マップナビ
カリオストロ伯爵
〜奇蹟の治療師か、大ペテン師か?その素顔に迫る〜
* カリオストロという人物 *
 カリオストロという言葉には一種独特な響きがある。また、その不思議な響きに反応する人も多いはずだ。ある人は、ルパン3世の「カリオストロの城」を思い起こすだろうし、「ベルサイユのバラ」のダイヤの首飾り事件を思い起こす人もいるにちがいない。
 しかし、今から2百年ほど前、フランス革命前夜の華やかなヨーロッパ社交界に、カリオストロ伯爵と名乗る一人の男が忽然と現れて、たちまち社交界の噂を独占したことは偽りのない事実なのである。恐らく、彼ほど当時のヨーロッパ社会で話題となった人物も他にいないだろう。
 彼の知識は恐ろしく多種多様に及んでいた。錬金術、カバラ、魔術などと言った秘密学問にも通じているかと思えば、予言者や医者としても有名であった。遠く離れたロシアの地で、王妃にさえ合っていないのに、数週間後にマリー・アントワネットが皇太子を出産することを言い当てたりしたこともあった。また、伯爵は、貧しい人々を無料で治療して歩き、医者が完全に見放した患者を何度も救ったこともあった。そうかと思えば、若返りの水と称して老人相手に怪し気な水を売って歩いたりしてその日の生活費を稼ぐことすらあった。
 彼の人気は、それはもう絶大なもので、王妃の首飾り事件で、誤った容疑でバスチーユ牢獄に1年近く留置されていた時など、釈放されるなり1万人以上の市民が詰め掛け総出で彼を迎えたほどであった。
 その反面、時の権力者たちからは、極端に嫌い恐れられていた。フランスのルイ16世やロシアのエカテリーナ女帝は、伯爵を革命に火をつけかねない危険な人物だとして決めつけ、憎悪の挙句に追放処分にしてしまった。カトリック教会は伯爵が数々の奇跡を行って民衆の人気をさらうので、宗教の権威が根本から崩壊してしまうのではないかと極端に怯えていた。マリー・アントワネットや詩人ゲーテなどは、彼を殺してしまいたいほど憎んでいたし、その他、彼を心底憎み、嫌い、恐れていた有名人は数えきれないほどいたのであろう。
 さまざまな顔を持っていると言われる伯爵だが、一体全体、彼は本当のところ何者だったのだろうか? 偉大な奇蹟の治療師だったのか、それとも、ただのカリスマ的ペテン師だったのだろうか? 彼については、これまでいつも罪人か聖人か、どちらかに重きを置いていろいろと論じられて来た。民衆には熱狂的に愛され、権威あるものには脅威と衝撃を与えたとされるこの人物を論じる前に、カリオストロ伯爵が生きた18世紀という時代を少し話しておかねばならないように思う。

* 科学の黎明期だった18世紀 *
 18世紀は、啓蒙の時代と言われている。つまり、これまで、宗教的迷信と無知だけが支配した無秩序で陰鬱な中世の時代から、ルネサンスの時代を経て、ようやく、人間が未成熟な状態から脱却して理性に基づいた考え方をし始めた時代だった。物を見る尺度も、宗教ではなく、科学を通じてなされるものと変化し始めた。つまり、観察や実験による結果が重要視され始めたのである。その考えを押し進める哲学者たちは、奇蹟など全く信じなかった。神という存在は、あるにはあったが従来の神秘的でカリスマ的な創造主ではなく、精巧な時計をつくる職人のような合理的な存在として捉えられていたのである。
 さまざまな発明、発見が相次ぎ、それらの考えに拍車をかけた。化学も爆発的に進歩した。
 本来、分割出来ない要素と考えられていた水や火や空気のメカニズムが解き明かされ、水が酸素と水素から成り立っていることが究明された。次いで炭酸ガスの存在も発見され、火が燃える仕組みも解明されたのもこの時代であった。科学部門では、ニュートンが万有引力の発見をした。
