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ルルドの奇跡
〜聖女ベルナデットの見たものは?〜
 フランス南西部ピレネー山脈のふもと、スペインとの国境に近いところにルルドという小さな町がある。今から150年ほど昔、一人の少女が実に奇妙で不可解な体験をした。美しく神々しい女性と何度も出会い語り合ったのである。だが、その崇高な女性の姿は決して他の人々には見えなかった。
 その幻の女性はベルナデットに人々を救う湧き水が出る場所を教えた。そして事実、彼女がその場所を掘ると、地面からこんこんと清水が湧き出て来たのだった。まもなく、難病で苦しんでいた人間が、この泉の水を浴びた途端にたちどころに直ってしまうという出来事が立て続けに起きた。それ以来、ルルドの泉は奇跡を起こす泉と信じられ、多くの巡礼者が集う聖地となった。今もルルドは難病に苦しみ治癒を願う人々の行列で後を絶たない。一体、150年前にこの地で何があったのだろうか? 
* 啓示をあたえるマリア像 *
 1858年2月、あるどんより曇った肌寒い日のこと。貧しい粉屋の娘で14才のベルナデットは、妹たちと薪拾いに出かけていた。彼女たちのお目当ては燃料となる枯れ木や、細工物の材料となる鹿の角や骨などであった。それらを工芸品をつくる店に持っていけば、そこそこのお金で引き取ってもらえるのである。彼女たちはこうして、家の仕事の手伝いをしたり拾った骨などを売って家計の足しにすることが多かった。
 何かいい物が落ちていないか、夢中になって探しているうちに、彼女たちは川のほとりまで来てしまった。そばには高い岸壁がそびえており、その下には深い洞窟がポッカリと口を開けている。 
 彼女たちは浅瀬を選んで向こう岸に渡ろうとした。なぜだかわからないが、向こう岸に行けば、もっといいものがたくさん落ちているような気がしたからだ。
 妹たちが川を渡り、ベルナデットも川を渡ろうとしたその時だった。一瞬、耳がいつもと違う感じになり不思議な感覚になった。風のたなびくような、小川のせせらぎのような音が聞こえて来た。それは頭の中で直接響いて来るような、なんとも異様な感覚だった。戸惑った彼女は音のする方角に顔を向けたが、そのとたん彼女は唖然としてしまった。洞窟の上の小さな窪んだ場所に一人の美しい女性がたたずんでいたからだ。その女性は白いレースの着物を着て微笑を浮かべて彼女の方を見下ろしている。
 その女性は手にはロザリオ(祈りに使う数珠)を持って裸足だった。しかも、その女性の体からは光り輝く後光が差してまばゆいほどにキラキラと輝いている。
 ベルナデットはこんなへんぴな場所の、それも人などいるはずもない岸壁の洞窟に女性がたたずんでいるのを見て驚いてしまった。亡霊なのだろうか?
 しかし、不思議と怖さはなかった。彼女は逃げようという気も起きずに、その場でひざまづいてしばし見とれていた。
 しかし、家に帰ると妹たちにはその女性の姿が見えなかったらしく、ふり返るとお姉ちゃんがひざまずいて祈っていたと言い張っていた。
ベルナデットは洞窟で神々しい女性の幻を見る。今から150年前のその日、その出来事は、きっとこういうふうだったのだろうか?
