仮面の囚人
 〜歴史の闇に葬られた謎の人物の正体をめぐるミステリー〜
 時は17世紀の終わり頃、フランスはブルボン王政の絶頂期で太陽王と呼ばれたルイ14世の治世の真っただ中にあった。その頃、1669年から1703年まで、実に34年間も牢獄に監禁され、仮面をかぶったまま一生を終えた謎の囚人がいたという。
 この期間、一握りの役人をのぞいて囚人についての秘密は堅く守られ通して来た。囚人には常に看守がつきっきりで、他の囚人とも交わることも厳禁されており、もし囚人が禁止されている内容のことを口外しようものなら、即座に殺されることを肝に銘じさせられていた。
 その反面、囚人の対応は重要人物のそれに匹敵し、生活面には特に気を配られていた。
 食事も高級だったし、敬虔なカトリック教徒としての尊厳は十二分に配慮されており、支給されている衣服の類も上等なものであったという。
 囚人を診察した医者は、声はよく通る響きのいいバリトンで、背は高く筋肉質、肌は浅黒く、髪はほぼ白髪だったと述べている。
小説の中で描かれた囚人のイラスト
 囚人が死んだときもその隠滅の仕方は異常とも思えるほどで、衣類と所持品は炉にくべられて焼却され、家具類も打ち壊されてことごとく燃やされ、それらの灰は溶かされた。独房の壁は、囚人が何か残そうとしてはいないか、念入りに調べられ注意が払われたのち、徹底的に削られ、その上から白く塗られた。床の石もはがされてすべて新しく敷きなおされるという徹底ぶりであった。
 かくして囚人に関するあらゆるものが焼き払われ、いかなる痕跡もこの地上から永久に消されてしまったのである。この囚人は一体何者だったのだろうか? その正体は永遠に解けない謎となり、永久に歴史の闇に葬り去られてしまったのだろうか?
 まもなく、この囚人は一体、何者だったのだろうといううわさが世界中に広がっていった。公の席上にあらわれれば、ルイ14世にとってすこぶる都合が悪く、かと言って殺して口封じすることも出来ない存在。何か重要な秘密を知っている高貴な人物であるらしかった。
 ルイ14世の異母兄であるとか、ルイ14世の双生児であるとか、ルイ14世に大変よく似た庶兄であったとか。
 いや、囚人こそ本物のルイ14世で、王についている人物こそ偽物なのだという説もあった。
 その他、戦争犯罪人であったフランスの将軍、元フランス軍の元帥、というのもあり、いろいろな説がまことしやかに語られたがすべて推測の域を出ないのだ。
ルイ14世(1638〜1715)何ごとにも派手な王であったが、そのせいか、晩年の財政は火の車であった。
 こうした史実をもとに、いろいろな作家が想像力を駆使していろいろな作品をつくった。作家ボルテールは仮面の囚人はルイ13世の王妃アンヌと宰相マザランとの間に生まれた庶兄ということになっている。作家アンドレ・ジュマの場合は、双生児の兄であるという案配だ。ちなみに、その作品「鉄仮面」では囚人は鉄の仮面をかぶって登場する。彼のおかげで仮面は、いかめしい鉄製の仮面というイメージが強くなってしまったが、実際は黒のビロード製でそれも四六時中かぶっているわけでなく、人と面会する時にだけ着用していたというのが事実らしい。
 1998年のディカプリオ主演の映画「仮面の男」では、囚人はルイ14世の双生児の弟という設定になっている。弟は繊細で物静かな性格だったが、兄のルイ14世は自己中心的な性格で、その横暴な政治によって民衆は飢えで苦しんでいた。ルイ14世の双子の弟が仮面を着けて牢獄に監禁されていることを知った三銃士は、邪悪な兄のルイ14世と交代させようととっぴな計画を練るというストーリーだったように思う。
 確かに、この当時、華やかなバロック時代たけなわであったが、その陰には、民衆の悲惨な生活があったのである。何ごとにも派手好きで、浪費家のルイ14世の統治に民衆の不満の矛先が向けられつつあったのは確かなのだ。つまり、この頃すでにフランス革命の火種は用意されていたのである。
 話をもとに戻そう。この謎の囚人については、その後もいろいろと憶測がされたようであるが、いずれにしても確証がなく、これ以上の進展は見られなかった。ところが、フランス革命後、囚人の死後100年近くたって、軍事省所有の古文書を整理している最中、手がかりとなる大量の手紙が発見されたのである。手紙は軍事大臣ルボア伯爵と監獄の責任者サンマルスとの間で交わされたものであった。
 それによると、ルボア伯爵からサンマルスにあてて次のような書簡が送られた。
「ルイ王の命により、ユスターシュ・ドジェなる男をピニョロール(トリノにある牢獄の名前)に送るものとする。貴殿は彼を厳重なる監視下におき、少しでも、自身のことについて語らせるべからず。万が一、彼がしゃべろうとした時は即刻、殺すぞと脅かすようにあられたし」
 書簡はこのような内容で、これに同意する王(ルイ14世)の手紙も同封されていたのだ。日付は1669年6月。すなわち仮面の囚人が監禁された年である。
ではユスタージュ・ドジュとはいかなる人物だったのか?
