野生のエルザ
〜ライオンと人間との感動の記録〜
 人間と動物との心の交流を描いた物語は多い。まして相手が猛獣ともなれば特別な思いがある。エルザというライオンとアダムソン夫妻との心の交流を描いた物語は私たちの心にいつも感動の嵐を巻きおこしてくれる・・・
  自由に生まれた  野に吹く風のように
  大地に根づく草のように  心のおもむくままに・・・
               (野生のエルザ主題歌)
* 残された赤ちゃんライオン *
 1956年2月のある朝、ケニアのある村で洗濯中の女性がライオンに食い殺されるという事件が起きた。襲った人食いライオンは付近の丘陵地帯をすみかにしているという。狩猟監視員であったジョージは密猟者をとりしまったり、人を襲う猛獣から原住民を守るのが仕事であった。
 ジョージはさっそく人食いライオンの退治にでかけることになった。ライオンが潜む岩場あたりにいくと、ライオンのうなり声が聞こえてきた。次の瞬間、オスのライオンがいきなり襲ってきた。ジョージはライフルで狙いをつけると即座に射殺、その後すぐに飛び出して来たメスのライオンも射殺した。
 ところが、ライオンの巣をのぞいたジョージは驚いた。中には生後数週間の3匹の赤ちゃんライオンがいたのだ。すると母親ライオンは子供を守るために襲ってきたのだろうか。ジョージは、このまま放っておけば、ライオンの子供は生きていけないと思い、連れ帰ることにした。
「ちょっと来てごらん、プレゼントがあるんだ」
帰ったジョージは妻のジョイに言った。何かと思って見るとそこには赤ちゃんライオンが3匹いる。
「まあ!かわいい!」ジョイはたちまち赤ちゃんライオンに夢中になった。ネコより一回り大きいぐらいでとても百獣の王の子供とは思えないほどの愛らしさである。
 赤ちゃんライオンは腹を空かせて「ミャーミャー」と鳴き声をあげている。乳が飲みたいのだが、母親はもう死んでしまったことを知らないのだ。ところが、赤ちゃんライオンはミルクを出しても受け付けない。哺乳びんを近づけても飲もうとさえしないのである。乳を飲まない子ライオンは衰弱してゆく。箱の中でうごめく赤ちゃんライオンは次第に元気がなくなってゆくのがわかった。
 このままでは死んでしまうと考えた夫妻は、徹夜で必死の努力をかさねた。
 吸う行為を知らないからだと思ったジョージが手を乳でベタベタにしてまずなめさせることを思いついた。
 ジョイがやってみると、まず一番小さい赤ちゃんライオンがなめ始めた。それを見習うように他のライオンの子供も彼女の手にしゃぶりつく。
ジョージは赤ちゃんライオンを持ち帰った。ミルクを飲ませようと懸命の努力がつづく。
(映画「born free」より)
 しゃぶるこつを覚えたライオンは今度は哺乳ビンから「チュウチュウ」と勢いよく吸いはじめた。
「ああ、よかった!これで大丈夫だわ」安堵のため息をもらしたジョイは、これまでの疲労がどっと全身に吹き出してくるのを感じた。しかし疲労は疲労でも心地よい疲労である。
* エルザとの生活 *
 それからは夫妻と3匹のライオンとの生活がはじまった。しかし夫妻は子供たちが大きくなるにつれ途方に暮れてしまった。洗濯物は泥だらけにされ、噛んでボロボロにされてしまうし、家具の類いは壊されるし、家の中が無茶苦茶にされるのである。召使いたちが大声をあげて追い回すが彼らのいたずらはますます激しくなるだけで、いっこうに事態は改善しない。どうすればいいのだろう。思い悩む日々がつづいた。このままじゃ仕事にも支障が出かねない。相談のうえ、動物園に引き取ってもらうことになった。別れの日、ライオンたちの乗った飛行機を見送るジョイはゆううつそのものだった。彼女は今にも泣き出しそうである。
 帰りの道中でも、ジョイは悲しみに打ちひしがれ、一言も口を聞くことはなかった。ところが、急に首筋のあたりを後ろからペロペロなめられてジョイは驚いた。「グルグル・・・」つづいてのどを鳴らすなじみのある声が聞こえて来た。振り返ったジョイは目をまん丸にして驚いた。飛行機で行ったはずのエルザがいるではないか。
「まあ、エルザ!エルザじゃないの!」ジョイは嬉しさにエルザの首を抱きしめるとすっとんきょうな声を張りあげた。
