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アンデスに眠る氷の少女
〜500年間アンパト山頂に眠り続けた奇跡の少女〜
 それは全くの偶然の発見であった。溶けた雪の重みで尾根の一部が崩れ去り、一固まりの氷となって落下したものと思われた。一見、氷の固まりと見えたそれは、何重にも巻かれた布の固まりで、それは40メートルも落下して下の岩に激突したのである。布の一部は破れ、中からさまざまなものが飛散した。それらは500年も前のインカの工芸品の品々であった。その工芸品に混じって一体の凍結した少女のミイラもあった。氷に覆われた少女は発見されるまで、しばらくはそのままの状態であった。
 発見された時、包みの回りには壷や銀製の像などの工芸品が散らばっていた。インカ特有の模様の入った包みの中にミイラが入っているのは明らかであった。動悸の高まる中、考古学者ラインハルトとその助手は、それを確かめるように包みを横に動かした。その瞬間、包みの裂け目越しに、ミイラの顔と鉢合わせとなった。頭の中で声なき叫びが響き、脳天がかち割られたようなショックを受けた。500年前のインカ族の少女の顔がそこにあったのだ。生前を思わせる生々しい表情に、呼吸することも忘れ、みるみる血の気が引いてゆくのが感じられた。この時から、時間は止まり奇跡が始まった・・・
 それは1995年9月8日の出来事であった。標高6310メートルというアンパト山の山頂で調査登山中、ヨハン・ラインハルト氏は、氷に覆われたインカ時代の少女のミイラを発見したのである。アンデスで発見された最初の凍結した女性のミイラであった。
 しかし、ミイラは顔が日に焼けて乾燥してしまっていた。恐らく覆っていた布が破れて、顔だけが露出してしまったためと思われた。いくら高地だと言っても、大陽の光は氷や雪面に反射すると温度が異常に上がるのだ。
 だが、少女の体の大部分は、凍った包みに覆われていたので保存状態はすこぶる良かった。包みは凍っていたので44キロほどもあった。
 ラインハルトとその助手は、温度の上昇に細心の注意を払い、ミイラを地上にまで運ぶことにした。
 その少女は14、5才ほどで身長は147センチほど。歯並びは今まで見て来たどのミイラよりも美しかった。
 少女は座ったまま両膝を胸に引き寄せるような恰好で、両腕を組み両足も組んでいた。そして、その姿勢のまま小さな包みの中にくるまれていた。
アンパト山頂で発見された氷の少女、山頂から転げ落ちたものと思われた。
 包みの中には、さまざまな副葬品が入れられていた。コカの葉が詰まった袋、髪の毛を入れた袋、銀や金製の小像、色鮮やかな壷類などであった。それらは、少女が神に召された時の神への贈り物となる品々であった。
 少女の頭の右の側面には、こん棒で叩かれたような傷が残されていた。その傷はマナカ(インカの兵士が使うこん棒の一種、木の先に石と青銅の固まりが結わえられている)の一撃によるものと思われ、これが少女の致命傷になったものと思われた。
 その一撃は、目の奥の神経を断ち切ってしまうほどの強烈な一撃であった。恐らく、少女は苦痛を感じる間もなく即死したことであろう。撲殺される寸前、死への恐怖心からか少女は片手で自分の衣服の端をしっかりと握っていた。
包みの中にあった副葬品、銀製のリャマ像、イチュ製のサンダル、銀製の櫛(左上)、イヤリング(右上)など。
 この氷に包まれた少女のミイラは、氏によって「フワニ―タ」と名付けられた。フワニータとは、高貴なインカ女性によく名付けられる名前である。正式な名称が決まるまでの一時的な名前のはずだったが、マスコミによってすっかり定着してしまい、この氷の少女の名前となってしまうのである。しかし、まもなくフワニータは奇跡の少女として全世界に衝撃を与えることになった。それは数年前に発見され世紀の大発見と言われたアイスマンに比べても見劣りしないばかりか、それ以上の大発見と言ってもいいものであった。
 インカ帝国はその絶頂期、何千メートルという山々の頂きで多くの子供たちを生けにえとして、神に捧げたことが知られている。当時インカの人々は、アンデスの山々を神聖な神々とみなしていた。つまり、山を神そのものとする山岳信仰だったのである。アンパト山はこの地域では最も標高が高く、それゆえ神聖で重要な神なのであった。アンデスの山々では、度々インカ帝国時代のミイラが見つかっている。そのほとんどが子供のミイラで、高地に連れていかれて生けにえとされたものである。
