ヒトラーの別荘
〜独裁者の狂気と妄想を貫く方程式〜
* 二つの顔をもつ山荘の主人 *
 オーストリアのバイエルン山岳地帯ケールンシュタイン山の海抜1千メートルのベルヒティスガーデンふもとには、ベルクホーフと呼ばれたヒトラーの山荘があった。その山荘は、別名、鷲の巣と呼ばれ、ヒトラーの側近たちや彼のお気に入りの身近な人々の集まる場所でもあった。

 最初、ヒトラーはよくもこんな蚊ばかり多くて、湿っぽい最低な場所を選んで来たものだと不平ばかりこぼしていた。確かに夏になると、そこら中、蚊が飛び回り、ひどく不愉快な思いをするのは事実だった。

 しかし、テラスから仰ぎ見る眺めは素晴らしかった。特に冬ともなると、雪の積もった白樺、湖を囲んだ大平原の広がりと、遥かザルツブルグの山々に連なる銀世界が一望出来る景観は圧巻であった。

 ここでの彼は二つの顔を合わせ持っていた。
 一つは、休養のためにやってきた愛想のいい山荘の主であり、もう一つは、すべての戦線を取り仕切る巨大なドイツ軍の最高指揮官としての顔であった。
ベルクホーフのテラス
* ヒトラーの趣向に合わせる *
 ヒトラーの出入りする部屋はすべて禁煙で、おまけに彼の執務室は摂氏11度 ぴったりに調整されていた。これは普通の人間だとかなり寒く感じる温度だ。しかしヒトラーは、この温度を心地よく感じていた。ヒトラーの会議はたいてい長引くことが多く、時には数時間にもおよぶことがあった。そんな時、彼の部屋から出て来た将軍や幕僚たちは、赤い鼻をすすり上げ、ローソクのように青白くなってしまった手をこすりながら飛び出して来るのが常であった。彼らは無口で食堂に駆け込むや否や、やみくもに熱いシナップス(コーンを醸造してつくったアルコール)を冷えきった体に流し込むのであった。ある司令官など、ヒトラーとの会談が長引いたせいで持病のリューマチが悪化し、入院を余儀なくされてしまった。
 さて、山荘の入り口を入ると、左には建物の大部分を占める大広間があった。  
 大広間の真ん中には、長い食卓とひじ掛け椅子が置かれてあり、そこには24人分の席が用意されていた。
 その前方の隅で、部屋が横に半円形にはり出している場所がある。そこには、どっしりとした丸いテーブルが置かれていて、もっぱら朝食はそこで取った。
ベルクホーフの大広間にある長い食卓
 昼頃になると、迎賓館や各部屋から、昼食のために何人か集まって来るのだが、作戦会議が行われている場合は、大広間は解放されずに会議の終わるのを待つしかなかった。
テラス側に置かれている丸いテーブル
 ところが困った事に、ヒトラーは夢中になると、空腹というものを感じないのか、何時間もひたすら会議に没頭した。そんなとき、客たちは空腹状態のまま会議の終わるのを待つしかない。
 ようやく会議が終わって遅すぎる昼食が始まるのだが、夕方近くになっていることも珍しくなかった。
作戦会議が終わり、遅い昼食が始まる
* ヒトラーの食事 *
 ヒトラーはまた、徹底的な菜食主義者であったことはよく知られているところである。彼は肉類は一切、口にすることがなく、タバコ、アルコールの類いも同様であった。彼は食べるのが速く大食いだったが、グルメでもなく、食に関する限り、かなり質素なもので味にもうるさくなかった。ヒトラーは自分自身、胃病持ちだと固く信じていたようだが、それはほとんど神経的なもので、彼の妄想だったようである。

