コンティキ号漂流記
 〜文明のルーツを探るため決行された壮大なプロジェクト〜
* 不可解な巨石文化 *
 南太平洋に点在する島々には特異な石の文明が残されている。イースター島にあるモアイは不思議な巨石像だ。島には1千体もの石像があり、そのすべてが島の中央をむいている。モアイは何のためにつくられ、なぜ同じ方角を向いているのだろうか?
 またさらに西に行くと、ナンマドールという不思議な海上都市の遺跡がある。これらは73もの人口の島々から成り立っているという。さらにヤップ島には石でできた巨大な貨幣があることが知られている。この石貨は島のいたるところに1万数千個もあり、大きいものになると、直径が3メートル、重さ5トンを越える代物だ。
 一体、これらの不思議な石の文化はどこから影響をうけたのであろうか? すべての文明はいきなり突然、無から生じることなどなく、何かの影響を受け、その下地になった元の文明があったはずである。
 このため、もともとこれらは陸続きであり、かつて海に沈んだ巨大大陸のなごりであると考えられたこともあった。
* 壮大な実験 *
 ところが、南米のインカ文明とポリネシア文明とのあいだに類似点が多いことに気づいたノルウェーの民俗学者トール・ハイエルダールは、ポリネシア人の祖先が南米大陸から海を渡ってきたのではないかと考えた。そう考えれば、太平洋の島々の特異な石の文化のルーツは南米のインカ文明だったことになる。しかし、そのためには恐ろしい危険をおかして数千キロという広大な太平洋を横断せねばならない。
 満足な航海技術もなく粗末な船で、風と海流に流されて、ポリネシア人はどのように太平洋をわたることが出来たのであろうか? 彼は自分のこの理論を証明するために壮大な実験を思いついた。条件も何もかもすべて同じにして、当時の人々が乗った船に自分たちも乗り込み、海を渡ろうというのである。
 ハイエルダールは、当時の人々が乗ったであろう船を忠実に再現しようと考えた。当時の資料で判明した、バルサ、松、竹、マングローブ、麻などといった材料をインカ当時の図面を元に忠実に組み上げてゆくのである。
そうして一隻のいかだが建造された。全長15メートル、幅7.5メートルあまり。中央には木で組み上げた小屋がひとつ。小屋の壁は竹を編んでつくられ、屋根はバナナの葉を重ねてつくられた。このいかだこそ、当時の人々が大いなる野心を秘めて大海原に乗り出した船なのである。交信用に無線機が積み込まれたが、現代技術の産物と言えばただひとつこれだけである。
* 命をともにする仲間たち *
 いかだに乗るクルーはハイエルダール含めて6名。彼らは知人であったり、探検家クラブの仲間だったり、偶然知り合ったのもいるが、全員、意気投合した仲間たちだ。
 ヘルマンはたまたま食堂で知り合った青年で気象観測や機械測定が得意だ。エリクは画家で航海技術にも長けている。クヌートとトルシュタインは無線の専門家である。ベンクトはただ一人のスウェーデン人だったが、がっちした体格の科学者であった。
 ノルウェー人5名、スウェーデン人1名というチームメイトがわがコンティキ号のクルーたちである。
コンティキ号のクルーたち。左から3番目がハイエルダール。
 彼らに共通して言えることは、全員、好奇心旺盛で真理を究明することには妥協をゆるさず、大いなる野心とロマンを持っているということだろうか。
 しかし、この壮大な実験について、懐疑的な意見が多かったことも事実だ。ある大臣は「止めるなら今のうちですよ。あなたが死んだら、家族の人が悲しむでしょう」といい、ある提督はいかだを一目見るなりこう言った。「これじゃ、いかだが小さすぎる。太平洋の大波に持ち上げられたら、たちまちバラバラになってしまう」
 専門家の多くも「バルサは水を吸い込み、目的の4分の1も行かぬまに沈んでしまうだろう」と言った。
 出航日が近づくと、闘志とはうらはらにイヤな考えばかりが頭をもたげてくる。不安はつきることなく邪念が次から次へと浮かんできて弱気になっていくのだ。こうした時、ハイエルダールは自分の心に問いかけるのであった。千五百年ほど昔、古代インカ人はこれと同じ船で大海原に乗り出していったのだ。希望と大いなる野心だけが彼らのエネルギーだったはずだ。そして彼らは無事に目的地に到着したではないか! もっと自分に自信を持て! 自分を信じるしかないのだ。彼はこう自分に言い聞かせては心に誓うのであった。
 準備はできあがった。これで無事海流に乗っかり、果たして延々と数千キロ離れた島々までたどり着けるのであろうか? 本当に南米の巨石文化はこうして海を越えたのであろうか? かくして1947年4月28日、壮大な実験は開始された。いかだの名前は「コンティキ号」。これはインカの太陽神に準じた聖なる名称なのだ。さあ、目指すははるか水平線のかなた、ポリネシア諸島だ!
