火星人来襲の日
 〜何が人々の群衆心理に火をつけたのか?〜
* 不吉な臨時ニュース *
 上機嫌でタバコを吹かしながら、スコッチの栓をひねろうとしていたトーマス爺さんは、おやっという目つきでラジオの方を見やった。突然、音楽が鳴りやんで、うわずった調子のアナウンサーの声が割って入って来たからだ。
「今週の第一位人気メドレーを放送中ですが、ただ今、臨時ニュースが入ってきました。少々、お待ちください・・・」
 ウイスキーの栓を片手で握ったまま、トーマス氏はラジオのスピーカーの部分を凝視していた。すると、まもなくラジオからとんでもない内容が伝えられ出した。
「先ほど、ニュージャージー、トレントン近郊に隕石らしきものが落下したというニュースが入りましたが、中から、正体不明の怪物体があらわれて、突如、人々を襲い始めたということです。情報によれば負傷者もかなり出ているようです。目下、地元の警察と軍隊が現場に急行中です。詳細は追ってお知らせします」
 再び、音楽が流れだしたが、上の空だったトーマス氏にとってはもうどうでもいいことだった。
「トレントンと言えば、ワシの牧場の近くじゃ、孫どもはまだ帰っとらんのか!」ひとりごとのようにつぶやくとやにわに振り返って大声をあげる。音楽が中断され、ラジオが再びがなり立て始めた。
「ニューヨークタイムズからの情報によりますと、砲撃が開始されたようですが、まったく歯が立たなかった模様です。現在、こちらからはかすかに煙がたなびいている様子が見渡せますが、人っ子一人見えません」トーマス氏は立ち上がると、窓の外をにらみながら不安気につぶやいた。
「そういえば、さっきのあの音がそうだったのかもしれん・・・」ラジオから悲痛な声が流れ始める。
「軍隊は全滅したのでしょうか。すでにあたり一帯は無人の荒野と化しています。この地区の住民の皆さんは、指示にしたがってすみやかに避難してください。避難場所は次の通りです。・・・皆さん、どのようなことが起ころうとも慌てないで行動してください。くりかえします」
「ええい!ジェームスとピーターはどこに行きおったんじゃ、こんなときに!」トーマス氏は大声で悪態をつくと、ロッカーからショットガンを取り出し、ふるえる手つきで弾を込めはじめた。
「かなり強い熱線であぶられたのか、犠牲者の遺体は変形して焼けただれています。相手は想像を絶する邪悪で危険な生物だと思われます。グローバーズ地区ではすでに死者も相当数出ている模様です。不用意に大声を上げたりせぬように。また、こちらから決して近づかないように。皆さん、一刻も早く安全な場所に避難してください」ラジオが緊張した声でがなりたてる。
「なんてこった!ちくしょう。こうしてはおれんわい!」トーマス氏は、ショットガンを小脇にかかえると、ぶつぶつとつぶやきながら慌ただしくドアを開けて外に飛び出して行った。
* ハロウィンの前夜に起きた集団ヒステリー *
 1938年10月30日、ハロウィンの前夜に起きたこの事件は、群衆の集団心理に火をつける結果となり、全米で大パニックを引き起こすことになった。
 この夜、午後8時半頃は、夕食後のだんらんのひとときで、人々はラジオの前で人気番組に耳を傾けていた。しかし、番組も後半部に入り、休憩時間になって、人々が他局の番組にチャンネルを変えようとしたときにこの事件は起きた。
 突如、番組中にアナウンサーが割って入り、緊張した声で臨時ニュースを伝え出したのだ。なんでも巨大な隕石が落下して、中から正体不明の怪物体があらわれ、人々を襲い始めたというのである。
当時はこうしてラジオの前で一家そろって聞いていた。
 放送がはじまって30分ほどすると、警察をはじめ放送局や新聞社に問い合わせの電話が殺到し始めた。急に一つの回線に問い合わせが集中した結果、パンク状態となり、電話が繋がりにくい状態となったが、このことがさらにパニックに拍車をかけることになった。
 ある家庭では、子供が母親にこうたずねていた。
「ママ、大変だよ。火星人が攻めてきたんだって!」驚いた母親が聞いてみると、奇怪な生物が突如、地球に大挙来襲してきたとラジオは告げていた。科学者らしい人物が解説している。
「おそらく、彼らは火星からやってきたものと思われます。火星の表面には、幾筋もの人工的と思える構造物や痕跡が発見されており、高度な知的生命体の存在が示唆されておりました。極冠部あたりから地球に向けて何かが発射されたという兆候は、だいぶ以前から見られていたようです」
「では、今回の隕石は彼らの乗り物だったということでしょうか?」アナウンサーらしき声が質問している。「火星は楕円形の軌道で回っているので、地球に最も接近するこの時期に彼らはタイミングを合わせてきたのでしょう。大気圏を突入する際の摩擦熱に耐えうる必要上、こうした隕石状の物体に潜んでいたと考えられます」
