大西洋漂流76日間
〜地獄のサバイバルに打ち勝った究極の人間心理〜
* 追い詰められる恐怖 *
 人は漂流すると、どういう心理になるのだろうか? もし、乗っているボートが流され漂流したら、あなただったらどうするだろう? まず最初に何をすべきなのか? その時、あなたは、生か死か二つに一つしかない地獄のサバイバルゲームを生き抜くことが出来るだろうか? 
 見渡す限り、海、海、海・・・水平線の彼方のどこにも島影の一片すら見ることは出来ない時の頼りなさ。青い砂漠と呼ばれるこの広大な大洋のまっただ中に取り残された人間の心理というものは、絶望と孤独感の無限地獄以外の何物でもないという。それらの恐怖に苛まれながら、猛烈な飢えと絶え間ざる渇きが容赦なくそれに拍車をかけるのだ。
 漂流者の多くは、通常3日で死んでしまうと言われている。水と食料が全然ない場合でも、もう少しは長く生きられるはずだが、それはどうしてなのか? つまり、船が沈んで佇むための板すらなくなってしまい、広大な大海原に放り出されたその瞬間に、人は勇気や理性も同時に失ってしまうからとされている。暗闇から襲い掛かる荒波と強風で絶望と恐怖のるつぼに追い落とされた人々にとって、死ぬには三日あれば十分なのである。

 漂流することがいかに恐ろしく、残酷な現象であるのかは、遭難した人間にしかわからないであろう。救命筏に運良く乗り移れても、当初は感じなかった死の恐怖が次第にはっきりと近づいて来るのだ。それはまさに生き地獄で、疲労、飢え、喉の渇きによる死の三重唱と言ってもいいだろう。回り中、水に囲まれながら、その水を飲むことの出来ない苦しさはいかほどのものなのか? 
* 恐ろしい漂流の記録 *
 まだ無電というものが装備されていなかった大正時代、一隻の漁船がエンジントラブルに見舞われ漂流したことがあった。漁船は、黒潮に乗って漂流を続け、10か月後にアメリカのシアトル沖で発見された時は、乗り組み員12名中、二名がミイラ状態で、残り10名は白骨と成り果てていたという話もある。つまり、公開日誌によると、乗員のほとんどが死んでしまった後も、二人だけは、半年間ほど生き長らえていたのである。恐らく、飢えと渇きに地獄のような苦しみを味わって死んだに違いない。
 第二次大戦中、ほぼ毎日ラバウルからガダルカナルへ攻撃が繰り返された話は有名だが、この間の距離は片道で約1000キロあった。つまり、当時の戦闘機で3時間の飛行距離である。もし、この間で空中戦をして落とされでもしようものなら、サメに襲われる危険性があった。ニューギニアからソロモン諸島、オーストラリア近海に至る一帯は、血に飢えた灰色の巨大鮫がうようよいることでも知られている海域でもあったのだ。
 ある時、エンジン不調で着水した飛行機があったが、パイロットは、まだ浮かんでいる機体の翼の上で元気そうにマフラーを振って救援が来るのを待っていた。
 3時間後、水上機が現場に到着してみると、もはや浮かんでいる機体はなく、代わりに大きな油の跡が海面に漂っているだけだった。
 救助を待つパイロットの姿もなく、付近には不気味なサメの背びれだけが無数に輪を描くように遊弋しているのが見えたという恐ろしい話もある。
 また、空中戦で機体に損傷を受けて、止むなくパラシュート降下をした日本のパイロットの話が残されている。彼は、着水したが、あたりは島影など見えずに、どこを見回してもすべて水平線だった。とりあえず、太陽の位置から判断して泳ぎ出したが、頼りない事この上ない。そのうち方角すらわからなくなってしまった。
 ライフジャケットがあるので、海面に漂っているうちに日が暮れてしまった。次第に薄暗くなってゆく内に、足に何かがごつんとぶつかる感触を感じた彼は思わずゾッとした。海面を透かしてみると、自分がおびただしい魚の群れの真っ只中にいることに気がついた。そうこうしている間にも、手にも足にもどんどんぶつかってきた。