 やがて、この話は村中で噂となった。そのお方はきっと聖母マリア様だと言って歓喜に満ちた表情で叫ぶ者もいた。噂は噂を呼び、幻の美女は聖母マリアだと信じられるようになり、洞窟は日を追って好奇心旺盛な村人で増え続けた。
 日曜日ともなると、千人を越すことも珍しくなくなった。その間、ベルナデットは幾度か洞窟に行ってその女性と会った。人々には何も見えないのに、ベルナデットだけにはその女性が見えるらしく、うなづいたり微笑を浮かべたりしてその女性がいるであろう洞窟の方角を見上げているのである。
 その様子を見た人々は彼女が芝居をしているようには到底思えなかったらしい。喜びや悲しみがその人の顔をつくるというが、彼女の場合がまさしくそうだったのだ。洞窟の前でひざまづき手を合わせて祈りをしている彼女の横顔は、この世のものとも思えぬほど美しく天女のようで、夢見るような恍惚感に満ち満ちていた。そんな時のベルナデットは、至福に満ち足りた目つきをしていた。
* 奇跡を起こす泉 *
 不思議な体験が始まって2週間後、ベルナデットはこの日、多くの人々の見守る中、洞窟内で何かを探すような身ぶりをしていた。その間も、彼女は幻の女性のいる方向に目をやったりしては、うなづいたりしている。
人々の数は次第に増えつづけ、連日千人を越すまでになった。
 彼女は幻の女性からある啓示を受けていた。それは洞窟内のある場所を掘ると、泉が湧き出して来るだろうというものであった。やがてベルナデットは、地面のある場所を手で掘り始めた。すると果たして、水が噴き出して来たのだ。最初は泥水だったが、そのうち透明な清水となって、後から後からこんこんと湧き出して来たのである。水はその後も湧き続け、水かさを増して、とうとう川に注ぎ込むまでになった。そしてこの水の湧き出た場所は世に言うルールドの泉と呼ばれ、数々の奇跡を生むことになるのである。
 泉が湧き出て1週間が経った頃、最初の奇跡が起きた。その人は2年前に木から落ちて右手が曲がったまま麻痺してしまい生活にも困っていた39才の婦人であった。彼女は夜半に家を出ると、明け方にルールドに到着した。ベルナデットの姿は見えず、すでに人々は引き上げ始めておりまばらになっていたが、彼女は泉の中に自分の右手を恐る恐る浸してみた。すると、感覚がみるみる蘇ってくる感じがした。彼女は右手が動かせそうな気がした。勇気を出して動かしてみた。すると、今までいくら努力してもぴくりともしなかった右手がゆっくりと動き出したのである。
「神様!」婦人は何度も右手を動かしてこう叫んでいた。それは1858年3月1日、早朝の出来事だった。奇跡の第1号はこうして誕生した。
 その2日後、またしても奇跡は起きた。それは54才の男で20年前に事故に合い、今は失明状態の石工であった。彼は二日前に起きた奇跡を聞いて、娘に泉の水を汲ませて来たのであった。手で水をすくい右目を洗ったとたん、強烈なしびれにも近い感覚に彼は思わず悲鳴をあげてしまった。まるで暗闇で火花が散ったようだった。しかし次の瞬間、急に頭の中に後光がさしたように明るくなった。我に返った彼は、見えないはずの右目で自分の指先を見つめていることに気づいた。今まで見えなかった目が見えるようになったのだ。何度まばたきしてもそれは変わらなかった。彼はうめくように叫んだ。
「おお、神様!・・・」奇跡はこうして再び起きたのであった。
 この後、人々の数は次第に数を増し、連日数千人を越すまでになった。しかし、すべての人間がベルナデットを信じていたわけではない。疑惑を持っていた人々も少なからずいた。少しでも彼女が怪しい素振りを見せれば逮捕して牢屋にぶち込もうと考えていた警察署長、神秘的な事件はすべてまやかしだと考えていた無神論者の医師など、彼らは疑惑に満ちた表情で執拗に訊問を繰り返すのであった。見えない女性との対面を終えたベルナデットに、いろいろと根掘り葉掘り意地の悪い質問をぶつけ、少しでも矛盾を見つけて彼女の話をつくり話であると決めつけたかったのである。
 だが、どう質問しようがおかしな点が全く見つからないのだ。反対に、無学の彼女が決して知り得ないような次元の高い内容を理路整然と答えることもあったりで、逆に感動してしまうことすらあった。かくして、彼女に疑いの目を向けながら、その後、熱烈な支持者に回った人間は数知れない。
* 難病で死んだベルナデット *
 ベルナデットは超有名人となり、そのため人づき合いを患わしく思うようになった。彼女の帰りを待ち構えて、粗末な彼女の家の前で握手してもらおうと考えている人間も大勢いた。中には彼女にお金を手渡してまでも握手してもらおうと考えている者もいた。というのも、彼女に触れたおかげで難病が治ったという病人もいたからである。
