ヒトラー暗殺計画
 〜そのとき運命の24時間に何があったのか?〜
* 運命の日 *
 1944年7月20日、午前6時、今朝も暑い一日が始まった。その男はカミソリで髭を剃ると鏡に写った自分に言い聞かせた。「きっと、成功するさ。数時間後にはこの悲劇を終わらせることができるのだ」彼はそう言って窓の外をながめた。
 そこには美しい湖畔と深緑に彩られた森のこずえが広がっているのが見えた。とても世界を相手に戦争をしている国の風景とは思えない。
 身支度を終えたシュタウフェンベルク大佐は、会議に出席するために書類かばんをしっかり小脇に抱え込んだ。
 かばんはいつもより少し重い。そうだろう。中に2ポンドの高性能爆薬が仕込まれているのである。クルマの一台二台は木っ端みじんにすることができるのだ。
 きっかり6時に迎えのクルマが来た。乗っているのは副官のヘーフテン中尉だ。クルマに乗って飛行場に向かう。着くとそこからハインケルに乗り換える。飛行すること3時間ほどで総統大本営のあるラシュテンブルクに着くのだ。
 飛行機のタラップをのぼる時、ふと見上げると、真夏の太陽がギラギラと輝いていた。
 大佐はまぶしさに思わず目を細めると自分に言い聞かせるようにつぶやいた。
「今日は暑くて長い一日になるな」
* 総統大本営へ *
 午前10時少し前、飛行場に到着。飛行機から降りると、いつもの通りクルマが待機している。今日の作戦会議は午後一時に始まることになっている。総統大本営に入るには3メートルほどの幅の道路をこのまま16キロほど走ることになるが、順次3つの検問所を通らねばならない。
 クルマが停車した。最初の検問所だ。親衛隊の兵士が右手を高々と差し出して敬礼する。スコン!かかとを合わせる音が響いた。兵士はクルマの中をのぞき込むと手を差し出した。
「ハイル・ヒトラー! 証明書を・・・大佐殿」
「まるで道化の機械人形だ」いつもの光景に心の中でつぶやきながら大佐は平静さを装う。しかし鼓動は大きく脈打っている。耳の中でドックドックと聞こえるほど緊張しているのだが、絶対にさとられてはいけない。
 やがて証明書を返すなり兵士が叫んだ。
「お通りください。大佐。おい。ゲートを開けろ!」
いいぞ、うまくいった。その調子だ。
 第二の検問所も無事通過。道路の両端には高い鉄条網が張られており、一部には高圧電流が流されている。さらに鉄条網の外側には対人地雷が無数に埋められておりまず侵入することは不可能だ。ここまで来ると、回りはうっそうとした高い樹木に覆われており、敵の偵察機が来ても下に何があるのかさっぱりわからないだろう。
 特別証明書があるので、3つの検問所を通って作戦会議室まで行くことは難しくはない。問題なのは爆発してからここをどう出るかだ。おそらく一分一秒を争う時間との戦いになるだろう。大佐はそう思うと目を閉じ大きく肩で呼吸をした。するとこれまで起きたニュースが走馬灯のように脳裏に次から次へと再現されていった。
* 読めないヒトラーの気まぐれ *
 2ヶ月前、連合軍はついにフランスのノルマンジーに上陸してきた。ゲッペルスが豪語していた大西洋の壁はもろくも崩れ去った。その1年ほど前には同盟国イタリアが降伏し、連合軍は地中海よりイタリア半島を北上しつつあった。東からはソ連軍が雪崩のごとくポーランド付近まで攻め寄せて来ている。ここに至り、ドイツは3方向から連合軍に包囲される形となり、余談ならぬ情勢におちいってしまった。比我の差も歴然としており、敵の兵力はドイツ軍の数倍以上で、常に10倍以上の数の戦車を相手にせねばならないのだ。こうしている間にも3つの戦線はドイツ第三帝国の心臓部ベルリン目指して刻一刻と迫ってくる。このままではドイツの壊滅は時間の問題と思われた。
 ヒトラー暗殺の計画はこれまでにも何度かあった。ヒトラーの搭乗機に爆弾を仕掛けようとしたこともあったし、ヒトラーが新しいデザインの軍服を見に来た際、軍服に仕込んだ爆弾で吹っ飛ばそうというものもあった。また東部戦線にヒトラーが視察に来た時に至近距離から銃で撃つのもあった。しかし、すべてことごとく失敗に終わっていた。それはヒトラーの行動がまったく予期せぬものであり、先が読めないということから来ていた。
 ヒトラーは思い立つと予告もなく旅行したり、気まぐれのように前線の視察に訪れたりした。それらはいつも急で予測できないことが多かった。警察ですら知らされておらず、その都度、てんてこまいするのが落ちであった。そういうことにくわえて、ヒトラーの身辺は親衛隊のえりぬきの隊員で厳重に護衛されており、とても武器を持った者が近づける状態ではなかったのである。