 その時、彼は、こういう魚の群れを追い掛けて必ず獰猛なサメが来るものだということを思い出した。彼は、急に、それまで気にしなかった海面の青黒さに背筋が凍るような感覚を覚えて来た。彼は、手足をばたつかせて夢中で魚の群れを追い払ったが、それが終わると猛烈に疲れてきた。空腹の感覚は通り越して、下半身は麻痺状態で泳ぐ気力も消え失せていた。ライフジャケットのおかげでかろうじて浮いていたが、それもまもなく沈むと思われた。
 やがて、生きる希望も失せた彼は、拳銃を取り出し、自決しようとして自らのこめかみに当てて引き金を引いたが弾は出なかった。弾は長時間水浸しになっていたために不発だったのだ。これで、どうにでもなれという自暴自棄の気になって、波間に身を任せていると、そのまま疲労から寝入ってしまった。数時間後、目覚めてみると、夜が明けていて500メートルほど前方に島影が見えた。彼は最後の気力を振り絞って泳ぎ着き、九死に一生を得たのであった。
 こういうケースは、まことに運がいいとしかないと言っていいだろう。生きて海中に不時着して、救助されることもなく海の藻くずと成り果てたり、あえなく凶暴なサメの餌食となって死んだ人間はそれこそ無数にいたはずである。
 1982年に、大西洋横断中、乗っていたクルーザーが夜明け前に、大きなクジラと衝突し、広大な大西洋を漂流するはめになったステーブン・キャラハン氏は、地獄のようなサバイバルに見事打ち勝ち生還を果たした。彼はゴム製の救命筏に乗ったまま、ただ一人、実に76日間も大西洋を漂流したのであった。後に、彼は漂流中の人間の心理がどのようなものであるか自らの著書で詳細に綴っている。
* 打ち砕かれる希望 *
 漂流して14日目の未明、一隻の船がそばを通り過ぎたことがあった。その時、船は彼を認めたかのように接近して来た。彼は歓声をあげて3発の信号弾を打ち上げた。一瞬、すべての恐怖から解放され、悪夢も終わったものと確信したが、何たることか、船は空しく筏の手前1.5キロ先を通り過ぎていってしまった。彼は、喉もはり裂けんばかりの大声をあげながら、たいまつを燃やし3発の信号弾を続け様に打ち上げたが無駄だった。ついに発見してもらえなかったのだ。彼は絶望のあまり崩れ落ちるしかなかった。
 その3日後の昼間、彼はまたもや一隻の船と遭遇した。その船は大きな貨物船で、わずか70メートルそこそこという距離を大波立てて通り過ぎていったのである。彼は橙色の発煙を焚いて必死に手を振ったがまたしても駄目だった。目と鼻にも等しい距離をかすめながら、その船は、彼を発見することもなく通り過ぎて行ったのだ。あたりにはディーデルエンジンの重油の臭いが充満していた。
 水平線の彼方に空しく消えてゆく船影を見守りながら、彼は、あらん限りの大声で毒づくしかなかった。
 そして、この時、自動航行で進む現代の船というものは、ほとんど目を持っていない盲目の存在だという確信に至ったのであった。
 実際、船が漂流者を発見することはたやすいことではなく、ある漂流者など、8隻目にしてようやく救助されたという話もあるくらいである。
 漂流した経験者の一人は、通りががかった船の数など数えるべきではないと忠告している。
 そして、出会うすべての船に期待するのは、すべての郵便物に小切手か現金でも入っているのを期待するようなものだと表現しているほどなのである。彼は、その後も、水平線上に船のシルエットを何回か認めたが、もはや、発見してくれる希望など抱くことはなかった。
* 絶望の環境の中で *
 彼は、太陽熱を利用して海水から真水を蒸留する装置を持っていた。これは、太陽が焼けつくような場合に限り600CCの真水をつくり出せた。だが、筏の中は焦熱地獄となる。太陽が雲間に入った時は、幾分、過ごしやすくなるが、今度は逆に真水の生産量は減ってしまうのである。
 全く、万事、人生はパラドックスに満ちていると彼は考えるようになった。風が強く吹けば目的地に到達するのが早くなるが、転覆する恐れがある。また、天候が穏やかであれば、体は乾燥して傷口も治りやすくなり、魚も捕れやすいが、その反面、サメが近づいて来る可能性も高くなるのである。
