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千夜一夜の世界
〜その起源と不思議世界の謎を巡って〜
* 船乗りシンドバッドの冒険 *
 巨大なロック鳥の足につかまって見事、絶海の孤島からの脱出を果たしたシンドバッドは再び航海に出た。船の舵取りをしながら、シンドバッドはこれまで体験した数々の冒険を思い出していた。
 一度は、島だと思って上陸したものの、何と巨大なクジラの背中だったこともあった。あの時は、焚き火をしたために、熱さにたまりかねたクジラが、動き出し乗っていた多くの人々とともに青黒い海原の底深く沈んで行った。また、強力な磁石島に吸い寄せられ船が難破してしまったこともあった。あの時も多くの仲間が海中の藻くずとなった。しかし、いずれも間一髪のところで、彼だけは生き長らえることが出来たのであった。シンドバッドは、今さらのように自らの強運を神に感謝するのであった。
 海とは不思議なものだ。まるでそれ自体が生きているかのよう。一寸先は何が起こるか全くわからない。しかしそれもこれも、すべてアラーの思し召しなのだ。シンドバッドは、そう考えて水平線の彼方を見据えた。
 見渡す限りコバルトブルーの大海原が広がっている。空には抜けるような青空に太陽が輝いている。航海は順風満帆で海面は鏡のように穏やかだった。
 船は滑るようにひたすら西に進路を取っていた。カモメはマストに留ってうるさく騒ぎ、時おり、クジラが潮を吹き上げる。あまりの陽気にシンドバッドの口から船乗りの歌が口ずさんで出てくる。
 しかし、そうした平和な一時は長続きしなかった。暗雲が立ち込め、天候が見る見る変化し始めた。やがて、船は木の葉のように翻弄され出した。何とかしなければ、船は難破してしまうだろう。その時、はるか前方の水平線上にかすかに島影が見え出した。シンドバッドは、急きょ船をその方角に向けた。
 大波に揉まれながら、何とかその島にたどり着いたシンドバッドは、岸壁の近くに碇を降ろすと、小舟に乗り換えて浜辺に向かって漕ぎ出した。上陸してみると、島は草や木が一杯生い茂っていた。これなら水と食料が簡単に手に入りそうである。探険してみると、島の中ほどで巨大な石でつくられた砦があった。大昔につくられ今は無人の廃虚らしかった。
 一行はそこで夜を明かすことにした。真夜中、突如ものすごい地響きがして目が覚めた。気がつくと、なんと身の丈25メートルもあろう毛むくじゃらの巨人が目の前にいるではないか! 巨人は額に一つしかない赤い目を不気味にランランと輝かせて一行を見下ろしている。
 やがて、巨人は一番肉付きのいい男をわしづかみにすると、あっと言う間に、地面に叩き付けて殺し、数メートルもある先の尖った棒に突き刺した。
 そして、火にあぶるとムシャムシャと食べ出したのである。一行はあまりの恐ろしい情景に身がすくんで微動だにすることも出来なかった。
 そう、ここは、恐ろしい人食い巨人の住み処だったのだ・・・
* 毎夜ごとに語られる命がけの物語 *
 これはシンドバッドの7回の航海談からの一コマであるが、千夜一夜物語の中でも最も人気のある物語の一つである。
 千夜一夜物語は、不思議な小話が一杯詰まった宝石箱のようでもある。そこには、不可解な出来事に出会った時の驚き、身の毛がよだつような恐ろしいものに出会った衝撃などあらゆる種類の驚きが集約されているのだ。誰もが、その物語を読むにつれて、いつの間にか、不思議な世界に引き込まれ、自分が登場人物になったような錯覚に落ち入る。千夜一夜の世界は、時空を超えて我々に夢とロマンを与えてくれるようだ。
 しかし千夜一夜物語は、いつごろどのようにして出来上がったのだろうか? また、そのファンタジーの源泉はどこにあるのか? そうした疑問を追ってみるのも面白い。ここに千夜一夜物語が出来上がったと言ういきさつがある・・・
 今を去ること1600年ほど昔、ササン朝ペルシアの時代、広大なメソポタミアの大地をシャフリヤールという偉大な王が統治していた頃の話である。しかし、この王には恐るべき性癖があった。それは王の美徳すべてを打ち消してしまう悪徳行為と言ってよかった。
 ある日、王は黒人奴隷と妃が不義の快楽に浸っているのを知ってしまう。激怒した王は、二人を即座に斬り殺してしまった。それ以来、女に不信を抱くようになったシャフリヤール王は、世の中をもっと知るために自らの身分を隠して旅に出ることにした。そうして得た結論は、女は魔性の生き物でけがらわしい存在だということであった。とても信じることなど出来ぬ相手であった。そこで完全に女性不信となった王は、新妻を次々と迎い入れて夜伽をさせては翌朝には首を刎ねて殺してしまうという暴挙に出たのであった。