 ヒトラー暗殺計画は関係者の間では「ワルキューレ作戦」いう隠語で呼ばれていた。ワルキューレとは古代北欧の神話に登場する女神のことで、彼女たちは天馬にまたがって空中をかけめぐり、戦場で死んだ英雄の魂を宮殿ワルハラに運んだという。この作戦名は万が一、ばれた場合のことを考えて、表向きはドイツ国内で従事する捕虜や奴隷労働者たちの反乱が起こった場合、鎮圧する作戦であるということにしていた。
* 作戦会議室へ *
 第三の検問所で親衛隊の中尉に声をかけられて大佐はハッと我に返った。
「大佐殿、会議は30分繰り上げられました」
聞くところによれば、盟友ムッソリーニが午後2時半に来るそうで、そのため作戦会議は早められたようだ。その上、多忙な総統は要点のみの報告しか受け付けないらしい。重々しいカバンなど持っていけば不自然に見えはしないだろうか? 見つからないだろうか? 計画は実行するべきか、中止にするべきか、シュタウフェンベルクは迷った。ここまで来た以上はすべては彼の胸三寸で決まるのだ。30分ぐらいの変更は計画に支障をおよぼさない。むしろ早めに吉報が送れるだけめっけものだ。よし、このまま行こう!かくして計画は実行に移されることになった。ヒトラーさえ死ねば、ドイツのこれ以上の破壊を防ぐことができるのだ。
 その場合、ただちに官公庁の中枢を仲間が押さえ、ラジオを通じてヒトラーの死を全世界に流すことになっていた。クーデターによって生まれた新しい政府はすみやかに和平交渉を開始するだろう。このためにベルリンでもパリでも同士が待機状態なのだ。ただ彼らは会議が30分早められたことを知らない。
 そうこうしているうちに、クルマは会議室のある建物の入り口の前まで来た。シュタウフェンベルク大佐は、自分は怪しまれずにヒトラーに近づき、爆弾を足下に置くことができる唯一の人間だと再確認していた。
 元来、ヒトラーのナチズムには一貫して反対の立場をとっていたということ、そして警備の親衛隊の兵士でさえまさか彼がヒトラーの死客であるなどとは決して思わないだろうとする強い理由があった。それは彼が北アフリカ戦線で負傷しひどい不具者であったことだ。片目片腕で残りの腕にも3本しか指がついていなかったのである。
 このような人物が総統に近づきいかにして危害を与えられることができるだろうか?
 実際、シュタウフェンベルク大佐は一度も身体検査もされることなく、所持品の検査も受けずに3つの検問所をパスし、作戦会議室に入って行くことができた。
クラウス・フォン・シュタウフェンベルク大佐
(1907年11月15日 - 1944年7月21日)
* 爆発数分前 *
 午後零時30分、会議が始まる直前、大佐は忘れ物があると言って立ち上がり、隣にある控え室に入っていった。そこで大佐は書類カバンのなかにある爆弾を作動させた。時限信管についていたプラスチックのケースを破ったのだ。これで信管部分に酸が流れ出すはずだ。この爆弾は酸が腐食して金属部分が溶けると爆発する仕掛けになっていた。爆発までおよそ10分ある。
 書類カバンを手に持った大佐は会議室に戻っていった。部屋は縦12メートル、横5.4メートルの広さで、中央に重いテーブルがあった。
 すでに作戦会議は始まっており、大きな地図の周囲にヒトラーを始め20名以上の幕僚たちが机の上に置かれた地図をのぞき込んでいるところである。
 地図はロシア戦線のもので、その上に敵味方の部隊を意味する赤と黒のチェスの駒のようなものがたくさん置かれていた。
 大佐はカバンを机の下に置くと、そっと奥に押し込んだ。
 ヒトラーは5メールほど離れた場所で、身を乗り出すように地図をのぞき込んでいるところであった。もうぐずぐずしてはおられない。あと8分だ。
作戦部長ホイジンガー将軍の東部戦線の状況説明がはじまった。
「目下、我が軍はこの線を死守しておりますが、兵站部がおびやかされており、退却の必要に迫られております。対峙するソ連軍はウクライナ方面軍3個師団と見られ、我が軍の損害は目下調査中です。ラトビアの我が師団は南下するも優勢なる敵の大部隊にはばまれております。全部隊は装備を再編し新たな戦線の構築が急務だと思われます」
「もういい!」ヒトラーの不機嫌そうな短い声が会議室にひびきわたった。
「大佐!」シュタウフェンベルク大佐は一瞬びくっとした。ヒトラーがこちらを睨んでいる。
「予備軍のあらましを説明したまえ!」大佐は冷静を装い、予備軍の状況説明を始めることにした。困ったことになった。このままでは説明している間に爆弾が破裂してしまう!