 さらに、彼のつくった反射望遠鏡は、人間の目を宇宙に向けることになった。
アイザック・ニュートン
1642〜1727
 ドイツの天文学者ハーシェルは、さらに高精度の反射望遠鏡を作り上げ、天王星を発見し、銀河が無数の恒星の集合体であることを明らかにした。
 医学部門でも一大発見が相次いだ。ジェンナーは、種痘を発見し、予防医学の基礎をつくりあげ、人の寿命が飛躍的に伸びる土台を築き上げた。
 こうして、これまで未知と思われていたさまざまな分野に科学の光が差し込んだ結果、中世的なまやかし、不合理なもの、迷信は、ことごとく否定されるようになった。
 神秘主義の代表格とも言える宗教などは、科学者や哲学者たちによって、徹底的に糾弾され攻撃の矢面に立たされた。天動説は地動説に取って変わられた。これまでの人々の神に対する考え方も根本から変わったかのようであった。
 しかし一方、依然、最もらしい理屈をとなえて怪し気な行為が、大手を振ってまかり通っているのも事実だった。
 産業革命が起こる前夜ともいうべき時代、18世紀は、中世的暗闇の部分も、かなり引きずっていたのだ。
 言うなれば、中途半端に科学とが不思議が混在した、言わば、啓蒙主義と神秘主義がちゃんぽんのトワイライトゾーンのような時代だったのである。
* 貧しい家庭に生まれる *
 カリオストロ伯爵は、本名ジュゼッペ・バルサモと言い、コルシカ島はパレルモ生まれのイタリア人だった。1744年に彼が生まれると父親はまもなく死んでしまった。ジュゼッペは、パレルモでもっとも貧しいとされる地区の汚らしくて狭いアパートで母、姉の3人で育った。母親は一文なしだったが、その先祖は貴族だったらしい。カリオストロという不思議な名前はそこから由来するものだと言われている。
 まもなくしてわかったことは、彼は早熟で驚くほど知性と想像力が高い子供だということだった。絵を描かせたら驚くほど正確に描写した。特に図形を模写する能力は、誰が見ても舌を巻くほどで、古い地図も本物そっくりに描いてしまうのであった。彼の能力を伸ばすために、叔父たちは金を出し合ってジュゼッペに教育を受けさせることにした。
 ところが、ジュゼッペはこうした自分の才能をしばしば悪用した。劇場の偽チケットをつくったり、偽の外出許可証をでっちあげたりしたのである。ちょっとした公文書ならわけなく偽造出来た。もし、ばれて鞭打ちの体罰を受けても平気だった。こうした創造的な才能と厚顔ぶりとも言えるタフな性格が組合わさって彼のその後の人生が出来上がっていくのである。
 彼は、修道院で、見習い薬剤師をしながら錬金術の知識を会得した。水銀や硫黄を使って卑金属を変質させるプロセスを学んだのである。
 占星術の知識の他、カバラ秘法と言った予言法も身につけた。19才になった時、ついに彼は町を後にして、コルシカ島の反対にあるメッシリアに向かった。
 こうして、彼は放蕩への第一歩を踏み出すのである。
 21才の時にはマルタ島を訪れる。この島は、彼の母が、よく祖先の自慢をしていた場所であった。
羊皮紙に描かれた錬金術を図解したもの。
ジュゼッペは、ここで、マルタ騎士団の救護所で下働きをして過ごした。この騎士団は、本来、イスラム教徒と戦うためのものであったが、平和な時代の到来とともに、巡礼者の病気の治療などをする慈善団体となっていた。ここで、彼は、薬の調合などを行い、薬剤師としての技能に磨きをかけたが、たちまちその才能を認められる存在となった。ここでの体験が、その後、フリーメイソン(慈善を主にする秘密結社)に入る動機となったと思われる。

 しかし、2、3年もすると、イタリア本土に行く衝動が強まり、船に乗ってこの島も後にする。ナポリに上陸した彼は、ぶらぶら放浪しながらローマに向かうのであった。