 生けにえにされた子供は、神々への使いとなり人々と神々をつなぐ仲介役となると考えられていた。子供が生けにえとされるのは、汚れなき純真な心をしているからであり、それゆえに神と人間の伝導になりうると考えられたからであった。古代中国でも、不老不死の教えを聞き出すために、始皇帝は仙人の住むという蓬莱山(ほうらいさん、現実に存在しない伝説の山)を見つけ出そうと、何千何万という純真な少年少女を全国各地から集めて探させたという話が残されている。
 自分の子供が生けにえに選ばれることは、親にとっては大変名誉なことであったらしい。親の中には進んで子供を生けにえとして差し出そうとする者もいた。その反面、我が子が生けにえとなることを望まない親だっていたのも事実である。やはり、親である以上、愛する我が子との永遠の別れは、心を締めつけられる苦痛になるのはどの時代も同じであったのである。そのため、娘を持つ親は、我が子が生けにえとして連れ去られることのないように、娘が純潔を失うことを見て見ぬふりをしていた親もいた。少女の場合、生けにえになる条件として処女であることが第一の条件でもあったからだ。
 インカで発見されるミイラは自然凍結したミイラと言ってよく、エジプトのミイラに比べて、内臓などがそのまま保存されているために生物学的情報が数多く残されているのが特徴だ。
 反面、エジプトのミイラは人為的に手を加えられてつくられた人工的なミイラと言える。
 最も腐敗しやすい部分である内臓や脳を抜き取り、天然のソーダ水などに長時間浸されたりして防腐処置され、手間ひまかけてつくられてゆくのだ。
 ところが、アンデスの山々で発見されたインカのミイラは、犠牲者の死から埋葬が驚くほど早い点にある。早い話が、生きながらミイラにでもなったとでも表現してもいいのか、強い酒を飲まされて前後不覚に陥り、そのまま凍死してしまった例もあるのだ。
 このように、温度がマイナス5度から10度くらいの条件下で死亡した場合、化学反応はきわめて遅くなり、細胞やDNAは素晴らしい状態で保存されるのだ。それを物語るようにアンデスで発見されたミイラは、どれも保存がきわめて良いことが挙げられる。とりわけ、すい臓はさまざまな消化酵素を含んでいるために、内臓の中でも特に腐敗の進行が早い部位でもある。このすい臓がもほとんど損傷を受けていないことでもこのことは証明されている。これらはミイラというよりは、むしろ冷凍された遺体と言ったほうがふさわしいと思われる。
 今回、氷の少女からDNAが採取されたことで、彼女に関することがいろいろとわかった。少女のDNAは、これまで採取されたものの中でも最善の状態だったのだ。これによると、彼女が北部のパナマ地方の出身であるらしいことがわかった。
 また、死の数時間前に、野菜中心の簡単な料理を食べたことも判明した。つまり、これが彼女の最後の食事だったわけである。
 その他、副葬品として、備えられた少女自身の髪の毛から、生前の生活も想像することも出来た。髪の毛は少女が生けにえになる半年ほど前に切られたものと思われた。
 まず、少女が生けにえに選ばれると、これまでの食事内容が劇的に変化したことがわかった。高タンパクの食事になったのである。これは、民衆の口にすることの出来なかった肉や贅沢品が支給されたからであり、言わば特別待遇によるものであろう。こうした食事は10か月ほど続き、儀式の2か月前になると、食事内容が変化してゆく。恐らく、生けにえの儀式におもむくために旅立ったためであろうか。それからの食事は、トウモロコシなどの菜食中心となるのである。きっと、2か月ほどかかる旅の間、途中の村々での施しものが食料となったのであろう。
 この少女の運命に思いを馳せる時、500年前に起きた出来事が脳裏によみがえって来るようである。
 彼女はピクー二ャ(ラクダ科の動物でその毛は世界最高と言われる)製の見事な衣装に身を包んでいた。その衣装はアルパカ製の精密な模様のベルトで巻かれ、その上を赤色の見事なショールをはおっていた。それは幾つかの銀製のピンで留められていた。頭にはインコの羽でつくられた美しい帽子が被せられていた。真紅の羽飾りは、まるで大陽の輝きを象徴するかのようである。足はイチュという植物の繊維で織られてつくられたサンダルを履いている。こうした衣装は、まさしくインカの王族でもないと着れないほど豪華なものなのであった。