「そうだよ、こいつ一匹ぐらいなんとかなるだろうと思ってね。僕の計らいに感謝してくれるかい」ジョージはハンドルを握ったまま照れくさそうにいう。じつは妻の落胆ぶりをみかねたジョージは、妻の一番かわいがっていたエルザを残しておいたのだった。
「もちろんよ、あなた、ありがとう!」
 こうしてアダムソン家には一番体が小さいエルザのみが残った。ふつう、ライオンの子供が3頭いれば全部は育たない。体の虚弱な子供はつまはじきにされやがては死ぬ運命にあるからだ。通常なら、エルザはきびしい自然のおきてにしたがって間引かれてしまうだろう。しかし体が一番小さいにもかかわらず、エルザは、好奇心がひじょうに旺盛なライオンだった。そんなところから、母性本能をくすぶられたジョイはエルザをこよなく愛したのであろう。
 エルザは食事の際も、いつも他の二匹につまはじきにされ、見かねたジョイが自分のひざの上で食事をさせることが多かった。エルザは食事が終わってからも、膝の上でジョイの親指をくわえて吸いながら、目をつむったまま両手で母親の乳房を揉むしぐさをくりかえしていた。ジョイはそんなとき、エルザを不憫に思い、いつまでもエルザの背中をなぜながら優しく膝に抱いていたという。
 これ以後、エルザは、ふたりの愛情をひとりじめにしてすくすくと育っていった。いっしょのベッドに寝たり、海水浴にいったり、どこに行くのも一緒だった。好奇心の旺盛なエルザは木の枝からタイヤを吊るしておくと、ひとりで一日中でも遊んでいた。また、はじめて見る海にもすぐになれた。最初はジョイに引かれておそるおそる海水の中に入っていくが、もう一時間後にはバシャバシャと勢いよく泳いでいく。片方にはジョイが背泳ぎをして、もう片方にはジョージが平泳ぎをしている。その真ん中をエルザが懸命に泳ぐのだが、その恰好がなんともユーモラスなのだ。
 砂浜でジョージがボールを投げると、エルザがそれを追いかけてジョイに渡す。ジョイがボールを投げるとエルザがボールをジョージに渡す。それが何回もくり返される。一見、なんでもないボール遊びのようだが、深い愛情に包まれた永遠に戻ることのない貴重な時間がゆっくり経過してゆく。
* 野生への荒療法 *
 2歳になったとき、エルザは発情期をむかえつつあった。ときおり、欲求不満からか絹を切り裂くような狂おしい声で鳴き、せわしなく歩き回り、落ち着きがない。このままではエルザは不満をもてあまし下手をすれば病気になってしまうだろう。ジョイは考え抜いた末、エルザを野生に帰そうと決心した。しかし、小さな獲物一匹つかまえられないエルザは本当に野生に帰って行けるのだろうか?
 野生にもどすために、当局からもらった期間は3ヶ月である。
 その間に、狩りをして獲物をとらえる練習をしなければならない。それが出来なければ、群れには入れてもらえないだろう。
 ライオンは群れで生きる動物でテリトリーが定まっている。ひとつのテリトリーには、一頭の雄と数匹の雌、そしてその子供たちがいて成り立っている社会なのだ。
ジョージ・アダムソンとエルザ
 雌ライオンの場合、雄ライオンに認めてもらえないと群れには入れてもらえず、決して一頭だけで生きていくことはできないのだ。
 こうしてエルザにとって大変な道のりがはじまった。ところが、3ヶ月をすぎても、エルザはまだ野生の動物を捕まえることもできなかった。できないどころか、小さなイノシシに反撃されて逃げ帰ってくる始末である。これではとうてい厳しい野生の世界では生きていけない。
 こうなれば荒療法をするしかない。エルザを一週間ほど突き放してみるのだ。何も知らないエルザを置き去りにするのは悔やまれたが、どうしょうもない。大草原の真ん中にエルザを残したまま、トラックは全速で遠ざかっていった。エルザの姿がどんどんと小さくなって遠ざかってゆく。ジョイにとって後ろ髪をひかれる思いである。彼女はエルザの方を何度も何度もふり返った。
 夫妻が一週間ぶりに来てみると、そこに見たものは飢え死に寸前の哀れなエルザの姿であった。これでは、野生に帰しても獲物をつかまえられないばかりか、生き延びることすらできないだろう。
 そのうちエルザは病気になった。リンパ腺が腫れてひどい熱を出したのだ。症状はかなりひどくエルザは高熱のためにあえぎながらぐったりと横たわっている。ときどき目を開けると、ジョイにずっとそばにいて欲しいという目つきで見つめつづけるのであった。
