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コロンブスの真実
〜一夜にして人々の世界観を変えた男の悲劇〜
 人生には夢にも勝るロマンと冒険がある。これを証明した一人の男、つまり、歴史を大きく変えた男の生き様として、この結末がふさわしいものかどうかはわからない・・・
* 崖っぷちの賭け *
 夕刻の迫る海上を、ひたすら西へ航海を続ける3隻の帆船があった。船団には100名ほどの人間が乗り組んでおり、旗艦と思われる大型の帆船には40名近くが乗り組んでいた。先頭を走る小型の帆船はピンタ号とニーニャ号と呼ばれ、それよりやや遅れて航行する大型の帆船はサンタ・マリア号と呼ばれていた。船団の船足は重く2ヶ月近くに及ぶ航海のために、心なしか疲労の色が漂っているように思えた。だがこの船団こそ、数日後に歴史的大発見により後世にその名を残すことになるのだが、この瞬間それを知る者は誰もいなかった。
 悲観的ムードに包まれ、サンタマリア号は2隻の帆船を従えて延々と続く大海原をひたすら西に進むしかなかった。しかし、行けども行けども、見渡す限り、水、水、水ばかり・・・水平線のどこにも島影など見えなかった。当初の予定はとっくに過ぎていた。
 乾パンは塩っぱくなり、こくぞう虫がわんさかたかっていた。ビスケットは元の形もわからぬほど粉々になり、水はどぶのような吐き気を催す臭いが漂うようになっていた。ある時など、海面一面に絨毯を敷き詰めたような不気味な海草が生い茂る海の中を突き進んだこともあった。今でこそサルガッソー海として知られているその海も、誰の目にも奇怪で恐ろしいものにしかに映らなかった。この時から、乗組員の誰もが呪われた運命を予感するようになっていた。この先、コロンブスの指示通りに航海しても、破滅を持たらすような不幸な結果しか待っていないのではないかと思い始めていたのである。
 乗組員の不満は最高潮に達し、この瞬間にも反乱が起こりかねない状況であった。もはや1人や2人の首謀者を懲罰したところで所詮、暴動が起きるのは時間の問題であったろう。
 今や、航海中の最大の危機が訪れようとしていた。2日前、僚船の一つピンタ号の船長ピンソンは彼に釈明を求めていた。
 これ以上、部下を掌握しておくことは不可能である。何でもいい、彼らに希望を与え、つなぎ止めておくような証拠が欲しいと伝えて来たのである。乗組員の我慢は限界に来ていたのだ。
サンタマリア号より見たニーニャ号。快速で小型のニーニャ号は、常にコロンブスの目となって先導した。
 この時代、つまり中世の船乗りたちのほとんどの者は、奇想天外な伝説や神話を信じていた。海の果てには煮えたぎる海域があり、そこに行くと一瞬で煮殺されてしまうとか、大洋の果ては滝のようになっており、真っ暗な奈落の底に吸い込まれてしまうとか、あるいは全長数百メートルもある恐ろしい海蛇が待ち構えており、船もろとも飲み込まれるか木っ端微塵にされるものと信じられていたのである。それほど、船乗りたちにとっては未知の航海は危険極まりない前代未聞の無謀な冒険に映っていた。
 結局、暴動を押さえるためにも、彼は乗組員の前でひと芝居打つしかなかった。あと3日間、西に進めば必ず陸地が見えるはずだと神に誓って宣言したのである。それは一か八かの賭けだった。しかし今思えば、彼はその時本当に神のお告げを聞いたのかもしれなかった。
「私は神に選ばれ、その伝道者として使命を果たすために使わされたのだ。諸君も神の御加護に守られている。・・・3日間、後3日進めば必ず陸地に到達する。その時、諸君は計り知れない名誉と財産を得ることが出来るのだ。時が来れば、諸君の子孫は未来永劫、賞賛され祝福されるであろう。その時は誇らし気にこう言ってやれ! 俺はピンタ号に乗っていた。俺はニーニャ号にいた。俺はサンタ・マリア号にいたと!」彼は全乗組員を甲板に集めると、大げさな身振りをまじえてこう言った。そのとき、急に風が吹き始め、帆がはためき出した。彼は夕闇の迫る空を見つめると一段と大きな声を張り上げた。