* セラフィーナとの出会い *
 ローマに到着した彼は、ここで、ロレンツァ・セラフィーナという14才の少女と出会った。彼女は、金髪で色白、青い目をした非常な美人だった。頭もよく今まで見たこともない女性だった。
 一方、彼女の方もジュゼッペに好奇心を抱いた。色黒だが筋肉質で、何ごとも機敏で、ぞくぞくするような声の響きだったのだ。何か、とてつもないオーラを体中に発散させている感じである。二人は、たちまち意気投合して結婚してしまった。25才の時のことである。
 その後、セラフィーナは、彼の助手として、あるいは詐欺の共犯者として行動を共にすることになるのだ。
ロレンツァ・セラフィーナ
 パリ、ロンドン、ブリュッセル、マドリード、ペテルブルグなど、二人の足跡が及ばなかった場所はないと言われるほど広範囲に諸国を放浪するのである。ポルトガルを旅するうちに、ジュゼッペは、大衆向けに好評を得ていた漫画本の中の魔術師の話から、自分を創作上の主人公のように演じたいと願うようになった。いろんな特徴をかき集めて、新しい未知のキャラクターを演じるのである。それは、全くゾクゾクするような快感に違いない。
 二人は、時と場所に応じていろいろなスタイルを持つようになっていった。ある時は、軍服を着込んだ大佐として、または銀のステッキを片手にしたオカルト科学者になり、時には、魔術師にもなり画家にもなった。セラフィーナも着飾った伯爵夫人でいられるならご機嫌だった。こうして、31才になった彼は、カリオストロ大佐、あるいは伯爵として世間に売り出したのである。
 そうした、放浪の旅を続けながら、病気を治すという不思議な能力、また奇蹟を起こす力や予知能力なども手伝って、カリオストロの名はたちまち高まっていくのである。かたや、彼の強烈な自信と思い込みは、プロのペテン師さえもだまされるほどで、やがては、彼という存在自体が神秘のベールに包まれ、カリスマ的存在となっていった。彼はいろんな奇蹟や治療行為を行って諸国放浪の旅を続けるのだが、その足跡を少したどってみることにしよう・・・
* 各地で奇蹟の治療を行う *
 35才の時、カリオストロがロシア帝国の首都サンクトペテスブルクに到着した時など、危険な狂人を治療したことがあった。その狂人は、エカテリーナ女帝の大臣の弟で、自分のことを神以上の存在と思い込んでいた。彼がいったん怒り狂うえば、ものすごい力で手がつけられなかった。伯爵は、鎖につながれてどう猛そうににらみ返している狂人に近づくと悪魔払いをするように、呪文をとなえて叫んだ。狂人は強い一撃を受けて麻痺したように仰向けに倒れてしまった。これ以後、その狂人は憑きが落ちたように急に大人しくなり始め、やがて、数週間後には、妄想状態から抜け出して正気を取り戻していったのである。
 ある夫妻の死にかけている赤ちゃんを一日で治してしまったこともあった。感激した夫妻がカリオストロに礼金を渡そうとしたが、彼は、人間の情からしたまでのことだと言ってどうしてもその金を受け取らなかった。

 しかし、このような奇蹟のような治療は、本来、正規の医学教育を受けていた医師からすると屈辱であり、許しがたい詐欺行為であった。エカテリーナの主治医だったロジャーソンなど、自分が見放した患者をカリオストロが、ものの見事に治してしまったせいで、大変な恨みを抱いていた。

 主治医は正規の教育も受けたことのないいかさま師に、このような無礼を許すことが出来ないと息巻いて押しかけて来た。主治医は多くの前で医師として対決し、貴様のインチキを暴いてみせると意気込んでいた。それに対し、カリオストロが言ったことは、「では、我々は医師としての武器で戦うことにしよう。あなたは、私が与える砒素を飲む。私は、あなたから与えられる毒を飲む。それで死んだ方が負けとしよう」この言葉を聞くなり、主治医は青ざめて一目散に逃げ帰ってしまったということだ。
