ふやけた腕や足に痛みをともなう赤い腫れ物が多数出来る。いわゆる海水腫瘍という症状である。それは、次第に大きくなり、こぶし大ほどにもなって体中を覆いつくしてゆく。そのうち、体毛が一本残らず溶かされてゆく。心臓は、わけもなく脈打つようになり、口で息をしなくてはならなくなる。体温は、低下して昏睡状態の一歩手前になる。多くの者があえぐように呼吸をしながら海上に漂っていた。

 こうした体の異常と飢餓による苛立ちは、人をとんでもない行動に走らせることもあった。ある集団は、幻聴や妄想に悩まされた挙句に、突然、「ジャップがオレたちを殺しに来た!」とかわめいて手当りしだいに殺し合いを始めた。ある者は、ナイフで、また、ある者は、手で相手の目をえぐり出し、たちまち、壮絶な殺し合いが海上で行われた。こうして、ほんの十分足らずの間に、50人ほどの人間が体をメッタ刺しにされて殺されていった。
 そうかと思えば、祈りと神頼みに終始していた集団もあった。これからは、毎日、欠かさず聖書を読みますだの、日曜には、必ず教会に行きますだの、今後は、決して物を盗んだり、人をだましたりしません。ですから、今日一日、生き延びさせて下さいなどと涙ながらに神との取り引きに明け暮れているのだった。
 のどの乾きに、堪えきれなくなった者は、海水を飲もうとした。しかし、海水を飲むことは死を意味していた。海水は、人体が安全に摂取出来る水準の2倍以上の塩分を含んでいたからだ。いったん、海水を飲み始めた者の血中には、大量のナトリュウムがドッと放出されることとなる。この量は、もはや腎臓の浄化能力を越えた数値なのである。

 やがて、くちびるが青く変色し呼吸が不規則になる。両目がグルッとひっくり返って白くなり、神経組織まで犯されるのである。その成れの果ては、身体をけいれんさせて壮絶な死を迎えるのである。これに対する有効な対策は、真水を大量に採ることしかない。だが、この大海原のどこに真水があるというのだろう。

 昼間は強烈で残忍な太陽が、容赦なく体を焦がす焦熱地獄だった。しかしその太陽が沈んで、あたりが暗くなると、サメの食事時となるのだ。真っ暗な闇の中で、いつ何どき、自分がサメに食わえ込まれて海中に引っぱり込まれることになるのか、一寸先の運命は誰にもわからない。
 サメの注意を引かぬように、息を殺して、じっとして海面に漂っているしかなかった。足下数メートル下を巨大な人食いザメが遊弋しているのである。時たま、何かが自分の足に触れると、それこそ心臓が縮み上がるような恐ろしさを味わった。真っ暗な海面のどこかで、運の悪い犠牲者のあげる断末魔の叫び声がひっきりなしに響き渡った。それはいくら耳を覆っても聞こえて来た。まさに地獄から響いて来るような、忘れることの出来ない恐ろしい叫び声であった。
 夜が明けるまでに、十分間に一人の割合で、神に見放された不幸な人間が、巨大な人食いザメによって暗い海中に引きずり込まれていった。いつ自分の番が来るのか、それは数分後なのか、一時間後なのか、考えるだけでも気が狂いそうになる時間だけが延々と続いた。全くそれは、ルシアンルーレットのような惨い拷問であった。弾倉に実弾を一発だけ装填し、自分のこめかみに銃を当てて引き金を引くという死のゲームである。それが延々と続くのである。多くの者は、自らの精神力を使い果たしてしまい、一晩で老人のようになってしまった。
* 遅すぎた救助 *
 漂流4日目、すべての人間の命が尽きかけたと思われた頃、ようやく救助隊が来た。しかしそれは、あまりにも遅すぎるものであった。
 その結果、316人だけが救出された。最初、1200人いたことを考えると、あまりにも大きい犠牲だった。
 海に投げ出された900人の内、実に、3人に2人が鮫に食い殺されたのである。
 救助隊は、あまりの変わり果てた生存者の姿に声も出ない有り様だったという。
漂流者を発見したカタリナ水上機

 回収された死体は、ほとんどが全裸状態で腐敗しており、すべてがゾッとするほど膨れ上がっていた。遺体の各部には、サメに噛まれた痕があり、骨だけになっていたのもあった。もちろん顔での確認は不可能だったので、あらゆる所持品が本人確認のために剥ぎ取られた。

 こうして、5日間の悪夢は終わりを告げた。多くの人間が、過酷な環境に放り込まれ、絶え間ざるサメの襲撃、海水腫瘍、肉体的疲労、狂気をともなう精神錯乱と闘ったのである。そして300名ほどの人間が、奇跡的に生き延びることを許された。最悪の惨事はなぜ起こったのだろうか? 