「これこそ神のお導きだ!さあ!風よ吹け! 船首楼に、夜を徹して見張りを置くのだ!最初に陸地を発見した者には生涯の年金を与えるものとする!」
* トスカネリの説を信じて *
 彼こそは、コロンブスと言い、後にその名を世界中に知られることになる男である。イタリアはジェノア生まれ。やや大柄で均整の取れた身体をしていたが、わし鼻で顔には深い皺が無数に刻まれていた。まだ40才だというのにすでに髪は真っ白で老け顔だった。それは、苦労の多い辛酸な過去を物語っていた。彼は、心持ちやつれた表情だったが、大きく深呼吸をすると、青みがかった瞳を細めて水平線の彼方を食い入るように見つめた。そしてほんの数ヶ月前に宮廷内でイサベラ女王を前にしてぶち上げた大演説を頭の中で反芻するのであった。それは鮮やかに脳裏によみがえって来た。
「あと・・・2400マイル(1マイルは約1.6キロ)、それだけ西に進めば黄金の国ジパングに到達できます。必ず証明してみせます! 新しい航路は必ずや発見されるでしょう!その時、広大な土地がスペインの領土となり、今後、発見される莫大な香辛料と黄金がすべてスペインのものとなるのです。その時、福音は大洋を越えて広められ、神の御心のもとに、カスチラとアラゴンの支配下のもとに置かれるでしょう。そして、多くの民は陛下の足下にひざまずくのです。我スペインの威光は世界の果てまで轟き渡ることになりましょう! 」
 全くそれは大演説であった。イサベラ女王の心に深い感銘を呼び起こすほどの名演説であった。彼はその時の光景を思い浮かべながら、航海に至るまでの紆余曲折に富んだ自分の過去を振り返った。
 それは走馬灯のように鮮やかに蘇って来た。
 思えば、最初から彼の東方への大胆な航海に賛同する者などいなかった。この時代の教養のある人々ならば、誰もが彼の考えを実現不可能の絵空事だと考えていた。
 地球の大半は水で、西は果てのない海だけがどこまでも連なり、たどり着く陸地などないと考えられていたのである。そんな風であったので、西に進めば二度と帰って来れなくなるだろうと信じられていた時代であった。
イサベラ女王(1451〜1504)コロンブスを財政面から援助した。
 コロンブスの考えは、同時代のフィレンエの哲学者、トスカネリの地球球体説と大学教授であったダイ枢機卿の二人の説に深く影響を受けていた。それによると、ヨーロッパと東洋を隔てている海は4000マイルほどで、ひたすら西に航海すれば必ずアジアのどこかにたどり着くというものであった。その上、彼は13世紀のイタリア商人マルコポーロの奇想天外な話にも強い刺激を受けていた。その話はまことに雄大でエキゾチックな内容だった。
 例えば、中国の皇帝やインドの王の服は金の糸で織られ、途方もない宝石が随所に縫い付けられていて、その服一着分でヨーロッパの都市一つ分に相当するというのである。また、カタイ(中国)から1500マイルほど離れた海上には、ジパングと呼ばれる大きな島があり、国王の宮殿はすべて黄金の板で葺かれており、どこもかしこも金が張り詰められているという話もあった。それによると、その島では黄金の他、真珠や宝石なども大量にあり、腰をかがめればいくらでも拾うことが出来るのである。しかも、ジパングの住人は皆礼儀正しく、女は魅力的で愛の営みに長けているというのである。一度味わった男はその女の虜にされてしまうのだそうである。
 しかし、これはほら同然と言っていい内容で、少しの真実に尾ひれがついて誇大に歪曲されたものであった。マルコポーロは20年間も中国、インド、カンボジアをくまなく旅行し、ヨーロッパ人が踏み込んだことのないマレー半島やマラッカ海峡まで通過し、3万マイル以上も旅をしたと言われている人物である。だが、それにもかかわらず、一度も刻明な記録をつけることなく地図さえも作成するをしなかったのである。彼は文明や地理などには全く興味を示すこともなく無頓着で愚鈍な人間であった。そのことが不正確であいまいで荒唐無稽な話に飛躍していったのであろう。彼はカタイ(中国)とジパング(日本)は1500マイル離れていると言っているが、実際は、中国と日本の距離は100マイルそこそこしかない。