 やがて、カリオストロは、貧しい人々への無料の治療行為を始めた。毎日、たくさんの人々が伯爵の部屋にやって来た。足の悪い人、目の悪い人、耳の悪い人など、さまざまな不幸をしょった人々が続々と詰めかけて来た。伯爵は、それらの人々に適切な指示を与えながら、薬を配って勇気づける。しかも、伯爵は、彼らに体力をつけるための肉のスープを買うための費用まで与えてゆくのである。今や伯爵は、貧民や庶民に愛される存在だった。人々は伯爵の膝を抱き、さまざまな敬愛の言葉を投げかけるのだ。
 このようなカリオストロの民衆相手の無償での治療行為は、エカテリーナ女帝や体制側の人間に脅威を与えることとなった。
 いつ何どき、人々の心の中に民衆の体制への反抗心を芽生えさせることにもつながらないからだ。反抗心は暴動を呼びやがて革命を起こしかねないのである。
 エカテリーナの敵意は次第に大きくなり、側近の中には、伯爵の行為を反逆罪にあたるとまで言い出した者さえいた。このままでは、いずれ、投獄され処罰されることになりかねない。身に危険を感じた伯爵夫妻は密かにロシアを出て行った。
エカテリーナ女帝
 次に伯爵夫妻が向かったのは、ポーランドのワルシャワだった。ここでも、たちまちオカルト的な技と魅力で人々を引き寄せ人々に熱狂的に指示された、中には、伯爵がいかさま師だと名指しする人間もいたが、伯爵が当人しか知り得ない事実を話すと、彼らの目から疑いの色が見る見る消えていくのであった。さらに、当人に起こる未来の出来事を口にして、追い打ちをかけると、今度は目を輝かせてたちまち伯爵の熱狂的な賛美者に変化していくのである。こういうふうに、ほんのわずかの間で、多くの人々が伯爵の熱狂的支持者となっていった。
 ある日、女帝の側近で大蔵大臣のポニンスキーが、自分の領地で錬金術の研究を行って欲しいと言って来た。ポニンスキーの出した条件は、最高と言えるもので、必要な材料はすべて揃え、時間に縛られることもなく、熟練した助手もつけるというものだった。ポニンスキーは、大変欲が深い男で、カリオストロなら、錬金術によって黄金をつくり出せるだろうと考えていたのである。事実、そのうち彼は、伯爵に銀や金をつくって見せて欲しいとせがみ始めた。
 かくして、カリオストロは、銀をつくり出す錬金術を披露することとなった。彼はまず比較的簡単な実験、つまり水銀から銀への変成をやってみようと言った。
 伯爵は自信満々な様子で、上着を脱ぎ全身をエプロンで覆った。材料として500グラムの水銀と鉛が少々用意された。伯爵が言うには、水銀をフラスコに入れ、溶けた鉛を30滴少々加える。少し、フラスコを揺らすと色が灰色に変わる。次にそれをボールに移し、赤い粉を少々ふりかける。そして全体を石膏で塗り固めるのである。
 30分後に、ボールをかち割れば、底の方に純粋な銀が出来上がっているはずだというのである。
錬金術の研究所を再現した部屋
 30分が経過して、ボールが割られると、果たして底の方に450グラムほどの純銀が卵状になって溜まっているではないか!まさに、カリオストロが言った通りだったのだ。興奮したポニンスキーらが喜び勇んで伯爵を取り囲んだ。そして、子供が駄々をこねるように、次は、ぜひ黄金をつくって欲しいとせがみ始めたのである。