* 慣れない筏での生活 *
 徐々に南米大陸が遠ざかってゆく。やがてハイエルダールの予想通り、コンティキ号は強い海流に押し流されるように北西に動き出した。その速度は毎時2ノット。南半球には、南から北西に吹き抜ける貿易風が吹いている。それと呼応するように海水は南極から南米大陸を北上し赤道付近で西に回流している。これはフンボルト海流と呼ばれているが、計画ではこの海流と貿易風に乗っかっていくのである。予定では順調に行って3ヶ月でポリネシア諸島に到着するはずであった。そのため、アメリカ軍から分けてもらった4ヶ月分の軍用食料(缶詰)と1トンにもおよぶ真水が分散されていかだに吊るされていた。
 海流に乗っかっていくと言っても、大小さまざまな支流があり、油断をすればとんでもないところに流されてしまう。そのため、かじ取りと帆の調節は交代制にして細心の注意をはらわねばならなかった。横殴りの突風が吹くと帆が狂ったように方向を変えて、小屋に激突し、荷物やら人間を吹き飛ばすので危険きわまりないのである。
 最初の3日間は、かじ取りと帆の作業に馴れるまで苦難の連続だった。
 クルー全員にとって、気がかりになることは3つあった。まず計画どおりに海流と貿易風に乗っていくかということ。第二は、バルサはどんどんと水を吸っていく。いかだがいつまで浮いていられるかということだ。第三は、丸太を結び合わせている綱が摩擦してすり切れてしまわないかということであった。
 一週間ほど経つと、海はゆったりしてきた。いよいよ大洋に出たらしい。
荒波の中のかじ取りは大変な仕事である。
 しばらくすると、いかだの回りにいろいろな魚が姿をあらわした。イワシの大群に囲まれたことがあったが、見下ろすと青黒い海中に銀色のイワシが無数に泳いでいるのが目に映った。陽光をうけてキラキラと光り、見とれてしまうほど美しく幻想的な光景で別の宇宙空間のように見えた。そうかと思えば、黒い大きな影がさっと海中をよぎるので何かと思えば2メートルを越すアオザメであったりした。そんなとき、見張りの者が「サメだ!」と大声を出すので、反射的に身をすくめるのである。しかし、ほとんどの場合、サメはいかだの手前で大きく寝返りをうって白い腹を見せるとそのまま海中に沈んでしまうのが落ちであった。
 また海中をゆっくり巨大な岩のような魚が接近して来たときは、心臓が止まるほど驚いた。その巨大な魚は黒褐色をしていて白い斑点がほうぼうにあり、波間から姿をあらわしたり、海中に沈んだりをくり返すのであった。まるで岩礁がうごいているような錯覚を覚えるのだが、このような化け物が海にいるとは驚きで、誰もが目をまん丸にして見とれていた。この魚はジンベイザメと言って怖そうに見えるが、性格は大変おっとりしていてプランクトンしか食べないそうだ。ジンベイザメは平均15メートルもあり、15トンを軽く越すという。何もしないというのはわかっていても、いかだの回りをこんな化け物に泳がれたのではハラハラドキドキものである。もし、怒らせたら、いかだはバラバラにされてしまうだろう。
 7、8頭のマッコウクジラの群れに囲まれた時もヒヤヒヤものであった。
 中でもとりわけ大きいクジラがいかだにギリギリにまで近づいたときはびっしょり冷や汗をかいた。
 よく捕鯨船が体当たりされて沈められているからだ。しかし、それは先に攻撃されたときのことで、こちらから何もしなければクジラも襲って来ない。     
釣り上げられたサメとシイラが甲板に転がっている。
 実際、このときもさんざん潮を吹き上げて、いかだの回りを泳いでいたが、しばらくするとそれにも飽きたと見え、正午にはいっせいに姿を消してしまった。
* 手近に得られる新鮮な幸 *