 しかし、そうとは知らぬコロンブスは、トスカネリの理論やマルコポーロの話などから、2500マイルほどで黄金の国ジパングに到着できると頭の中ではじき出していたようだ。これは当時の船のスピードからすると1ヶ月ほどの距離になる。彼の頭の中では、ヨーロッパと東洋は一つの海を隔てて、わずかな距離で向かい合っていたのだ。しかし、実際はヨーロッパから日本まではその4倍以上、つまり1万2千マイルもあった。大西洋と太平洋という二つの巨大な海を乗り越えねばならず、その上、彼らの進路上には、南北に伸びた巨大なアメリカ大陸が横たわり行手を阻んでいたのである。つまり、コロンブスの頭の中には、太平洋とアメリカ大陸の存在が欠落していたことになる。もし、これらさえなければ概ね当たっていることになるのだが・・・
* イサベラ女王より財政援助を得る *
 彼は、東洋航路への熱い思いを実現すべく、行く先々の国で演説し財政の支援を受けようとした。ポルトガルでも大演説をぶち上げたが説得することは出来なかった。国王のジョアン2世は彼の考えに乗って来ず、コロンブスの計画は荒唐無稽なものと一蹴されてしまったのである。それどころか、妻が亡くなると、追い立てられるようにポルトガルを出るしかなかった。次に、彼が向かったのはパロスという都市で、そこでも彼は躍起になって説得工作に乗り出した。多くは徒労に終わったが、カスチラ王国のイサベラ女王だけは、彼の演説にある程度の理解を示してくれたぐらいだった。ただ、その頃のカスチラはイスラム教徒との争いで国庫は空っぽで余裕など全然なくそれどころではない状態であった。
 しかし、カスチラ王国とアルゴン王国が連合し、強力なスペイン王国が誕生すると、一気にレコンキスタは最終局面に向かっていった。数年後、グラナダはついに陥落し、8百年間続いたイスラム教徒の支配からイベリア南部の地を取り返すことに成功したのである。それは、スペイン王国の長年の夢がかなった瞬間であった。ここに国土回復運動(レコンキスタ)は無事に収束し、スペイン国王の歴史に輝かしい栄光の1ページを添えることになったのである。こうしたタイミングの良さもコロンブスに味方した。事態が急変すると、スペイン王国は、コロンブスの一か八かの賭けに耳を傾けるようになった。彼は、こうしてイサベラ女王との面会を許され、再度演説の機会が与えられたのであった。
 こうして、スペイン王国からの財政的援助を取り付けることに成功したコロンブスは、これまで誰にも見向きもされなかった奇想天外な自分の考えを実行に移す機会がやって来たことを確信したのであった。
 かくして、1492年8月3日、彼は3隻のカラベル船(3本のマスト、平坦な船尾楼、船幅が狭くて一層甲板を特徴とする快速船)を従えて、遥か西方に旅立って行ったのである。目指すは黄金の国ジパングである。
 しかし、それは今まで人類が経験したことのない未知の海への大航海であった。
コロンブスの船団は希望に燃えてひたすら西を目指した。
* ついに新大陸に到達 *
 しかし、航海も2か月も過ぎると、あれほど士気旺盛だった乗組員の心に恐怖と不安が広がるようになっていた。力強い演説でいったんは乗組員の心を勇気づけたコロンブスだったが、実際のところ、果たしてこの先どうなることか彼自身にも見当がつかなかった。約束した3日の間に、陸地が本当に発見されるだろうか? コロンブスの表情に険しさが溢れ出て来る。鉄壁のような彼の心にも今や動揺が生じ始めていた。今や彼は精神的にも追い詰められていた。当初の予定の2400マイルはとうに過ぎていた。それなのに今だに陸地の断片すら見えないのだ。後3日のうちに陸地が見えなければ、暴動が起こるに違いない。そうなれば、船は引き返すことになるであろう。そして、彼は永遠に追放され物笑いの種にされるのだ。人生の賭けに見放された敗北者の汚名を着せられて・・・