 しかし、その中に、大変疑い深い男がいてカリオストロの功績を台無しにしてしまった。その男は、実験に何かごまかしが合ったのではないかと考え、研究室の床から庭の隅まで徹底的に嗅ぎ回った挙句に、ついに、すり替えられたと見られるフラスコを汚水溜めから発見したのである。彼は、伯爵が背景を黒一色にして部屋を暗くしたのも、大きなエプロンをかけたのもトリックを行うためだと主張した。そして、鬼の首でも取ったように発見した証拠を突きつけたのである。こうなると、もう何を言っても無駄だった。そのうち、熱烈な弟子まで伯爵に疑いの目を向け始めた。
 自暴自棄になったカリオストロは、全員に呪いの言葉を浴びせ始めた。お前たちのその猜疑心の強さ、どん欲さはいずれ破滅を持たらすであろう。こんな愚か者は相手にしている暇はない。そう言うと、彼とセラフィーナは荷造りを始め出した。
 かくして、ワルシャワに着いてまだ半年にもならないというのに、カリオストロ夫妻は、この町も出ていかねばならなかった。次なる目的地は、フランス、ベルサイユであった。しかし、ここで伯爵は、史上名高い首飾り事件に巻き込まれて投獄されてしまうのである。実際、この事件がカリオストロの生涯に与えた影響は大きいものがあった。当の伯爵は、その時、身に降り掛かる運命を予測し得たのであろうか? ここで、世紀の大事件・・・ある意味では、フランス革命の序曲ともなったダイヤの首飾り事件について、そのあらましを説明しておこう。
* ダイヤの首飾り事件とは? *
 首飾り事件とは、ジャンヌという女詐欺師が仕組んで起こった事件である。後に、この女詐欺師は、キルケーというあだ名をつけられたほどである。キルケーとは、ギリシアの伝説に登場する男をたぶらかし、破滅に導く邪悪な魔女のことである。
 ジャンヌは、貧困の中で生まれ、少女時代はひたすらスラム街で機知を磨いて育った。彼女の父親は、かつて、男爵の称号があったが、その後、落ちぶれて飲んだくれの落伍者と成り果てていた。悲しい境遇から抜け出すためには、あらゆる要素を利用しなければならなかった。うまい具合に、彼女はスタイルがよく、笑うと魅惑的な表情となった。つまり、不思議なセックスアピールを持っていたのである。その上、肌の色は抜けるほど白く、非常に知的で深い洞察力もあった。彼女はこうした自分の身上に備わった要素を利用することを思いついた。おまけに彼女は、実に冷徹で意志が強く最後まで目標を追求出来る性格でもあった。
 ベルサイユの近くに宿を取った彼女は、何食わぬ顔をしてベルサイユ宮殿の周辺をうろつくことでうわさ話や隠語を収集した。そして、表向きは、ジャンヌ・ド・ラ・モット伯爵夫人と名乗り、マリー・アントワネットや宮廷内の有力者と親しい間柄であるかのように吹聴しまわっていた。
 彼女の目的は、ただ一つ、彼女が宮廷内の有力者と親しいという話を伝え聞いて、宮廷内に取り入ってくれと頼んで来る人間を詐欺にかけることである。
 そのうち、彼女は、大当たりを引き当てることとなった。大資産家のロアン枢機卿が、ルイ16世の王妃マリー・アントワネットに取り入って欲しいと近づいて来たのである。
マリー・アントワネット
 ロアン枢機卿は、カリオストロを熱狂的に師と仰いでいた男でもあった。枢機卿は、自分が宰相の地位になれないのは、かつて、マリー・アントワネットに与えた悪い印象のために、王妃に恨まれているせいだと思い込んでいた。そこで枢機卿は、ジャンヌを通じて、王妃アントワネットに取り入ることで、何とか事態の改善をしようと考えたのである。一方、大きい獲物がかかったと知ったジャンヌは、自分が王妃に手渡してあげるからと言い、枢機卿に手紙を書くように仕向けた。枢機卿は、大喜びして20回以上も書き直しした挙句にようやく手紙を書き終えた。手紙には、以前の自分の過ち、無礼を謝罪する文面がこと細かに盛り込まれていた。