 こういうことを繰り返したので、やがて若い女性は、王をこわがって都から逃げてしまいいなくなってしまった。大臣たちは花嫁を王に献上することも出来ずに困り果てていた。何とかして、王の呪われた行為を止めさせないと、今度は自分たちに危害が及びそうであった。しかし女性不信に狂った王に下手に忠告などすれば、間違いなく死罪になることは明らかだった。
 この時、大臣の娘でシャハラザードという才色兼備で聡明な女性がいた。シャハラザードは、王の蛮行を見兼ねてそれを止めさせ、世の女性を救うために何とかしなければと立ち上がったのであった。そこで一計を案じた彼女は、自ら王の妻になりたいと進み出たのである。しかし王の妻になることは、夜明け前に殺される運命になることを意味していた。
 王の妻になった彼女は、夜もふけて夜明けが近づくと、枕元で言葉巧みに不思議な話を王に聞かせるのであった。
 最初は、夜伽をさせて夜が明けるとともに妃を殺してしまおうと考えていた王であったが、シャハラザードの語りは、大変うまく真に迫っており、聞いているうちに、あまりの面白さに心から魅了されてしまうのであった。
 しかし、話がクライマックスに差し掛かった頃、この続きは明日にしましょうと話を中断するのであった。話の続きを聞きたくてたまらない王は、夜が明けてもシャハラザードを死刑にするには忍びず、逆に明日の夜が来るのを待ち遠しい気分で眠りにつくのであった。
 こうして、毎夜毎夜、千夜の長きに渡りシャハラザードの命を賭けた物語が続けられた。
 甘い官能的な説話の数々、船乗りシンドバッドの壮大な冒険談、巨大なロック鳥の話、一つ目の巨人の話、アリババと40人の盗賊の話、魔法のじゅうたんなど・・・
 それは、めくるめく夢のような内容で延々と一日も欠かすことなく続けられた。
 こうして、千夜一夜、分りやすく言えば、2年と7か月にわたり不思議な話は続けられたのだ。その間に、王は、シャハラザードを賢明で魅力溢れる女性だと信じて疑わなくなっていた。最後には王は自らの過ちに気づいたばかりか自ら犯した蛮行の数々を心から悔い改めるようになったという。こうして、一人の勇気ある女性のお陰で、王の呪われた行為に終止符が打たれたのである。その後、シャハラザードが千夜一夜にわたって語られた話は、書き留められて不思議なおとぎ話となったのだという。
 これが、千夜一夜物語誕生のあらましである。一人の女性の頭からよくもまあこれほど奇想天外に富んだ作り話が次から次へと思いつくものだと感心してしまいそうになるが、しかし残念ながらこの話は実話ではない。ここに登場するシャハラザードもシャフリヤール王にしても実在の人物ではないのだ。ともに千夜一夜物語を形づくるためにつくられた架空のキャラクターに過ぎないのである。
* アラビアンナイト成立の背景 *
 千夜一夜物語に含まれる有名な話の多くは7世紀頃のものとされている。性格も起源も異なった多くの話が、15世紀頃に一本にまとめられ「アラビアンナイト」として全体像を形づくっていったのだと言われているのだ。
 当時、世界に君臨していたのは強力なイスラム帝国であった。恐らく、イスラム文化絢爛の最中、各地に点在する様々な説話が吸収され、7百年という時の経過の中でイスラム色の強いものとなっていったのではないかと思われる。
 7世紀頃、ササン朝ペルシアが崩壊すると、次ぎにこの地を支配したのはイスラム帝国であった。最初、アラビア半島全土を支配下に置いていたイスラム教徒は、ササン朝ペルシアが滅亡するとその領土をそっくり併呑して、たちまち強大な帝国の一つにのし上がっていったのである。
 その後も、領土拡張の野望を持つイスラム帝国は、東西にさかんに遠征軍を繰り出し、わずか2世紀足らずで巨大な帝国に発展した。その国境は、西は、エジプトを含め、遠くアフリカ大陸の端まで支配地域を広げ、さらに海を渡ってイベリア半島の大部分を制覇するまでに至っていた。東はインダス川を境に遠くインドや中央アジアの果てまでその勢力を広げていたのである。
 8世紀初頭になると、イスラム帝国は驚異的な繁栄を記録し、カリフの権力に至っては世界の隅々にまで浸透していたという。カリフに謁見を許されるのは、限られた者だけで外国の高官でも平伏して床に接吻しなくてはならなかった。
 カリフの後ろには、半月型の剣を抜いた役人がたたずんでおり、もしカリフの機嫌を少しでも損なおうものなら、即座に首を刎ねようと身構えていた。まさに、謁見するのも命がけなのである。