 彼のメニューは、だいたいニンジンとジャガイモのスープ、半熟のタマゴ、マッシュポテトにサラダという代りばえのしない内容だったが、毎日それを口にするだけで満足していた。ところが、彼の専属コックは人間は肉なしでは生きられないとする奇妙な考えに凝り固まった男で、ヒトラーの健康を考えて、こっそりほんの少し肉ブイヨンか、豚の脂をちょっぴり入れることがあった。そんなとき、ヒトラーはほんの一口口に入れただけでたちまちそれに気づき、がなりたてたものだ。「また何か入れただろ?ほら見ろ!胃の調子が悪くなったではないか!」そして、動物性のものが一切含まれていないジャガイモの粥を、再度つくらせるのであった。
 しかし食事の間は、概して陽気で、一般的な会話が交わされる事が多く、そういう時のヒトラーは女性にはとても感じのいいホストに見えた。
 彼は、ヒソヒソ声で静かに話し、学校や党にいた若い頃に自分がやらかしたいたずらの話を、面白おかしく話すのであった。

ヒトラーの朝食風景、右はエバ
「ワシがまだ兵長だったとき、後方の連隊に伝令として出かけていたときのことだ。一軒の農家にフランス兵が隠れておってな。ワシが一声かけるとみんなゾロゾロ出て来たのだよ。その数、なんと15名。君、一人で敵のまるまる一個分隊を捕虜にしちまったというわけだ。これでワシがこの鉄十字章を授与された理由がわかっただろ。思えば、自慢の髭が敵からすれば、ワシが連隊長に見えたのかもしれんな」
 そんな時のヒトラーは、実に人間的で、善良そうで無害そのものであり、どう見ても天才の中に巣くう悪霊を見抜くことは出来なかった。
 だが時には、ヒトラーは肉食を嫌うあまり、わざと食事中に食欲を失わせるような話題もよく口にした。
「まったく肉ばかり食べる者の気がしれんわい。それと肉食は健康にもよくないのだよ。だいたい君・・・ウクライナの屠畜場の様子を知っているか? ワシは一度見たがそれはもう気味の悪いところだった。そこら中、骨やら内臓やらがグシャグシャになって血の海に浸かっているのだよ。まさに化け物屋敷のような感じだったわい」などと大袈裟なディスチャーを交えてリアルな表現でまくしたてるのである。その時のヒトラーは、みんなの顔に不愉快な表情が浮かんでいてもおかまいなしであった。
* ムッソリーニの来訪 *
 ここベルクホーフの山荘は、私的な部分と公的な部分の区別がなされておらず、時には、ごっちゃになることが多かった。
 例えば、ヒトラーの執務室は、廊下を隔ててエバ・ブラウンの寝室に面していた。
 彼が軍の幕僚たちとロシア線戦に関する難問や秘密会議を討議している最中、その地下では、エバ・ブラウンや他の女性や客人たちが喜劇映画やレコード鑑賞にうつつを抜かしているのであった。
ベルクホーフのエバ・ブラウンの部屋
 秘密会議が終わると、電話が鳴って映画も途中でも打ち切られてしまう。せっかくのクライマックスを中断されて、がっかりした表情のエバ・ブラウンが、総統との夜のおしゃべりの準備のために、化粧直しのために会議室を横目でにらみながら、自分の部屋に慌ただしく駆け込んでいくということもよくあった。
 かつて、ヒトラーの盟友ムッソリーニが、ベルクホーフの来賓とし招かれた時など、リンゴをほおばったままで、ばったり彼らと出くわしてしまったことがあった。
 そのとき、ヒトラーはムソリー二にホール中を得意げに案内して回っている最中だった。
 両手にテニスラケット2本を持ち、かじりかけのリンゴを口にほおばった彼女は、物も喋る事も出来ず、茫然と立ちすくむしかなかった。
ドイツを訪問するムッソリーニ
 それはムソリーニの方も同じで、突然あらわれたエバに目の玉が飛び出るほどびっくりしていた。そして二人は無言でじろじろ見つめ合っていた。一方、ヒトラーはというと、ばつの悪そうな表情で、自分の足下をぼんやり見つめていた。 
 しばらくたって、ムソリーニが「今のは一体誰だ?」というようなことを言ったらしいが、ヒトラーは茶をにごすような返事をして、話題を変えてしまったということだ。
 それからしばらくして、来賓として来たムッソリーニは、あっけなく失脚してしまい、イタリアは連合軍と休戦条約を結ぶと枢軸陣営から離脱してしまった。
エバ・ブラウン。モデル出身であったが、庶民的で茶目っ気が魅力だった。
 その時のヒトラーの荒れようはものすごいものだった。力の限り悪態をつき、花瓶を投げつけ、そこら中、呪詛と罵りの言葉を吐きまくったのである。彼の機嫌の悪さは、しばらく続き、いつもは穏やかなはずの夕食の時にもそれは持ち越された。
 彼は最初、ぼんやりと自分のスープを見つめていたが、やがて、ぼそぼそ独り言のようにしゃべりだした。
「ムッソリーニめ・・・シーザーの後継者だなどと豪語しておったが、どこがシーザーの後継者だ! 余がこれほど支援してやったのに、こともあろうに失脚するとはな。情けない奴め!しかしイタリアと同盟というのも最初から信用のおけぬものだった。無責任な民族などない方がましだ。かえって我々だけの方が首尾よく勝てるというものだ!」
 最後の方には、演説調となり、彼はフォークを掴むなり、テーブルをドンと叩く始末だった。全く人が変わったようであったが、考えてみると、彼にはこういうジキルとハイドのような二面性を日頃から持ち合わせていたのであった。彼はいったん癇癪を起こすと、自分自身をも、見失い制御出来なかったのである。
 そうかと思うと、スターリングラードが陥落した時の夜などは、一言も発さず、くたびれた老人のように、あらぬところを一日中見つめたままだった。このようにして、交互にもたらされる敗北と勝利の報告が、彼の二面性をますます顕著なものにしていった。そして、少しづつ敗北の知らせが増えていくにしたがって、ヒトラーはやがて自分の殻の中に閉じこもっていくのである。