 赤道に近づくにつれて、大きなトビウオが飛び込んで来るようになった。夜、カンテラを吊るしておくと、その明かりを目指して飛び込んで来るのである。料理当番は朝早く起きると、いかだの中に飛び込んで来たトビウオを集めることが最初の仕事になった。いつも10匹前後集まったが、多い日には30匹も集めることができた。それらは小屋の後ろにあるかまどの上でフライパンで調理されるのだが、取れ立てだけにたいそう美味であったことはいうまでもない。
 やがて、いかだの後ろのほうには3センチほどのフジツボがびっしりつき出した。その下のほうでは海藻がゆらゆらと海水に洗われている。フジツボをかきとってスープに入れると大変おいしく、海藻はうまくはなかったが、朝のいいサラダになった。
 こうした新鮮な海の幸はうれしいものだが、プランクトン料理もまた格別であった。これは特別の網をいかだで引っぱるだけでいやというほど取れるのだ。プランクトンは何百万という小エビやカニ、魚のタマゴや海藻などであったが、これが集まるとミクロの宝石のようで、取れる場所によってプランクトンの種類が違うのか、黄色、茶色、緑色というふうに層の色がちがって見えた。臭いに多少の癖があったが、食べてみると意外にうまく、生で食べると牡蠣やキャビアのような味がした。茶色の層は小エビのプランクトンの集まりなのかカニのペーストのような味であった。栄養もカロリーも満点で単調な缶詰だけの食事に彩りを添えてくれる。漂流中に食べ物がなくなって餓死したという話があるが、このプランクトンネットさえ持っていれば、そういう心配もなかったであろう。
* 思わぬ危険 *
 出航以来、1ヶ月が経とうとしていた。コンティキ号はガラパゴス諸島の南西を左に抜けて、南赤道海流に乗っかり、いよいよポリネシア諸島へ進路をとりはじめた。ここらで全行程の三分の一ほど来たことになる。いつのまにか、最初の心配ごとは薄らいでいた。コースは今のところ予定どおりだし、バルサが水を吸って沈むと思われたことも、大丈夫であることがわかった。バルサの木材は水を吸っても最初のうちで、やがて樹液によってそれ以上は浸透しないのである。また、丸太をつないでいる綱にしても、すり切れるどころか、ますます食い込んで頑丈になっているようであった。これは材質のやわらかいバルサ材を使用しているからであろう。やはり、古代の人々の知恵は正しかったのである。
 航海も次第に慣れてくると、稼働竜骨やかじのオールが海中にひっかかってしまうことがあった。それを作業するために海中に潜らねばならなかったが、単独で泳ぎ回るのは危険きわまりない作業だった。
 そこでエリクのアイデアで潜水かごをつくることになった。このかごに入っている限り、恐ろしいサメが来ても大丈夫であろう。
 海がおだやかなときは一人一人このかごに入って海に潜って海中を観察したりした。
 海中から見上げるいかだは幻想的だった。いかだに取りついている海草がゆらゆら揺れ、ときたま太陽の光を浴びてチカチカしている。数十匹のパイロットフィッシュが群れをなして泳ぎ、その下で銀色に輝く大きなシイラが泳ぎ回っている様子は雄大そのものである。
海中から見上げる光景は一生忘れることの出来ぬ幻想的な光景であった。
 一度、荒れ狂う海にヘルマンが落ちたことがあった。トルシュタインの寝袋が風に吹き飛ばされ、それをつかもうとして、足をすべらせたのである。
「ヘルマンが落ちた!」トルシュタインの叫び声で全員が飛び出して来た。見ると、ヘルマンはいかだに必死に泳いでいるが、どんどんと距離が離れていく。いかだは追い風を受けてどんどん進んでいる。止めようがない。恐ろしい考えがふと頭をよぎった。
 そのとき、たまりかねたクヌートがロープを持ってざんぶと荒れ狂う海に飛び込んだ。ハラハラする時間がしばらく続いたが、間一髪ことなきを得た。そのときである。