 しかし、彼女は断固として拒絶してお金を受け取らなかった。敬虔さの中で育ち潔癖性が身にしみ込んでいた彼女は、お金を汚らわしいものとして心底毛嫌いしていたのである。
 だが皮肉なことに、彼女自身は虚弱でおまけに幼少時に患ったコレラのせいでゼンソクに始終苦しめられていた。
 他人の症状を軽減することは出来ても、自らの症状を軽減することは出来なかったのだ。ベルナデットは死ぬまでさまざまな病気に苦しめられることになる。
14才の頃のベルナデット(1844〜1879)
 ベルナデットはその後修道院に入るが、そこでも病気との闘いの連続であった。ゼンソクと肺結核に冒された彼女は、何度も危篤になりながらも、その都度、奇跡的によみがえっては人々を驚かせた。しかし、とうとう死が彼女を捕える日がやって来た。カリエス(骨が溶ける恐ろしい病気)で、もはや歩くことも出来なくなった彼女はベッドに寝たきりとなり、2か月あまりも苦しみが続いていた。彼女はたびたび襲って来る激痛に毎夜うめき声をあげた。
 彼女にとって最期の日となるその日の午前中、何を思ったのかベルナデットは自分を起こして椅子に掛けさせてくれと懇願した。シスターたちの手を借りて椅子に寄り掛かった彼女は、十字架を青白い手で握りしめ、かすかな声で祈りの言葉をつぶやいていた。
 出された食事ものどを通らず、激痛がひんぱんに襲い、その都度、体全体で懸命に堪えているベルナデットをシスターたちが目に涙を一杯ためて見守っている。最後に水が欲しいと願った彼女の手にグラスが手渡された。彼女はほんの少し口をつけると、グラスから手を離し首からぶらさがっている十字架を手に取った。そして両手にしっかり握ると胸に抱いて目を閉じた。次の瞬間、がっくり頭を落としてそのまま息絶えたのである。まだ35才という若さだった。
 この後、ベルナデットの遺体は3日間、聖堂に安置されたが、死後硬直も見られず、まるで眠っているようだったと記録されている。彼女の遺体は、数万の悲しみに満ちた人々の見守る中、二重に棺に納められてサンジョセフ聖堂の地下墓地に葬られることになった。
 30年経った1909年になって、ベルナデットの遺体は検証のために中が改められることになった。掘り出されて棺が開けられると、覗き込んだ人々は思わず感嘆の声をあげた。遺体は腐敗しておらず、今まさに眠りについたばかりと思えるほどの安らかな表情であったのだ。
 さらに10年後、再び遺体の検証が行われた。依然、遺体は腐敗はしてはいなかったものの、やや黒ずみ損傷が見受けられた。その後、彼女は聖人となって礼拝堂のガラスケースに安置されることになった。人々は今でもそこでベルナデットの美しい遺体と対面することが出来る。
 ただし、彼女の遺体の上には生前の彼女の写真をもとにつくられた精巧なロウマスクが重ねられているということである。
 それは遺体が黒ずみ損傷が激しくなったために、聖女としての評判が落ちることを案じた教会側の苦肉の策であった。
聖女ベルナデットの遺体、顔と手は精巧につくられたロウ製だが、その下にはまぎれもなく彼女の遺体がある。
 恐らく、生前、肺結核やゼンソク、カリエスなどさまざまな病気で苦しめられていた彼女の体は、脂肪分が少なくミイラ化しやすい状態になっていたためではないかと考えられる。こうして死蝋化して腐敗が止まっていたものが、何度も棺をあらためて外気にさらされたものだから、損傷が進んでしまったのであろう。遺体に細工をされているという事実を知らない人は、ベルナデットの遺体の前でひざまずき感涙にむせぶことも多いらしい。
 だが、これほど多くの奇跡を起こし、たくさんの人々を感動の渦に巻き込み、万人に愛されたベルナデットが、例え黒ずんだミイラであっても、彼女の生の遺体と対面できたということ自体、感動に値する以外の何物でもないであろう。
* カレル博士の見た奇跡 *
 ここで一つ、1903年に起きたある奇跡の話をしようと思う。それは末期の腹膜炎を患った患者の記録である。患者は19才のマリーという女性で、もはや医者からはさじを投げ出され、最後にはかない一末の望みを持ってここルルドの地にやって来たのであった。下腹は大きく膨れ上がり、顔には青紫の斑点(チアノーゼ)つまり死相があらわれていた。死がまもなく彼女を捕えるのは時間の問題であったろう。生きてルルドの地に着けただけでも驚きであった。