 当時ルイ13世は、女性に興味を示さず、王妃アンヌとも仲が悪く、王位についてから24年間も世継ぎに恵まれぬ状態であった。
 このままではブルボン家は断絶してしまう。そこでルイ13世の宰相であったリシュリューは、父親の代理を探して王妃に子種を宿させようと考えた。
 その白羽の矢が立ったのが、親衛隊の隊長であったフランソワ・ドウ・カボイエという男であった。
王妃アンヌ・ドートリッシュ
(1601〜1666)スペインハプスブルク家の出身。ルイ13世とは不仲で3度も流産したと言われる。
 この計画は見事に成功して王妃はめでたくルイ14世を出産する。このとき、民衆は奇跡の子だと半ばあきれてうわさしたらしい。当のルイ13世でさえ、あっけにとられて信じられないような表情であった。
 しかし成長するにつれ、ルイ14世は父親のルイ13世とは似ても似つかぬ容姿であることが誰の目にもわかってきた。
 ルイ13世は生彩がなく病気がち、生真面目、女性に興味を示さず(ホモセクシャルだったという説もある)、一方、ルイ14世はエネルギッシュで食欲旺盛、見事な体格、派手好きで女好きという相反する性質を持っていたのだ。おまけに顔も全然似ていない。
ルイ13世(1601〜1643)派手さはなく生真面目だったが、病弱でわずか42年で生涯を終えてしまった。
 ところで、この親衛隊の隊長フランソワだが子供は男女合わせて11人もいたという。その中で男の4人は戦死しているが、5番目の男の子はその後どういうわけか、たいした手柄をたてたわけでもないのに公爵の位をさずけられている。ユスターシュ・ドジュはその3番目の兄弟であったのだが、金使いが荒くだらしない性格の上に黒ミサなどに凝っていて、いつも何か問題をおこすやっかいの種であったらしい。どこからか、ルイ14世が自分の異母弟だと秘密を知ったユスターシュは宮廷に金をゆすってきたのではないかと思われる。
 この鼻つまみ者をなんとかせねばならない。ルイ14世はユスターシュを密かに逮捕すると、仮面をつけさせて幽閉することにした。顔を隠したのはルイ14世とあまりにもそっくりで瓜二つであったからだ。そうしてユスターシュはフランス中の牢獄を34年間もたらい回しにされ、最後はバスチーユ牢獄にて息をひきとるわけだ。逮捕されたときが32歳というから66歳まで生きたことになる。
 つまり仮面の囚人の正体は異母兄だったということになるが、これが現在、もっとも有力視されている説と言われている。
 ルイ16世の王妃マリー・アントワネットは好奇心旺盛でこの謎の仮面の囚人の正体を知りたがったひとりである。このときまだ16歳だった彼女は、古文書の類をかき回したり、夫の祖父にあたるルイ15世のところにまで行って、話を聞かせて欲しいとだだをこねたらしいが、ルイ15世は知ってか知らずか、ニコニコ黙っているだけで決して口を開くことはなかったという。
 もし口外でもしてこの秘密が漏れようものなら、ブルボン王朝の基盤が崩壊しかねない大変な事態となるからだが、皮肉なことにこの時すでに、フランス革命は目前にまで迫って来ているのをルイ15世は知る由もなかった。
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参考文献
世界不思議物語 Nブランデル著、岡達子、野中千恵子、社会思想社
『鉄・仮・面ー歴史に封印された男』ハリー・トンプソン著、月村澄枝訳、JICC出版局
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