 だが、運命の女神は彼を見捨てなかった。やはり彼は神に選ばれた者かもしれなかった。しばらくすると、花や実をつけた木の枝が流れて来るようになったのだ。また、渡り鳥の大群が幾度もその方角に飛んで行くのが目撃されるようになった。しかもその中には陸地から離れない種類の鳥も混じっていたのである。すべてが陸地が近いと思われる証拠なのであった。彼の霊感はやはり正しかったのだ。まもなく、彼の人生の中でも最高の瞬間が訪れようとしていた。
 そして、3日目の朝まだき。それは現実のものとなった。水平線の彼方におぼろげながら陸地が見えたのだ。発見したピンタ号から陸地発見の合い図として祝砲が何度も撃ち鳴らされた。やがて、朝日が洋上から顔を出す頃、白いモヤを突いて緑豊かな海岸がはっきりと姿をあらわした。乗組員は、全員コロンブスの回りに集まって来た。その多くは、膝まずくか、天を仰いで手に口づけを繰り返すか、互いに抱き合うかして感激にむせび泣いていた。1492年10月12日、早朝の出来事であった。
 コロンブスは、カステリア王国の旗と十字架を携えて、部下たちとともに上陸した。彼はこの陸地をサン・サルバドル(聖なる救世主)と命名した。この島はバハマ諸島の一つだったが、コロンブスはジパングとの間にある島の一つと考えていたらしい。
 上陸すると、どこからか原住民が現れて来た。彼らは温和な性格で一様に裸で金の鼻飾りをしていた。彼らが快く迎えた理由は、コロンブス一行が空から使わされた神の使いだと思ったからであった。
旗と十字架を携えて上陸するコロンブス一行。新世界に第一歩を踏み出した瞬間。
 島には、ヨーロッパにはない見たこともない植物がたくさん生い茂っていた。梨ほどの大きさで美しい色をした果実を一口食べた者がいたが、たちまち舌が腫れ上がり恐ろしい高熱と苦痛にのたうち回ったという。
 また、ヨーロッパ人が煙草を吸う原住民を見たのもこの時が最初だった。コロンブスはこれについてこう記している。
 それは草を乾燥させ、何かの葉でくるんだもので、一方に火をつけて、もう片方の端から息とともに煙を体内に入れて吸うのである。
 彼らはそれをタバコと呼び、煙が体内に入ると酔ったようになる。スペイン人の何人かがこの習慣に染まったが、私がやめろとどなっても、止めたくても止められないのだと答えるのであった。
コロンブスと原住民の衝撃的な出会いを描いた16世紀末の絵。
 探険は、その後も続けられ、彼は、キューバ本島、エスパニョーラ(スペインに似ているという意味)島などを次々と発見した。しかし、3か月にも及ぼうとする頃になって、旗艦であったサンタマリア号を暗夜の座礁によって失ってしまう。この時、コロンブスはそろそろスペイン本国に一度帰国しておいた方がよいと考えたようだ。
 39名のスペイン人が志願し残って砦を建設することにした。役に立たなくなってしまったサンタマリア号は、解体することにし、その積荷や木材などは砦建築の材料にあてられることになった。彼らは、再び、コロンブスがこの地に帰って来る頃には、立派な砦を建築しているはずであった。残ったスペイン人のほとんどは罪人であった。彼らは恩赦を期待してこの航海に参加した者たちであった。それほど、一般人から参加者を募ることは難しく誰にとっても危険きわまりない探険だと考えられていたのである。彼らが残ることにした真の理由は、本国に戻れば、再び、罪人扱いされ、何かと不自由な生活が待っていると予想されたからである。それよりも、この新天地に留まり、開拓者となれば自由に振る舞うことが出来るのだ。ここには従順なインディオたちがいて食料に不自由しない。そして、一番の理由は女に不自由しないということであった。しかし、このことが後になって彼らの運命に跳ね返って来ることになる。