「総統閣下!現在、我が軍の予備兵力は、えー・・・後方にいる部隊を含めてですが・・・」
「要点だけにしたまえ!」ヒトラーの声が無愛想にひびく。この瞬間、大佐は救われたと思ったにちがいない。
「はっ!わかりました。予備は7個の歩兵師団と2個の装甲部隊のみです。戦車大隊はパンターD型、ティーゲルを主軸とした3個戦車大隊が使用可能です」
「うむ、そうか・・・」ヒトラーはうなづきながら地図を睨みつけている。彼の右手には赤の鉛筆が握られていた。左手はポケットに突っ込まれているがひっきりなしにモソモソ動いている。再びホイジンガー将軍の言葉がつづく。
「この戦線におけるロシア方面軍の敵戦車数ですが・・」
将軍の説明が始まると、大佐はベルリンに電話しなくてはとつぶやきながら、ゆっくり後ずさりして出口の方に移動した。もう行かなくては、あと5分ぐらいしかない。相変わらずホイジンガー将軍の悲観的な説明が続く中、ヒトラーは地図から目を離さない。ただうっとうしい雰囲気だけはよく伝わってくる。
 大佐はゆっくりドアのノブを回すとそっとドアを開けた。蒸し暑い空気がワーンと入り込んでくる。大佐の姿をちらっと見るなり衛兵が銃を持ったまま背を伸ばしてかかとをカツンと合わせる音がした。廊下をゆっくり歩いているつもりでもついつい後ろが気になる。呼び止められはしないだろうか。外までもう少しだ。爆発まであと3分ぐらいだろうか。
 建物を出て少し歩くと仲間のヘーフテン中尉とフェルギーベル将軍の二人が待っていた。クルマはアイドリング状態でいつでも発進可能になっている。大佐はよろめくようにクルマのドアを開けた。「ドォーン!」そのとたん、会議室の方向から耳をつんざく大音響が響きわたった。見ると時計の針は午後零時42分を示していた。中尉がすばやく乗り込んだ。クルマが動き出す。あとは一刻も早くこの狼の穴から脱出するのだ。
 大佐は外出許可書と迫真に迫る演技で検問所の衛兵を煙にまくつもりでいた。しかし何と言っても、疑いをかけられなかった最大の理由は、その痛々しい身体ゆえに国民的英雄と見られていたことであろう。こうして3つの検問所を次々と通過したクルマは飛行場に向かって快走する。
 30分後、待機中の飛行機に乗り込みながら大佐は心が踊るのを抑えきれなかった。
「やった!やったぞ!これでドイツは破滅から救われた」
午後1時15分、飛行機はベルリン目指して飛び立っていった。
* ヒトラーは死んではいない! *
 一方、フェルギーベルはヒトラーの死を確認するために足早に会議室の方向に駆け寄っていった。彼は総統大本営の通信隊の司令官で、ヒトラーの死を見届けるなり、すべての同士に連絡する手はずになっていたのである。彼は駆け足で近寄りながら、ヒトラーは即死したものだと固く信じきっていた。ところが、いきなりもやの中からヒトラーがびっこを引きながらあらわれたので、あまりの衝撃に卒倒しそうになった。
<なぜなんだ?ヒトラーは死んでいない。ベルリンの仲間にどう連絡すればいいんだ!>
「総統閣下!お怪我はありませんか?」何がなんだかわからなかったが、ひとりでに心にもない言葉が口から飛び出した。
「ソ連機の空襲だ。ゲーリングは何をしとった! あの劣等民族が・・・おのれ!余が・・・千年帝国の・・・」最後の方は聞き取れなかったが、かんしゃくを起こして呪詛の言葉をぶつぶつとつぶやいている。ヒトラーの髪の毛はブラシのように逆立ち、ズボンの片方はよれよれで尻の部分が黒こげになっている。ヒトラーはカイテル元帥の肩につかまって事務室に向かうようである。
 フェルギーベルは暗殺失敗を連絡しようとしたが、すでに通信設備は親衛隊の管理下に置かれており、いかなる通信もヒトラーの承諾なしには発信すらできないことを知った。いくら司令官の彼でも自由にならないのだ。ではどうすればいいのだ? フェルギーベルは失望状態に落ち入った。
