戦場の騎士道
〜過酷な戦場に隠された美談〜
 容赦なき戦いにあっても、武士道や騎士道精神を彷彿とさせるさわやかなエピソードは戦争の中には少なからずあったらしい。例えば、日本軍パイロットが、マレー沖海戦で撃沈した「プリンス・オブ・ウェールズ」と「レパルス」のイギリス軍兵士の霊に花束を落とした話は有名だ。この行為は敵国であるイギリスからも、騎士道精神に満ちた行為として賞賛されたという。
 しかし反面、戦場に美談などないという人も多い。所詮、戦争とは人間と人間との殺し合いだ。それはただの欺瞞行為に過ぎないというのである。たしかにそれもあるだろう。
 しかし人間である以上、どのような環境下であれ、相手への同情、いたわり、助け合う心は人間として失いたくはないものだ。その心が人間として神から与えられた唯一最高の贈り物であると信じていたいのは私だけだろうか・・・
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 1940年、バトルオブブリテンの最中に起こった話。その日の空中戦も情け容赦のない過激な戦闘だった。
 何度も急降下や宙返りをしながら、大尉は今、前方に一機のスピットファイアーを捉えていた。敵はまだ気づいていない。攻撃するには絶好のポジションだ。
 大尉が機銃の発射ボタンに手をかけようとしたとき、敵機がいつもと違う不自然な感じであることに気がついた。
 激しい戦闘の最中にかかわらず、敵機は悠然と飛行しているのだ。大尉はさらに接近した。照準器に敵機の機影が目いっぱいに捉えられる。
 この距離だと彼が発射レバーを押しさえすれば、たちまち20ミリ砲弾が雨あられと発射され、敵のパイロットは機体もろとも跡形もなく引き裂かれてしまうだろう。しかしおかしい。敵はまったく回避行動を取らない。
 機を少しななめ前に出す。敵のパイロットが前のめりにがっくりと頭を垂れているのが見えた。ときおり肩で呼吸をしているところからして死んではいない。おそらく、パイロットは空中戦による回避行動のものすごい荷重から貧血を引き起こし、意識を失ったに違いなかった。
「これでは敵にはならない・・・」そう思って大尉は、スピットファイアーに少しずつ機を寄せて行くと、主翼を相手の主翼の下にすべりこませ、軽く持ち上げた。「ガン・・・ガツン!」機体は揺れ、気絶しているパイロットは気がついたようである。肩をふるわせ、左右に激しく顔を揺すると、周囲をきょろきょろ見回している。
 パイロットは最初なにが起こったのかわからぬようだったが、自分のすぐ横に黒い十字のマークのついたドイツ機がいると知って動揺した。パイロットは最初ぎょっとした目つきであったが、しかし次の瞬間、敬礼している大尉と視線が合うとすぐに状況を理解したようである。
 大尉は基地への無事なる帰還を祈るジェスチャーをした。それは相手にも伝わったと見えて、パイロットはゆっくりとうなずくと了解したとばかり敬礼し、翼をひるがえして雲間に消えていった。
 4日後、大尉は再びイギリス本土攻撃への出撃に出た。激しい空中戦がはじまったが、日頃の疲れのせいか、油断した大尉は、機体に何発もの機銃弾を撃ち込まれてしまった。エンジン部分に何発か命中しており致命的だ。
「無事に帰れるだろうか?」大尉はそう思いながら戦闘空域からの離脱を始めた。しかし機がうまく動かない。被害はかなり深刻だ。まもなく敵機が襲って来るだろう。そうなればとても生還の見込みはない。
 思わず目を閉じて死を覚悟した。しかし我に返った大尉は次の瞬間、驚いてしまった。なんと、自分の機の回りを敵のスピットファイアーがぐるりと取り囲んでいるではないか。
 これは一体、どうしたことか! 右隣の敵機の尾翼に見慣れたマークがあった。そして、そのコクピットには先日、自分が助けてやったパイロットの顔があった。
 瞬時に大尉はすべてを理解した。彼は自分の命を助けてくれた大尉を覚えていたのである。彼はこのまま放っておけば、大尉が他の戦闘機に食われてしまうと考え、安全圏に脱出するまで護衛しようと考えていたのであった。
 こうして、イギリス上空を一機のメッサーシュミットの周囲を3機の宿敵スピットファイアーがとりまいて編隊飛行するという異様な光景が出来上がった。
 それは情け容赦のない戦闘の最中に起きた信じられない、まさに現実離れした光景であった。数分後、ドーバー海峡が見えてきた。向こうにうっすらと見えるのはフランスの海岸線だ。ひどい状態だがなんとか飛んでくれるだろうか。もう大丈夫だろうと考えたのか、スピットファイアーのパイロットは敬礼をするとひらりと翼をひるがえした。
 残りのスピットファイアーも次々と翼をひるがえすと自分たちの基地のある方向に引き返して行った。去っていく敵機は翼を左右に振って別れの挨拶をしているのが映った。
 一方、大尉の方も遠ざかる敵機に敬礼を送りながら、そのシルエットをいつまでも見守っていたという。
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 1914年、12月、第一次世界大戦での西部戦線。これはドイツ軍とフランス軍が、それぞれ塹壕(ざんごう)に立てこもって100メートルぐらいで向かい合っていたときに起きた話である。