 二人がいかだにはい上がって来た直後、プカプカ浮いていた寝袋がグイッとものすごい力で海中に引き込まれたのである。恐らく大きなサメの仕業だったのであろうが、思い出すたびに鳥肌が立って来るというのはこのような心境を言うのだろう。これ以後は、全員軽はずみな行動は控えるようにと注意し合った。
* 不気味で幻想的な生き物たち *
 さて、いかだに乗って波と同じ速度で漂っていれば、不思議な現象を目にしたり、奇妙な体験をするものだ。例えば、ある日のことなど、なんとも奇怪な深海魚がいかだの上にあがってきたことがあった。体長が1メートル少しあり、目はまん丸で口にはギザギザの歯がずらりとならんでいる。体はすみれ色で腹ははがね色をしていた。見るからに気味が悪い。
 ヘルマンが腹を押さえると口から二、三匹の深海魚を吐き出した。これはひじょうに珍しいヘビウオという魚らしく、生きた状態で発見されたのは世界でもこれがはじめてということであった。
 また、トビウオだけでなく、イカまでもがロケットのように空を飛んで飛び込んで来るのにはクルー全員が驚いてしまった。海水をたっぷりと吸い込んだイカはそれを勢いよく口から吐き出し、まるでジェット噴射のようにして飛び込んで来るのである。
 飛び込んで来たイカは、バケツに入れると潮を吹いて飛び跳ねた。我々はこのイカを餌にしてマグロやカツオなどを釣ったりしたものだ。
でかいまぐろを釣り上げて記念写真を撮る。
 夜になると海は別の顔を見せる。特に真夜中になれば、奇怪な現象がよく目撃された。夜のかじ取りを一人でやっていると、真っ暗い波間から大きな光る二つの目でじっと見つめられていることがよくあった。
「でかいイカだよ、きっと」エリクがそう言ったが正体はわからない。ある夜など、いかだよりも大きく巨大で真っ黒い影の上を通過していったことがあった。それはじっとして動かない。恐らく巨大なエイと思われたが、もしそうだとしたらとてつもない大きさだ。
 夜光虫が暗い海中で光る様は幻想的で不気味である。一度など、青黒い海中でぼんやり光る物体を発見したが、やがてそれは大きな生物であることがわかった。
 夜光虫のせいで全体がぼんやりと光って見えるので、だいたいの形がわかったが、タマゴ形になったり、三角形になったり、二つに分かれたりして、くねくねと泳ぎ続けるのである。10メートルもある化け物で魚なのかクジラなのかもわからない。もしクジラだとすれば呼吸をしに浮上してくるはずだがそれもない。そのうち、その化け物は夜明けとともにどこかに姿を消してしまった。
* ついに陸地が! *
 航海が始まって3ヶ月が経った頃、グンカンドリの群れが飛んで来た。その二日後にはカツオドリが飛んで来た。
 海鳥の鳴き声は勇気をあたえてくれる。陸地が近いという証拠なのだ。
 目を凝らしてみると水平線上にふんわりと雲が浮いていた。普通、細い羽毛のような雲は貿易風に乗っかって西に流れていく。
 しかしこの雲は全く動く様子がない。つまり、この雲の下には陸地があるという証拠なのだ。熱帯の太陽によって陸地が暖められると、あたたかい気流が立ち上って雲になるのである。コンティキ号はいよいよ最後の航海をしめくくるべく、その雲の方角に進路をとった。
「おーい!陸地だ」見張りのトルシュタインが叫ぶ。見ると水平線下にうっすらと島影が見える。久しぶりに見る陸地のシルエットに思わず胸が高鳴る。ついにポリネシア諸島の一角に入ったのだ。しかし、そのまえにきびしい試練が立ちはだかっていた。暗礁を突破せねばならないのだ。コンティキ号はひたすら暗礁に向かって流されていたのである。
 海図によると、左右に80キロほどもある恐ろしい暗礁が広がっているのである。食料、水、薬品、日記類などを防水袋に入れ、全員、靴を履いて最悪の事態にそなえることにした。