 そのうち、王妃より返事が来た。手紙はその後、何回かやり取りされたが、形式ばった感じの内容から、次第に、枢機卿に親しみを持ち、さらには彼に好意を抱き始める内容へと変わっていった。あの王妃が自分に好意を抱き始めた! こう思った枢機卿は、のぼせ上がって、今度はじかに言葉を聞きたいと願うようにさえなった。プレイボーイのあだ名を持つ枢機卿は、自分が美男子だと思っていたので、王妃アントワネットが、自分の誘惑に負けるのも至極当然だと考えるような男だった。アントワネットは、その頃、夫ルイ16世の不具のせいで、夜な夜な、欲求不満を持て余していると噂されていたのである。
 しかし、実際は、花飾りのついた高価な便せんで書かれた王妃アントワネットの手紙は、ジャンヌの愛人が筆写の技術を駆使して書かれたものであった。
 枢機卿は、ますます、のぼせ上がって情事を肉体的なものにエスカレートしたいと願うようになった。事態は厄介なことになったが、ここが勝負の分かれ目と見たジャンヌは、一計を案じることにした。顔だちがマリー・アントワネットとよく似た娼婦を見つけ、彼女を一夜の王妃に仕立てることにしたのである。ジャンヌには、演出の才能もあったようである。
 逢引きに選ばれた場所は、プチトリアノン宮殿内のビーナスの森。時刻は、月のない夏の真夜中という段取りである。
マリー・アントワネットの直筆の手紙
 王妃役になった娼婦は、本物の王妃のために、ささやかな冗談をしかけてくれとだけ言われていた。娼婦は、本物の王妃が姿を隠して、どこからかこの場面を御覧になっているのだろうとぐらいに考えていた。そこへ、コートとつば広の帽子姿の枢機卿が、熱にうかされたように歩いて来るではないか。娼婦は打ち合わせた通りに、赤いバラを枢機卿に手渡すと、二言、三事ささやいた。枢機卿は、呆然と差し出されたバラを受け取ると、娼婦の足下に膝まずき、芝生にキスをしたのである。それは枢機卿が完全に舞い上がっていることを表していた。

 このように、見事なジャンヌの演出により、枢機卿は身も心も完全にだまされてしまった。ジャンヌは、枢機卿がだまされている間に、出来る限り金を巻き上げてしまおうと考えていた。その時、ジャンヌにとって思いがけないチャンスが転がり込んで来た。宝石商が、高価なダイヤの首飾りを王妃に売りたい一心で、近づいて来たのである。ジャンヌがこのチャンスを見逃すはずがなかった。彼女は、枢機卿にいつもの王妃の便せんを使って首飾りの売り渡し保証人になって欲しいと伝えたのである。一時的なローンであるということ。王妃の私は、今のところ現金が足りない。しかし、自分の贅沢のために王であるルイ16世を煩わせたくない。御恩は決して忘れません・・・という主旨の文面だった。
 しかし、大資産家を自負する枢機卿でも、びっくりするような値段であった。その豪華なダイヤの首飾りは、実に160万リーブル、現代の価値に換算すると200億円相当の巨額である。保証人のサインをする段階になって、枢機卿は、自分が神聖な師と仰ぐカリオストロ伯爵に相談すると言い出した。サインするには、枢機卿は、興奮し過ぎて冷静さを失っていたのだ。しかし事態は、ジャンヌの望み通りに進展した。枢機卿から、相談を受けた伯爵は、その夜はすこぶる機嫌が良く、しかも占いも吉と出たというのである。カリオストロの保証を受けた枢機卿は、こうしてためらわずにサインしたのであった。
* 事件をきっかけに革命が勃発 *