 この時点では、ヒトラーは警戒網をくぐり抜けたソ連機が低空すれすれで侵入し爆弾を落としていったものと考えていたようである。30分ほどすると、ヒムラーが駆けつけて来た。あわただしく敬礼すると、爆弾の専門家を呼び寄せて調査が始まった。
 やがてカイテルは爆発前に急ぎ足で会議室を出て行ったシュタウフェンベルク大佐の奇妙な行動に気づく。その情報はヒトラーの耳にも伝わった。ヒトラーはたちまち顔を真っ赤にしてわめきはじめた。
「あの・・・畜生めが! 余の命をねらうなどとは・・・裏切り者の豚め、絶対に許さんぞ!」
 爆発のショックから立ち直ったヒトラーは、しばらくすると助かったのは神の加護で自分は奇跡を起こすべく運命づけられているのであり、ドイツを勝利に導くために神がついているとのだと考え始めた。
 ヒトラー特有の思い込みから来る一種の自己暗示である。やがて、盟友ムッソリー二が訪ねて来た頃には、ヒトラーの機嫌もだいぶ回復していた。
「このがれきのこのへんにわしはおった。最初、余はロシアの馬鹿どもが奇襲を掛けて来おったのかと思うた。新調したてのズボンが台無しになってしもうたわ」ヒトラーは通訳の将校を通じてムッソリーニにジェスチャーを交えて説明する。時たま笑顔で説明するほどの余裕も戻っていた。ムッソリーニは爆発現場をきょろきょろながめながら、時おりヒトラーの説明にうなづいていた。この後、ムッソリーニはヒトラーと別れたが、再び、二人が会うことはなかった。
* いたずらに時間を消費 *
 午後4時ごろ、シュタウフェンベルク大佐はベルリンのラングスドルフ飛行場に着陸した。そこから上司のオルブリヒト大将のいる国防省に電話し、自信たっぷりにヒトラーは死んだと伝えた。だが、フェルギーベルからの連絡がいまだ来ない。
 一抹の不安はあったが、オルブリヒトはワルキューレ作戦をいよいよ発動するときが来たと思った。
 このとき、国防省にいたフロム大将さえ動かせば、国防軍をすべて反乱軍の指揮下に置くことが出来る。というのもフロムは国防軍の総司令官であったからだ。
 シュタウフェンベルクは国防省に着くなり、オプリフト将軍とともにヒトラーが死んだことやただちに陰謀派のために行動することをフロムに迫った。
 フロムはどちらにでもつく男だった。もしワルキューレ作戦が発動されたら、陰謀側に組みしてまっさきにナチの主要人物逮捕に動くと思われていた人物である。

オルブリヒト大将
(1888年10月4日〜1944年7月21日)

 ところがフロムはラシュテンベルクにある総統大本営に電話してみて、カイテル元帥から総統が無事だったことを伝えられる。総統が健在であるなら、反逆者どもを逮捕せねば自分が罪に問われてしまう。
 しかし今は反逆者の方が権力を握っているのだ。フロムはどっちにつけばよいものか迷ってしまった。
 入ってくる情報は不確かなものばかりで信ぴょう性に欠けるものばかりだ。フロムと陰謀者たちの間で激しい口論が続いた。結局、優柔不断なフロムは銃を突きつけられ部屋に監禁されてしまった。
フリードリヒ・フロム
ヒトラー暗殺未遂事件に巻き込まれ、のち処刑。
 それにしても、本当にカイテルの言うようにヒトラーは生きているのか、それとも反乱軍をかく乱するためのデマなのか、陰謀派にとってもわからなくなってきた。真相を知ろうとして下手に電話をかけると、ゲシュタポに盗聴される危険がある。こうして、国防軍を指揮下に置くことも出来ぬまま、彼らは貴重な数時間を何もせずに過ごしてしまった。もしこの時、小部隊でも引き連れて、ベルリンに残っていたナチの重要人物ゲッペルスを逮捕し、放送局を占拠していれば、情勢はどうにでもなったはずであった。
 やがて午後6時過ぎ、ゲッペルスの緊急声明が発表された。
「本日、総統の命をねらう卑劣なクーデターが企てられた。しかし総統は軽いヤケドだけでそのまま執務を再開し、午後にはムーソリーニ統領と会見し、第三帝国の今後の展望について長時間会談した」
 この放送を聞いて、陰謀派はさらに弱気になり絶望的になってゆく。
「こんなのは嘘っぱちだ!」「ヒトラーは絶対に死んだはずだ」