 一時は死にかけたエルザだったが、ジョイの祈りが通じたのか、次第に元気になりはじめた。病気の原因はわからない。ただ言えることは不順な気候となれない土地がエルザの体質と合わないということだった。さまざまな病気を媒介するダニやツェツェバエなどの虫害に対してもエルザに免疫力がないのも事実なのだ。
 夫妻は考えたあげく、訓練の場所をエルザが生まれた場所にかえることにした。ここだと一年中、水があり、食料とする獣に不足することなく、悪い密猟者もいないであろう。
* 別れのとき *
 こうしてふたたび野生にもどす特訓がはじまった。しかしこの頃から、エルザはこれまでの失敗を教訓に少しづつ野生に目覚めはじめていた。
そして10日ほどたったある日・・・
「ほら、あなた見て!エルザがイノシシを追いかけてるわ」草原で一頭のイボイノシシを見つけたエルザは、身を潜ませて獲物に近づき、飛びかかっていったのだ。逃げてゆくイボイノシシをエルザは全速力で追いかけてゆく。
「うまくいくといいが・・・」そのうちエルザはイボイノシシに追いつき、襲いかかって見事しとめることができた。とうとう狩りに成功したのである。エルザは、ついに自ら狩りをして獲物をとらえることができたのである。やっと自立のめどがたってきた。
 ある日のこと、エルザはいつもとちがって夫妻と一緒に散歩にいくのを嫌がるようになった。エルザにとって日課になっているジョイとの散歩は一番楽しみに満ちた時間のはずである。そして夕方にはどこかに出て行ってしまいその夜は帰って来なかった。翌朝、帰って来たエルザはどうもいつもとちがう。どこか心が奪われているといったふうなのである。エルザの身体からは蜂蜜のような発情期特有の甘い香りがプンプンしている。
 こうして、エルザはキャンプに帰って来たり来なかったりを何度かくりかえすようになった。エルザに恋人が出来たのは明らかであった。ジョイは出来ればエルザの選んだ相手を見てみたかったが、今はそっとしておくことにした。しかし、この場所でキャンプできる時間もあと少ししか残されていない。
 とうとう引き上げねばならない日が来た。ジョージたちはキャンプをたたむとクルマで移動していった。
 そのときジョイはエルザを連れ出して川のほとりで相手をしている最中であった。せめて、キャンプをせわしなくたたむところをエルザに見せたくなかったのだ。
 しかし、勘のいいエルザはいつもとちがう雰囲気を察知していたようだ。
 ジョイは平静を装ってはいたが、心の中はすっかり転倒していた。これからわき起こるであろう寂しさとどうつきあえばいいのだろう。エルザは何もかも知っているようになめらかな身体をすり寄せてくる。
 目の前の川は何事もなく静かに流れている。何もかも時間が止まったようだ。そして、本当にそうなればいいのにとジョイは思う。
「わたしのエルザ・・・」ジョイはエルザの首を思いっきり抱くと思わず口にする。ジョイは楽しかったエルザとの3年間をふりかえっていた。これからエルザは自然の世界に帰っていき、わたしは人間の世界に帰ってゆくのだ。今までの心のつながりをこれから先もエルザは覚えていてくれるのだろうか? 飢えで困りはしないだろうか? 病気になりはしないだろうか?ここに置き去りにするのもあなたへの愛情であることを知ってくれるだろうか? ジョイの頭の中では次から次へとこうした心配が浮かんで来るのを止めようがなかった。
 ジョージの使いがやって来た。いよいよ、お別れだ。ジョイはエルザをアシの茂みに連れて行くと肉の固まりを置く。エルザが安心して食べ始める。ジョイはエルザのほほに口づけすると、そっと足音を立てずにその場を離れていった。
* エルザとの再会 *
 こうして、エルザは生まれた故郷に帰っていった。それからどれくらい月日が流れたであろうか?
 その後、エルザとの再会を願って、夫妻が休暇を利用して一週間ほどエルザのいる場所でキャンプを張ったことがある。エルザはうまく自然に慣れ親しんでいるのだろうか? 元気でいるだろうか? ジョイのエルザを思う気持ちは不安に近いものばかりだ。
「エルーザ!エルーザ!」大声で呼ぶが返事はない。木々のざわめく音と鳥のはばたく音だけが聞こえてくるだけだ。本当にこの場所に彼女がいるのだろうか?