 これが、マリー・アントワネットの名を借りたダイヤの首飾り事件のあらましである。事件が発覚したのは、支払いの期日を過ぎても入金がなされなかったために、あわを食った宝石商が、直接王妃に請求したからだった。枢機卿は逮捕され、三日後には、ジャンヌも逮捕された。逮捕されたジャンヌは、何も知らないとだけ繰り返し、あのいかさま師のカリオストロが枢機卿と共謀して、ダイヤの首飾りを盗んだのだということを訴えた。その結果、カリオストロ夫妻も逮捕されることとなった。彼らは、バステイーユに投獄されて尋問される毎日だったが、ジャンヌの共犯者の愛人が逮捕されてからは、逆に、ジャンヌに不利な証言が積み上げられていった。ジャンヌは、次第に獄中で荒れ狂うようになっていった。
 そして、判決の日が来た。結果は枢機卿とカリオストロの無罪放免であった。ジャンヌは、有罪となり、首に縄をかけられ、裸にされて鞭打たれた上、泥棒を意味するVの字の烙印を押され、死ぬまで刑務所に収監される過酷な運命が待ち構えていた。しかし、勝ったとは言え、枢機卿とカリオストロにもきびしい運命が課せられていた。枢機卿は、すべての称号を返上した上、修道院に永久追放されるのである。相手が娼婦だったとは言え、王妃がこのような淫らな誘いに応えると考えるだけでも重罪にあたるのである。カリオストロは、三週間以内にフランスから出ていくことを命じられていた。
 この事件は、当時のヨーロッパ中の新聞に毎日書き立てられ、庶民の最大の関心事となった。だがその反面、この事件はブルボン王家の権威を失墜させ、王妃アントワネットの評判を下落させるきっかけともなったのである。
 下落は一途をたどり、体制を崩壊させる波に変化していった。いったん、坂を転がり出すと、もう誰にも止めることは出来なかった。やがて、彼女は、民衆の間で憎悪の対象となっていくのである。
 そして、3年後には、ついに革命がぼっ発して、ギロチンの露と消える運命が待ち構えているのであった。
 しかし、一方、カリオストロの運勢もこの事件以降、急に衰えていくことになる。
マリー・アントワネットの処刑 
* セラフィーナの裏切り *
 彼は、その後、ロンドンに半年ほど滞在した後、今度はスイスに行き、1789年、革命が起こる頃には、故郷のイタリアに戻りローマに落ち着いていた。だがそこで、彼は、20年来の妻セラフィーナの裏切りに合う。そして、この裏切りこそ、彼にとっては致命傷となるのである。
 妻セラフィーナは、少し前から、彼との関係がうとましいものに感じ始めていた。財政的にも不安定で、絶えず引っ越しを繰り返さねばならない生活にも飽き飽きしていた。王様のような豪奢な生活をしたり、そうかと思えば一転して、乞食のような惨めな生活になったりで、おまけに、行く先々でスキャンダラスな出来事や投獄の危険性が待っているのである。それに、その都度、友人や愛人とも別れねばならないのも嫌だった。それに加えて、夫カリオストロの気まぐれで感情の起伏の激しい性格にもうんざりしていたのである。
 そして、ついにセラフィーナの我慢の緒が切れる時が来た。彼女は、教皇庁にカリオストロがフリーメイソンであることを、さらに文書偽造や数々の詐欺行為の常習犯であることを洗いざらいぶちまけたのである。つまり、セラフィーナによれば、カリオストロ伯爵は、人前では信心深そうに振る舞ってはいるが、その実体は、心の中ですべての宗教をあざけり、キリストを何度も冒涜し、黒魔術に凝る邪悪な心の持ち主だということであった。
 いったんせきを切ったセラフィーナの告白は止まることを知らなかった。彼女の告白は、カリオストロの脅威に日夜脅える教皇庁にとって、彼を排除するためのいい機会だった。
 教皇ピウス6世は、ただちにカリオストロを逮捕し、彼の部屋の家宅捜索を命じた。こうして、逮捕された彼は、サンタンジェロ城の地下の狭い独房に放り込まれたのである。
 やがて異端審問が何度も行われた。家宅捜索によって、彼の書き記した予言なども多数発見され押収された。
サンタンジェロ城 地下には政治犯などを収容した陰惨な牢獄があった。