 こうした彼女に付き添っていた一人の医師がいた。彼の名はカレル博士といい、ルルドで起きる奇跡をこの目で見たいと願っている科学者でもあった。博士はなぜルルドで奇跡が起きるのか、何か根拠があるのか、それを科学者としての立場から証明したいと考えていたのだった。ノーベル賞を受けたこともあり実証主義者で唯物論者でもある博士は、内心、奇跡など信じておらず、聖なる泉に何かの有効成分が含まれているのか、もしくは患者の強烈な思い込みから来る自己暗示による結果に他ならないと信じていた。
 列車はルルドの駅に到着し、マリーを乗せた担架が静かに下ろされた。容態が一段と悪化し、話をすることさえ出来なくなっていた。ひどく痩せた身体は腹部の部分が異常に膨らんでおり、呼吸は苦しそうに小きざにくり返されていた。光を失った両目が博士の方に向けられ、灰色のくちびるがわずかに動いている。博士に何か言おうとしているのだが判然としない。この娘が死ぬのはもう間もなくだ。今、動かすのは危険だ。運んでいる途中で亡くならねばよいが・・・博士は頭の中でこのようなことを考えていた。
 博士はこのまま霊水場まで運ぶべきか、様子を見るべきなのか、つき従っていた別の医者に意見を聞いてみることにした。
「もう臨終ですよ。動かせば死ぬでしょう。それに洞窟まで持たないかもしれません」その言葉を聞くなり、横にいた看護の修道女が言う。
「でも、この子にはもう失うものは何もないのです。洞窟前まで運んでもらえるだけでも幸せなんですから」 博士も黙ってうなずいた。せめて、死ぬ前に彼女の希望だけでもかなえさせてやりたい・・・これが博士の正直な気持ちでもあったのだ。

 霊水場まで運ばれた時、マリーはほとんど死人同然のようだったが、それでもかろうじてまだ生きていた。やがてほとんど危篤状態のマリーの体に聖なる水が静かにかけられた。このとき、ようやく自分の念願がかなったのか、マリーは心なしか安らかな表情を見せていた。
 しばらくして、あれほど死相のあらわれていた土褐色をした彼女の顔色にほんのり赤味がさして来たように思われた。最初、博士は幻覚だと思って何度も目をこすったりした。しかし今度は、表情全体に生気が溢れて来るのがはっきりと見てとれた。診察してみると、彼女の呼吸、脈拍が正常値に戻っているではないか。博士は驚いてしまった。その間にも、マリーの顔は変化しつづけた。目は輝き、うつろだった視線ははっきり博士の目をとらえている。さらに、腹部を覆っている布を取った博士は、目を見開いて驚嘆の声を抑さえることが出来なかった。あれほど青紫に変色し醜く膨れ上がっていた腹部がすっかりすぼんできれいになっていたのである。
 こ、これは・・・一体、どうしたのだ? 内心そう戸惑いながらも博士はマリーに聞いてみた。「具合は・・・どうですか?」
「とても気持ちがすっきりしてきました」小さな声だったが、しっかりした口調でマリーはこう答えたのであった。しゃべることはおろか、くちびるを動かすことさえ出来なかった瀕死の患者が、はっきりと声に出して答えたのだ。
 この信じられぬ出来事を目のあたりにした博士は、科学者としてではなく、一人の生身の人間としてただただ感動するばかりであった。それはこれまで修得した医学のいかなる知識をもってしても、到底はかり知れぬことであった。
「今、奇跡が起こっている。それも私の目の前で。死ぬ直前だった娘がほとんど直ってしまっている・・・」
 彼の頭の中で死に対する考え方やこれまでの既存の概念が音を立てて崩れ落ちていった。
「おお、神さま・・・」彼はこれまで決して口にすることのなかった言葉を思わず口にしていた。続いてわけもなく涙が後から後から込み上げて来た。
 それには理由などなかった。誰からも見放され、医者からもさじを投げられ、今まさに死ぬ間際だった一人の女性が、目前で死の淵からよみがえったのだから。
アレキシス・カレル博士
(1873〜1944)
1912年、ノーベル生理医学賞受賞。ルルドの奇跡を目の当たりにした彼は、その後、熱烈なカトリック信者となった。著書に「祈り」「ルルドへの旅」がある。
 数時間後、すっかり回復したマリーは、今後、自分は修道会に入り病気で苦しんでいる多くの人々のために精一杯奉仕して自分をささげるつもりだと答えたという。
* 奇跡を呼ぶ人体の謎 *
 世界には奇跡や予言にまつわる話が多い。血の涙を流すというマリアの像、何もしていないのに手足にイエスと同じ傷跡が起こる聖痕など科学では到底、証明できぬ不可解な現象も後をつきない。
 人間の体は未知なる一つの宇宙だと言ったギリシアの哲学者さえいる。つまり人間の体は無限のパワーの伝導体でもあるというのである。はかり知れない未知の力が、ちっぽけな人体から沸き起こるのもそのためだというのであろうか。事実、ポルターガイストが思春期の子供のいる家庭で頻繁に起きることはよく知られていることだ。