 突如、何者かが巨大な波を起こすこともあった。大抵は、巨大シイラが海面を飛び跳ねたせいだったが、時たま、4メートルほどの灰色のサメが海中から突進して来ることもあった。
 彼は、サメが来ないことをひたすら念じた。サメの恐ろしいノコギリのような歯の恐怖もさることながら、荒いサンドペーパーのような肌でこすられようものなら、たちまち筏は裂けてしまうからであった。
 漂流も3週間も続くと、体に様々な変化が起こって来た。まず、ビタミン類や糖分の不足により体全体がしぼんでくる。尻の肉は落ち、骨盤に囲まれた肉のくぼみのようになってしまうのだ。
 両足はひどく退化してしまい、まるで腰からぶら下がった2本の糸のようになり、膝はその結び目のような様相を呈して来る。また、海水のために皮膚には無数の腫瘍が出来る。傷口は周りの肉が盛り上がって火山のような形になる。皮膚は、恐ろしく白いものになり、しわの上にまたしわが出来る。髪はもつれて垂れ下がり、魔女のような感じになってくるのである。
 夜には寒さで震え、日中には焼けつくような暑さにあえぎ、日暮れと夜明けだけがわずかなくつろぎを与えてくれるに過ぎない。食べ物に思いを費やす時間ばかりが多くなる。夢に出て来る食べ物は、ますますリアルになり、やたらと過去に交わした会話が思い出されて来る。
 人間がこれほどまでに憎悪の念を持ち、あこがれを抱く生き物であることを、彼はいやというほど思い知らされた。海水に長時間漬かり過ぎていたために、腫瘍は破れて悪臭を放ち、両腕は鉛のように重く、頭にはものが詰まったようになっていた。もはや、善と悪、美と醜のはっきりした区別すらなかった。
* 迫り来る死の恐怖との戦い *
 彼の日課は単純だった。食料と水を節約して、魚捕りに明け暮れ、蒸留器の穴漏れの修理や手入れを繰り返し、なけなしの水を回収するという作業の繰り返しだった。彼は魚を引き上げては、のたうち回って暴れるシイラを狂ったように押さえ込み、血まみれになって肉や内臓をむさぼり食うのである。もはや、それらは生き残るための条件反射と行ってもよかった。
 漂流43日目に、ゴム製の筏の一部に亀裂が入ってしまった。破れた部分より、大きな泡が噴出して筏は半分沈みかけた状態となった。ただならぬ事態に彼は狼狽した。そして、急きょ、破れた部分を塞ぐためにあらゆる努力をしなければならなかった。しかし、隙間をいくら修理しようが空気の漏れを止めることは出来なかった。猛暑の中での作業は、一段と過酷を極め、口の中は塩辛く、喉はカラカラで、おまけに筋肉は消耗しつくしていた。疲労の極に達した彼は、水浸しの状態で眠りに落ちるしかなかった。
 それから1週間は、破れた部分を塞ぐこととの格闘に明け暮れた。
 彼はほとんど寝ることもなく、なんやかやと絶えず休みなく体を動かしていた。
 しかし依然、空気洩れは止まらなかった。荒れ狂う海水が入り込み、その度に彼の体は翻弄される。
 いよいよ、無数の腫れ物は化膿して膿もひどくなり、神経がどうにかなったようでパニック状態になってきた。手がかりはなく、一切が深みに落ちていくようだった。
 (もう無理だ!耐えられない!) 左腕は完全に麻痺して、体を動かそうとしても出来なかった。感覚も失われていた。 激痛と刺し込むような痛みの中で、彼は最後の時が来たと悟った。疲労困ぱいした彼は、幻覚とも現実ともとれない感覚の中で、神、涅槃、解脱、の概念を追い求めようとした。涙が頬をつたい海水と混じりあった。まもなく、自分は死に跡形もなく消え失せるのだ・・・と。
 ついに視界には黒から灰色、次いでオレンジ色への変化が起きはじめた。死が彼を捉え始めたのだ。亡霊が招き、無数の死神が彼の体を引っ張る中、突如、彼は別の声が自分にがなりたてているのに気がついた。
* 最後の最後まであきらめるな! *
(目を開けるのだ! 頭を冷やせ! そして、泣き言を止めるのだ)