 とりわけ、シンドバッドの冒険談を読むと、絶頂期のイスラム帝国の様子を伺い知ることが出来る。物語には、当時のムスリム(イスラム教徒)の商業活動がいかに広範囲であるかが随処に描写されている。ムスリムの活動範囲は、まことに広大で当時知られ得る世界の果てまで及ぶものだった。
 首都バグダードは、世界中からの珍しい品々で満ち溢れていた。シナからは陶磁器、絹、紙、中央アジアからは、翡翠や玉が、インドからは、香辛料や宝石、銀、染料などが、ヨーロッパからは毛皮、甲冑、刀剣類、アフリカからは象牙、黄金、奴隷が後から後から送られて来たのである。
 こうしたムスリムの商業活動によって持たらされた巨万の富は帝国の原動力となった。この当時のバグダードは、まぎれもなく世界の最先端を行く都市であった。
 また、イスラムの世界は男の世界でもあった。裕福なムスリムとなると、実に豪勢で贅沢三昧な生活に明け暮れていた。それは、一国の王様並みとも思えるほどで、現在の我々から見ると、タメ息の出そうな優雅な毎日なのである。ではちょっと、彼らの生活を覗いて見ることにしよう・・・
 男たちは、朝から用もないのに外に出て入浴したり、チェスに興じたり居酒屋などで一日中ぶらぶらと過ごすことが多かった。女性は、屋敷の中で閉じ込められ、決して公衆の目に触れる所に出てはならなかった。女奴隷は家の奥で酒造りに余念がない。ある女は果実を踏みつぶし、ある女はその果汁を布でこしている。それを土瓶に入れて醗酵させるのである。数日も寝かせておくとナビーズと呼ばれる口あたりのいい酒になった。
 来客ともなると、夜には壮大な宴が始まる。豪華な部屋は、金と銀の刺繍が施された見事なじゅうたんが所狭しと並べられており、薔薇とじゃこうの香りで充満している。
 まもなく、酒が酌み交わされ、食事が始まる。中央の大広間では、光り輝く宝石を身を着けた半透明の布に身を包んだ半裸の女性が、タンバリンと鈴の音色に合わせて、なまめかしく踊りを披露するのである。
イスラムの世界は男の世界。宴の時に出される料理の順番などはイスラムから持たらされたものである。
 全くそれは、見る者をうっとりさせるエキゾチックで幻想的な景観である。まさに、千夜一夜の官能的な描写シーンの一コマを見るようであった。
* おとぎ話の宝石箱 *
 千夜一夜物語は、約170ほどの不思議な話を集大成したものである。その出所の内訳もインド、ペルシア、アラビア、ギリシアなどさまざまである。
 アラジンの魔法のランプはシナの話らしいし、シンドバッドの話に登場する島に見えた巨大なクジラの話やロック鳥の足につかまって飛ぶ話などは、紀元前3世紀頃のアレクサンダー大王の時代の話がルーツになっているらしい。
 人食い巨人の話に至っては、よく似た話が紀元前9世紀頃のギリシア神話、ホメーロスのオデッセイの中にも出て来る。この場合、出て来るのは片眼のキュクロプスという巨人で、人間をつかむと手足をバラバラにしてスープにして食べてしまうのである。結局、双方の巨人とも目に鋭い棒を突き立てられて退治されてしまうというストーリーとなっているが、その点でも似通った構成になっている。
 このように考えても、千夜一夜物語が、その発想の根源を古今東西の説話や神話に求めていることが想像される。たぶん、それは時間とともに編纂されデフォルメされてアラビア色の強いものに置き換えられていったと思われる。インド、ペルシア、エジプト、ギリシアなどの起源も時代もまちまちな神話や説話が、一本一本丹念に織られ一枚のじゅうたんのように出来上がっていったに違いない。それはさながら絢爛たるイスラム文化を凝縮して織り込まれた見事なペルシアじゅうたんのように・・・
 そうして、締めくくりとして興味深いエピソードが作られ、一つの物語としてまとめられていくことになる。つまり、バラバラだった説話群がシャハラザードという一人の女性語りべが登場することによって、命がけで夜な夜な語りかけた寝物語という形となり集大成されるのである。
 こうして見ると、伝説やおとぎ話、寓話の類には、長い人類の歴史の中で起きた一切合財が遺伝子となって脈々と今に受け継がれているように思えてならない。
 そこには、古代人が時空を越えて我々に伝えたかった何かが秘められているかのようである。
 きっと、今宵もシャハラザードが夢枕に立ち、あなたの瞳を覗き込みながら、この世のものとは、思えないミステリアスな話の数々を語りかけ、神秘の世界にいざなってくれるかもしれないのだ。
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