 コロンブスは、帰国の際、往路とは違って北よりの進路を取ったが、それは彼の計算に誤りによるものであった。しかし、そのことが偶然にも最も早い帰国ルートの発見につながることになった。そこでは、ヨーロッパ方向に向けて強い偏西風が吹いていたからである。こうして、嵐にも遭遇したものの、3月15日にはパロス港に戻ることが出来たのであった。思えば、8月3日に船出して以来、7カ月半ぶりである。
* 新大陸は恐ろしい世界だった! *
 コロンブスの新航路発見のニュースは、たちまち、ヨーロッパ中を駆けめぐった。パロス港に着いた時、彼を待っていたのは押し合いへし合いして、彼の姿を一目見ようとする山のような人々であった。まさに人々は町中総出で彼を出迎えたのであった。彼は、宮廷のあったバルセロナまでの数キロの道のりを凱旋行進した。道の両側に立ち並んだ人々から祝福の大歓声が響き渡る。路上を舞うものすごい花吹雪、全くそれは前代未聞の華やかなパレードであった。そして、かつてのカスチラとアラゴンの王と王女の前に謁見を許された彼は、そこで、貴族の称号と大洋の提督の称号を授けられたのであった。この瞬間、みすぼらしい冒険家は一夜にして、さんぜんと輝く国民的英雄に姿を変えたのであった。
 彼は、宮廷の晩さん会の席上で、原住民から差し出された黄金の仮面とわずかばかりの装身具を取り出し、新世界がいかに豊かで目を見張らんばかりの美しい土地であるかを思いっきりアピールした。しかしそれはとんでもなく誇大に吹聴された内容だった。事実は、黄金などほとんど見つかっておらず、香辛料に至ってはゼロにも等しい状態であった。それに島は楽園などではなく、鬱蒼としたジャングルに覆われ、いったん踏み入れると、恐ろしい毒蛇と毒虫がそこら中にウジャウジャいる過酷な環境であった。
 コロンブスがこうした事実とかけ離れた誇張をするにはわけがあった。彼は航海の際にも、意識的に距離を少なめにして、乗組員に嘘の航行距離を申告しているが、それは未知の海域に入り込んだことで乗組員がパニックになるのを防ごうとしていたからである。彼は、夢とロマンを追い求めていたがしたたかな現実家でもあった。嘘も方便というが、事実をありのままに話していたら、財政支援など受けられず、また航海ではとうの昔に反乱が起きて挫折していたに違いない。
 それでも、彼の功績により、スペインの前途には新大陸の巨万の富を一人じめできる可能性が開けていた。それを完全なものとするために、ただちに大規模な探険隊を送りだす必要があった。こうして莫大な費用を費やされて準備された第二次探険隊は17隻の船団、多数の家畜、兵士、大工、農民など2000人を数える大所帯になった。そして、それは半年後の1943年9月25日に慌ただしく港を後にした。彼らは1か月余りの航海の後、エスパニョーラ島に到着する。第1回目と時とは違って楽な航海であった。ここには、砦を建設するために39名が残り、彼らの到着を待ちわびているはずであった。しかし、白い渚に上陸しても、祝福の鐘の音や祝砲の音も聞こえて来ず、何事もなかったかのように波が打ち寄せる音だけが虚しく聞こえるだけであった。
 やがて、衝撃的な事実が明らかになった。39名のスペイン人は全員、原住民によって虐殺されたというのである。遺体はどれも損傷が激しく、無惨に変形して腐敗していた。それは、コロンブスが本国に向かって出帆して3か月目に起きた出来事であった。スペイン人たちは、欲望から原住民の女に手を出し、そのことで彼らの怒りを買ったのであった。
 それと、もう一つ憂慮すべき事態が持ち上がった。島には、世にも恐ろしい人喰い人種もいたのである。それは最初会った温和な原住民とは大違いで、彼らはカニバ族と呼ばれて恐れられていた。コロンブスは、カニバ族の一軒の家の中で、男の生首が鍋に入れられて、グツグツと煮えたぎっているのを見て戦慄すべき記録を詳細に残している。