 話によると、隕石のような落下物の中には恐るべき殺人機械が搭載されているのだというのである。その機械は3本足で山でも谷でも湖でも障害を苦にすることなく、自由自在に動き回ることが出来るのである。しかも、この3本足の機械は大砲の弾さえ寄せ付けないほどの強靭さで、見たこともない光線を発してすべてを焼き尽くし、毒ガスを噴出して周辺の生き物を一瞬に殺してしまうという。その恐るべき機械を乗せた隕石が、かなりの数、世界中に落下し、人々に襲い掛かっているというのである。アナウンサーが質問する。
「ある目撃者によると、隕石は円筒型をしていて、中からあらわれた火星人は、タコのような軟体動物の姿をしていたという情報がありますが」それに対して、科学者がもっともらしく解説する。
「火星は地球とちがって重力は40%ほどしかありません。また大気も二酸化炭素が主流です。彼らの姿がこうした形をしているのも、低重力と希薄な大気に順応した結果だと申せましょう」
* ついに人類最期の日が来た! *
 ニュースは刻一刻と深刻な出来事を伝えてくるようになった。現場からは中継で各地の凄惨な様子が伝えられてくる。
「隕石からあらわれた怪物は、数えられるだけでも現在6体が目撃されています。グローバー地区では、1500人もの人間が跡形もなく消滅してしまいました。情報では、彼らの発する怪光線の威力は、すさまじくすべてを焼き尽くすということです」
「隕石はアメリカ各地に落下しているということです。オクラホマにも一つ、オレゴンの山中にも、後、フロリダの湿地帯、シカゴの住宅街、カリフォルニアの海岸部、ワシントンにも・・・こうした隕石がアメリカ中に一体どれほど落下しているのか見当もつきません」ある中継からは今まさに落下して来ようとする隕石の様子を生々しく伝えてきた。
「あ、また一つ、巨大な隕石が落ちてきました! 向こうの地平線が真っ赤です。遠くの住宅街が燃えているようです。別の怪物でしょうか、動き回っているシルエットが映し出されています」
「あっ、毒ガスでしょうか、黄色いガスを噴出しています。あ、危ない! ここにいれば私たちも危険です。逃げなければ!」
 アナウンサーの絶句する様子が伝わって来た。声が途絶え、別のアナウンサーの声が割り込んでくる。
「目下、陸軍の砲兵隊が到着して砲撃準備をしております。空軍も出動するという情報もありますが」遠くで爆発音、建物の崩れる音、人々の悲鳴、機械がきしむ音が響きわたる。軍人らしき人々の叫び声が聞こえる。突然、シャーッという雑音とともに別の声が割って入って来た。
「こちらはプリンストンです。第4航空団所属の爆撃機の編隊が先ほど飛び立ちました。目標到達まで15分ということですから、間もなく爆撃が開始されると思われます」ラジオからは遠くでゴロゴロという音がこだまし始めた。いよいよ爆撃が開始されたのであろうか。
 爆発の音にまじって、人々の悲鳴が混ざって聞こえてきた。切り裂くサイレンの音がかすかにする。急にズシーン!という爆発音を最後にすべてが静寂に包まれた。しばらくして、壊れたと思ったラジオからうめき声に近い人の喘ぎ声がかすかに聞こえてきた。
「ダメです。攻撃は失敗しました。歯が立ちません。彼らの進行を食い止めることは不可能のようです。恐ろしい光とガスで軍隊は全滅です。私もほとんど目が見えません。こうして放送を続けていられるのも後、少しでしょう・・・」
 負傷した人々の絶望的なうめき声がときおり上がる中、遠くでかすかに教会の鐘の音が聞こえてくる。
* パニックに逃げ惑う人々 *
「もうあたり一帯は火の海と化しています。彼らの通った跡はすべて焼野原と化しています。もうなにもありません。家も森もすべてが蒸発しました」
「皆さん、すみやかに避難してください。安全と思えるならどこでもかまいません!」ラジオが殺気だった声でわめきたてている。
「早く、早く、何をしとるんだ!そんなものはいらんじゃないか!」「だって、あなた!」声を荒立てる夫に妻が何か言いたそうなそぶりをみせる。
「おい、早く娘たちを!」急き立てられるようにして眠気眼をこすりながら子供たちが家を出てきた。一番小さい娘はパジャマ姿のままだ。クルマのトランクに乱暴に荷物が放りこまれた。「もうどこに逃げても無駄よ」悲痛な声で妻がいう。「せめて最期の時ぐらい・・・」
「私たち死んじゃうの、パパ?」とうとう5歳の女の子は泣き出した。
「死ぬもんか!みんな、早く乗りなさい!」
「ラジオ聞いたでしょう?道路はどこもかしこも渋滞で身動きがとれないそうよ」妻が泣きじゃくる女の子を抱きしめて言う。
「裏道で行く。海岸沿いに走ればなんとかなるかもしれん」
「バタン!」慌ただしくドアの閉まる音がして、「カシャンシャンシャンシャン!」というエンジンのかかる音がするや否や、クルマは急発進して悲鳴を上げるようなスリップ音を残していずこかに消えていった。
* ニューヨークのスタジオの様子 *