 これ以後ちょっとしたことで、すぐに狂乱状態となり、不眠症、頭痛、胃痛などに絶えず悩まされることになる。これは彼が若い頃に感染した梅毒による影響であり、その病気が進行していった結果とも思える。まだ治療法がなかったこの時代、この病気は、まことに恐ろしいもので、その病原菌スピロヘータ・パリーダに感染した人間は、ゆっくりと身体のあらゆる組織が蝕まれてゆくのである。最後には脳までがおかされ、狂人となり死に至るのである。しかし、このような状態が梅毒によるものなのか、ヒトラーが本来持っていた性格的なものなのかは不明だが、恐らく、彼特有の狂信的な誇大妄想を増幅させていったことは確かであろう。

* 頂上の水晶宮 *
 彼には自分の抱いた構想や考えを整理したり、まとめたりするためのお決まりのコースがあった。

 彼は、たった一つしかないひさし帽をかぶり、愛犬ブロンディを従えて、散歩に出るのだが、かなり、ゆっくりしたスピードで歩くので、後から続く取り巻き連中が、よく彼を追いこしてしまった。
 そうして、しばらく、曲がりくねった道を登っていくと、ヒトラーが、ほとんど毎日通ったティーハウスが見えて来るのである。

 このティーハウスは、ケールシュタイン山頂にあり、そこに行くためのエレベーターの乗り場が、そそり立った岩を切り開いて作られたトンネルの奥に設けられていた。

山頂に見えるのが水晶宮
 そのトンネルの入り口は重い青銅の二重扉で囲まれている。

 そのトンネルの照明に目がようやく慣れてきた頃、壁をおおった大きなエレベーターのドアが目に入って来る。
エレベーターに続くトンネル
 そのエレベーターの内部は銅板で張り巡らされており、中心には円形の鏡がはめられてあり、内部は、きらめく限りである。

 このエレベーターに乗って、岩を垂直に切断して造った空間を、3百メートルほど、一気に急速上昇すると、海抜1843メートル山頂のある建物に到着する。ここは、ティーハウスでもあるが、総統の住居でもあるのだ。
エレベーターの内部
 この建物こそ、別名、水晶宮と呼ばれ、ヒトラー自慢の六角形をした建物である。 ヒトラーは、もし、自分が政治家になっていなければ、ドイツ最高の建築家になっていたであろうと回想しているが、建築家を夢見たヒトラーは、六角形に異常な執着心を見せることがあった。彼の情熱が、そのまま、形となったというべきなのであろう。