「彼らに言わせれば人間ほど美味なものはこの世にないということである。捕まえて来た人間は、生きたまま肉屋に引き渡すが、死体の場合は、たまらないようにその場で食べてしまう。彼らは捕虜の女に子供を産ますが、子供は生まれると去勢して奴隷として使われる。そして生かされるもう一つの理由は、大きくなって肉がついて来た頃、殺して食用とするのである。つまり、彼らは食用人間として生かされるのである」
カニバ族の食人を描いた絵。捕らえた人間を殺して解体中の身の毛もよだつ風景である。
「カニバ族はその時の日が来るのを楽しみに待っている。人肉はたいそう美味で、それが証拠にしゃぶるところがないほどにしゃぶり尽くされた人骨がそこら中に転がっている。子供も女性も夢中になって人肉や内臓を食している光景を見ると吐き気をもよおして来る」
 カニバ族とはカリブに住む食人種であるが、今日のカニバリズム(人肉嗜食)という言葉はここから来ている。 カニバ族に言わせると、人間の肉はこの世で一番美味なのであった。ただし、子供や女の肉は男よりも劣るとされていた。
 しかし、本格的な植民と思われた今回もうまくいかなかった。最初、温和で組みしやすいと考えた原住民も力で支配せねばならず、原住民は原住民で人海戦術でスペイン人に対抗しようとした。結果は、優れたヨーロッパの武器には歯が立たず、数カ月で10万人以上が殺されたのである。その上、行く先々の島々でいくら探しても黄金も香辛料も何一つ発見されないでいた。これでは、スペイン本国から取り寄せる莫大な食料に対する口実にもならないばかりか、植民地を運営するための費用、つまり給料さえ出せないことになる。
 結局、4年間の統治でも結果を出せなかったコロンブスは、秩序を乱したと言う罪で本国送還の憂き目に合った。航海の危険に加えて、植民地の運営の失敗、黄金がどこにも見つからないという焦りからか、スペインにつく頃には重病人のようになってしまっていた。もう一日遅ければ、助からなかったと言われ、回復するのに半年近くかかったほどだ。

 その後、これまで得たすべての地位と権利をはく奪された彼は、自分が苦労して発見した島に立ち寄ってはならぬという条件で最後の航海に出た。思えば、サンタマリア号に乗って船出して以来、10年の月日が経過していた。しかし、コロンブスは最後の航海で中央アメリカを発見する。彼はそこを最後まで、東洋のマライ半島だと思い込んでいたようだが、やがて原住民から大西洋よりももっと広い海があること、つまり太平洋の存在を教えられたという。この時の彼の心境はいかばかりであったのだろうか?

* 新大陸にもたらされたもの *
 コロンブスの新航路発見は、以後の歴史に大変化を持たらした衝撃的な事件であった。新航路が発見され新大陸の存在が明らかになると、旧大陸から続々と入植者がやって来くるようになった。聖書を携えた宣教師や農民、いろいろな職業の民間人、武器を構えた軍人など、その数は途方もない数であった。その結果、布教や体の良い名目のもとに植民地争奪戦が繰り広げられ途方もない多くの人間が殺され奴隷にされたのである。
 当時、メキシコ半島に3千万人ほどいたと思われた人々は、わずか20年足らずの間に10分の1以下にまで激減してしまい、小さな島々からは一人残らず姿を消してしまったと言われている。
 それはヨーロッパから持たらされた天然痘とスペイン人による虐殺が原因であった。
 原住民は捕らえられると、奴隷として過酷な重労働に使われた。金や宝石を掘り出すために鉱山で働かされた者はわずか2年ほどで死んでしまったという。
フランシスコ・ピサロ(1471〜1541)
わずか180名の兵士と37頭の馬だけでインカ帝国を征服した。インカ最後の皇帝アタワルパの子孫にリマで暗殺された。
 農園などに回された者はまだ幸運な方だったが、それでも7年以上は生き長らえることは出来なかった。