 そのころ、スタジオ内では俳優たちが必死の演技をつづけていた。まだ生放送が主流だった当時、今とちがってSFXだの音声の別取りだのと言った技術もなく、効果音やセリフの掛け合いなども、タイミングよく一発で決めねばならなかった時代である。取り直しが利かぬため、失敗は許されない。したがって、ひたすら集中して迫真の演技をしなければならず、彼らは台本を片手にその瞬間、瞬間ごとに全力投入していた。
 また、臨場感を高めるために、いろいろと凝った工夫もなされていた。
 コップに口を近づけてしゃべることで、狭い閉じ込められたコンクリートの地下室の感じを出すことが出来た。 
 ホースをくわえて吸ったり吐いたりすれば、息も絶え絶えになった苦しそうな患者のあえぎ声にもなるのである。
当時のスタジオ内の様子
 そうした涙ぐましい努力をして演技をつづける俳優たちの片隅では、数人のスタッフたちによって、それらしき効果音が同時につくられていた。まず、砂利の上で数人が足踏みをすると、兵士の行進する音に変わる。バケツの水をかきわましたり、ストローでブクブク吹かせれば、船のスクリュー音のようになるのだ。また、キャンディーの瓶の蓋をこじあけたり、長い金属状のヘラをはじいたり、ガラスのコップの縁をこすったりすれば、火星人が隕石から這い出てくる音になり、怪光線を放射する音やロボットの放つ不気味なきしみ音に変化した。
 だが、外の世界では、多くの人々がてんやわんやの大騒ぎをしていた。一方、スタジオ内にいる彼らは、自分たちの演技が電波に乗っかって外の世界でどういう影響を与えているかなど知るよしもなかった。
* 前代未聞のデマ騒動の結末 *
 この放送は、アメリカ中で少なくとも1000万以上の人間に聞かれたとされており、うち2割ほどの人々がパニック状態となって各地でさまざまな事件を引き起こしたと言われている。ある人は火星人の3本足の殺人機械と勘ちがいして給水塔めがけて猟銃をぶっぱなして穴だらけにしたりした。ある家族はクルマに乗って逃げ出したが、途中で立ち往生してしまい、ハイウェィパトロールが発見した時は、死を覚悟したような面持で、泣きじゃくる子供と抱き合って茫然自失の状態であったという。
 この番組を演出したのは、まだ当時、23歳の新人俳優オーソン・ウエルズであった。
 ウエルズは、「マーキュリー劇場」というわずか3%という低聴取率にあえぐ番組にあって、なんとかリスナーの注意を引くことが出来ないものか考えた。
 彼はSF小説、H・G・ウェルズ原作の「宇宙戦争」を脚色し、舞台をイギリスからアメリカに変えて、通常のドラマのように、たんたんと進行していくという形式ではなく、臨時ニュースが入って来たというショッキングな出だしとしたのである。
オーソン・ウエルズ
(1915
1985)斬新な手法で演出をすることが得意だった。この騒動で一躍、有名となる。
 そうすれば、リスナーの関心を引き寄せることが出来ると考えたのだ。また、目撃者の会話をオムニバス的に紹介し、緊迫したドキュメンタリータッチで構成したことも、大衆のパニックを煽る結果となったのであった。
 しかし、自分の演出したドラマが、ここまで大きなパニックを引き起こすとは、本人さえ想像だにすることはなかった。これは作り物のドラマであるというクレジットが番組中に二度ほど流れはしたが、途中からラジオをつけた人たちにとっては、知ろうはずもなく、このドラマを実際に今起きている現実と勘違いしてしまったのであった。要するに、人々がパニック状態になったあとではもう手遅れであった。
 かくして、ウエルズは一夜明けた31日には、マスコミを前にして謝罪会見を余儀なくされる羽目におちいった。
 だが幸か不幸か、この騒動によって、オーソン・ウェルズの名は一躍脚光を浴び、それまでスポンサーもつかずに喘いでいたこの番組に、スポンサーがついたのも確かなことであった。
この火星人来襲の騒ぎは、後日、各メディアで大きく報道された。
 前例のない構成や演出など、画期的な新手法によって、放送ドラマの新しい歴史を生み出したとも言えるだろう。
 結局、この番組は、それから二年近くも続けられることになったが、ウェルズ自身も1950年代半ばまで、ラジオ番組の演出に関係を保ち続け、多くの印象的な番組を残すことになったという。
 また、民衆の不安をあおる土壌として、当時の不穏な世界情勢も上げねばならないだろう。このころ、アメリカでは大不況の煽りを受けて失業者が増大し、海の向こうのヨーロッパではヒトラーの率いるナチスドイツがチェコへの侵略を開始し、世界情勢は風雲急を告げていたのである。まさに、いつ世界的規模で戦争が始まってもおかしくない条件が急速に準備されていたのである。
 それにくわえて、マスコミの持つ恐ろしい魔力の存在も決して忘れてはならないだろう。
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