 戦争末期、断末魔にあえぐ日本を攻め上げているアメリカ海軍の内部には、大きな矛盾があった。つまり、相容れぬ大きな二つの派閥が存在していたのである。それは、グアムを基地とするニミッツ提督の太平洋艦隊司令部であり、もう一つは、フィリピン、レイテ島にあるマッカッサー元帥の第7艦隊司令部であった。そして、この二人は、まことに犬猿の仲と言っていいほど仲が悪かった。従ってグアム島とレイテ島との連絡はほとんどない状態だったのだ。

 インディアナポリス号は、ちょうどこのはざまで姿を消してしまう格好となった。救難信号は、2度に渡ってレイテの海軍基地に届いていたが、それは、日本側が救助隊をおびき出すための欺瞞工作と見てとった基地側は、この貴重な無電を無視したのである。また、レイテからグアムへの確認の連絡も取られなかった。沈没地点に急行していた2隻のタグボートは、後十数時間で現場に到着というのに、空しく呼び戻されてしまったのである。こうして、海に投げ出された約千人の乗組員は、見捨てられる運命にあった。
 このように、上層部の怠慢から発見が遅れ、110時間も漂流した彼らは、身の毛のよだつ地獄の体験を余儀なくさせられたのである。
 飢えと、精神錯乱と脱水状態の中、血に飢えた何百頭のどう猛な鮫が、彼らに襲いかかったのである。
 この結果、アメリカ海軍史上最大の悲惨な結果を生むこととなったのである。
救出されたインディアナポリス号の生存者

 その後、テニアンで、インディアナポリス号が運んで来たパーツを受け取ったアメリカ軍は、世界最初になる原子爆弾を組み立てた。「リトルボーイ」と名づけられたその原爆は、数日後には広島に投下される予定になっていた。B29「エノラゲイ」の乗員は、原子爆弾本体に、「インディアナポリスの英霊に捧ぐ」という文字を刻んで出撃したと言われている。そして、その数時間後には、人類史上最大の汚点ともいうべき行為で、十数万の罪なき市民が一瞬にして犠牲になったのである。

 

 戦後、軍法会議に望んだインディアナポリス号のかつての艦長マックベイ大佐は、対潜水艦対策として、ジグザグ航法を怠った理由で有罪判決を受けた。マックベイ艦長は、その後、自責と汚名の念に苦しみ抜き、結局その苦しみから逃れられずに、23年後の1968年にピストル自殺を遂げて、苦悶の70年の生涯に自ら終止符を打った。

* 地獄を体験した人々 *
 この惨事を生き延びたインディアナポリス号の生存者たちは、その後の人生にさまざまな価値観の転換を余儀なくされることになった。二年ごとに行われた生存者の会では、かつて漂流中の自分たちを発見してくれたパイロットが顔を見せると、たちまち人だかりが出来たという。そして、生還できた喜びを全員で祝福し、最後には全員が手を取り合って感動して涙を流したのであった。
 ある生存者は、自分たちの頭上を舞う飛行機の姿が、まるで天使が舞っているように見えたとその時の心境を述べている。事実、そのパイロットはこれ以上留まると燃料が尽きて墜落するかもしれないという危険を顧みず、最後の一秒まで漂流者たちの頭上を舞い懸命に励ましのエールを送リ続けたのであった。
 ある生存者の一人は、自らの体験をもとに現代に生きる我々に貴重な人生訓を残している。
 私は絶望と恐怖だけが支配する死の地獄から生き延びることを許された。多くの仲間が恐ろしいサメの犠牲になった。
 しかし最悪なのはサメの襲撃ではなかった。生き抜こうとする炎が心の中から消え失せてしまった時こそが最悪なのだ。その時こそ、すべての望みが消えて人生が終わってしまう時なのである。例え、かすかな望みであっても、それを信じて自分に打ち勝った者のみが生死の境界線を乗り越えることが出来たのだと。

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参考文献
「巡洋艦インディアナポリス号の惨劇」ダグ・スタントン平賀秀明訳  朝日文庫
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