 しかし、会いたい気持ちとはうらはらに、時間はむなしく過ぎ去ってゆく。とうとう最後の日が来てしまった。やはりエルザは遠くに行ってしまったのだろうか? もう会えないのだろうか? ジョイは沈痛な思いでキャンプをたたむ準備をはじめた。ジョージも無言のままだ。そのとき、遠くでライオンの声が聞こえたような気がした。テントから飛び出した夫妻は声のする方角に目をやった。すると、遠くの茂みから一頭のメスライオンがやってくるのが見えた。その後からは生まれたばかりの子供がよちよちとついてくる。
 エルザだ! エルザが自分の子供たちをジョイとジョージにみせるためにつれてきたのだ。エルザの不意の訪問に夫妻は喜びのあまり、歓声をあげてエルザを抱きしめた。
「お帰り、エルザ!」「これがエルザの子供たちなの?」ジョイはエルザの子供たちを抱き上げてはほおずりした。
 エルザの子供は3匹いた。どの子も無邪気にその辺をよちよちと歩いたり、エルザの回りを飛び跳ねたりしている。その様子はエルザが小さかったときにそっくりだ。エルザは満足気に子供たちを見下ろしている。
 しかし楽しいひとときは一瞬に過ぎ去っていく。やがて夕方になり、別れのときが近づいてきた。
 ジョイはエルザの目を見つめると思いっきり抱きしめた。エルザもジョイとジョージに飛びついて大きな体を預けてくる。よちよち歩きだったエルザ、それがいつのまにかこんなに重たくなって・・・
 夕日のさす中、子供たちをつれて帰っていくエルザの後ろ姿を見て夫妻の心は感慨無量であった。エルザはみごと野生にもどり、立派な母親になったのである。
 ジョイの頭の中では、これまでのエルザとの思い出が走馬灯のように駆けめぐっていた。まだ目も見えず膝のうえで母親の乳房をひたすら捜し求めていたころのエルザの姿が脳裏に浮かんだジョイは、あふれ出る涙をぬぐおうともせず、遠ざかってゆくライオンの親子をひたすら見つめつづけるのだった。
エルザは野生にもどった。自由を手に入れた。
   喜びと誇りでいっぱいだろう。きっと・・・
            (ジョージ・アダムソン)
* 永遠のエルザ *
 その後、夫妻とエルザの心の交流を描いた記録「野生のエルザ」は出版と同時に大ベストセラーとなった。おそらく世界中で5千万人もの人たちが読んだと推定されている。夫妻はこの印税でエルザ野生動物基金をつくり、野生動物の保護のために全力をいれた。
 エルザはその二年後、ネコ科の動物がしばしば感染するという恐ろしい病気にかかり、最後は眠るように息をひきとったという。2月6日の夜明けのことだ。死の瞬間にエルザのそばにいてあげられなかったジョイはそのことで長年思いわずらうことになった。夫妻はエルザの遺骸を彼女が生まれ育ったメルー国立公園内に埋葬することにした。
 しかし、その後のアダムソン夫妻の運命も決して幸福なものではなかった。娘のように愛したエルザの死は、ジョイの精神にかなりのダメージを与え、彼女はなかなか立ち直ることができなかった。各地をまわって講演を何度もしたが、すればするほど、エルザのことが思い出されて胸が締めつけられて来るのである。そうこうするうち、ジョイはキャンプ地で事件に巻き込まれて非業の死を遂げることになる。かつての使用人に殺害されてしまったのである。それは1980年1月4日の夜に起こった。
 悲しみに沈んだジョージは彼女の灰をエルザの眠る墓に埋めることにした。「ここに腰をおろしていると、エルザがわたしの近くにいるように感じるの。まるでわたしは天国の入口に坐っているように感じるわ」生前のジョイが口ぐせのように言っていたセリフだ。せめて天国でエルザと一緒にしてやろうというジョージの計らいであった。こうしてジョイはエルザとともに眠ることになった。
 しかし夫のジョージの方にも忌まわしい運命がふりかかる。ジョイが殺されて9年後の1989年、密猟者の取り締まりにでかけたジョージは、逆に密猟者に射殺されてしまったのである。
 アダムソン夫妻の貢献した功績は計り知れないものがある。夫妻は全生涯をかけてライオンを自然に帰すべく努力をつづけた。その数30頭。ライオンと人間との心の交流を記録した書物「野生のエルザ」は、人間と猛獣が信頼という心のきずなで固く結ばれるという事実をしめした。
 猛獣は小さいころから飼うと馴れるが、発情期になったり、血のにおいを嗅いだりすると、ふたたび凶暴化すると思われがちだ。さらに猛獣には心理、個性などなく、人間と理解し合えることなど土台不可能だという考え方も根強い。しかしエルザの記録はこうした偏見に満ちた考え方をことごとく打ち破ったといえるだろう。
 アダムソン夫妻が娘のように愛したエルザ。彼らの魂は天国の草原で果てることのないボール遊びに興じているのかもしれない・・・
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参考文献・資料
「野生のエルザ」ジョイ・アダムソン著 藤原英司訳 文藝春秋
「born free」open road コロンビア映画
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