 今、少女の目の前には壮大な景色が広がっていた。はるか彼方まで連なる山々。遠くに白っぽい氷原のようなものが大陽の輝きにキラキラと反射している。広大な水面のように見えるが海ではない。それは標高4000メートルという世界で最も高い場所に位置する湖、チチカカ湖であった。
 空を見上げると、抜けるようなコバルト色の青空がどこまでも広がっていた。その中に幾筋かの白い雲がたなびくように伸びている。大陽は心なしかオレンジ色に見える。
 岩陰からは、時おりヒューと凄まじい風音が響いて来る。気温はマイナス10度、身を切る寒さだ。
 あまりの寒さに体が縮こまり、少女は思わず両手で口を覆って息を吐いた。真っ白い息が吐き出され、両手のすき間から漏れると寒風に溶け込むように飛散してゆく。
アンパト山の頂上から見た絶景に、少女は思わず息を飲んだ。暑い地方出身の彼女にとって、雪をいただいたアンデスの山々を見たのはこの時が最初だった。
 まもなく、儀式が始まろうとしていた。神官は何事か祈りの言葉を口にしながら天を仰いでいた。持参した供え物を次々と取り出すと香が焚かれる。少女はチチャ(トウモロコシでつくられた強い酒)を飲むことをうながされた。あまりの寒さに震える手で飲もうとするのだが、苦い味に慣れていない少女はなかなか飲むことが出来ない。それでも無理して苦い液体を口に含みながら、少女はこれまで自分の身に起きたこの数カ月間の出来事を頭の中で反すうする。それは走馬灯のように蘇って来た。
 アンパト山を取り巻く山々が突然噴火したのは、2年前のことだった。火山灰は雨あられと降り注ぎ、ふもとの町々は灰に厚く覆われてしまった。飲み水や作物はすべてだめになり多くの人々が犠牲になった。そこで、人々は神の怒りを鎮めるために、もっとも高貴で価値ある贈りものを捧げることに決めた。その貢ぎ物、それこそ、他ならぬ純粋な少女を生けにえにすることであった。汚れのない少女の魂は、この世で一番尊いものだと考えられていたのである。
 神への贈りもの、すなわち一番美しい少女を選ぶべく、全国から選抜きの乙女たちが帝国の都クスコに集められた。そして、北の部族からやって来たフワニータに白羽の矢が立ったのだった。彼女は、美しい女神の衣装をまとうと長い巡礼の旅に出た。踊りと宴会の中、荘厳な儀式が幾度となく行われた。行列が過ぎる時、沿道沿いに並んでいた人々は地面に平伏する。少女はすでに神と同格なのであった。何日かの旅の後、いよいよ聖職者たちとともにアンパト山に登る日が来た。それは神に召され、神とともに生きる聖なる旅への始まりであった。そして、二度と地上に戻ることのない旅でもあった・・・
 儀式は最高頂に達しようとしていた。人々はコカの葉を嚼み、神を讃える荘厳な歌を大袈裟な身ぶりとともに歌っている。神官が少女に近づいて来た。少女はいよいよその瞬間が来たことを悟った。まもなく神のもとに召され、神の言葉を伝えるべく永遠の使者となるのである。
 少女は神官と一緒に小さな石造りの建造物の中に降りていった。心はすでに澄みわたっていた。少女は静かに両手を胸にあてると、大きく深呼吸をし呼吸を整えた。そして、基壇の片隅に坐ると両膝を胸に引き寄せるようにして両手を組んだ。
 神官が袋から何かを取り出すのが感じられた。体が強ばって来る。少女は目をしっかり閉じて衣服の端っこをグッと握りしめる。次に何が起こるのか知っているからだ。その時、一つの思念が少女の頭をよぎっていった。彼女はなにごとか最後の言葉を口にした。それが神への祈りの言葉だったのか、それともこれまで自分を育ててくれた最愛の家族への別れの言葉だったのか、今となっては知る由もない。

 こうして、フワニータは神々のもとへ旅立っていった。
少女は、今、ペルーの聖地博物館内にあるマイナス10度というガラスケースの暗闇の中で永遠の眠りについている・・・             

            

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