 塹壕戦は戦いの中でも非常に忍耐と苦痛をともなう過酷な精神戦のような様相がある。泥だらけで寒さに震えながらひたすら敵の攻撃に耐えねばならず、双方の突撃の応酬でおびただしい死傷者だけが増えていく。しかも誰も数分後の自分の生死すらわからないのだ。
 クリスマスイブの夜、その最前線のドイツ軍の塹壕に一人の歌手が慰問に訪れた。
 その歌手は、当時、世界でも名の知られた高名なドイツのテノール歌手であった。彼は絶望的な状況にあって少しでも味方兵士の心に希望を与えたい一心で訪れたのであった。 
聖なる夜  いとも聖なる父と母   
 神のみどりごは  天の静けさの中で眠れ 
  いと安らかに ・・・
 ドイツ軍の塹壕から、美しい歌声が凄惨な戦場に響きわたり、それは100メートル先のフランス軍の塹壕にまでとどいた。すると、その歌声に聞き覚えがあることに気付いた一人のフランス軍将校が、ドイツ軍の塹壕に向かって大きな拍手をおくったのである。
 その拍手を聞いたテノール歌手は、敵であるフランス軍の塹壕から聞こえて来たことに驚くと同時に、敵でありながらも自分の歌声に拍手を送ってくれたことに大変感動を覚えた。
 彼は自らの危険をかえりみず、思わず塹壕から飛び出すと、笑顔でゆっくりと敵の方角に向かって歩き出したのである。そして両軍兵士の見守る中、中立地帯を横切ると、フランス軍の塹壕前まで歩み寄り、その前で深々と頭を垂れてお礼の挨拶をしたのであった。
 フランス軍の塹壕から、最初はポツポツと拍手の音がして、やがてすさまじい拍手の音に変わっていった。テノール歌手は再度、優雅におじぎをくりかえした。その瞬間、戦場は戦場ではなくなった。
 やがて、両軍の兵士たちが、銃を捨て、われ先に塹壕から飛び出して来た。中間地帯まで来た彼らは、互いに笑顔で握手をかわし合い、肩をたたき合い、タバコの交換さえした。歌が憎しみをこえた瞬間であった。
 通常、休戦は交戦国の上層部が取り決める場合のみ許され、戦闘中は敵兵と交流することは堅く禁じられている行為である。
 しかし、兵士たちはこのことを忘れ、たった今まで憎しみ、殺し合った敵の兵士を永年来の気の知れた友人であるかのようにふるまった。
塹壕から出てタバコに火をつけ合う兵士。当時の写真から
 照明弾が何発か打ち上げられて、真っ暗い戦場を明々と照らし出した。敵兵を発見して銃撃するためではない。兵士たちの交流を祝福する灯火として。
 両国の兵士たちは、互いの戦死者に黙祷をささげた後、一緒にツリーの飾りつけをしたり、家族の写真を見せ合ったりした。言葉が通じない者は笑顔とジェスチャーをまじえて酒をのみ交わした。
 そして兵士たちは、パーティに興じ、サッカーまでしたのである。人々は、後にこの日の出来事を、「クリスマス休戦」と呼んだという。
 戦争の真っただ中で起きたこの信じられないような話は、人は決して殺し合いなど望んでおらず、すべての人間は友人になれるのだということを物語っていると言えるだろう。
* * *
 太平洋戦争の末期、南方の島々では悲惨な戦闘が行われたが、その中の戦闘中に起きた話にこういうのもある。
 一人のアメリカ兵が重傷を負って倒れていた。銃声も絶えて静かになると、人が近づく気配がする。友軍かと思って、眼をさますとそこに一人の日本兵が見下ろしていた。日本兵はするどい銃剣がついた銃を持っている。敵だ。殺されると思った瞬間、彼は意識を失った。
 しばらくたって彼は気をとりもどした。周囲を見渡すが日本兵はいない。助かったと彼は思った。
 そのとき、すぐそばに白い紙切れがあるのを何気なくポケットにいれた。まもなく助け出された彼は、担架で野戦病院にはこばれ、手術台にのせられた。
 ドクターが言うには、「間一髪だ。応急手当がなされていなければ、間に合わないところだったよ」彼は不思議に思った。誰にも手当などしてもらった記憶がなかったのだ。そのときになって彼はポケットの紙切れを思いだし、ドクターにそれを渡した。それにはたどたどしい英語でこう書かれてあった。
「ぼくはとっさに、敵兵である君を刺そうとした。しかしそのとき君は三指の礼をした。ぼくもスカウトなんだ。君の三本指を見て、ずっと忘れていたスカウトとしての気持ちがよみがえった。
 人はすべて兄弟だ。傷は簡単だが手当てをしておいたよ。 一日もはやく回復して欲しい。グッドラック!」
 三指の礼とは、人差し指、中指、薬指だけを伸ばした敬礼の仕方で、世界中のスカウトが共通して使っている独特のあいさつである。それには、神と国に忠誠を尽くし、人々をたすけ、心をすこやかにして徳を養うという3つの誓いが秘められているそうである。
 戦後、アメリカの本部から日本に視察にきたフィンネル氏が戦時中の美談としてこの実話を伝えたという。
 話の中のアメリカ兵はいまだ本名を明かさず、そして彼を手当てした日本兵はおそらくその後、戦死したであろうと思われている。
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 参考文献・資料
「ルフトバッフェ」国城さとし/武馬猛 著  日本出版社
http://www.geocities.co.jp/Outdoors-River/4208/kodomo/02.html
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