蘇る古代ゲルマン人
〜ローマ帝国を震撼せしめたゲルマン人の素顔〜
 デンマーク、スウェーデン、ノルウェーといったスカンディナビア地方には昔から無数の沼地があり、近年この地方の沼地から約800体ほどのおびただしい数の古代ゲルマン人の遺体や遺物が発見されている。遺体はどれもきわめて新鮮なもので、発見された時は数年前の殺人事件の被害者ではないかと疑われ、警察が出動したほどである。
 中にはそのように処理されてしまった例もあり、1950年代になって、その頃ようやく実用化され出した放射性炭素測定方法により、1700年前の遺体だと判明して真相が明らかにされたケースもあるぐらいだ。
 1950年、デンマークにあるトールンという沼地から発見された遺体は、まるで眠るような表情で、あたかもあの世から戻ってきたかのような錯覚を覚えるほどであった。
 このトールン人は2000年も前の遺体で、手足を曲げてかがむような格好で泥炭層に埋もれていた。頭にはなめし皮を縫い合わせた帽子をかぶり、皮の細い帯を巻いただけのまる裸の状態で年令は20才以上と推定された。
 眠るような表情をしてはいたが、死因は、革ひもによる絞殺だと判明した。絞め殺されて沼にそのまま沈められたもので、長い年月の間に泥炭層に取り込まれた結果、原形をそこなうことなく保存されたものであった。ちなみに、泥炭層に取り込まれると、有機物は数千年間も分解されずに保存されることが多いという。
 このトールン人の胃袋には、死ぬまぎわに食べたと思われる内容物が残されていた。それは、裸麦、亜麻仁、二ワヤナギなどを主体とする種々の雑草の種の混じった粥であることが判明した。一度、この粥が復元調理されたことがあったが、ひどい味で、とても食えた代物ではないということだった。
 1952年には、グラウバラという沼地の泥炭層から発見された遺体は、当初、この地で蒸発した労働者の一人ではないかと噂されたが、放射性炭素測定の結果、約1700年前の30才以上の男の遺体であることが判明した。
 この遺体の顔には戦慄すべき苦悶の跡がありありと残っていた。男は首を右にねじり、額にしわを寄せて、口を半ば開いた状態で断末魔の恐怖の表情を露にしていたのだ。
 死因は明らかに他殺によるもので、耳のつけねあたりから食道を切断するほどの深い切り傷があり、鋭い刃物のようなもので、ザクッと咽頭をかき切られたのが原因であった。胃の内部には先のトールン人と同様の内容物が残されていた。
 髪の毛は黒だったと推定された。また歯の数本に炎症の後が認められ、生前歯痛に悩まされていたことを物語っている。
 もう一つよく知られる遺体はこれらの場所から、やや南にあるウインデビィという沼地の泥炭層から出土した少女の遺体であろう。14才前後と見られ、可憐な顔だちをしていたと思われた。
 このウインデビィの少女は1952年、泥炭を採掘中に発見された。
 この少女は髪の毛の左半分がカミソリのようなものでそり落とされており、目隠しがされていた。そして、丸裸のままで沼地で溺死させられたと思われている。
 遺体は木の枝と石が置かれ、遺体が沼から浮かび上がらないような処置がされていた。
 少女のわずか5メートルほど横で今度は、手を胸に組んだ中年の男の遺体が発見された。この男はハリツケにされており、死因は絞殺によるものであった。
 この遺体は紀元1世紀頃のもので、この少女と何らかの関係があるのではないかと疑われている。
 歴史家タキツスはその書物の中でゲルマン人の風俗習慣について述べているが、それによると、裏切り者、逃亡者、姦淫者は処罰として泥沼の中に沈める・・・と記されてある。
 また、姦淫罪については女は髪を切り落として、むちで追い立てるとも記述しているから、ウインデビィで発見された2遺体は貫通が発覚して処刑されたのかもしれない。
 この時期、ゲルマン人はローマ人から未開野蛮人と蔑まれていたが、それからしばらくすると大移動を開始し、領土にひんぱんに侵入をくり返し、やがてはローマ帝国を東西に分割させる原因ともなる。
 やがては西ローマ帝国を滅亡に追いやることになるのだが、ゲルマン人の一派ノルマン人はバイキングとして呼ばれ、沿岸地域の人々に恐怖と大災難をもたらすことになるのである。
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