 それらは、カリオストロが、フリーメイソンに属している事実、各国の体制転覆をもくろむ危険思想の持ち主であるという確固たる証拠として出され、彼は終身禁固刑を言い渡されることになった。つまり、今後永久に、外の世界とは一切遮断され、独房の中で一生終わることになるのである。
 記録では、カリオストロは独房のベッドの横に鎖でつながれ、自分の汚物にまみれて狂人のように成り果てたいう。
 そして、彼は、1795年8月23日に獄中で飢え死にしたのである。
 享年51才。フランス革命も最終段階が終わりナポレオンが登場する4年前のことであった。
カリオストロが飢え死にした独房
 しかし、彼を裏切った妻のセラフィーナにも、同様の運命が待ち構ていた。自分の証言が自らの墓穴を掘っているとは知らず、教皇庁にとって厄介な存在になることに気がつかなかったのだ。教皇ピウス6世は、彼女を外に出すには秘密を知り過ぎており、危険な存在と見なしていた。要するに、信用ならない邪魔な存在だったのだ。そこで秘密が漏れないためにも、彼女をどこかに永久に閉じ込めておく必要があった。セラフィーナは自分の望んでいた自由とは裏腹にローマの修道院に終身閉じ込められることになった。彼女はそこで狂い死にしたのである。
* 時代が求める資質を兼ね備えた人 *
 革命前のヨーロッパは、嵐の前の静けさにも似ていた。山師、ほら吹き、詐欺師、秘密結社に属していたような怪し気な連中がわんさかいたこの時代は、言わば、革命前の煮えたぎるエネルギーの掃溜めのような時代でもあった。カリオストロ伯爵は、この時代に生きたこのような連中の代表的存在と言っていいのかもしれない。19世紀になって、産業革命を迎える頃には、もはや、ダイヤモンドを大きくしたり、卑金属から黄金をつくり出すことを目標とする錬金術は、空想の産物と化してしまった。その意味で、カリオストロの死は、神秘のベールに包まれた啓蒙時代の完全なる終焉を意味していたと言えよう。

 今日、科学技術の進歩は、日ごとに神秘的なものを払拭し続けている。例えば、ダイヤモンドは、炭素が摂氏3000度以上という超高温と7万気圧という超高圧力のもとで誕生する地球上で一番硬い物質であることを明らかにした。それは地下400キロという地球の奥深くで営まれる収縮活動によってのみ起こる凄まじいエネルギーがつくり出す結晶なのだ。一方、金はそれ自体元素で他の元素にはなることはあり得ない。水銀も亜鉛元素の一つで、熱したところで赤色に変色するが銀そのものに変わることはあり得ないのである。
 しかし、今でこそ荒唐無稽と思われている錬金術も、その過程でさまざまな化学薬品をつくり出したことで現代化学に貢献することとなったことは確かだ。金は、元素としては変化することはないが、それを手に入れようとする人間の心を邪(よこしま)なものに変化させることだけは今も変わることがない。

 カリオストロは、自らのカリスマ性に酔うことで同時に人々の心も魅了したのである。そして、彼の生きた時代が華やかなステージの代わりとなった。類まれな山師的才能とそれを生かせる条件がととのった時、カリオストロという一人の天才スターが生まれたのである。彼は聖人でもあり、同時に天才的詐欺師の両面を持っていた。
 20世紀の前半にも、これとよく似たケースがある。その男は、当時の時代が求めるすべての資質を兼ね備えていた。
 演説という新手法で、人々の心を魅了しカリスマ的とも言える熱狂的な支持を受けて彗星のように登場したのである。
 その男の名は、アドルフ・ヒトラー ・・・この独裁者とどこか通ずるものがあると考えるのは間違いだろうか?
トップページへ
アクセスカウンター
inserted by FC2 system