* 最後の難関 *
 東の空がしらみ始めた。コンティキ号の甲板上では、竜骨をはずし、舵のオールをもはずし、身軽にしてなんとか暗礁を乗り切ろうと懸命の努力がつづいていた。
 やがて、朝もやをついてヤシの茂る島のシルエットがグングン近づいてくる。同時に目前に広がる不気味な暗礁も見えて来た。
 ところどころに白波が立って、目を凝らすとギザギザの岩が海中から突き出しているのが見える。
「さあ、いくぞ!」誰かがどなった。トルシュタインが最後の無電を打っている。「こちら、コンティキ号。まもなくラロイア暗礁だ。あと50メートルまで接近している。最後になるかもしれないがノルウェー大使館によろしく伝えてくれ。ごきげんよう!」
「いかだにしがみつけ!」エリクのかん高い声がひびく。
 さあ、運命の瞬間だ。「みんな、がんばれ!」クヌートが V サインをするのが見えた。波の岩に砕け散るすごい音が反響する。大きな波が襲ってきた。大きく息を吸って目を閉じる。どーんとすごい力で頭をなぐられたようだ。身体がものすごい力でいかだから引き離されそうになる。耳の中で波のたてるゴウゴウという音が鳴り響いた。何秒かの苦闘の後、山のような大波が去って身体が自由になった。「また来るぞ!」誰かがどなる。また大きく息を吸い込む。たちまち視界が緑色になった。渾身の力でいかだにしがみつく。
 どれくらいの時間が過ぎただろうか? それからも波は何度か襲って来たが、峠は越したのか、波の力は次第に弱くなっていった。どうにか乗り切ったらしい。後には、見る影もなくなったコンティキ号の無惨な姿が見えた。帆柱は折れ、甲板はギザギザになって小屋はぺしゃんこになっている。いかだは何度かの大波で、暗礁から20メートルほど中に入り込んでいた。もう、あれほどの大波は来ない。サンゴ礁の内側は外洋と大違いでプールのようにおだやかであった。
* 流れ行く雲の下で *
 雪のように白い砂浜が見えた。棒のようになった足で海中をばしゃばしゃとゆっくり歩いてゆく。動かぬ大地を歩くのが信じられない気分だ。ついに上陸。ヤシの木の下でのびのびと横たわった。
 みんな「ふーっ!」と大きく息をついている。ああ、太陽がまぶしい。
 真っ白い雲がゆっくり流れているのが見えた。風が心地よい。クタクタだけど気分は最高だ。
 ベンクトが言った。「ついに終わったな。もう海流に乗って雲を追いかけることもないんだ」へルマンも言う。「大変だったけど・・・天国みたいな気分ってこんな気持ちを言うんだな」
6人がたどり着いたのは無人島であった。
 そうだ。天国のような気分とは大きな偉業を成しとげた瞬間にこそ感じるものなのだ。ハイエルダールと5人の若者は白い砂浜に横たわっていつまでも過ぎゆく雲に見とれていた。彼らの熱き冒険は今、終わったのだった。
* 夢とロマンと友情と *
「コンティキ号漂流記」はハイエルダールの真理に対するあくなき追求の記録であった。この実験によって広大な太平洋に散らばる島々と南米のインカ文明とは深いつながりがあったことが証明されたといえよう。
そして私たちが賛美して止まないのは、彼らの何ものにも屈しない勇気と冒険に対する情熱であった。クルーたちのすばらしい友情とチームワークがあったことも決して見逃してはならないだろう。
広大な大洋に乗り出してゆくとき、不安と雑念は
 消え失せ、何もかもが壮大なロマンに早変わりする。
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 参考文献・資料
「コンチキ号漂流記」トール・ハイエルダール著 神宮輝夫訳 偕成社
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