しかし、動くはずだった部隊さえ日和見を決め込んで動かず、陰謀派は孤立無援の状態に追い込まれた。ゲッペルスの存在はそれほどまで国防軍に浸透し絶大な影響力があったのだが、もう後の祭りである。やがて反乱軍の中でも分裂が起こりはじめた。次第に弱気になり、責任のなすり合いも行われたのである。自分の保身に走る者すらあらわれだした。
 そのとき、ヒトラーに忠誠を誓う将校団が密かに結集し、突然、陰謀派に襲撃をかけてきた。国防省の廊下や建物内部で激しい銃撃戦が行われた。シュタウフェンベルクもこのとき、一本しかない腕に重傷を負って意識もうろうとなった。
 やがて陰謀派は制圧され、フロムは部屋から救出された。フロムは解放されるなり、怒りをあらわにして彼らをただちに銃殺にするとわめきだした。簡略化した裁判が行われ、陰謀派の中心だった将軍らは中庭に引き出された。そこにはクルマのヘッドライトで照らし出されたにわか仕込みの処刑場ができあがっていた。すでに銃殺隊は一列に並んで待機している。ほとんど意識のないシュタウフェンベルクは副官のヘーフテン中尉に抱きかかえられ、銃殺隊の前に立った。この瞬間、意識がはっきりしたのか、目をかっと見開いたシュタウフェンベルクは天にむかって叫んだ。
「我が聖なるドイツよ。万歳!」その声が終わらないうち銃殺隊の一斉射撃が行われ、ヘーフテン中尉もオプリフト将軍も全員血にそまって倒れた。かくしてシュタウフェンベルクにとって長い一日は終わったのである。
* 残忍なヒトラーの復讐 *
 日付は変わり深夜の午前1時、ヒトラーの演説が放送された。
「余がドイツ国民と最後の勝利を目指して奮闘努力している最中、一部の裏切り者が国家を乗っ取ろうと卑劣な行為を行なった」声はあらあらしい口調で続く。
「多くの忠実な幕僚たちが重傷を負ったが、余にまったくケガはなかった。これは神が余をゲルマン大帝国創設のため、その目的を行い貫徹させるためにとった神の真意である」ものに取り憑かれたようにしゃべるその声はまぎれもないヒトラー本人の声であった。
「反乱に組した者どもには神の裁きが降りるであろう。犯罪者どもは容赦なく逮捕され絶滅されるのだ」最後の言葉は怒りの口調となりがなりたてていた。この放送は世界に向けて発信された。
 この事件におけるヒトラーの復讐は残忍そのものであった。7000人以上が逮捕され、そのほとんどが強制収容所に入れられるか死刑になった。多くの人間がゲシュタポの拷問を受け、最後はあっさり死ぬことも出来ずに恐ろしい死に方をした。ピアノ線がじわじわ首に食い込んで窒息死してゆくその様子はすべてフィルムに収められたのである。多くの者はゲシュタポに尋問される前にピストル自殺や服毒自殺の道を選んだという。
 この暗殺計画には多くの将校が参加しており、初戦に活躍した将軍も多く含まれていた。クリューゲもその一人で、召還を受けてフランスからドイツに向かう道中で自ら青酸カリを飲んで命を絶った。国民的英雄ロンメルでさえ計画に加担していたと見られ服毒自殺を強要された。
 これ以後、ゲシュタポの力はますます強大になり、軍の内部や民間人の組織の中に浸透し絶対的な力となっていく。全ドイツ軍にナチ式敬礼が強要され、あらゆる行動にも総統への忠誠が求められるようになった。もし、少しでも反ナチ的な言動をしようものなら、ゲシュタポから目をつけられ反逆罪に問われるのだ。
 ワルキューレ作戦の失敗は、ドイツを完全な破滅から救うわずかな光明さえ打ち砕くものであった。ここにいたり、全ドイツ人はヒトラーとともに地獄の底まで道連れを余儀なくされる恐ろしい運命が唯一残された選択肢であることを知ったのであった。
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参考文献
「ヒトラー暗殺事件」第二次世界大戦ブックス  サンケイ新聞社出版局
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