 半世紀足らずの間に、マヤ、アステカ、インカといった高度な文明がまたたく間に滅ぼされ住民は虐殺されたのであった。
 結局、コロンブスが新世界に持たらしたものは、恐ろしい伝染病と大虐殺であった。一方、ヨーロッパにも恐ろしい伝染病が新大陸から持たらされた。梅毒やペストは人々に恐ろしい厄介を見舞うことになるのだ。かくして、コロンブスを残忍な帝国主義の先兵として評価する人も多い。しかし、コロンブスの新航路発見がなくとも新大陸が発見されるのは時間の問題であったろう。コロンブスが聖者か破壊者か論じることはナンセンス以外の何物でもない。正義の戦争が一夜にして侵略戦争に一変するのは歴史の定めだからである。
 全く、コロンブスほど栄光とどん底を同時に味わった人間もいないだろう。それはジェットコースターのようだった。なにしろ、絶頂期では大提督ともてはやされ、名声と富を好きなだけつかみ取ったと思えば、その数年後には急転直下、反逆罪で足かせをはめられ囚人のように捕らえられたのである。
 コロンブスの卵と言う諺がある。誰も卵を机に立てられなかったところ、コロンブスは、私ならできると言って、卵の先を少し叩いてへこますと、いとも簡単に机の上に立たせたのである。それを見た者がなんだ、それだったら誰でも出来るじゃないかと言ったそうである。無論これは、後世の作り話だが、からくりのわかった後から行うのは簡単なことだという例えでつくられた諺なのである。何でも、未知の恐怖を克服して、最初の第一歩を踏み出すことは大変なことだ。全容がわかった後で行っても何の意味もなく偉業でも何でもない。道を切り開いた者の苦労などわかるはずもないということであろう。
 最初のうちは、コロンブスの計画を荒唐無稽なものとして嘲笑った連中が、彼が大成功を治めるようになると、たちまち、ねたみ敵に回ったのである。それどころか、新大陸で簡単に黄金を手に出来るという噂が流れると、人々は先を争って押し寄せて来たのである。これほど人間の物欲と現金さを物語っている話はない。
* 見果てぬ夢 *
 映画「1492」のラストシーンが私には忘れられない。それは落ちぶれ果て、まさに宮廷を去るコロンブスに夢を食って生きろと罵倒した貴族に彼が問いただすシーンだ。コロンブスは城から見える風景を指差して言う。
「・・・外を見ろ! 何が見える?」その問いに対して貴族はこう答える。
「そびえる矢倉・・・そして宮殿に尖塔、天にも届く教会の塔・・・文明が見える、我らの誇りだ」 それに対してコロンブスの言ったセリフが印象的だ。
「そう文明だ。すべては私のような人間がつくったのだ。君たち貴族が一体何をしたんだ?   いくら長生きしようと君たちは私たちには及ばない。君には何一つ、つくれないから」
 死の直前、寝たきり状態になっていたコロンブスに見知らぬ若者が近づいて来たというエピソードが残されている。その若者はコロンブスの側まで来ると、ひざまずき、丁重に頭を垂れてこう言った。
「どうか・・・この私にあなたの手に触れさせて下さい。ドン・クリストファー・コロン・・・この時代で最も偉大なお方、そして大洋の真の提督、あなたのお手に、私は触れたいのです」
 若者は、涙ながらにコロンブスの手を取ると、うやうやしく口づけをした。彼は弱々しく若者の方に視線を送り、それから何か、二言三言つぶやいたように見えた。コロンブスがこの見知らぬ若者にどう声をかけたのかは記録に残っていない・・・
 命果てるまで夢とロマンを求め続けた男、暗黒の中世にあって火あぶりの刑をものともせず己の考えを曲げなかった男、コロンブス。
・・・一時の栄光と屈辱、壮大さと悲惨さが山ほどある彼の人生の結末として、これが真の英雄にふさわしいものかどうか、それは誰にもわからない。
海は多くの希望を持たらしてくれる。夜が夢を運んで来るように・・・                    
(コロンブス)
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