座敷わらし
〜妖怪か精霊か子供の幽霊か、その正体は?〜
* 誰もいないはずなのに *
 座敷わらしは主に東北地方の古い農家や旅館などで伝えられる精霊的な存在だと言われている。起源は江戸時代までさかのぼり、書物などで座敷わらしに触れている描写がある。
 誰もいないはずなのに、奥の部屋からざわざわと人の歩き回る音がしたり、カタカタと糸車を回すような音がする。誰かがいるのかと思って声をかけても返事がなく部屋をのぞいてみると誰もおらず、また入った形跡もない。ただ、今まで誰かがそこにいた気配だけが残っている。そう言った現象がよく報告されている。
 座敷わらしは子供の目から見えても、大人の目からは見えないということもよく聞く。
 子供たちが大勢で遊んでいて気がつくと一人多いはずなのに、大人にはそれが誰なのかわからないといった話もある。
 目撃した人によると、座敷わらしは男女両方が見られ、6才ぐらいのおかっぱ頭で着物かちゃんちゃんこを着ていたという証言が多い。以上のことは座敷わらしの共通の特徴だ
 また座敷わらしはいたずら好きで、枕を遠くに放り投げたり、布団の上にまたがったりするらしい。寝ていると、急に重いものが乗っかって来る感触にはっとして目覚めたり、気がついたら枕がとんでもない場所にあったりするのはそのためだという。
 このように、座敷わらしはいたずらを好むが、決して悪意のあるものではなく、座敷わらしが棲み着いた家には富がもたらされ、見た人には幸運をもたらすとされている。
 逆に座敷わらしを気味悪がって、矢を射かけたり追い払うまじないをしたところ、本当に座敷わらしが出て行ってしまい、そのとたんに家運が傾いてしまって悪いことばかりが起こってしまったという話すら残っている。
 床下に金の玉を埋めたり、好物の小豆飯を供えると座敷わらしが家に居着くとも言われ、東北地方では現在でも普段は入らない奥座敷に小豆飯や菓子類などを毎日供え物にしている旧家が多いという。この意味、座敷わらしは貧乏神とはまったく逆の福の神のような存在であると言えよう。
 では、座敷わらしの正体は一体何なのだろう?
 昔、東北地方で飢饉が起こった時、口減らしのために間引かれた子供の霊であると考える学者もいる。
 そうして間引かれた子供は墓に葬られることなく、台所や土間に埋められることが多かったらしい。
 家に取り憑くことが多いのもそのためだとも言われる。子供の霊であるがゆえに、無邪気で悪意もなくいたずら好きであるというのもうなづけるわけだ。
 しかし実際のところ、本当に子供の霊なのかどうかはよくわからないというのが正直な答えだろう。
では、座敷わらしに会ったという子供の体験談を二つほどお目にかけよう。
投稿その1 (K.H)
 ある夜のことです。寝ていると「ざざざざ」「ずずずず」「がざがざがざ」という物音で目が覚めました。
 まわりは真っ暗ですが、暗闇を透かしてみるとなにやら布団の周りを小走りに動いています。あきらかに誰かいる気配を感じました。まず、右回りで動きながら布団を数周すると次は左回りで数周しだしました。
動きは次第に速くなり、布団の周りを動いていたものが布団のはしを踏みながらばさばさばさと走り回り始めました。
 わたしは次第に悪寒を感じはじめ鳥肌が立ってきました。
やがてわたしの枕元まで来るとピタリと止まりました。「あそぼ、あそぼ」耳元で突然、子供の声がしました。わたしは怖くなって布団の中にもぐりこみました。じっと息をこらえて無視していると、いきなり髪の毛を引っ張られました。
その瞬間、髪が全部逆立つほどにゾクゾクゾクとなりました。叫びたいのに声は出ません。
 耳元に誰か立っている気配がします。布団のすきまからそっと見ました。
 子供の足が見えました。わたしは視線をおそるおそる上の方に向けてみました。あきらかに見たこともない子供が立っています。
 6歳くらいの女の子でちゃんちゃんこのようなものを着ていました。その子はわたしの方に顔をむけるとニコッとわらいました。体中の悪寒がおさまりません。
 するとその女の子は布団に潜り込んできたのです。布団がこんもりとふくれあがっているのですが、なんの感触もありません。わたしは急にねむたくなりそのまま目を覚ますことなく眠ってしまいました。
 気がつくと朝でもうその子もいません。いったい、あれは何だったのだろう。座敷わらしか幽霊だったのだろうか。不思議な体験でした。
投稿その2 (S.H)
 私は小さい頃、夜、よく姉妹で絵本を読んでいた。
気がつくと、子供部屋のドアはきっちり閉まっていたのにすき間があいている。
閉めにいこうとドアに近づくと、5〜6歳くらいのおかっぱ頭の女の子が立っていた。
「部屋に入れて」その女の子は言った。 赤いちゃんちゃんこを着てとてもかわいらしく、不審にも思わずにわたしはその子を部屋に入れてあげた。妹も喜んでいた。
 冬の寒い夜、コタツに足を入れて三人でみかんを食べて本を読んだ。なぜか私はその子がむしょうに愛らしくもうひとり妹ができたような嬉しい気持ちになっていた。女の子はあまりしゃべらず、にこにこしながらみかんを食べているだけだった。
 本を読んであげると目をまんまるにして聞き込んでいた。どのくらい時間が経ったかわからないが、母親の階段を上がってくる足音が聞こえて「そろそろお風呂に入りなさいね」と、言いながらドアを開けた。
「はーい」と、私は返事しながら、内心「もっと三人で遊んでいたいのに」と少しイヤな気持ちになってしまった。
 しかし、いつの間にかもう三人ではなく、妹と二人きりになっていた。こたつの上にはあの子が残したみかんが半分そのまま残っていた。私はさびしくてかなしくて涙が出てきた。妹も泣いている。あの子はまたきてくれるのだろうか。もう一度三人で遊びたい。あの子が座っていたところを触ってみた。冷たい。ぬくもりがなかった。
 しかし、あの子が大事そうに持っていたネコのぬいぐるみがそこにあった。「あ、あの子の忘れ物だ」と妹が言った。
「ほんとだ きっとまた来てくれるね」妹と一緒に涙をふきながら微笑み合うとぬいぐるみをなでた。
 あの子は誰だったのだろう。名前を聞いたのに思い出せない。その夜、あの子が夢に出て来た。目覚めて私が妹にその話をすると、妹も同じ夢を見たそうだ。私たちはねこのぬいぐるみをなでながらあの子がまたいつか来てくれると思った。
 こうした夢のようで現実でないような、それでいて記憶の片隅にひっかかっている不思議な体験をしたことはないだろうか?
 子供時代に一緒に遊んでいて、大人になっていつの間にか記憶から消えてしまったような奇妙な出来事。
 あの子は一体どこから来た子だったんだろうか、あの子はどこの子だったんだろうとか、よく考えると不思議な気がしてくるものだ。
 過去の思い出の中だけで生きる子供たち。
今思えばそんな中に座敷わらしがいたのかもしれない。
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