(よし! 体を上に起こせ! いいぞ。その調子だ)

(精神を集中しろ! 原点に立って考え直すんだ! チャンスは一回限りだ)

 彼は、次第に自分の気持ちがはっきりしてくるのに気がついた。「生きたい!生きていたい! 生き続けたい!」 彼はその時、胸の内から叫び声をあげる自分の声をはっきりと聞いたような気がした。同時に、朦朧とした頭で今何をなすべきなのか見極めようとした。そして応急セットの中に、フォークがあることを思い出した。彼は夜が明けるのを待って再び修理にかかった。
 問題は、破裂箇所に継ぎあてとして押し込まれていたゴム栓が抜けなくする方法であった。いくらきつく縛っていても、空気が入ればヒモが滑り抜け落ちてしまうのである。彼はこれまでの失敗を整理した。裂目に押し込んだゴム栓に切れ込みをつけ、折ったフォークの歯を差し込んだのである。そうすることにより、空気が入っても、圧力でヒモが抜け落ちるのを食い止めるはずであった。
 彼は、この作業をひと区切りごとに休み休みしながら数時間もかけて続行した。空気を入れて、締め金をさらに数回ねじり、もう一つを付け加えた。新しいヒモをさらに念入りに巻きつけた。
 考えつくありとあらゆる方法を試みた。さらに数時間が経過した。
 そして、結果は成功した! 筏は見事に水面から持ち上がった。以前のように丸く堅くなったのだ。彼は、空気を一杯に吸い込んで筏の床に倒れ込んだ。
 体は、依然、飢えと渇きにさいなまれ、傷の痛みも激しかったが気分は実に晴れやかだった。ついに、やり遂げたのだ! 死と隣り合わせの2日間は終わったのである。
* ついに陸地の火が! *
 漂流生活は、60日になろとしていた。彼は、筏のおよその位置を探るために、三本の鉛筆を組んで六分儀を作り上げ、夜になると北極星の方角に合わせて緯度を計ったりもした。それによれば、西インド諸島の最初の島に到達出来るのは、後20日前後ということであった。しかし、それまで筏や体力が耐えうることが出来るのだろうか?
 さらに数日経つと、見なれない藻が海面に多く漂い始めた。流れ藻には、小さなエビやカニが多く寄生していたが、見つけてすくってはそれを食べた。誤って飛び込んで来た飛び魚も食べた。海面下には、今までに見たこともない種類の魚が泳ぐようになった。彼は大陸棚の浅い海底にまで達した証拠だと考えた。
「目的地はまもなくだ。頑張れ!」と彼は自分に言い聞かせた。そうして最後には救助されずとも、自力で島々に到達出来るという自信さえ湧いて来た。
 そして漂流76日目の夕方、ぼんやりとした明かりが微かに見えた。それは点滅しているように思えたが動く気配はない。
 数秒後、彼はそれが陸地の灯台の光だということに気がついた。
 彼は、見えない相手とダンスでもするように両手を差し出し抱き着いた。
 非常用の1リットルの水を景気よくラッパ飲みにした。祝福のシャンパンとして!
 そして、何度も何度も自分の体をつねってみた・・・やはり、夢ではない。
  涙が後から後から溢れ出て来た。ついに過酷な試練に打ち勝ったのだ。
 こうして彼の生死を賭けたドラマは終わった。彼は神の与えた試練を見事乗り越え生還を果たしたのだ。
 その後、彼は、体の運動機能が回復するのに丸6週間を費やした。長期間の漂流生活によって、内臓は肥大化し、体の内部には水分が溜まった結果体重が7キロほど増えていた。棒のように細くなった足に靴が履けるようになるまでは、さらに6週間待たねばならなかった。小さな傷はまもなく治ったが、数カ月後には頭髪が抜けはじめ、それが治まるのに2か月以上かかったという。
 彼は後にこう述べている。「私は、漂流によって海の非情さをいやというほど味わった。大自然の中では、どんな生物にも優劣などなく全く平等なのである。そこで、私は自分がいかにちっぽけでケチな存在であるかを十二分に思い知らされた。絶望的な心理状態は、死の恐怖と恐ろしい孤独感を生み出したが、その危機を乗り越えた今、生きることの大切さ、素晴らしさを学び取ることになった。今、地球上で飢えと病気で苦しんでいる多くの人々の心をしっかりと感じ取れるようになったのだ 」
* 漂流の最高記録の話 *

