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500年の眠り
〜神のもとにささげられたアンデスの子供〜
 1954年1月、サンティアゴの北東100キロにあるアンデス山系に属するチリの霊峰エル・プロモ山の頂上付近で、一体のミイラが発見された。そこは標高5400メートルという信じられない高度で、あたりは雪と氷だけの殺伐とした場所である。人々がインディオの石壁と呼んでいる囲いの中にそれはあった。
 そのミイラは、しゃがんだような姿勢でうずくまっている8才ほどの子供のミイラで、ミイラというよりは今眠ったばかりのかわいらしい子供のようであった。両手で両膝を抱くような姿勢で、顔をやや左に傾け、疲れて寝入っているようにも見えた。まるで、いつでも声をかけさえすれば目をさましそうな表情をしていた
 その子供の顔には赤い顔料が塗られ、鼻と口の方向に向かって黄色い筋がついていた。目は閉じられており、まつげは長くまっすぐに伸びていた。髪にはていねいに櫛があてられており、黒紐で縛っており、そのうえから頭帯衣らしきもので押さえられていた。
 子供はインカの貫頭衣を着てマントをかさね皮制の靴を履いていた。子供は一つの布袋を持っていた。その中には、コカの葉が詰まっていたほか、本人の切った爪、毛髪、乳歯などが入っていた。血液型はO型で尻には蒙古斑があった。外傷もなく健康な子であった。
 衣服からみてこの子はインカ帝国の貴族の子であろうと思われた。こうして、このミイラは、かわいらしい子供のミイラとして世界中でひときわ注目され、話題を呼んだのであった。今、我々はこの子供がどういう運命をたどったのかを想像することが出来る。
 ・・・今から約500年ほど前の12月23日、帝国全土をあげて、いけにえの大祭が行われたと思われる。
 その日は、エル・プロモ山の夏至に相当する日であった。当時のインカ帝国の習慣では、その日に大陽の神を讃える儀式が行われたことがわかっている。その日に備えて、神にささげられるために全土から多くの子供が選ばれたのであろう。選抜された子供たちは、顔に赤と黄色の顔料が塗られ、金銀の装飾品や貝の人形などを持たされ、綺麗なインカの着物を着せられて、ここチリのエル・プロモ山のふもとまで連れて来られたのに違いない。
 犠牲になるために連れて来られたとは知るはずのない幼い子供は、きれいに身支度を済ませられると、長い時間をかけて標高5400メートルという高地まで運ばれた。ようやくそこに着くと、子供はチチャ酒という強い酒を飲まされたのであろう。酔って眠ってしまった子供はそのまま石壁の中に置き去りにされたのである。
 子供は眠ったまま、恐ろしい寒さのためにまもなく凍死してしまったと思われる。きっと死が訪れるまで目も覚ますこともなかったろうし、真っ暗で恐ろしい墓場の中に置き去りにされた恐怖におびえることもなかったにちがいない。安らかな眠りのまま死の世界へ旅立ったのである。
 帝国の永遠の繁栄のために太陽の神の元に使わされた子供だったが、皮肉なことに、それからわずかしてインカ帝国は滅び去る運命にあった。
 太陽のもとへ使わされるべく、犠牲にされ安らかに眠ったままのインカの子供はどのような夢を見続けているのだろうか?
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