 別名、騒霊とも呼ばれるこの現象は、秩序だったものがあるわけでもなく、家中の家具類などをやたら引っ掻き回すことが多い。1トンもある石が軽々と宙を飛んで移動したり、出現したりすることもあるらしい。恐らく、思春期の子供の秘める何かが媒体となって未知のとてつもない力を呼び込んでいるのだとしか思えない。
 また人間の体には思いもよらぬ未知の超感覚が秘められていると言われる。霊能力を持つ人間は、過去に起きた忌わしい幻影や感覚と同調することが可能だと言われている。それが亡霊や祟りと呼ばれて、私たちが恐れる現象となっているのは誰もが知るところである。そうであるなら、逆に喜びや至福に満ちたパワーと同調し、それを引き出せる能力だって秘められているはずだ。 これがなされた時、奇跡や予言が起こり、人々の心に信仰心を芽生えさせ宗教が生まれるのではないかと思う。
 こうした出来事がどれほど世界の歴史に影響し、史実を大きく変えて来たことだろう。実際、中世の時代では、神の啓示を受けたジャンヌ・ダルクが崩壊直前のフランスを救ったというのはまぎれもない事実なのである。だが、そのジャンヌにしても、あれほど神の啓示を受けて民衆を勝利に導いてきたにもかかわらず、当の本人は悲劇的な死からは逃れることは出来なかったのだ。ベルナデットのケースを見るようでなんとも皮肉な話ではある。
 ベルナデットが見たものは果たして何だったのだろうか?
 聖母マリアだったのか、それとも、心に抱いたただの思い込みによる幻影だったのだろうか? あるいは崇高で次元の高い波動を持った聖人の地縛霊だったのだろうか? また、なぜ彼女だけに美女の幻が見えたのだろうか?
 ただ事実があるのみである。洞窟の一か所から予言通り泉が湧き出て、その泉の水に触れた瀕死の重病人の身に予想もできない結果が起きたという事実が。
 ベルナデットは貧しい環境で育ち、食べるものがなくて栄養状態が悪く、それゆえ虚弱で健康には恵まれなかった。しかし生まれつき感受性が強く心が純粋で、寛大さと心根の優しさは天性のものがあった。
 それが原因だったのだろうか? きっと何かが(それが神と呼ばれるものかどうかはわからない)、虚弱でか弱い彼女自身の体を選んだのであろう。未知の大いなる力を呼び込む伝導体として・・・。
* 真理が見えるとき *
 この話を信じようと信じまいとそれは自由だ。ただ、信じられない、現実にはあり得ない出来事が起きたのだ。例え、それが希少で理に適わぬ現象であったとしても、決して手品でもごまかしでもなく多くの人の見ている前で起きたのだ。
 唯物論者や無神論者は、科学的な証拠がないかぎり、奇跡や予言、神秘的な現象を断固として認めようとしない。実際、人の弱味につけこんで、怪し気な宗教の強要や詐欺を働こうとする人間が多いのも事実だ。しかし、こうしたことから現代の科学で証明されないものすべてをごまかしだと決めつけるのも早計だと思う。例えて言うなら、カレル博士もその一人であった。それが信じられぬ出来事を目の当たりにして、心から感動したのだった。
 博士はその後、奇跡は泉の水に原因があるのではなく、洞窟という場所そのものに原因があるのではないかと考えた。水の成分にしても若干のミネラルを含んでいる他、なんら有効な成分は検出されず、ただの水と変わるものではなかった。そうなると、このルルドの地、それも洞窟という空間のかたすみに科学では割り切れぬ神秘的な力が秘められているということなのであろうか?
 それはこういうことかもしれない。理由はわからないが真理だけが見えているということ。つまり結果に理由など不要なのである。魂が揺さぶられるような、心の奥底から込み上げて来るような強烈な感動を体験した時、そしてそれが直感的に真理であると感じられる時、人はそれを奇跡と呼ぶような気がするのだ。
今日もまた多くの人たちが奇跡を信じてルルドの地にやって来る・・・。
 今日、ルルドは世界的にも知られる有名な聖地となっている。一年間に500万人も訪れるという。しかし、奇跡が起こる確立はひじょうに少ないと聞く。それでも、はかない希望を託して、今日も巡礼者の列に加わる人は多い。万に一つの奇跡でもかまわない、もしもこの世にすがることのできるわずかな希望が残されている限り、人々の列は永久に絶えることはないだろう。

 人々の心を熱烈に引き付けて永遠に止まないもの、これを奇跡と呼ばずして何と呼ぶべきなのか、私にはふさわしい言葉が見つからない・・・

 

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