 ところで、漂流の記録では、歴史上、最も長くこの困難に耐え抜いたと見られる人間がいる。彼はブーン・リムという中国船員で、第二次大戦中の話だが、乗っていたイギリスの貨物船が、喜望峰沖でドイツのUボートに沈められて以来、粗末な筏に乗ったまま、広大な大西洋をひたすら流されブラジルのべレム沖で救助されるまで漂流したのである。

 その間、実に133日間! つまり4か月半も、海の上の筏で暮らしたことになるのだ。これは、とても信じられぬ驚異的な記録であると言えよう。彼は、キャラハン氏よりもさらに2か月も長く大西洋上を漂ったのである。恐らく、漂流者として生き延びた人間としては、史上最高の耐久記録保持者に違いない。
 船が沈没した時、彼は4人の仲間と筏をつくって乗り込んだそうである。
 しかし、荒れ模様の海上で幾日か経つうちに、いつの間にか他の仲間は行方不明となってしまった。
 一人ぼっちになってしまった彼は、それから130日以上も漂流の運命が待ち構えていることなど知る由もなく、ひたすら過酷な自然環境に耐え抜いたのであった。
 何回か、船を認めたものの発見されることも救助されることもなかった。しかし、彼は決して自暴自棄にならずにひたすら生き抜くための努力をした。貯えた水がなくなれば、雨水を集めて飲料水とした。電線やロープをほどいて釣り針や釣り糸をつくり、小魚を釣っては食料とし、また干物を作って保存食料とした。あるいは、筏に取り付いたフジツボを集めて鳥の巣を作り、鳥が止まりに来るところを捕らえたりもした。
 彼は後にこう述べている。「私は一人ぼっちになっても何の恐れも感じなかった。邪念を振払うために、私は故郷の海南島にいる妻のことを絶えず思い出した。そして、自分の運命はなるべく考えまいとした。しかし最後には必ず助け出されると信じていた 」

 彼は、こうした強い信念のもとに、自分を信じ見事過酷な条件を乗り越えたのであった。多くの場合、漂流して、水、食料が尽きて希望をなくした人間は三日で命を断つという。しかし、彼は、133日間も耐え忍んだのである。

 発見された時、彼はヒゲが伸び放題で体中太陽に真黒に焼かれ、まるで猿か獣のようであった。しかし、そんなひどい状態にもかかわらず、体重はわずか4キロほど落ちただけですぐに歩くことも出来たという。
 その後、赤十字は、彼の決してあきらめることのない不撓不屈の精神力と耐久力を讃えて賞金と記念品の時計を贈ったのであった。
人間の試練は、思いもかけぬ形で、ある日、突然降り掛かって来るものである。だが、その試練を乗り越えた時、人は真の勇気と優しさに目覚める時なのだと思う。
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参考文献
「大西洋漂流76日間」スティーブン・キャラハン著長辻象平訳 ハヤカワ書房
「海の奇談」 荘司浅水  社会思想社
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