 外から見た限りは、それは、サイロか発電所のようでもあり、ごつい感じで不格好な建物の印象をぬぐい去ることは出来ないのだが、一歩中に踏み入れると、訪問者は、どっしりとした重々しい雰囲気に圧倒されてしまうのである。古代ローマ様式の柱に支えられた真っ白い回廊を渡ると、やがて、広大な円い部屋に出る。そこは、周囲を窓に囲まれた素晴らしい展望台のような部屋で、訪問者は、あたかも宙に浮かんでいるような錯覚さえ覚えるのである。ここから、見える景色は、すべてが雄大で野性的、夕陽に照らされてあかね色に染まったバイエルンの山々が360度見渡す事が出来るのだ。

 真っ暗な岩の中を急上昇すること、1、2分、幽閉状態になった意識が、この立体大パノラマを目にする時、一気に拡散されて、驚きの中、衝撃的な高揚に変化する。この目まぐるしい視覚の変化は、夢か現実かと疑うような奇妙な感覚を訪問者に与えるのである。

* オカルトに凝るヒトラー *
 ヒトラーは、神秘主義的な面があり、占星術や心霊術、運命占いに深い関心を持っていた事は、よく知られるところである。実際、彼は、専属の占星術師を身近に置いていた。ヒトラーの側近が、悪魔崇拝(黒魔術)に凝っていたという噂もあるくらいなのである。

 彼は、重大な作戦のまえには、一人、この水晶宮にこもり、深夜、孤独と寂寥の極限状態の中で自らと対峙したのである。恐らく、自らの星座宮にあらわれる太陽や月、金星、火星、木星などの各種の天体の相互関係とによって、来るべき決戦の日時、場所、方角などが決定されていったのではなかろうか?

 まさしく、このベルクホーフの山荘から、毎日、日課になっている山道を通り、エレベーターから水晶宮へのお決まりのコースが、ヒトラーの狂気と妄想を形づくる回路的役割を果たしたにちがいない。

ナチス・ドイツに流行していたと言われる悪魔崇拝を表わした絵
 きらめく総銅板張りのエレベーターに座ったヒトラーは、両腕を組んで目を閉じる。やがて、ガクンと、機械的振動が起こり、続いて、ウィーンという低いモーターのうなり音とともに、動きだす。やがて、ヒトラーを乗せたエレベーターは、ぐんぐんスピードを増し、真っ暗な岩の中を急上昇していくのである。
 その加速感の中で、目眩にも似た虚脱感が訪れ、しばしの瞑想状態の一瞬に、彼は自らの観念の中に超越した何かを感じたのにちがいない。


 それは、ヨーロッパ千年帝国と謳われた第三帝国の誕生から、巨大首都ゲルマニアの創設、スラブ民族の奴隷化、ヨーロッパのアーリア化計画、つまりユダヤ人の絶滅計画まで、広大で恐るべきプランが、彼の頭の中で朧げにあらわれ、やがて、明確な形を取りはじめる時でもある。

 そうして、遥か彼方まで見渡せるこのホールで、構想が出来上がっていくのである。


 そう・・・ここは、彼の狂気と妄想が形となり、実現させるための思索ルームでもあったと言えるだろう。
 しかし、幸か不幸か、彼の夢は、ついに実現することなく、悪魔の方程式は、完成を見ることはなかった。
ヒトラーのアーリア化計画(アウシュビッツ強制収容所の酸鼻をきわめる光景)
 外交戦術で、あれほど、神がかり的に冴えた彼の勘も賭けも、戦局の悪化とともに、神通力を失っていったのである。そして、あらゆる線戦がドイツの首都ベルリンに迫って来るにつれて、ヒトラーは、凶暴になり、そのうち、感情の起伏すらなくなって、抜け殻同然の廃人になっていったのであった。そして、彼の野望は、ドイツ降伏とともに潰え去った。

  戦後になっても、ベルクホーフは、廃虚のまま残っていたが、やがて、完全に爆破され跡形もなくなって今日に至っている。

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画像資料 「魔女と黒魔術」ピーター・へイニング
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